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終わりなき日常ってほんまかいな

「終わりなき日常」とか「思想の宙吊り」とか「モノはあっても物語のない時代」に悩んでいるひとたち(いるの?いるんだろうな)に全然同情できない

 

あ、でも数年前死ぬほどキレイな顔をしたひとつ上の男の人が、「君がうらやましいよバンドとか楽しそうでさ、俺は特に趣味も特技もないから」と言っていたな、あれはかなり絶望的な感じだった

それだけ顔がキレイなら悩む必要もないだろうにと思ったが「桐島、部活やめるってよ」のヒロキみたいに所謂リア充であってもうちこめるモノがないと人間は生きながら死んでいる状態になるんだろう

宮台の時代から現在の古市界隈の評論に至るまでそういった終わりなき日常に耐えられない人々というのは一定数いるようだ、というかわたしみたいなパッショネイトに何かにコミットし続ける(そして恥をさらし続ける)のが少数派っぽい

 

日常が面白いって思うようになったのはいつぐらいだろう?

その面白さってfunnyだけでなく不本意な状況におかれた時「ハハハ、まったくもってケッサクだ」というセリフを皮肉として吐いてしまうような意味での面白い、でもあるけれど

 

ちょっと足を伸ばせばパーティでもイケメンでも何でも転がっているのに、身を投じて遊んだり学んだり働いたりすることができるのにこの世のすべてがつまらない、くだらないみたいなことを言われてもハテナマークが浮かぶ

ただ、周りにこっちの世界は楽しいよと教えてくれる誰かがいたのはかなりキーポイントだった

いくらインターネットが普及して世界中の情報を検索できるといってもなかなか自分の知識の範囲外の情報にヒットするのは難しい

 

低俗霊DAYDREAM」で主人公が自殺した少年の死に対して「この国では本屋の平積みとゲームとポップミュージックだけが頼みの綱だわね」と批評する場面があるが、さしずめ今なら「まとめサイトとアルファツイッタラーとニコニコ動画」だろうか

心から好きになれるもの、または死んでいる自分を救うための知識を見つけるという自分探しは案外難しいだろうから、知に誘導してくれる存在が必要になってくる

わたしはたまたま知り合ったなかにそういうひとが何人かいたからその点ではあまり苦労しなかったかもしれない

 

 

 

 

以前の記事に引き続き「ゼロ年代の想像力」をつかって話をする

終わりなき日常を背景に95年「傷ついても他者と交わる」→90年代後半「セカイ系レイプファンタジー」やノスタルジーへの回帰→ゼロ年代決断主義・サヴァイブ系」の流れがあって、宇野は他者の排除をはらむ状況を打破する物語を評価しているんだけど

たとえば「メゾン・ド・ヒミコ」のゲイのための老人ホームで主人公沙織は父親の愛人である青年と出会って、セックスを試みるけれど失敗するという展開をむかえる-それを宇野は所有したりされたりしないゆるやかな共同性こそが彼女を回復すると評価してるんだよね

一瞬ブームになった「ラストフレンズ」に関してもセクシュアリティが異なるゆえに恋愛が成就しないことをゆるやかなつながり、擬似家族としてこれからの時代を生き抜くキーだと彼は考えているわけ

 

別にそれでもいいんだけど、擬似家族自体には超賛成だけど、セックスしたくらいで所有しただのされただのっつー考え自体古くないか

多少ハメたくらいで所有関係ができるなんてださい

(仲良しグループをひっかきまわしたり悪意があったりするのは論外だし大前提として自分と相手の思考やパワーバランスが合っていることが条件だが)

 

だから提唱します

 

ハメろ!モテろ!

 

それでもなおパワーバランスと信頼関係の壊れぬ友情を構築しろ!

もしくは恋愛してもセックスなしで平気な関係もイイ

重要なのは所有する/されるでなく鷹の団時代のキャスカとガッツみたいに、お互い背中を任せて戦えるような状態だ

ヘテロもゲイもレズビアンもノンセクシャルも関係ない、即ハメだろうがセックスレスだろうが友情を構築しセックス・恋愛を脱構築すること、これがポストゼロ年代テン年代の新しい風になるかもしれない(ほんまか?)

 

そんな相手どうやって見つけるのと言われたら困るけど類は友を呼ぶ理論でまず自分がそういうニンゲンになれば自ずと知り合うかもしれない

しれないばっかりで申し訳ないけど、とりあえず面白そうでしょ?

 

エビバデセイ ハメろ!