焦げた後に湿った生活

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自己表現ってそんなにえらいのかよ

バンドを10年くらいやっているが、そのことを知った人から時々下記のような反応をされることがある。

 

「バンドやってるなんてすごい!」

 

さて、これはどういうことだろう。

やっているからすごいとはなんなのか。

バンドやってる界隈の評価軸なんて曲がいいか、ライブがかっこいいか、演奏がスゲエか位である。バンドをやって、自分の作った曲を人前で演奏/発表することは当たり前すぎるくらい当たり前のことであり、その前提を共有したうえで加点されたり減点されたりしている。

サラリーマンに「毎日ちゃんと会社行っててすごいですね」などと言わないのと一緒だ。稀に、無職の多い界隈に顔出すとそう言ってもらえることもあるけど

 

例の褒め言葉を投げる彼女/彼らは、単にインディーバンドというものにたいして無知なので無邪気に言っているのだと思うが、しかし、そう言わざるをえないなにかを感じる時もあり、以下のふたとおりに分類した。

 

1.己の空虚さやエネルギーを昇華したいがこれといった自己表現方法が得られずくすぶっているので目の前にわかりやすいモデルがいることへの羨望

2.自己表現するということ自体に無縁だったので物珍しさからの発言

 

1については一応の理解はするが根本的なところで共感できない。私にとって演奏したり曲を作ったりすることは恥をかくことと常に隣り合わせだけど恥をかき続けつつも辞めようと思ったことがないので共感しようがない。毎日楽しく過ごしてほしいなと祈るしかない(実際に目の前で君が羨ましいよ、バンド楽しそうでさ、俺なんか何もないもんなと溜息つかれた方は結婚したそうです、おめでとう。コレは嫌味ではなく結婚生活や子育てがある種の自己表現になり得るという奇妙な確信)。

 

2については、自己表現なんてせずに済むならそのままでいいのだ、自己卑下がひとつもまじらず心から他人をすごいと言える君でいてくれと思う。

腹の内になんか悶々と溜め込んでるのに何も表現する手段がない(知らない)のはヤバいと思うけど。溜め込んで爆発するとか腹の内のものをどんどん悪化させてしまってそうなタイプ。そしてそーゆー人は結構いるだろうな

 

学祭で好きなバンドのライブをみたあと、「めっちゃ踊ってたねー♪」って友達に言われて別の子に「えっダンス習ってたの?!」と勘違いされたことがあるがそれにも少し繋がってる気がする

うまく言語化しきれないんだけど、この認識の溝は一体どこから来るの?!と軽くカルチャーショックだった

でも私もゼロ世代のライブイベント遊びに行くようになるまでダンス=習うものだという認識だったんだよなー

 

なんつーかもっと自己表現的なもののハードルが下がったほうがいいんじゃないかと直観している

 

 

 

 

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