guerrilla

夜のとばりをすらりと抜けてクラブへ向かった。今日は大丈夫。(何が?) 心斎橋のクラブへ行くと言ったら「変なやつが多いから気をつけなさい」と忠告されたがつれは大きいし安全・安心なのだ! 入り口で2人、中に入って2人、お友達に会った。幸先がよい。

madmaidがDJしているなか、友達が独居してからの加速はどうだとたずねてきたので、ケタケタ笑ってチャイナブルーのはいったグラスをふりながら魑魅魍魎のうずまく生活を話した。ほんとに、ケタケタ笑えるなら生きてる甲斐もあるってもんだ。遠い昔に、自分の人生はオモシロばかりでとりたてて人に話さないような安定が欠けていることに対する欠乏を感じた気がする。今も実情はそうなのだけれど、山札切ってもそんな手は出ないので諦めて手札を慈しむようになった。

DJがかわってearly 90's のような雰囲気になった。2DKの孤高の王を気取りはじめてから808 stateのPacificを延々かけているので気分に合っている。いい嫁キャンペーンをしている時の私は見ていられなかったそうだが、今はいきいきしているらしい。そのまま加速し続けろって? でも、ゲリラのような生き方をするのは打止めにして安寧の生活したいのよ…と表明してみる。不意打ちを好んで手札にいれてくれる人がいるのはありがたいのだが。(私はいつも、用件をいきなり言うので、常に刺激を渇望している人とは友情を築けるらしい) といってもどうしたら人並みになれるのか全くわからないのだけど。わからないのならわからないで、ゲリラの生をまっとうしつつ好きなように生きろと人は言う。そうかもしれねえな。

高校3年生から私の時間は止まっている。最近、手に年齢がではじめたが、それ以外はむしろ若返ってきたようなすさまじい歳の取りかたをしている。革命と闘争の人生のなかで知らず知らずのうちになんやしらん魔と契約をしたようで、ゲリラ性とあいまって、人間よりは妖魔だと言われてしまった。人間とはつがいになれないのかなあ。まあ、ケタケタ笑いが絶えなければいいけれど。

魔術の時間

私はみずから手を動かして魔術をおこなったことがない。怠惰な人妻である。

原因としては、計画をたてて意図した結果を出した成功体験があまりにも少なくて、あるいはあったが記憶に残っておらず、いくつかのむざんな失敗ばかりあると思っていて、計画のうえでなにかやろうとするとゲロりそうな気持ちになるのでやがて放棄しはじめた。どんな人間にも魔はあるが私の魔のセルフイメージは歩きまわったあと尻から糸がたれて結果的に巣になったのだ。もっとも自然界の蜘蛛は目的があってせっせと巣を作っている。人妻より高尚だ。

 

読者諸君はいきなりなんやねんとお思いになったであろうが、書いている本人にも魔の言語化はむずかしい。生きているうちに奇跡としか思えない事象にときどき出会うので、なんか馴染み深くなってしまった。自分の持っているものを差し出して別のものを手に入れる式の奇跡であれば数年前に体験していて、長所だったフットワークの軽さがまったく失われてしまいそのかわりに自分の生活範囲から強姦魔をシャットアウトすることに成功した。(まだパージされていないらしい。はよ死ね) 誰と契約したわけでもないので、この取引はいわゆる神としたことになるんだろうな。意図しておこなったわけではないのでやはり奇跡で、私は魔方陣のひとつも自分の手で書けない。

そのうちポロっと結婚したが鬱になり配偶者も鬱になってどこかにいってしまい、薬のぬけきらぬうつつのなかで2DK分の夢想の中に生きている。配偶者に都合のよい家事システムと、鬱のために、部屋は陰惨に散らかっているが、あけはなした浴室からイスラエル産れの上等な香りがただよってさながら王侯の気分で喫煙している。

 

独居してから現実に抗うことをやめた。現実をちょっと改変するのが魔術なのだから風が吹けば桶屋が儲かるの奇跡しか見たことのない人間は、五里霧中。能動的に何かを変えたりつかんだりする能力はどう努力したら身につくのか検討もつかない。スプーン一本曲げる程度のサイキックでも、現実に作用するスキルのある人は羨ましい。しかたなしになしくずし的におとずれる刺激と笑いと官能を楽しむことに決めた。(官能とは単純な性交ではなく観念的で、倒錯を楽しむ心意気くらいに思ってほしい) もともと、私の生活は結婚という手入れをしなければ極端の人(多方面に配慮した表現)やサイコパスだらけのおまじない人生だった。誰も私を退屈させず皆美しかった。生活傾向は独居になってからたちまち独身の頃と近くなった。いくら結婚しても人が持っている魔というものはあんまり変わらないんだなあとへんに感心した。蜘蛛の巣を気取り、やっと出来るようになったセルフケアをおこたらず、いつか状況が変わるその時まで、甘い匂いのたちこめるこの部屋で、寝てるか、人と会うか、魚介とベビーリーフを和えたパスタなど簡素で美味いものを作って食うか、夢想しているかを続けるだろう。

 

 

 

とはいっても、抜け目なく蜘蛛の糸をひょろひょろのばして就職先を世話してもらうことに成功している。どうせ家でひとりの時はろくなことを考えないので、フルタイムで働けばいいやと思ったのだが、鬱の身で身辺整理して東京に引っ越すのは重労働すぎ、だましだましもたせてそのうちふっと出来るようになるだろうといいかげんである。

昔は加速が得意だったが、その気になかなかならぬというだけで、今も得意らしい。ふるまいをまちがって何回か機嫌を損ねてしまった人にギリギリ怒られないラインでいきなり距離をつめ仕事の世話を頼んだ。また、何のつもりもなくって人に会うためだけに旅をして、自分では自然のことだが他人からするとへんかなあ、とあとから思いはするが、そのときどきでじゅうぶんに楽しんでいるし、あらためようにもどうあらためていいのかわからない。

 

薔薇と死海の塩の香りに、隣家が植えたジャスミンがモウモウとあがって、ますます贅沢と怠惰の霞を通してものを見るようになり、魔の生活が完成しつつある。はたして、受動的に夢にひたることをやめて、これからひとつでも魔術をこさえることが出来るのだろうか?

 

彼女

彼女は梅田にいた。

 

およそ10年前、私は梅田で深夜バイトを週2-3回していた。夜の8時から朝の8時まで、きつい労働だった。作業自体がというより、詳細は省くが客もキャストも人間とみなしていないブラック体質の企業だった。同じ時期に入った人はみなやりやすい人間だったが、誰も残らなかった。1ヶ月経つと割とかっこいい男の子が「ねえ、給与明細みた?」と似合わないしかめつらをしてこっそり話かけてきて、まだ見てないけど一体どうしたのと聞くと彼は給与がごまかされていたので私のも見て確かめたいとのことだった。彼の不安は的中し、失望か憤慨かした彼はそれからすぐに辞めてしまった。

 

自分より体力があってまどいのなさそうなイケメンでもそんな感じだったので半年経たないうちに辞めることを考えていた。深夜労働は人間を破壊すると思う。人間が人間であるために必要な何かを結構な割合で吸っていく。何かを仮にエーテルとするなら勤務の折り返しくらいから私のエーテルはどす黒くなっていて退勤するころには疲弊のために赤錆じみていた。

 

ある日毎度の強制サー残を終えて店から出ると、外はピーカンでまぶしかった。足は疲労でしびれていて、散歩日和だけどどうせ家に帰って即寝るしかない。どこかの企業のポスターみたく、白シャツと黒パンツ姿でひざしを片手でさえぎるしぐさをしながら歩いていた。瘴気たちこめる空気で乾燥した化粧では広告にはなりえないだろうけど。地下鉄東梅田駅に向かうため人の群れのなか疲れてとても一歩が重い足を進めていると、前方から「あなた、幸せ?」と声がした。

 

それは群衆のなかをまっすぐ自分にむけて飛んできた。おかしいんだ。こんな人がいっぱいなのにその問いが自分にむかってくること自体。知人なら初手は違う声かけだろうし。

危険を察知しながらゆっくりと視線を探ると、彼女はいた。心霊写真が必ずカメラ目線であるのと同じように彼女はこちらをきっちり見ていた。最新のファッションじゃない。でもみすぼらしくはない。おそらく80-90年代の格好。セミロングの髪。妖魔のような無言の笑いをしている。30-40代の女性。新手のスピリチュアル系か? 一瞬のうちに相手を解析する私の頭はそれでも相手が正気がどうかは判断しかねた。しかし理性が判断できはせずとも本能は(コミュニケーション不可。逃げろ。)と早鐘を鳴らしている。

幸いなことにターミナルに人が溢れかえっているおかげか接近はなかった。私と彼女は人をはさんですれちがった。ベクトルが反対になってからふりむくと、ぴったりタイミングが合ったのかずっと見ていたのか、彼女は私に対してあやしい微笑みをうかべていた。

 

 

接客は嫌いではないのだが客にウソをついてまで売上を伸ばそうとする店長にドン引きしていた。客に絡まれている私を放置して他の客に危害を加えそうになってから店長が出てくるのもうすら寒かった。副店長がトンだ。人の良さそうなバイトが客を殴ってやめた。

 

2回目の邂逅は同じように疲労困憊で早朝の梅田駅を歩いていると、こちらの方面へ歩いてくる彼女がいた。一度発見したウォーリーの如くもう人混みにいても彼女を見分けられた。そこだけちがう彩度だから。

「幸せ?」また私は無視した。

 

 

風邪で休むと連絡したら診断書を提出して代打のバイトに依頼しないと休ませないと言われたのでとうとうやめることにした。イケメンもいなかったし。

 

3度目のピーカンの青空、退勤後の梅田でいつものように歩いていると後ろから「ねえ、やっぱり幸せ?」とたずねられた。はたしてふりむくと彼女がバッとこの世ならざる笑みをうかべて問うていた。返事は決まりきっているが、声には出さなかった。

 

 

彼女はまだ梅田にいるのだろうか? バイトをやめてから見ないから。不本意な状況下で私がおかしいことにおかしいって言わないでただ耐えるだけなら彼女はいる、ということなんだろうな、多分。あんなブラック企業いまなら証拠とってローキックいれてるよ! 若かったな。今はどうだろう? もしも彼女が登場する余地があるのなら、私が私自身を批判すべき時なのかもしれない。

あるいは、単に梅田に巣食う化け物のまぼろしか。

誰か彼女に遭ったら伝えてほしい、「全然幸せじゃなかったし今も大変だけど心に金属バットは持ってるよ」と。

 

影の話

"夢の内容は現実の世界では実現不可能なことや、本人の願望に近い内容であることも少なくありません。心理学的立場からは、現実に達成できなかった衝動などを夢という疑似的な行為で満足させたり、性欲や破壊欲などの本能欲動が開放されるという仮説があります"

引用: 尚絅学院大学 人間心理学科 / 「夢」を生きる

https://www.shokei.jp/faculty/university/human_psychology/information/detail.php?p=144

 

私の母は荒唐無稽な願望を抱いている。ひとりの人間のキャパシティを超えた苦難の記憶を、そっくり忘れた人間として在りたがっている。

完全なる忘却などありえない。たとえば、私はつい最近、いまだ赤面してしまうほどの失敗をして試験におちた。この恥ずかしく嫌な記憶を抹殺するためには、すべて忘れようと力んでも逆効果である。むしろ、恥ずかしくてのたうちまわっている自分を受け入れることでしか忘却の道はひらかない。

母が楽になるには、イエ制度と女性差別と貧困のため未だに苦しみ、うらみを持っていると彼女自身が認めるしかないのだ。時間が傷ついた人間の味方をするには、この関門をクリアしなければならない。

 

ロバートダウニーJr.主演の、映画シャーロックホームズの2作目「シャドウゲーム」を知っているだろうか? 愛すべきダメ人間ホームズが、結婚のため自分から離れていくワトソンと再び推理と冒険に出ていく物語だ。

この映画に対する考察がすばらしいサイトを見つけたので貼っておく。

https://kaorusz.exblog.jp/19518881/

全体的にすばらしいのだが、モリアーティがホームズの影(シャドウ)だと指摘しているところにまいった。特に引用したいのはこれ。

"ホームズにとってのモリアーティとは、決して認められない自らのネガであると同時に、自らが意識的に望むことを許されない抑圧された願望が叶えられる口実を与えてくれる存在でもあるという、アンビヴァレンスそのものの象徴なのである"

 

 私にもある。ホームズにとってのモリアーティが。

 

実家に帰れなくなって何年経つかわからない。私は現在うつ病PTSDがひどくて希死念慮があり誰かの介助がなければ生活はむずかしい。配偶者が介助を放棄してしまったためなんらかの庇護下になければ生きられないが、それでも実家に帰るというのは入院より上の最終手段だ。

自分の意思で実家に帰らないことを選択したのは自明のことだが、しかしながら、ものごとにはつねに反対の力がはたらく。理不尽なことをされて帰らない意思を固めるたびに、ホームシックは年々高まっていく。

路線図をながめると谷町線をみてつらくせつない。

用事があって大阪へ行くと、喉から胃にかけて、帰りたくても帰れない気持ちがしとり、しとりと降っている。

電車の中で老女をみかけて母ではないかと吃驚する。

 

どうしようもない。私にできるのは、自分がホームシックであるとみとめることだけだ。しかし、影はそうではない。いつかのレッスンで、夢の世界は無意識の闘いだと学んだでしょう? 今回もそうだよ。 

 

私はまた××区に閉じ込められている。閉じ込められているとはいささか妙な表現かもしれない。別に私は監禁されてもいなければ、手錠足枷をされたわけでもない。ただ、出られない。この世界のルールは(1)××区内を移動すると必ず時が加速して移動に失敗する。もちろん隣区に移動しようとしてもおなじ。 (2)たとえ公共交通機関に乗っても梅田までの間に必ず乗り換えが失敗する (3)妨害が入る。避けられないのでのりこえるしかない (4)にもかかわらず移動して何かを成し遂げなければいけない だ。成し遂げないといけないことは様々で、区内の特定の場所に行かなければならなかったり、はたまた大阪府外へ行かなくてはならなかったり。

私は何度も××からの脱出に失敗した。ある日は地下鉄で乗り継げなくなって。ある日は時が加速して身体が追いつかなくなって。ある日は成し遂げをしなきゃならん場所が理不尽にもコロコロ変わって。またある日は区内で夜道を歩いていると、性暴力にあい抵抗したが三人がかりで暴行され死ぬ。

 

こんな目にあっても健気に私の無意識は大阪にいるのだ。どんなに酷い目にあっても大阪にがんじがらめなのだ。実家に帰ると自動的な幽霊が現れることもわかりきっているのに。(http://jahlwl.hatenablog.com/entry/2018/10/13/172751)

カウンセラーには原風景と言われたが、原風景以上のものだ。私は今でももとめている。父にも母にも別れても、どんな体験をしてどんな大人になっても、leashで縛りつけられてテコでも動かないものが脳か心にドンと居座っている。

私のシャドウはちゃんと私の願望を叶えている。ホームズにとってのモリアーティがそうだったように。苦難苦痛をあたえながらも、大阪に帰りたいという願いを成就させているのだ。

 

今日はちょっと様子がちがうらしい。どうも区外から××に入ってきたらしい。中学入学当初通学路で私の名前をなぜか知っていて呼びかけてきた大将のいるちゃんこ屋あたりで私はテクテク歩いていた。歩く方向だっていつもと逆だ。信号のある場所で不審者の中年男性が相撲取りに絡みついている。多分相撲取りは別れたいが中年男性はそれを許さないのだろう。私はなるべく自然に二人の間に割って入ってそのまま歩いていった。中年男性が怒りの矛先を私に向けてついてきた。パンクスの友達たちがたむろしている、友達のひとりのアパートに入って、部屋でやり過ごさせてもらおうとする。Kは私を中に入れてくれた。Kの他にも何人か大阪のパンクスがいるからか、中年男性はアパートに入ってこれない。彼はしばらくアパートの前に立ち止まっていたけど、やがてどこかに去った。

 

はじめてシャドウゲームで、展開を変えられた、といえる。

友達を頼れば、安全は保たれているらしい。

母もいつかは影のゲームに気づくのだろうか。われわれはイエから生まれたしイエのシステムと影は切っても切れない関係だ。抑圧とモリアーティはコインの裏表だ。母に友達はいるだろうか。急に心配になってきた。家のために働けとむりやり中卒にされ、親の仕事や家事を手伝わされ、結婚を強制され、馴染みない土地に住むことになったひと。夫の親族にいじめられたひと。血のつながりが救ってくれないのならば横のつながりに賭けるしかないのだから。母に友達はいるだろうか…できればハードコア&ジェントルな友人がいい。

間接霊呪

母親は幽霊になっていた。生きた人間も霊になるのだと、今更思った。生霊という言葉は知っていても、身近な人間がそうなるとはなかなか信じ難いものだ。

 

 

「幽霊屋敷」とイエを捨てて京都に逃げ、さらに実家に帰ることもやめて新しい家に籠りはじめてから、何年も経った。両親の顔をあと何回見られるだろうかと思いながらも帰ることはしない。わずかな回数、母が京都まで来るに限って私は親の顔を見ることがかなう。もはや父と顔を合わせることは諦めている。あの時も「今週京都に行くから食事しよう」と母はいかにも楽しみなようすでお店選びを私に頼んだので、私もそんな位のことで喜んでもらえるならとせっせとwebを繰ってきれいなビストロを探しあてておいた。

選んだのは、×条駅から歩いて3分ほどの新しい清潔な店だった。野菜にこだわりがある店だと書いていたので野菜料理に期待していたが、まず眺めがよかった。建物自体は雑居ビルの3Fだったが、中に入るとよごれていない白い壁とあかるい照明で、いかがわしい雰囲気が全然なかった。当日最初の客だったらしくどこにでも座れたので窓際のテーブルへいくと、どの椅子に腰をおろしても川を眺めることができるのだった。母はビール、私は腹の調子がよくなかったので常温のワインにし、前菜の盛り合わせと野菜のサラダを頼んだ。前菜は並みだったがサラダはよかった。美しく盛り付けされているだけでなく、二人でシェアすることを見越した配分にされており(つまりいちいち客が考えたりゆずりあったりしてとりわけなくてもいいようにされていた)、燻った香ばしいオイルと塩でシンプルに味付けされ、色とりどりの野菜が見た目にも美味しそうだった。この店を選んで正解だと思った。こんな料理は家ではできない。できるかもしれないが誰が時間と手間をかけてやるだろう。母も私も働いているのだ。働く人を癒す料理、見て食べてときめく料理を食べさせたかったから、ひとまず店選びがうまくいってよろこばしかった。

グラスワインが二杯目になったころ母は私の結婚生活のことを聞いてきた。そもそも今日母が来た理由は私のことを心配してきたのだ。母親は娘をみて、むかし妹たちが結婚した時のことを想起していた。ひとりは夫が口やかましく、何をしても貶され、気力を失ってしまった。もうひとりはあんたがさっさと済ませないと下の子たちがつっかえるからという理由で半強制的に結婚させられ、相手は真正のアル中だった。(母は長女だったので同じように半強制的な結婚をさせられていたが父は少なくとも暴力はふるわなかったし酒飲みでもなかった、しかしそれは単にダーツ式に何を引き受けさせられるかの問題であっただろう)妹から夫に殴られているこのままでは危険だという電話を受けて父と弟と一緒にお母さんが駆けつけたんだよ、弟と一緒に、寝ていたそいつを蹴飛ばしても起きやしなかった。アル中でずっと深酒してるんだという話を聞いた瞬間に私はすべての動作を止めた。

弟? そいつは私にセクシュアルハラスメントをした人間だ。母にその人物の名前を私の前で出さないでほしいとお願いしてからその名前を聞くのは三回目だった。たった二か月前も、母は加害者である叔父の名前を言って私を凍らせている。その時だって、私はなぜ名前を聞くのが嫌なのかを再度説明して、母は二度と言わないようにすると面前で誓ったではないか。

「なぜ私の前でそいつの名前を言うの」

「うっかりしてたのよ。忘れてたの」

うっかり? うっかり何度も娘に加害した人物の名を親し気に出すなんてことがあり得るのだろうか?

動作を止めたまま、頭の中で虚空が疑問とともに拡がっていった。虚空はするすると拡大してゆきどこまでも深かった。紺色の無窮空間が答えを求めてとめどなく膨張していき、同時にすべての気力を私から奪っていった。親は私の被害を軽くみている。いくら心配していると言われても、心配している人の行動をしていないから信用できない。加害者を罰しもせず、加害者と関わりたくないし名前も聞きたくないという娘のささやかな依頼も裏切った。怒りも悲しみも苦痛も共有してもらえず、何度嫌だと伝えてもなぜか会うたびに加害者の名前を出され、本来なら一番安心できる存在である親から二次加害を受けているという失望の分だけ虚空が拡がり、もう止めようがない死んだ方がこれ以上苦しまずにすむのではないかと思いながら無言で涙を流し続け無窮の空間で絶望しながら何分経っただろうか。膨張が一旦止まった。誰かが私のSOSをつかんだ。「うっかりなんてあり得ない」というセリフを聞いた。大変なつかしい感触だった。私はこれを知っている。

声は警告している。ー「そんなことはあり得ない」と。

 

 

母の願いで場所を変えた。ビストロから××コーヒーに移った。

さっきの声を聞いてから私は何かがおかしいと確信し母を問いつめていた。なぜ何度お願いしても加害者のことを口にして私を追いつめるのか、いくら質問しても母は忘れていたとしか答えない。そんなことは真実ではないと怒った私がおしぼりを投げると、母は「親にこんなことをするなんて…何度言っても信じてくれないなら、距離を置きましょう」と言った。

親にこんなこと? この期に及んで、自分の弟によるハラスメントや家族の無理解で精神科にかかっている娘に対して、都合が悪くなると親の威厳を見せつけようと試みる習性に腹が立った。おしぼりを投げられるくらいなんだというのか。それ以上のひどいことを自分がしているという自覚がないからそんなセリフが出てくるのだ、親だというのなら娘が被害にあった時加害者に謝罪させればよかった、それすらしないで何が親だ、と反論した。そして、私に本気で謝ってほしいと言うと母は考えこんでしまった。考えこむのだ。ひどい仕打ちをしておいて謝れないのだ、と思うとまた絶望の味が舌にあらわれてきた。

そのうち私が呼び出した夫がコーヒー店に着き、夫にひとこと「母がまた私の前で加害者の名前を出した」とだけ告げてトイレへすべりこんだ。しばらく泣きながら個室で壁に手をついていると、ふと不思議な感触が頭の中に形成された。不思議な感触を持ったまま席へ戻ると、いきさつをきいたであろう夫は何とか言葉をしぼりだして、母に「お義母さん、距離を置くというのは、結局問題を先送りにしているだけじゃないですか?」などという話をしている最中だった。私はそれを真剣に聞いておくべきだったのかもしれない。けれども、席に座った瞬間から個室で発生したあの感触がどんどん頭の中だけでなく体中に侵食していき、絶望していた心(それは人体の箇所で表すならば胃の底に該当すると思う)にコン、と触れた時、私は第六感の新境地を見えない方の眼で体感しておりそれどころじゃなかったのである。

心眼開花し神懸かり状態になった私はこう切り出した。

「お母さん、自分がされたことを私にやり返すのはやめてほしい。」

ここから以降は、誰かの力を借りて口にしたことだ。でも、一体誰が力を貸してくれたのだろう?

 

 

「お母さん。自分がされたことを私にやり返すのはやめてほしい。といってもいきなりこんなことを言われて訳が分からないと思う。だけどもう私には分かってしまったから訳が分からなくても聞いてほしい。あなたは無意識のうちに過去自分がされたことを繰り返している。今まであなたを苦しめた人たちはあなたを尊重しなかったし、謝らなかったし、それに周りにいた誰もお母さんを苦しめた人間を断罪してこなかったんだね。気づいてあげられなくてごめん。私がお母さんにお願いするのは酷な話かもしれないけど、上の世代が耐えないといけなかったことを下の世代も耐えないといけない義理はない。あなたを無理に結婚させる人ーあなたの母親も、あなたに意地悪をし続けていた義姉も、もうこの世にいない。あの人たちの亡霊にとらわれるのは今日で終わらせてほしい。」

「お母さんは……もう気にしてないのよ。あの人たちのことは忘れたの」

忘れた? そんなことはあり得ない。

あの幽霊屋敷で無力な少女を守っていたカール・ユングマントラが私に向かって呼びかけてきた。そんなことはあり得ない。ユングマントラが私に加勢し、見えないものを見させた。母は、どんな理不尽な目にあっても、子どもを育てるために憎しみを忘却しようとつとめたのだ。しかし、忘却しようとすればするほど、なかったことにしようとした感情は幽霊屋敷の養分になっていく。幽霊屋敷、いわば家父長制・イエ制度というシステムのデメリット、抑圧された影が自動的な存在になり、無意識の領域で、イエの中で弱い者を自動的に攻撃するようになる。私は中学生の時に読んだ、ブギーポップシリーズの作者が書いたライトノベルに出てくる「ラウンダバウト」を思い出した。直接ダメージを与えず、偶然の現象によって間接的に対象を攻撃する能力だ。それよりもさらに間接的ということを深化させた、幽霊屋敷の怪奇現象。かつて先祖の誰かが味わった苦痛が無意識の悪意となること。私を直接死に至らしめることはできないが、間接的に消耗させようと猛威をふるう幽霊たち。母は今、彼女/彼らと同じように無意識の攻撃を私に行う存在になっている。

「虐待された子どもが大人になって今度は虐待する側にまわる」というありふれた言説のことも思い出した。母は女性に対する抑圧を打破する成功体験を持たないのだ。昭和の時代にどうやって貧乏な家に生まれた女性が自由な選択肢など持てただろう。だいたい、母の経験が忘却可能なレベルであるはずがない。私よりも強烈にイエというものの悪影響にさらされざるを得なかった。それでも忘却したと片付け、なかったことにすることでしか前に進めなかったのだ。たとえそれが影を強めていったのだとしても。

忘却と抑圧のメカニズムだけじゃない。そうだ、心理学にのめりこんだときにレッスンした箇所だ。うっかりなんてあり得ない。人が何かを忘却するとき、うっかりやらかしてしまうとき、そこには何らかの欲望がはたらいているというくだりを確かに読んだ。誰かが私の手を握っていた。現実的には夫の手であっただろう。しかしながら、現実にいながら心眼開花によって冥た世界に移動している私の手を握っているのは夫でない。


「本当に認めがたいことだろうけどあなたが何度も加害者の名前を出すのは私を憎んでいるからだよ。もちろん娘を愛しているのも理解しているけど心のどこかで憎んでいると言わざるを得ない。何回も”うっかり””忘れて”て加害者の名前を出すのは偶然じゃない」(この世に偶然などないと、手を握っている人も言う)「心のどこかで私を憎んでいるから無意識に攻撃している感じがする。あくまで無意識だから本人としては"うっかり"だとしかとらえようがない。それは私にはよく見知った現象なんだよ。実家で何度も怪奇現象にあったことは知っているよね?大幅に話を端折るけど、幽霊の正体は【なかったことにした気持ちのふきだまり】のようなものだよ。お母さんは忘れたことにしたのかもしれない。それを責めもしないし否定もしない。そうするしかなかったのだろうから。でも現になかったことにされた気持ちが私を攻撃していることを一旦受け入れてほしい。あなたは私が理不尽なことに対して抗い怒りを表明することに、腹を立てている。それだけじゃなく、ほとんど記憶に残っていないだろうけど、私が自由に人生を生きようとするとき、それを阻害する傾向がある。」(彼女は12年前自分が怒り狂って私にカットモデルを辞めさせた時のことを、父だけが怒り狂って辞めさせたと記憶していた。実際は、両親ともに鬼の形相でカットモデルの現場にのりこみ私を引きずり出したにもかかわらず。娘を好きなようにさせたくないという自分の中の闇の欲望、負の感情をなかったことにしていたのだ)

「こういうことをふまえて、ちょっとにわかには信じられないかもしれないけれど、やっぱりお母さんは自分がやられたことを反復していると私は断定しているし、できるならば、酷な話だけどなぜ自分が娘を憎んでいるのか、同じ目に遭わせてやろうと欲してしまうのか、をカウンセリングの力なんかも借りながら、考えてほしい」

 

ここまで並べ立て、私は帰ろう、お母さん。と言った。

母は飲食代を払おうとしたが私は断ったし夫にも出させなかった。今日終わらせると決めたのだから、母をあの幽霊どもと同じようにはすまいと、言葉遊びのようだが私がはらうのだ。

 

母を見送って、帰りの電車で「なぜ今まで気づけなかったのか疑問だ。お母さんは自分が苦しめられてきたことを娘に繰り返してるだけ。よくある話なのに」とつぶやくと、夫は「前からうすうす勘づいていたんじゃないの? 言葉にできなかっただけで」と言った。そうかもしれない。

 

私が床についても夫は何かを考えていてなかなか寝ようとしなかった。

「なに、かんがえてるの?」

「あなたの、能力だよ。人の心を見抜くとき、何かをショートカットしてるんだ。」

「ただの第六感じゃない」

そう、ただの第六感。ただし一朝一夕のものではない。コーヒー屋で手を握っていたのはかつて泣いていた先祖の誰か彼かだ。家父長制というシステムのデメリット(個人の人格を尊重しない)によって起こされた、何十年も前の、ひょっとしたら百年以上前の出来事によって無意識の悪意に成り果てる以前の、怒りや悲しみを抱えていた個人(たち)が私に同調しサポートしているのだ。

私はもはや家という限定された場所を媒介にしなくても第六感を発揮できるほどに成長していることを知った。私の曾祖母は腕の立つムダン(イタコ)だったが、今は2018年、大掛かりな口寄せなど必要ない。たとえば、繰り返す抑圧から母を解放する程度の能力さえあればいい。

媒介は、現代人らしく心理学の知識くらいにとどめて。

 

 

Rちゃんのお母さんの妹の夫はいつも不機嫌で今日もガレージの周りをぐるぐる回っている

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 Illustration by @ill_bull

①実家に帰ると必ず現れる自動的な存在

 

実家に帰る。新××の家ではなく、引っ越す前の、私の生家である「幽霊屋敷」に。

玄関の前には死んだはずの犬が、老いてはいるが復活している。私は急いで犬を家の中に入れようとする。なぜなら、今にもヤクザが現れようとしているからだ。実家にヤクザが現れる理由は判らない。私が居るからとしかいいようがない。彼らはヤクザの形を借りた自動的な存在なのだろう。それこそ、幽霊のような。

(ある人が「自動的な存在」とはどういうこと、と訊いた。私は少し定義を考え、「彼らに意思はない。ただ害する者として表象されている。だから生身のヤクザより、幽霊に近い」と答えた。)

家に兄姉はいないけれども両親はいる。いいとしをした大人が揃っていてもヤクザに対する戦力にはなってくれない。私はどうにか襲撃を切り抜けようと頭をはたらかせているが、両親はどこか間がヌケているというか、平生の雰囲気というか、頼りにならないこと間違いなしだ。私に言わせれば、犬も両親も危機感が足りない。向こうは銃火器すら持っているというのに。

家じゅうの出入口を閉めるともうヤクザは家の前に来ている。きっちり戸じまりしたはずだったが、窓の一部があいていて、そこからヤクザのうち数人が侵入しようとしている。その辺にあった棒でどつき回してやっつけると、一団は引いていった。

でもまた来るだろう、多分。なにせ彼らは自動的な存在なのだから。

 

②子どもには害がないが女性には害がある架空の男性

 

意地悪なおさななじみ(以下Rちゃん)と家の近所をぐるりと散歩している。彼女は現アクセサリー作家で中学を卒業したあと交流はない。我々は家の裏側の筋から途中で右に折れて隣家までぬけてくるコースを歩いている。

曲がる地点で、私は後ろから成人男性がついてくる気配を察知してパニックになる。少し先にいるRちゃんに、「Rちゃん、ちょっと待って、誰か来る!!」と叫ぶ。Rちゃんは立ち止まってふりかえり、その男を見た。男は20-30代、ブサイクではないが、素性正しいといった風情ではなく、何より私を不安にさせる何かを持っている。

Rちゃんと男がわずかな間話した。すると、男は去った。Rちゃんが「〇〇ちゃん落ち着いて。あの人知ってるでしょ」というが私は全く思い出せない。けれどもLINEの履歴を見ると(幼児に戻っているのにLINEがある。この後も、時間が部分的に入れ替わった箇所がところどころある)、私は気安くあなどった調子で男とやりとりしている。男のことを想起してみると、彼は子どもには害がないが女性には害がある。スキあらば女を手に入れようとしていて、彼女らを尊重しているフシはない。定職にもついていないようだ。少し精神的に不安定そうな感じもある。

 

③Rちゃんのお母さんの妹の夫はいつも不機嫌で今日もガレージの周りをぐるぐる回っている

 

Rちゃんのお母さんの妹の夫はいつも不機嫌な白人男性だ。元夫というべきなのかもしれない。彼の妻はすでに失われている。彼はまた、私やRちゃんがたまり場にしている屋外ガレージの周りをぐるぐる歩いている。

ガレージは乗用車が最大20台ほど駐車可能な大きさで、子どもが遊ぶ時間帯に車が出入りすることは滅多にないため、近隣の子どもにとってうってつけの遊び場である。Rちゃんの家を含めいくつかの小さな商店を前にした位置により近所の目もいきとどいていて、子ども同士のケンカを除いてへんなトラブルが起こる可能性は低い。例外的にRちゃんのお母さんの妹の夫は我々が遊んでいるときに延々ガレージの周りを歩いていて時々子ども相手に何か言ってイビることがあるのだが、大人は事情をのみこんでいて彼をよけることはない。幼児でありながら今の私でもある"私"は、「彼はRちゃんのおばが死んで精神を病んでいるのかもしれない」と思う。子どもにとっては単に、意味なく難癖をつけてくるちょっと怖い人だった。

この話はどこまで本当かわからない。部分的に現実であったような錯覚がある。Rちゃんのおばの存在は偽の記憶だと思うのだが、彼女は実在しないと断言できない。音楽関係の仕事をしていて外国人と付き合っているというじつにありそうなイメージが脳のどこかにはさまっている。そして、亡くなったといわれたらそうだったような気もするのだ。

 

町内会に行くと、おっさん達が集って話をしていて、その中にあのヤクザの話題も出て、「いやあお宅の娘さんが大活躍で」などと父と私におべんちゃらを言っている。そんなことを言いながら、彼らが何もしない気でいるのは明白だ。私は本当は「そんなことより、あいつらを何とかしてくださいよ!」と言いたいのだが、「ええもう、ムカついてヤクザをボコボコにしたったわ」と口が勝手に動いてしまう。おっさん達はそれを聞いてますます手助けせずともよい口実を作ったようだ。父も何も言わない。「町内会」のくせに、実際の町内会長であり隣家の主であるTさんはいなかった。彼がいたら、真面目に考えてくれたと思うが。

私はふと思いついて②の男に「次ヤクザが家に現れたら私は死んでしまうかもしれない」とLINEしてみるが返信はない。"不機嫌な白人男性"にこっそり「ねえ、私ヤクザに殺されるかもしれないんだ」と打ち明けると、彼だけは私を心配してくれるのだった。

 

"不機嫌な白人男性"はRちゃんのお父さんに顔立ちが似ている。お父さんは教師で私に話しかけることはあまりない。一度だけ怒られたことがあるが何で怒っていたのかは理解不能だった。

"不機嫌な白人男性"が実際にガレージの周りをぐるぐるしていたということはない。むしろ、知らない男(不審者)がガレージや実家の周りを現実にうろちょろしていたのではなかったか? ガレージにいたときはRちゃんや他の子が一緒だったからその存在を見なかったことにするのが可能だったため、強く記憶されてはいなかったのだ。また、不審者の方でも子どもが複数いる場合近寄らなかった。だが、私が一人のとき彼は脅威だった。彼は町内をぐるぐる回っていて子どもが一人になる瞬間を待ちかまえていた。

不審者は"不機嫌な白人男性"では決してない。"不機嫌な白人男性"が私を心配したとき、本当に病気で私やRちゃんに難癖つけていただけで、彼が他人を心配してあげられるマトモな神経を持った町内で唯一の男性だとわかった。失われた妻をもとめて、その不在に耐えられず、理不尽さに縛りつけられ、どこへもいけずガレージの周りをぐるぐる回ってその場にいる子どもに消化しようのない感情をぶつけるしかなかったのだろう。

不審者は"不機嫌な白人男性"ではない。

 

④死や狂気から最も遠い芸

 

夢をみていた。ある人と手をつないでいる夢だ。起きたら実家で、N江君と手をつないでいる。彼は現実にはいない幼い弟の役を兼ねている。両親も、現実の姿と藤子・F・不二雄の漫画に出てくるキャラのような姿と交互で表されている。

両親は家の中の痕跡を消すため、家じゅうの書類やぬいぐるみをバラバラにしている。可燃物を細かくすることで、ヤクザが家に火を放ったらよく燃えるだろうという算段らしい。少しでも痕跡をのこさず家の者に追手をつきにくくさせる工夫をしている。弟はお気に入りのぬいぐるみがバラバラにされ中のワタすら出ているのを見てショックを受け、「僕のゾウさん(ぬいぐるみの1つ)がこっちを見ている」と怖がる。

わずかなすきまから外をのぞいて、ヤクザが再び襲撃に来たことを把握する。実をいえば確かめるまでもなく彼らがいることは承知しているのだが、一応目で確認したのだ。彼らはバズーカまで持っている。いかに戸じまりを十分しようとも、これでとびらを破壊されたら、後は数で負けてしまうだろう。ヤクザの一団はすべて男性らしく、ヤンキーの同級生、お笑い芸人に加え絶縁したいとこなどで構成されている。

私は、死ぬような目にあうならその前に、1つの事柄についてあらいざらいぶちまけるメッセージを送ってしまいたいと一旦はiphoneを手に取る。しかし、それは私が墓まで持っていくべきものであった。そのような秘密をひっそり隠し持ったままにしておくのがいい年齢の重ね方をした人の仕事であり、理性がなければこの芸当はできず、死や狂気から最も遠い芸であると私は信じていた。内心しまっていたことを放り出したくなったことをも含めて、自分自身のおおよそすべてに対してはっきりと、なおかつ自然に納得した。

私は墓まで持っていくべき秘密を抱えたまま、「幽霊屋敷」で棺桶に片足をつっこんでいるのだった。

 

 

幽霊屋敷ではどんなことも起こり得る

 

jahlwl.hatenablog.com

 「幽霊屋敷についてのテキスト」にて、ある日たまたま心理学の本を家でみつけたことで毎晩発生する怪奇現象を幻聴だと思いこむようになり恐怖から身を守った経験を書いたのだが、なんとその本は家族の誰も買っていないことが判明した。

自分→当時は小学生だし、おこづかいも少ないし買うわけがない

父→歴史、数学、理科系の本しか買わない

兄・姉→雑誌か漫画しか買わない

母が買ってきた可能性を考えていたのだが、先日母と会った時にそのことを聞いたらそんな本は知らない、お母さんのじゃないよ、と証言したため家族の誰も購入者じゃないことになってしまった。

 

ふつうに考えたら来客の忘れ物だとかそういうことなんだろうけど、万が一、人ならざるナニカがポンと本をくれたのだとしたら、幽霊屋敷で正気を保つためのただひとつのアイテムを寄越してくれたのだとしたら、本の内容を理解可能な年齢になってから与えてくれたこころづかいに感謝する。

そして、ふつうのことじゃないことがあの家で起こったとしてももう特におどろかない。