焦げた後に湿った生活

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幽霊屋敷についてのテキスト2(遅くても確実に)

「幽霊屋敷についてのテキスト」

http://jahlwl.hatenablog.com/entry/2018/04/22/163204

前回、幽霊屋敷の正体がイエなるものだと勘付いたことを書いた。

なぜ今まで気づかなかったのか不思議だ。あの家で私を苛んだものはなんであれイエのバリエーションだったのに。

 

幼少時の恐怖は私にとって非常に大きく、また、決してそのように大きくあってはならないものだった。恐怖の記憶は私という人間の核の部分に刻み付けられ、ただの単語でも恐怖を表現するものを見聞きするとたちまち奥底が刺激され自動的に体がすくむ体質になってしまった。冗談抜きで、「幽霊」という字面をみただけで体の芯から恐怖の記憶がわきあがりリピートされるのだ。

 

もし心理学の思いこみがなかったらどんな人生になっていたか? 幽霊屋敷にたまたまユングの本があって、それをたまたま発見して、たまたま読書が好きだったから読みはじめて、以外のルートを辿ったら、ということは考えたくない。どうせ、恐怖に負けて大事なものを差し出すはめになっていただろう。たとえば正気とか。

 

私の中には恐怖の記憶の他、ユングの授けたものが内蔵されている。まだまだ効いている。マントラは人生の途中で効力を失ったが、ユングは恐怖から身を守ること以外にも時間と知識を授けた。つまり無力な少女が家を出て行くのに十分な年齢になるまでの時間を稼ぎ、人文学の方へ興味をいざなった。

彼が導いた方向には心理学をはじめフェミニズム社会学といった学問が豊穣に揃っており、私はそれらに興味を持ち知識を吸収することで知らず知らずのうちに反イエなるもののパワーを養っていった。兄や親戚にバカにされていたこと、女のくせに勉学に励むという姿勢や女のくせに男に逆らうといった要素が結局私を暗い分岐にはいかせなかった。わかりきったことだが、都合がわるいからおさえつけられているのだ。フェミニズム社会学は物心ついた時からおかしいだろと思ってたことを先行研究で裏付けをとった部分が大きかったが、とりあえず私の存在はイエのシステムおよび構成員にとってテロだった。

なんにせよ、ユングをはじまりとして、さまざまな知識が防禦だけでなく攻撃する力も分けてくれたらしい。それは無論人生において最良の贈り物だったし、かつ、おそらく人文学がヒト1人に授けうる最高の贈り物だった。

 

 

成長した私は親族相手に大立ち回りをした。詳細は省く。有り余るほどの自由と孤独を勝ち取り、血の繋がる者たちの前から永遠に去った。

親族が私の反撃や批判に「参りました」と言ったわけではない。ただ、距離を取ることに成功しただけだ。しかしながら、私が去ったあとの空白は別の人間が埋めた。私の闘争を目撃した人間が感化されて闘争をはじめたのだ。自分でも知らないうちに、イエvs反イエの構図が完成された。多分、L家K家の歴史上初の出来事であろう。今となってはイエなるものが最初から造反者を見抜いていた説の信ぴょう性も高まった。彼らにとって私がまことウザくてじゃまな存在に成長したからだ。イエのシステムを真っ向から否定する上に、私が死んでも代わりはいるので。

 

イエなるものの脅威は厄介だ。見える脅威はヒトを暴力や性差別で直接損なうし知覚できない脅威は無意識で老獪に猛威をふるう。先祖のシャドウ、家父長制の中から発生した悪意は、血や集合的記憶といったものに脈々とうけつがれている。でも私は出て行く前に、射程距離からぐっと離れる前に、ウイルスをセットしていったから。L家もK家も歴史は長い。今すぐ効果は出ないかもしれない。だけど、20年かけて自分をイエから逃したように、後任の戦士が現れたように、それは遅くても確実に効くのだ。長い戦いは人文学の最も得意とするところだから。

 

 

ユングとの出会い、人文学の知識がもたらしたものは、イエなるものに反撃を加えただけでなく、30年近くかけて無意識の領域ではいまだ恐怖の前に凍りつく私を半分は解放してくれた。稼がれた時間の中でイエから飛び出してイエの中にいたままでは経験できなかったであろう現実のさまざまなことがそのまま夢の世界でのレッスンだった。

次に恐怖の記憶が姿形を変えてやってきたとき、しっかり右ストレートの対策をされていたらどうする? 右腕の自由を奪われてしまったら?

ーそう、頭つきでも、つばはきでもしたらいい。

どんな脅威がきたとしても反撃の意志をなくしさえしなければ、いのちとりにはならない。自分を致命的に損なってしまうことはない。

この調子で行くと、還暦前には下半身も動くようになるだろう。ねがわくば夢の世界で踊るようなすばらしい上段蹴りができますように。