念仏

台風のせいだったと思う。

昨日は低気圧か生理か眼精疲労かそれら全てのせいかでアタマが痛く、ノーシンピュアを飲んでも痛みは依然としてあって、そうでなくても体もアタマもしんどいのであんな夢をみたのだと思う。

客観的にみれば悪夢をみる要素はいくらでもある。湿気と台風で寝づらい夜だった。しかし、本物の恐怖だったという感触も同じくらいある。

本当に起こったことではないであろうというそれらしき証拠をいくら並べても、あまりにも恐怖がお馴染みになってしまったので、私には恐怖の存在の是非よりも身に降りかかったことにどう対処するかの方が重要事項になっている。

 

昨夜は0時すぎに布団に入ったのだった。途中二度目を覚まし、一度目は風の音か湿気のせいだったのだろう。夫にトイレへ連れて行ってもらい、用を足してまた寝た。

二度目は現実と夢の境目にいた。どっちだったのかはわからない。とにかく自分は横になっていて、夫も横にいる。風の音がすさまじくなっている。ふいに風の音に混じって「◯◯さん(私の名字)」と呼ぶ声が聞こえた。私は声に少し悪意が混じっていたのを聞き逃さなかった。あのイエなるものが京都にまで追いついたのか?と心が急速に凍り始めた。いーや違う、私はもうイエの恩寵を受け取らない、親の葬式にも行かない覚悟をし膝元に泣き崩れたいことがあっても実家には帰れないかわりに、脅威にもさらされないということになっているはず。じゃあこれはなに? と考えているうちに、片方の足をなでられた。(つかまれたけど蹴飛ばしてしまったのかもしれない)

冷静になれ。ふつうに考えたら夫の足が当たっただけなのを、夫ではない誰かにさわられた、ととりちがえているだけだ。だいたい、イエなるものの脅威は私に直接触れることがなかったじゃないか、などと述懐していても、そんなのは自分に言い訳しているだけだよとわかりきった自問自答がかえってくるだけだし、夫の両手が私の足の方向にはないことを視認して早鐘の如く恐怖が加速していく。

 安心していたのに。取引は成立したと勝手に私が思っていただけで、脅威は未だ私から何かを徴税するべく怪奇現象のあり方を変容させて迫ってきているのだろうか。ヒトならざるものの声が名字を呼ぶのはどんな意味があるのだろう。イエから発生したものがイエの名前を呼ぶのは。お前はイエから逃げ切れないことを忘れるな、とでも言いたいのだろうか。単に恐怖の記憶の反復であってイエなるものは関係ないのだろうか。その間にも声が風に混じって聞こえてきて、そんなもんを耳にしていると自分がマーブル状に溶けていくような感じになってきた。これはまずい。死んだものより生きているものの方が強いのだ、と「低俗霊MONOPHOBIA」から学んだ。生きている自分が溶けていくのは徹底的にまずい。生きてないものに対抗できないじゃないか。

 

と、いうわけで、私は念仏を唱えはじめた。あまりにもチープ、あまりにもオールドスクールスタイル。30年生きててこれかよ、と恐怖のまっただなかにいても呆れてしまう行動だった。しかも、「南無阿弥陀仏」の部分だけ。案の定喉が金縛りにあっていてうまく声が出なかった。それでも「南無阿弥陀仏」「南無阿弥陀仏」と唱え続けた。祖母が死んだ時にウチの葬式は真言宗式だったとわかったんだっけ?思い返しても断言できない。仮に真言宗だったとして、真言宗南無阿弥陀仏で合っているとは限らない。日本史の知識は大学受験から10年以上過ぎた今、風の前の霞にすぎなかった。ただ2018年7月下旬、私に出来るのはこれだけだ。ヒーローのように格好よくお化け退治など出来ない。今起こっているものがなんであれ、かつての恐怖の記憶をがちがちに刻みつけられた私は恐怖の前で固まる羽目になってしまう。だから数少ない出来ることをやるしかないのだ…

 

南無阿弥陀仏」とはっきり発声した瞬間に夢と現の呪縛を逃れた。私は隣に夫がいるのを確かめ股間を握った。アホらしい話だが怪異は汚いものを嫌うと聞いてからこれが一番落ち着くのだ。死とか怪異とかの真反対はちんちんやまんこだという気もしなくもない。

そして私はもう一度夢をみた。かつてあった楽しいもので、今はもうないものの夢を。

夢の中で私は四条河原町にいて友人とばったり出会った。よく遊んでいたし頼りにもしていた。あるいは空白を埋める存在だったのかもしれない。性行為があったためにお互いにパートナーが出来てからは一度も会っておらず懐かしさの象徴として時々夢に出てくる人物であった。

現実の台風の影響か夢の鴨川も泥水であまりきれいな風景ではなかったが先斗町の際で我々は河川敷に座っていた。「ねえ、昔もこういうことがあったね」「そうそう」「何度もあったけどさ。でももうないんだよ」

 

起きて、散髪に行った夫のいない部屋で一人で夕食の支度をして、小学校にいた意地悪な男子のことを思い出した。彼は今でいうシングルマザー家庭の子である日いきなりお母さんが死んでしまい、離婚した父に引き取られて転校した。私は彼のことを良く思っていなかったけどお母さんがいきなり死ぬのは理不尽な仕打ちだと思った。引き取られた先でお父さんにボーリョクとかふるわれてないといいな、とも思った。

大人は「いつものように横になって、寝てる間に、静かに息を引き取った」ということを唯一の救いみたいに話していた。その時は聞き流していたけど、何年も経ってから、(寝ている間に静かに死ぬように他人からは見えているだけで、実は恐ろしい夢をみてショック死したのではないか、そういう事もあり得るのではないか)という思いこみが兆してきた。兆したあとは脳の一箇所にしっかりと差し込まれて消えることはなかった。

私はショック死したくない。めちゃくちゃ怖かったけど、「無抵抗のままお前らにはやられんぞ」って血反吐はいてダサい念仏唱えたよ。いつか失敗するかもしれないけどさ。誰にもみられない闘いを闘い抜いて運良く生き残れたら戦記を綴る。昔と同じように怪奇現象と闘う。両親に恐怖から守ってもらえないままサバイブしてしまったから、しょうがない。両親は何がなんでも私を二階で一人ぼっちにするべきではなかったが、今更どうしようもない。しかし、過去は改変できずとも過去から来た怪物を叩きのめすことは可能と既に分かっている。誰にともなく語りかけながら、スープを完成させた。

 

いつか対処に失敗するかもしれないわけのわからない恐怖は定期的にやってくる。恐怖の記憶が体の奥底に刻みつけられているので。それとも新しいルールの怪異が忍び寄ってるのかもしれない。

私はせいぜい夢の世界で右ストレートや上段蹴りや南無阿弥陀仏が上手くなるように現実のレッスンを続けるしかない。そろそろコツも分かってきた。これを読んでいるあなたにもエッセンスは伝わっていることと思う。

 

良き思い出を燃料にしながら念仏を唱えよう。何度夢想しても昔鴨川でとてもよいデートをしたことは薄味にならない。もうないから古代の壁画のごとく強烈なイメージを風化させずにしまっておける。(もうないは永遠とおなじ) あの日は真っ白いワンピースを着て、鴨川に寝そべって、風邪ひいて看病してもらった。地獄からの使者がきても追い返せそうなくらい素敵な記憶。