タヌキのイエ

私の経験した怪異はだいたいが音に関係するものだ。

実家にいた頃は二階で足音、「死ね」という声、「ワッ」と驚かす声、深夜の爆音オーケストラ演奏などが闊歩していたけれども。

大人になってからは二回ほど幻聴が聴こえた。

院生の時分、知人の男に無理矢理性加害を受け毎日呆然としながら暮らしていたらどこからともなくレゲエが聴こえてきたのだ。

最初は近隣住民の流す音楽が漏れているのかと思った。しかし早朝の閑静なアパートでそんなことはなかった。じっと耳をこらしていると確かに自分の部屋から出ている音だ。レゲエといっても色々あるがルーツレゲエのようだった。

私はレゲエが好きだったし特に怖がらなくていいようなものだと直観していたので静かに音を聴いていたが、音楽鑑賞に関しては死ぬほど堪え性がないため「ずっと同じだと飽きるな…」と思った。すると、瞬間に謎の音はダンスホールレゲエに移り変わっていった。その後ごていねいに男性ボーカルと女性ボーカルの使い分けまでしていた。

大学院の授業に出た帰りの道すがら、同級生にこの話をして「これでヒップホップも流れてくれたらもうiPodいらないんだけどねぇ」とつぶやくと、「お前がバカで本当に良かった…」と幻聴を肯定的に捉えていることに対して呆れ半分安心半分でしみじみ言われたものである。

 

数年後私は複数回の性加害などのため沈鬱を抱えながらも結婚に向けて共棲みしていた。女性を差別し搾取する人が多いことにもそういう事象に立ち向かうことにも散々に疲れて、加害する人たちがそうそう悔い改めて差別やめますとなるわけもないけどこんなに頑張ったんだからもうあったかい家庭をつくってふつうに幸せになりたいと願っていた。

しかし幻聴は現れた。今度も怖くなかった。ただ自分に限界がきていることを悟っただけだった。

それはヒップホップの形象をしていてオールドスクールスタイルの馴染み深い音が深夜の自室に鳴っていた。横になっていた私は起きてiPodを点検したが当然再生したままにしていたわけではなく、隣で寝ている婚約者に音が聴こえるかとたずねても彼には知覚できない。私にだけヒップホップは語りかける。

無論私へのメッセージがリリックになっているわけではない。私のストレスが限界量を越えたと私にまつわる何かが判断した時にレゲエだのヒップホップだのが現れると理解していた。証明は必要なかった。既に疲れ果てていたので。私の部屋には訪問者をミソジニストかどうか判断できる魔法のウツボカズラがあったが婚約者はおっちょこちょいの私が一度も落としたことのないウツボカズラの鉢を落としたうえに私に置き場所が悪いと開き直る様子すらなく言っていたし懸念事項は他にも色々あったのだ。(ウツボカズラは後に殉職し、私は最良の友を失った悲しみにしばらく意識を失った。彼/彼女は私を家庭内のミソジニーから守るため全ての力を使い果たして死んだから)

かつて自分が「これでヒップホップも流れてくれたらもうiPodいらないんだけどねぇ」と発したとおりになった。私自身が人間であることに飽き飽きしiPodにでもなってしまえばいいという気分だった。

 

今月は今日これを書いている時までずっと夫のミソジニーを追放することに徹していた。私のシックス・センスは29才の今も限定的に抜群で夫のミソジニーをあれよあれよという間に解体して正体を掴んでしまった、正体はよくある内容なので省くけれど。そしてソファで大変疲れ切っていたらふと怪異のことを思い出したのだ。姿のない、音だけのあれこれ。それと、音だけではなかったもの。

小学校へ上がる前の頃、となり町の、母同士も子ども同士も交流がある家に遊びに行った。

その家の年上の男の子が誕生日で、男の子と男の子の母と私の3人でお祝いした。ケーキなどを食べてアニメをみて楽しんでいたら、男の子の母が「となりの部屋に行くけど、あなたたちは入ったりのぞいたりしないように」と言って隣室に入り障子を閉めてしまった。

だけど入るなのぞくなと言われるとそうしたくなるのが子どもだ。我々2人は最初障子の前で聞き耳をたてていた。なんと男の子の母は誰かと楽しそうに話をしている。3人しか家にいないと思っていたのに、一体誰と話しているのだろう? しかも心の底から楽しそうなのだ。

気になって、そっと、ほんの少しだけ障子のすきまを開けて中をのぞいた。男の子の母はいつの間にいたのか和尚サンと喋っていた。後にも先にもこの時以上に楽しい、ということばが似合う場面に出会うことはなかった。本当に楽しそうだった。

やがて会話は終わり、和尚は部屋にあった仏壇に吸い込まれた。我々は驚愕して声ひとつ出なかった。男の子の母が立ち上がったので、急いで戻り元どおり遊んでいるふりをした。

 

<パートナーの考察>

妻は何故家の中で姿の伴わない音の怪異を知覚するのか。また、他人の「その人自身も気づいていない防衛のカラクリ」を看破するまるでESPのような能力がある。

それらは妻が産まれてみんなが赤ん坊を育てることに集中したためようやくちょっとだけ家庭がまとまったという生育環境に関係があるだろう。(それだけではないだろうが)

ごく幼い頃から大人の表情や漏れ聞こえる会話を拾って推し量るクセがつき、知らず知らずのうちにクセが磨かれて言語化できないものを怪異として知覚したり鋭いカンとして発揮したりするようになったのではないか。

それと、家には見えない所がたくさんあることも関係しているかもしれない。死角もあるし、壁の中は見えなくても電線が入っていたりするものだ。見えないからこそ音だ、ということはあるかもしれない。

 

<再び、私の考察>

となり町の家のことは全然怖くなかったしタヌキが坊主に化ける話を知ってからあれはタヌキに化かされたのだと思っていた。オカルト好きな人に不思議なエピソードをねだられでもしないかぎり思い出しもしなかったのだけれど、今日思い出してみると新たな発見があった。

あの時、心の底から楽しそうにしていた男の子の母を見たとき、ちょっとだけ、なんだか淫靡な感じがした。みだらということばすら当時は知らないので今になって言語化できたことだが。そして、主婦があんなに楽しいという感情を持てるものだと思っていなかったのでびっくりした。当時主婦という存在はひたすらに家と子どものことで手一杯の印象(これも今になって言語化できた)だったので。

 

タヌキのことは家の記憶だろう。家の記憶を戯画化して受け取った。まさか実際に仏壇に人間が吸い込まれたわけではあるまい。シックス・センスや虫の知らせとは言語化前に無意識のなかにしまっておいた膨大な情報が、整理されても人間の処理能力を超えたために特殊なやり方で表現されたものだと考えている。

 

男の子はその後すぐ思春期になりまだまだ幼い私とは交流がなくなった。彼はバンドマンになり、そのまま音響関係の仕事についた。私もまるで誰かが打合せしたかのように音楽をはじめた。

幽霊屋敷についてのテキスト2(遅くても確実に)

「幽霊屋敷についてのテキスト」

http://jahlwl.hatenablog.com/entry/2018/04/22/163204

前回、幽霊屋敷の正体がイエなるものだと勘付いたことを書いた。

なぜ今まで気づかなかったのか不思議だ。あの家で私を苛んだものはなんであれイエのバリエーションだったのに。

 

幼少時の恐怖は私にとって非常に大きく、また、決してそのように大きくあってはならないものだった。恐怖の記憶は私という人間の核の部分に刻み付けられ、ただの単語でも恐怖を表現するものを見聞きするとたちまち奥底が刺激され自動的に体がすくむ体質になってしまった。冗談抜きで、「幽霊」という字面をみただけで体の芯から恐怖の記憶がわきあがりリピートされるのだ。

 

もし心理学の思いこみがなかったらどんな人生になっていたか? 幽霊屋敷にたまたまユングの本があって、それをたまたま発見して、たまたま読書が好きだったから読みはじめて、以外のルートを辿ったら、ということは考えたくない。どうせ、恐怖に負けて大事なものを差し出すはめになっていただろう。たとえば正気とか。

 

私の中には恐怖の記憶の他、ユングの授けたものが内蔵されている。まだまだ効いている。マントラは人生の途中で効力を失ったが、ユングは恐怖から身を守ること以外にも時間と知識を授けた。つまり無力な少女が家を出て行くのに十分な年齢になるまでの時間を稼ぎ、人文学の方へ興味をいざなった。

彼が導いた方向には心理学をはじめフェミニズム社会学といった学問が豊穣に揃っており、私はそれらに興味を持ち知識を吸収することで知らず知らずのうちに反イエなるもののパワーを養っていった。兄や親戚にバカにされていたこと、女のくせに勉学に励むという姿勢や女のくせに男に逆らうといった要素が結局私を暗い分岐にはいかせなかった。わかりきったことだが、都合がわるいからおさえつけられているのだ。フェミニズム社会学は物心ついた時からおかしいだろと思ってたことを先行研究で裏付けをとった部分が大きかったが、とりあえず私の存在はイエのシステムおよび構成員にとってテロだった。

なんにせよ、ユングをはじまりとして、さまざまな知識が防禦だけでなく攻撃する力も分けてくれたらしい。それは無論人生において最良の贈り物だったし、かつ、おそらく人文学がヒト1人に授けうる最高の贈り物だった。

 

 

成長した私は親族相手に大立ち回りをした。詳細は省く。有り余るほどの自由と孤独を勝ち取り、血の繋がる者たちの前から永遠に去った。

親族が私の反撃や批判に「参りました」と言ったわけではない。ただ、距離を取ることに成功しただけだ。しかしながら、私が去ったあとの空白は別の人間が埋めた。私の闘争を目撃した人間が感化されて闘争をはじめたのだ。自分でも知らないうちに、イエvs反イエの構図が完成された。多分、L家K家の歴史上初の出来事であろう。今となってはイエなるものが最初から造反者を見抜いていた説の信ぴょう性も高まった。彼らにとって私がまことウザくてじゃまな存在に成長したからだ。イエのシステムを真っ向から否定する上に、私が死んでも代わりはいるので。

 

イエなるものの脅威は厄介だ。見える脅威はヒトを暴力や性差別で直接損なうし知覚できない脅威は無意識で老獪に猛威をふるう。先祖のシャドウ、家父長制の中から発生した悪意は、血や集合的記憶といったものに脈々とうけつがれている。でも私は出て行く前に、射程距離からぐっと離れる前に、ウイルスをセットしていったから。L家もK家も歴史は長い。今すぐ効果は出ないかもしれない。だけど、20年かけて自分をイエから逃したように、後任の戦士が現れたように、それは遅くても確実に効くのだ。長い戦いは人文学の最も得意とするところだから。

 

 

ユングとの出会い、人文学の知識がもたらしたものは、イエなるものに反撃を加えただけでなく、30年近くかけて無意識の領域ではいまだ恐怖の前に凍りつく私を半分は解放してくれた。稼がれた時間の中でイエから飛び出してイエの中にいたままでは経験できなかったであろう現実のさまざまなことがそのまま夢の世界でのレッスンだった。

次に恐怖の記憶が姿形を変えてやってきたとき、しっかり右ストレートの対策をされていたらどうする? 右腕の自由を奪われてしまったら?

ーそう、頭つきでも、つばはきでもしたらいい。

どんな脅威がきたとしても反撃の意志をなくしさえしなければ、いのちとりにはならない。自分を致命的に損なってしまうことはない。

この調子で行くと、還暦前には下半身も動くようになるだろう。ねがわくば夢の世界で踊るようなすばらしい上段蹴りができますように。

幽霊屋敷についてのテキスト

春になると幽霊屋敷を思い出す。

幽霊屋敷とは今はない私の実家だ。ごく幼い頃に父が建てた。二階建てで、一階が風呂や台所やリビングなど、二階が兄・姉の部屋と私と両親の寝室という構造だった。私の部屋は兄が出ていくまでなかった。屋敷というには狭すぎるけど、それ以外に呼びようがない。

 

物心ついた時既に怪奇現象ははじまっていた。

深夜、とてつもなく大きなオーケストラのような音がして目が覚める。当時幼稚園児だった私にはどうすることもできず、両親を叩き起こしても彼らには一切感知できなかったので対策のしようはなかった。

おそらく怖がらせないためだと思うが、親は「きっとご先祖様が音楽を演奏しているんよ」と私に説明した。ご先祖様という概念は、チェサ(法事)をきっちりとやり儒教的な考えを大事にする家に育った私にとって馴染みやすいものだったのですんなり受け入れることが出来た。

毎日ではないがオーケストラの頻度はそこそこあった。うるさいのはうるさいがご先祖様が遊んでいるだけなのだから、と一人深夜に納得していた。

 

幼稚園児の頃は親が一緒に二階にきて物語などを読んで寝かしつけてくれたが、小学生になると一人で寝に行くことになった。新しい怪異が始まっていたので毎晩多大な勇気と我慢強さを消費した。

両親は「何が何でも九時には子どもを寝させてあとは就寝時間まで夫婦で洋画やニュースをみる時間にあてる」という方針だったようで、どんなに怖くても半強制的に九時には二階へ上がらされていた。

今どきノイズ演奏家でもやらないような‪深夜の民家内爆音上演に比べて新しい怪異は独創性に欠けていたが、単純ゆえに効果は絶大だった。

二階は階段を上がってまっすぐが兄の部屋、左が姉の部屋、その奥が両親と私の寝室だった。当時大学生と高校生だった兄姉が夜家にいることはほとんどなく、誰もいない姉の部屋で足音がしていても無視する他なかった。

足音は私に直接何かすることはできない。できないから間接的に消耗させようとしているのだ。近づいて驚かせばいいのにしないのはそれが不可能な証拠であり、なれば徹底的に見ないふりをするしかない。一階に助けを呼ぶには姉の部屋を通過しないといけないからそれもしない。そんなゲームには乗らねえ、と決め込み両親が就寝する十二時まで長すぎる三時間をすごした。

時々一階から夫婦ゲンカの会話と皿などが割れる音がしたが、怪異よりは冷静に聴けたし圧倒的に親しみやすかった。どんな音であろうと確実に自分の親が出した音である。会話を盗み聞きすることに集中していると怪異のことも忘れられたが、怪異が毎日起こるのに対して夫婦ゲンカはそうそう起こってはくれず世の中うまくいかないのであった。

足音の怪異は中学生まで続いた。私は両親に訴えるのを諦めたわけではなく定期的に怖いからなんとかしてくれということを伝えた。幸いにも両親ともにシックス・センスのある人物が生まれる家系で、霊的なものに対して全肯定はしないが軽視もしない人たちだった。嘘や妄想扱いされたことは覚えているかぎり一度もない。母親はそう高くないものなら魔除けグッズを買ったり手作りしたりしてくれた。残念ながらグッズの効果はあまりなかったが。

 

また、この頃怪異が決して「ご先祖様」などではないと勘付いていた。「ご先祖様」なら、血の繋がった子孫に対して姑息な手段で多大な恐怖を与えるはずがないからだ。

 

早熟で刑事もののみすぎだった私は将来プロファイラーになることに決定し、十才から心理学の本を読んでいた。家にはユング解説などの心理学の新書が数冊あったので貪るように読んだ。そして唐突に怪異はストレスによる幻聴だということになった。

家はビンボで親族間のいざこざもある、兄姉はろくに帰ってこねえしついでに言えばガッコもおもしろくない、これだけ材料が揃っていれば幻聴の一つや二つ聴こえるわい、ということになりより徹底して怪異を無視した。ストレス扱いすることが自分を守るためのマントラだということを差し引いてもあれだけ素直かつ激しく思いこめたのは今からすると驚きである。ユングも泣いて喜ぶだろう。

 

中学生になると兄が一人暮らしをはじめ、私は念願の一人部屋を手に入れた。足音こそしなかったものの毎晩寝床で耳に息を吹きかけられるという怪異(なぜかそれは男である)があったが、「はいはい、幻聴幻聴」という感じで布団を頭から被って無視した。

一人部屋を手に入れる前、「あんたもたまには一人でいたいだろうから」と姉の不在時彼女の部屋で過ごすことを許可され喜んで早速昼寝をしたら案の定人ならざる者の声が聴こえギャッと叫んで逃げ出した経緯があるので、兄の部屋を手に入れたことは万々歳だった。

息を吹きかけられるのは不気味ではあったが誰もいない部屋で足音がしたりよくわからぬ者の声で「死ね」と言われたり(なぜかそれは女である)することに比べたら、布団を被ればシャットアウト出来る程度の怪異は耐えやすし、だったのである。加えて心理学の思いこみが味方し二、三年ほどそこで過ごした。

 

高一の時、父が叔父(父のきょうだいの一番上)の連帯保証人である関係でうちは自己破産し実家も手放すことになった。両親は私の想像もつかないような苦労をしていたことと思うが、こっちとしてはようやく幽霊屋敷から出ていけるので気が楽だった。同級生のツテで引越し先もすぐに決まった。新しい実家はファミリー向け賃貸マンションだった。そこでは、いや、父の建てた家を離れて以降私の住んだ場所に一切の心霊現象は起こらなかったのである。私はだんだんに恐ろしい記憶を忘れていった。

 

幽霊屋敷のことを久しぶりに思い出したのはそこから離れてずいぶん年月が経ってからだった。その日姉と食事をしていた。姉は兄が出たあとしばらくしてやはり一人暮らしをするようになり、私も両親との関係が悪化したため成人前に実家を出ていた。

唐突に幽霊屋敷のことを思い出したので、食事の時に「うち、あの家に住んでたとき色々怖い目におうたけどきっとよっぽどストレス溜まってたんやね」と冗談ぽく切り出したのだがその瞬間に姉は固まっていた。

「え? あんたも?」

 

 

姉によると私が経験した怪異と全く同じことが姉の身にも起こっていたらしい。しかも耳に息を吹きかけられるに留まらず、べろりと舐められたというではないか。そんな話を一度もきいたことがなかったので自分一人の幻聴だと思いこんでいたが、幻聴などではなく現実に起こったことだったのだ。

 

姉が一人暮らしをすることになった理由は複数あるが直接のきっかけになったのは幽霊屋敷のせいだった。

姉は人一倍怖がりの私と違ってホラーが全然平気な人だったが流石に自分の身に起こったことは気味悪く、じょじょにやつれていく姉をみかねた勤め先の常連客のすすめである占い師のところにいったという。

普段占いなど全く信じない姉が占い師のところに行ったというので余程切羽詰まっていたのがわかるが、ほんとに当たらぬも八卦という気持ちで占い師をたずねた彼女は驚愕することになる。

 

ドアを開けた瞬間、占い師が「あなた、今家がやばいでしょう」と言った。

確かに二つの意味でやばい。姉はなぜわかるのですか、と彼にきいた。彼の説明は以下の通りである。

 

あなたの家に起こっていることの原因はあなたのせいではない。あなたの父についているもののせいだ。父が昔池のヌシを殺してしまったため父のみならず子にも影響を及ぼしているが、父はそのことに気がついていない。あなたは家を出なさい。

 

なぜそんなに強そうなものなのに私の命に別状はないのですか、と姉はきいた。

「あなたの守護霊が強くて向こうもそれ以上の手出しはできないのです。」

私の守護霊ってなんですか?

「龍ですよ、龍。」

姉はそのあとすぐに家を出て行った。

 

占い師のエピソードをきいた時は、お姉ちゃんに龍! 伝説の生き物じゃん、すごい!とケラケラ笑って話を終えたが、一つ釈然としないところがあった。池のヌシの呪いは父(と家族)から金も家も奪ったが、姉と私以外に怪異は見せなかった。

 

なぜ別種の呪いが混在しているのだろう? 守護霊が強くて手出しできない姉だけならわかるが、私は?

本当は理由付けなんてどうでもよくて、占い師は、ただ「それ以外に方法はないから家から出ろ」ということを伝えたかったのではないか?

その可能性に気づいたのは、姉と占い師の話をした時からさらに数年経ったつい数日前のことである。私は両親との関係悪化のみならず親族とはほぼ断絶していて、今は新しい家族と暮らしている。時々母や姉と会ったり、誕生日の贈り物をしたりする以外は血の繋がった者と関わることはたえてない少し寂しい身の上だ。

 

私は理屈や証明をすっ飛ばして勘付いた。怪異の正体は家そのもの、ことばあそびのようだが家=イエなるものだ。イエに包摂される者たちのなかで一番弱い部分を苛むbotのようなものだ。イエなるものの恩寵を進んで受ける者の前に怪異は現れない。どんなものであれ恩寵と脅威は常にセットだが、恩寵を進んで受ける者の前に脅威が現れる時、それは怪異とは別の形をとるだろう。今となっては確かめる術はないが、儒教的考えを一番強く持っていた兄から怪異の経験をきいたことはないし、おそらくなかったと思う。

もしくは彼らは昔から「この者は造反者になる」と見抜いていたのかもしれない。なんせ五才から「女の子はお手伝いしなさいと言うなら絶対しない、◯◯ちゃんお手伝いしてならするけど」と「目上の人」に言っていたのが私だ。そして、成人後親族からのセクハラを機に私は親族ごと関係を切りチェサにも行かなくなった。もともと、男尊女卑的な思想が目に見える形で出ていたのがチェサのマナーだったので集まり自体は楽しいが消耗する部分もあった。絶縁宣言こそしないがその後同じようにチェサには行かなくなったのがただ一人姉だった。姉は私がセクハラで泣いていたとき黙って味方してくれた唯一の親族であった。逆に、姉が他の親族にセクハラを受けた時唯一相手をぼこぼこに言い負かして黙らせたのも私だった。

イエなるものは「ご先祖様」とは似て非なるものだ。私はイエごと切って逃げた。

私はもう儒教、家父長制、そういったものの恩寵は一切受けない。代わりにその脅威が届くこともない。私の前に怪異が再び現れることは、私が思想転向しない限り永遠にないだろう。

 

<パートナーの考察>

なぜ二階にだけ怪異は集中しているのか? 家が幽霊化しているのが二階だけだ。

怪異とは具体化できないものだ。音として知覚できるが姿は見えない。

一階は具体化されすぎている。そこは生活の場であり、風呂に入りご飯を食べ家族が団らんするところだ。あまりにも見えすぎている。

二階は子どもたちのパーソナルスペースと寝る場所だ。父親の意識の外。具体化されてはいない。だから怪異はそこに現れる。妻がイエの脅威を受けるとき、一階においては目に見える形でしかあり得ないし、二階においては無意識や幽霊なのだ。

 

<再び、私の考察>

占い師が「父が昔池のヌシを殺してしまったため」と表現したように、イエなるものの脅威がもたらされたトリガーは父だったのだろう。だけど、父だけが要因ではない。あれは父の無意識とかシャドウとか言うには下賤すぎる。

最早人格のない悪意そのものだった。おそらくは、イエや家父長制に包摂されてきた者たちの自覚されていない影。父がそのトリガーになった。でも父を恨んではいない。長男だけを尊ぶ家に生まれて、大人になってもしんどかったんだと思う。父は現代っ子の私と違って、イエなるものから逃れてもいいなんていう選択肢など誰からも教えてもらえなかっただろう。だからこそ最後まで自分の夢や信念だった「幽霊屋敷」を手放せなかったのだろうし。

 

脅威が届かなくなっても恐怖の記憶が完全に消えることはない。この間、久しぶりに怖い夢をみた。

おなじみの怪異に怖がらされた記憶が姿形をかえてやってきたというのはフィーリングで分かっていた。足はすくんで動かなかったけど上半身が動けば上々だ。渾身の右ストレートを咆哮とともにぶちかましてやった。殴る時に「効かないかもしれない」なんてことは私は一切考えない。相手が「参りました」と言ったわけではないが、大声を出して動いたことで私はパートナーに起こされて目が覚めた。これでいいのだ。もう殴れる。

 

幽霊屋敷を春になると思い出すのは桃が関連しているからだ。

母が私が怖がっているのを見て、古いまじないをしてくれた。桃の枝を切って刃物と一緒に布にくるんで枕元に置く、三国志の時代からありそうな代物だ。上述の通り残念ながら効果はなかったのだがしかたのないことだと思う。古いしきたりから生まれた呪い(のろい)に古い呪い(まじない)は効かないのだ。私に現れた脅威は、変えてしまうか逃げるかしなければいけない類のものだった。

そんなことより私は母がそれを作ってくれてうれしかった。今でも私をあたためる思い出だ。あんな環境でも私は愛されていた。桃の花が花屋に並ぶ頃になると幽霊屋敷を思い出すのはそのためである。

 

 

5/23追記

 

そういえば、兄は怪異を体験していないはずと書いたが、私が小学生の頃兄が口にしたことが実際怪異として現れている。「この家はおばけいるで、誰もいないのに二階で足音が…」とか「人の声がするんやで」とかニタニタしながら言っていた。

無論怖がらせるためにちょっと冗談を飛ばしただけだろう。実体験として語っていたなら笑えるはずがないのだから。結果そうなるとは知らず現実に妹2人が恐怖のどんぞこに叩き込まれることになるとは考えもしていなかったにちがいない。

これが偶然とは思わない。もちろん、足音や人の声はベタな怪談でありオーケストラや息を吹きかけられることは予期していなかったのだから、口にしたこと自体は偶然だ。だが、兄と怪異の発現の間につながりはある。間を媒介しているのが何か予想することは容易かと思う。私が兄を絶縁した理由がまさにソレなのだ。彼はすすんでイエの恩寵を受け代償として(意識的にも無意識的にも)妹を抑圧し絶縁された。[兄-家父長制/男尊女卑-怪異]のラインは直感だが、特に証明する必要もないだろう。

 

自己表現ってそんなにえらいのかよ

バンドを10年くらいやっているが、そのことを知った人から時々下記のような反応をされることがある。

 

「バンドやってるなんてすごい!」

 

さて、これはどういうことだろう。

やっているからすごいとはなんなのか。

バンドやってる界隈の評価軸なんて曲がいいか、ライブがかっこいいか、演奏がスゲエか位である。バンドをやって、自分の作った曲を人前で演奏/発表することは当たり前すぎるくらい当たり前のことであり、その前提を共有したうえで加点されたり減点されたりしている。

サラリーマンに「毎日ちゃんと会社行っててすごいですね」などと言わないのと一緒だ。稀に、無職の多い界隈に顔出すとそう言ってもらえることもあるけど

 

例の褒め言葉を投げる彼女/彼らは、単にインディーバンドというものにたいして無知なので無邪気に言っているのだと思うが、しかし、そう言わざるをえないなにかを感じる時もあり、以下のふたとおりに分類した。

 

1.己の空虚さやエネルギーを昇華したいがこれといった自己表現方法が得られずくすぶっているので目の前にわかりやすいモデルがいることへの羨望

2.自己表現するということ自体に無縁だったので物珍しさからの発言

 

1については一応の理解はするが根本的なところで共感できない。私にとって演奏したり曲を作ったりすることは恥をかくことと常に隣り合わせだけど恥をかき続けつつも辞めようと思ったことがないので共感しようがない。毎日楽しく過ごしてほしいなと祈るしかない(実際に目の前で君が羨ましいよ、バンド楽しそうでさ、俺なんか何もないもんなと溜息つかれた方は結婚したそうです、おめでとう。コレは嫌味ではなく結婚生活や子育てがある種の自己表現になり得るという奇妙な確信)。

 

2については、自己表現なんてせずに済むならそのままでいいのだ、自己卑下がひとつもまじらず心から他人をすごいと言える君でいてくれと思う。

腹の内になんか悶々と溜め込んでるのに何も表現する手段がない(知らない)のはヤバいと思うけど。溜め込んで爆発するとか腹の内のものをどんどん悪化させてしまってそうなタイプ。そしてそーゆー人は結構いるだろうな

 

学祭で好きなバンドのライブをみたあと、「めっちゃ踊ってたねー♪」って友達に言われて別の子に「えっダンス習ってたの?!」と勘違いされたことがあるがそれにも少し繋がってる気がする

うまく言語化しきれないんだけど、この認識の溝は一体どこから来るの?!と軽くカルチャーショックだった

でも私もゼロ世代のライブイベント遊びに行くようになるまでダンス=習うものだという認識だったんだよなー

 

なんつーかもっと自己表現的なもののハードルが下がったほうがいいんじゃないかと直観している

 

 

 

 

△△△

 

音楽に携わっている人は女性差別をやめさせようというシンプルな記事

https://togetter.com/li/1123938

 

高3の時に初めてライブハウスに出て対バン相手からセクシズムの洗礼を受け、以来毎日のように女性差別をやめろと発信して10年ほど経った。

いい加減、音楽に携わる人は、女性差別をやめさせましょーよ。「どうせ変わらない」からというのはただの言い訳。私が強情にしつこく女性差別やめろと発信し続けたことで、少なくとも周りの人たちに影響を与えたことは自負している。

 

女性差別してる人を見たら否定、シャットアウトなどの選択肢がある。

自分が労力を割きたくないからといって被害者の落ち度を探したり開き直ったりするのはもうやめよう。それらはダサいし二次加害だ。

 

ライブハウスにこの文章を貼るのもアリだ。

 

しょーもないやつはすぐにそんなことしたって何も変わらんなどとやたらに言うが、実際は口を使えば生活は変わったしまた周りの人間も変わった。

変わらない(変わりたくない)のは社会や世間や他人ではなく変化を厭わしく思う人だけ、なのだ。そして、そのうち何割かは流れやすき方に流れているクラゲだから、女性差別に与する方が面倒になったらくるりと変わるだろう。

「逃げるは恥だが役に立つ」においての呪いとはなんだったのか ポジモン・ユリ編

逃げ恥が終わってしまった。

最終回を楽しみにしつつも終わってほしくなくて複雑なきもちだった。

 

このドラマはすごい。初回から視聴率を落とすことなくむしろ終わりに近づくにつれて上がっていき、普段は民放のドラマなんて観なさそうな人が「逃げ恥面白い!」と言い、どこを向いても恋ダンスの話題でもちきり。この大流行りのなかで、最終回を観た私は自分の中に巣食っていた「呪い」が、すこしだけ救われたことに感謝してちょっと泣いていた。

 

逃げ恥の視聴率が上がっていくにつれ、twitterのTLも火曜夜から水曜朝は逃げ恥関連のツイートで埋まるようになっていった。

その中でちらほら見受けられるようになったのは、「呪い」という単語である。

私のフォローしている人やフォロワーの少なくない数が、逃げ恥の中に「呪い」の存在を読み取っていた。

 

ある人にかけられている「呪い」がどのようなものなのか、どのように扱われるのか、そしてどのように「呪い」から解放されるのか……

逃げ恥がこんなにブームになったのはガッキー・星野源のかわいさやコメディアンとしての良さがウケただけでなく、「呪い」の描写をしたからだと思う。

誰もがあるある、と頷きそうな、どこにでもある強固な「呪い」、とくに女性をむしばむ「呪い」の描写が抜群に的を得ていたのだ。

 

前置きが長くなったが、逃げ恥の中で「呪い」がどのように表現されたのか、わずかながら書いていこう。

 

☆ポジモンとユリ

 

ポジモンで検索すると「ポジモン 嫌い」と出てきたが私はそんなに嫌いではない。奥さんに買ってやれと平匡に美味しい生蕎麦を教えてあげる親切なヤツだし、誤解を恐れずに言えばユリの「呪い」を最終的にとくきっかけになったのは、他ならぬ彼女だからだ。

 

みくりのおば・ユリは処女のままアラフィフを迎えたキャリアウーマンである。

ユリにかけられた「呪い」は、まず彼女が女性の自由をコンセプトにした広告を手がけた時のシーンで描写される。

 

広告が知らない間に「愛され」を謳うダサピンクなシロモノにすげかえられ、変更に抗議したユリは、社内の男性に結婚できないから必死だと陰口を叩かれてしまう。

無論彼女が独身であることと抗議には何の関係もないし、抗議は正当なものだった。だが、一度放たれた悪意は容赦なく確実なシミになって尊厳を汚す。

彼女は多分、今まで「愛され」ることが女性の至上命題だと押し付けられる風潮に抗ってきただろう。「愛され」ろという女性にあまねくかけられる「呪い」、おしつけられるジェンダーは、とても古く強い。このドラマのタイトルは得意分野で勝負しろという意味のことわざだが、女性はそれをしにくい社会なのだ。(女性はケアが天職だとか未だに勝手に語られるし、たとえ勉強や趣味に打ち込んでいて恋愛や結婚は別にいらないという状態でも恋愛市場に勝手に放り込まれ勝手に算定されがちだ)

その「呪い」から女性が逃げられて自由を手にできるフィールドを、ユリは仕事や生きざまを通じてなんとか作りだそうとしてきたのだろう。

つい最近もおっさんがアイドルに勉強ができても男に好かれなきゃ無意味といった内容の歌を歌わせたような社会で、ユリは風見に語ったように、結婚してなくてもいい、かっこよくあれるんだと年下の女の子たちが思えるようは存在になろうとしてきた。

だけど、それと傷つくのとはまた別の話だ。戦う人=理不尽な悪意や封じ込めに全く傷つかないということではない。

そして傷ついたユリに風見があくまで対等に接することで、彼女はケアされたように見えた。

 

が!前述したように、私は最終的にユリの「呪い」をといたのはポジモンだと考える。

 

風見がユリに真剣な好意を伝えるも、彼女はしりぞけてしまう(ちなみにこの辺りのユリは、自分が処女だった頃の自意識過剰さや挙動不審さを想起させて直視できなかった…処女に抱きたいとか言ってもキャパオーバーするって!風見さ〜ん)。

 

ポジモンがユリに直接対決しにいった場面は、ユリの「そんな呪いからはさっさと逃げちゃいなさい」という名言が視聴者から喝采を浴びた。私もそのことばにはおおいに胸をうたれたが、その後ポジモンがユリのもう一つの「呪い」を浮かびあがらせたことに心のなかの何かがとても動いたのだ。

 

ポジモンは最後の青空市場には登場しない。だが、ポジモンが風見を媒介にユリに伝えたことがある。

「おねえさんは風見さんのことが好きだと思う」「幸せな50歳を見せてみろ」

ポジモン判断ではユリは風見のことが好きで、なおかつ現在”幸せ”ではない。

これこそ、ポジモンが浮かびあがらせた、ユリにかけられたもう一つの「呪い」だ。

 

その詳細を述べる前に、ポジモン自身の「呪い」についても触れる必要があるだろう。

二度言うが、ポジモンは割といいヤツだし嫌いではない。そんなポジモンが悪辣なことばをユリに投げかけたのは、二倍以上年上の女に好きな相手をとられた敗北感が受け入れられなかったからだろう。

風見の分析によるとポジモンは消費されるくらいなら消費する側に回ってやるという気概の持ち主であった。それはそれで主体的に選び取った生き方なのかもしれないが、少なくともユリはあの場でポジモンが女性であるゆえに、若さを価値とするジェンダーにがんじがらめになった苦しさを感じた。消費する側に回ったとしても、若さや媚びを価値とする戦場というのは、息苦しい。だから、逃げてもいい、別の評価軸だってあるんだと、ポジモンにかけられた「呪い」をとくことばをかけた。

 

さて、そんなユリが風見を「年が17も離れている」からということで距離を置いてしまった。年齢を理由に好きな人に対して逃げ腰になっている姿に対して、ポジモンはどう思ったのだろうか。

ポジモンが風見をとおしてユリに伝えたメッセージは、おそらく、「私に別の可能性を提示しておきながら、あんたが一番既存の価値観にがんじがらめで弱っているじゃないか」という気持ちのあらわれではないか?

すでに述べたように、戦うことと傷つかないこととは同義ではない。奇しくもみくりが小さな傷でも繰り返せば深手になるとモノローグしていたように、ユリも既存のジェンダー意識に対しての抵抗を繰り返す中で悪意のシミに少しずつむしばまれて知らず知らずのうちに自信を喪失していると私は考える。それは私にとってかなり覚えのあることだ。草の根ラディカルフェミニストを名乗って女性に対する偏見や媚びをおしつけられる風潮に対抗している一方で、たとえば結婚できない自分(それがしたくないという気持ちを尊重した選択であっても)に自信を喪失している部分はある。近しい男性が女性蔑視的だったり、社会から勝手に恋愛市場に放り込まれたりしてつけられたシミは、一度染みると簡単に消えてはくれない。

 

それがユリの場合には年齢を理由に風見を避けるという形で出てしまった。ポジモンは、戦う女性が戦えば戦うほどいつしか深手の傷を負っていき自分自身ではリカバーしきれない構造を浮かびあがらせ、それだけでなく「幸せな50歳を見せろ」と望む姿を見せることで、ユリが自らA.T.フィールドを張ってしまうことを間接的ではあるが阻止した。

私はこの点において、ポジモンを賞賛するのである。

ユリにかけられた「呪い」とダブルバインド状態、そこから一歩踏み出させる表現は、ユリと風見の人間関係だけではなくポジモンの目をとおしたことで完璧なものになったといえるのではないか。彼女たちは相互に「呪い」をとくきっかけを作ったのではないかと、考えている。

 

 

 

家出応援アクティヴィティ「女のいない女の家」休止について

家出応援アクティヴィティ「女のいない女の家」(以下、女の家)は一旦止める。

ドネーションしてくださった方もいるので理由と経緯を記す。

女の家の来訪者で、それ以後関わり続けてきた人(以下、A)に、わたしのトラウマがフラッシュバックする状況を作られるという被害を受けた。
Aはわたしがトラウマになったこともその事情も知っているので、当然わたしはAに怒った。
具体的にAの行動のうち何がトラウマに抵触したのか、なぜ彼女に怒っているのか簡潔に書いた。

Aは「w」と返してきた。
この返信と、過去の行動パターンから、1対1の話し合いを出来る相手ではないと判断した。

余談だが、モラハラ等の被害にあったら加害者とはサシで話しないほうがよい。第三者のいる場所での話を薦める。人の目があれば、加害者の論理破綻した物言いや、人格批判・罵倒にもっていかれることを阻止できるからだ。

…というわけで、Aには第三者のいるところでしか話はしないと伝えたが、ここでAが身を寄せていた住み開き先を運営している知人女性Bからも二次被害を被った。

共通の友人Xがわたしといる時、たまたまXの携帯にAから着信があった。Xが話をしてみると言って出たが、電話中にBが「A!謝らなくていい!」と言っているのが聞こえた。無関係なひとが、加害者を擁護するために介入してきたのだ。

わたしとBは既知であり、フェミニストとして一緒になにかやろうとしたことがあったが、後述の理由により距離を置いた。
Aがわたしを含む身近な人に無茶を言ってふりまわす試し行動をしていたことがあって、わたしは彼女に怒ったが、Bに「シェアスペースにはコミュニケーションにテクニックの要るひとたちが集まるとわかってて彼らに文句をいうのは、砂漠で水がないと怒ってるのと同じだ」と批判された。
「砂漠」で水分奪ってる側を擁護するひととは相容れないから、「もう会いたくない」と連絡した。
他人を傷つけても謝らなくていいと思ってるひとのことを許容できない。ダメなものはダメだ。事情を抱えているからといって他人を傷つけていい理由にはならない。もしやらかしてしまったら、非を認めて謝った先にしか対等な人間同士の関係は築けない。差別されたからといって自分も差別していいことにはならないのと同じだ。そのひとが社会のre-buildをつくりだしていることにも素直に賛同できなくなった。
うまく説明できないが、動物をポコポコ殴りながら「いのちをだいじに」とスローガン掲げるようなものではないのか。

去年くらいから、少しずつ感じていた、シェアスペースの「傷ついたひとたち、生きづらいひとたちが身近な他者を傷つける」問題点が無視できないほど自分の中で大きくなった。
シェアスペースの存在意義も、正直いってわからなくなりつつある。

生きづらいひとの受け皿になること自体にはあまり興味がない。生きづらさを緩和し、自立できる状況をつくりたいのだ。女の家も、気分転換での利用のほか、抱えて苦しんでいることがあるならば、支援ポイントまでのアクセスを補助したい、という目標があった。が、現状と理想の乖離を埋めるためになにが必要なのか、リスクヘッジも含めて、練り直すと決めた。

わたしは草の根フェミニストとして、ミソジニーに抗ってきた。
AもBもそこに賛同し、それぞれ「フェミニストとしてがんばろう」という旨のメッセージをくれたこともある。
社会運動などオルタナティブなことをする界隈でミソジニーや性暴力の問題が無視されがちなことに憤怒し、同じおもいを抱えるひとと共闘しようとした。
しかし、共闘するはずのおんなたちは身近な他者への加害を容認した。
われわれが批判してきたクソミソ(クソなミソジニー野郎)となにがちがうのか。彼らが自己の問題から逃避し暴力をふるって開き直ることに怒ってきたのに、批判するおんなにもその構造はあったと今更ながら気づいた。
大変なひとが多い場所だから暴力を受ける覚悟をしなければならないという言説をわたしは許容しない。そんな言説がまかりとおるところに行く価値、あるのか。

現在、可視化された新しい問題に対して、うまく言葉をつむげない。わたしにはこの憤りやシラケや失望を昇華して、新しい論理を組み立てる時間が必要だ。

なので、一旦試みから撤退する。再開は未定だ。やるとしても、女の家のコンセプトはともかく、よりよいストラテジーとかアプローチとかを手に入れてからだ。ミソジニーの問題だと思っていたことが、もっと広範な問題だということがわかったから、わたしは思考して仕切り直す。