生き続ける、を選択し続けるシステムについて

人質について空想した。あの殺されてしまった二名のことではない。あのことが発生するよりもっと前に漠然と、自分にとってどんな条件でも取引に応じて手元に残さなければならないもののことを考えていた。それはたまたま人だったから人質という空想になったけど。


いつの冬だか忘れたけど、とにかく冬、正月も明けてすぐのその日、何かの作業をせねばならず夜通し起きていた時にそのメール返信はきた。


少し年上で同じ星座と血液型のその人は大学の同期で、どのような規模でどのような中身であれ集まりというものに滅多に顔を出さなかった。


何故かその人の世話をやくことがライフワークのひとつだった。といっても、私はだいたいいつも忙しく、向こうも学生時代ずっと「遭遇したらその日は大吉」などと揶揄されるほどレアキャラだったので数ヶ月に一度思い出したように生存報告させるために呼び出してお茶をするという活動に限られた。 


 その人を仮にA氏とすると、A氏は一見あまり人とコミュニケートすることを好まないようにみえるが話しかけたらスムーズに受け答えしてくれるし、個人的な話もしてくれるし、何か困ったことが起こった時に突然愚痴をこぼしてもたいがい快く対応してくれた。よくあるコミュ障とかでなく、ふつうの好青年なのに見かけは一切を遮断しているようなポーズをしている。それでいてそのポーズは簡単にオフにできるのだ。(この反転をどう分析したらいいのか彼が消えた今でも未だにわからない) 


私が梅田で飲んで電車で京都に帰っていた時、突然尿意が抑えきれなくなって途中の駅で降りたことがあった。トイレを済ませてもう一本後の電車に乗ろうとしたら、さっき降りたものが最終で、私は大阪と京都のど真ん中で宙ぶらりんになってしまった。ここがせめてどちらか寄りであればなんとかなるものを…となげきながら途方に暮れてしまった。脳のアーカイブを漁って、周辺に住んでいる連絡がとれそうなひとにかたっぱしからコンタクトしていたら、A氏が夜のさなかにやってきてくれるという。


全然土地勘のない街に放り出されてどうしようもないときにA氏が来てくれるからすごくありがたかったけどひとつ悩ましいことがあって、これは恥ずかしいけど事実だから書くけども、じつはほんとーにトイレを我慢できなくて少し濡らしてしまって、私はえいやっとコンビニに入って無印の下着を買い(未だにクローゼットに入っている)、たまたま持ち歩いていたバイトの制服のズボンを履いた。もともと履いていたものはレジ袋につっこんでおいた。


そうしてA氏がバイクで登場すると、私は何事もないかのように制服のズボンで彼の前に立って来てくれてありがとうと告げた。堂々とハッタリをかますのはいつの間にか身についた技術である。でも小心者なので一応先にバラしておこうと上記のことを告げると、彼は「なんだそういうこと、ふつうにいつもの服だと思ってた。言われないとわからないよ」と感心していた。それが思いやりから出た一言なのか実際だまされていた感想なのかは知らない。 


 始発の時間まで付き合うよと24h営業の喫茶店に連れて行ってくれて、毎度の如く近況報告をした。当時はたしか卒業間近かしてすぐかの時期だ。なんとA氏はコーヒー代まで払ってくれた。前回の生存確認でカフェに行った時、私が誕生日プレゼントとして彼の分をおごったおかえしらしい。すっぽり忘れていたし、おかえししてもらったらプレゼントにならんのではないかなーと考えたけど、うれしかったので素直に奢ってもらって改札で別れた。


それが最後に会った時だ。

いつも素早く返事をくれる人間がかなりの間をおいて、意味深なメッセージを残して連絡を絶った。

共通の友人に聞いたりたのんだりしてまわっても、誰も連絡が取れない。むしろ、私が一番連絡を取っていたという頼りにならない事実がわかっただけだった。


気が狂いそうになった。すぐ数日前にひとり知人を失った(ということを確認した)。そっちはなんとなく恐れていたことが現実となってしまったのでどうしようもなかった。後に残されたのは自分の気持ちをどう処理するか?という問題だけだった。最後にその子と会話した時は、なんでもないわらいばなしをしていて元気がないならこれやるよと綺麗な女性のヌード画像をあげて喜ばれたのだった。よかった、笑って別れたわ。

しかし今はちがう。まだあがく余地が残っている。あらゆる手段を、性急に使っていった。こういう時私は手を緩めない。正攻法を全力でやる。よく呆れられる性質である…が、それでも成果は得られなかった。 


有益な情報を得られるかもしれない最後のツナから何も手繰り寄せられなかったので、私は立ちあがった。コートを着て、ふらふらと部屋を出て行った。

 足のむくままに歩いていった。徹夜明けで頭にもやはかかっているし、とにかくダルい。それだけでなく急速に生命エネルギーが地面に吸い取られていくような気さえする。一旦休もうとガードレールに腰をかけて、気づいた。

ここがどこか。


気も狂わんばかりに無我夢中で歩いていたのに、無意識に助けを求めていたらしい。ここは友達のひとりが住んでいる近くだった。電話をかけた。通話先は、出なかった。少し戻って、コンビニで缶コーヒーをかって指先を温め、煙草に火をつけてもう一人の友に電話をかける。今度は出た。事情を話すと、すぐ来てくれるらしい。


私は気が狂わずに済んだ。電話に出なかった方は、のちに連絡が来た。この日には登場しないけど、もう一人頼りにしている友人がいて、この三人はこれまでも何度も窮地に陥るたびにカムバックするだけのMPを与えてくれた。どれだけめちゃくちゃな目に遭って心が折れかけても、それでも問題を解決して前に進むための活力と冷静さを回復するためにはこいつらに会わないといけない。

言語化しなくても脳は覚えていてそのうちの一人の家の近くまで足を運ぶように体に命令した。システム化できていてよかった。

それから数時間後、電話に出たほうを駅まで迎えに行って、自分の家でしこたま飲んだ。かなりみっともないけど、頼むからここだけはいなくならないでほしいと思った。その日だけじゃないけど、毎回打ちのめされて彼らに助けを求めるたびに、ここは取り替え不可能すぎると痛感する。



これまで書いたのは思い出話だけど、今だってそう。

それさえあればどんな悲惨さを前にしても正気でいられるものがあってよかったと心から思う。 


 想像する。もしも何か重大なものを背負い守っている立場にいたとして、私が守っているものを差し出さないと一番大事なものを壊すと選択をつきつけられたら、迷わず一番大事なものをとるだろう。人間には皆優先順位があって、私の最上位はMPを回復してくれる人たち。それを失うわけにはいかない。

正気でいさせてくれる人たちを失ったあとの世界に興味がない。興味がないというよりそこに存在することが難しい。仮に失ったとしても表面的には何も変わらないかもしれない。けど次に心が折れたらおしまいだ。カムバックする余力がない。だから、優先順位の最上位を無慈悲に選んでその他すべてを崩壊させたとしても、しょーがないじゃんと言い放てると思う。


それは愛(この場合は友情としての)だけれども、愛を向けられている相手の思惑を必要としない愛だから一方的だと思う。友人を、概念にしている。ともかく、それがあれば生き続けることが可能になるとゆーものを見つけられてよかった。この世には自分を救うための信仰を見つけられずにどーしよーもなく宙ぶらりんな人々がたくさんいるのに、私は既に常に生を選択できるシステムを所持している。しかも奇跡的に、友達というバランスのよい形で。


 私が失ってしまった彼ら(A氏以外にも2人ほど失踪した友人がいるし、また、苦しんでいるのをわかっていながら何もしてあげられなかった人もいる)はどうだろうか? A氏は、私が数日遅れのバースデーとしてカフェに連れて行ったことを生き続ける燃料に出来ただろうか?そーいえば、昔カロリーメイトばっか食べてないでまともなもの食えよと弁当を余分に作ったらありがたく頂戴すると大げさに感謝されたけど、それは彼にとって苦しみながらもカムバックを選択するための一押しになっただろうか。

エロ画像を送ったら喜んでいた知人は、きっとこのことは一生覚えておくと言っていたのにその一生を早くも閉じてしまった。ねがわくば、コーヒーも弁当も全部生きるためのエネルギーに、変換して消費される記憶であってほしい。 

でも、きっと、だめだったんだろうな、という諦念が心の底で支配している。


 私には何か自分の中の大事なものが壊れそうになった時のストッパーがいるけれど私自身は誰のストッパーにもなれなかった。システムとして君臨することが出来なかった。 私は定期的にこうやって、手持ちのカードから常に最善を選んで戦う気力があることとその気力を支えている信仰、システムが実在していることを感謝しながら、失踪した人びとにどうか無事で帰ってきてほしいとモノローグで祈るだけの無力さにうちのめされる。

可能な限りセーフティネットになりたい。