焦げた後に湿った生活

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彼女

彼女は梅田にいた。

 

およそ10年前、私は梅田で深夜バイトを週2-3回していた。夜の8時から朝の8時まで、きつい労働だった。作業自体がというより、詳細は省くが客もキャストも人間とみなしていないブラック体質の企業だった。同じ時期に入った人はみなやりやすい人間だったが、誰も残らなかった。1ヶ月経つと割とかっこいい男の子が「ねえ、給与明細みた?」と似合わないしかめつらをしてこっそり話かけてきて、まだ見てないけど一体どうしたのと聞くと彼は給与がごまかされていたので私のも見て確かめたいとのことだった。彼の不安は的中し、失望か憤慨かした彼はそれからすぐに辞めてしまった。

 

自分より体力があってまどいのなさそうなイケメンでもそんな感じだったので半年経たないうちに辞めることを考えていた。深夜労働は人間を破壊すると思う。人間が人間であるために必要な何かを結構な割合で吸っていく。何かを仮にエーテルとするなら勤務の折り返しくらいから私のエーテルはどす黒くなっていて退勤するころには疲弊のために赤錆じみていた。

 

ある日毎度の強制サー残を終えて店から出ると、外はピーカンでまぶしかった。足は疲労でしびれていて、散歩日和だけどどうせ家に帰って即寝るしかない。どこかの企業のポスターみたく、白シャツと黒パンツ姿でひざしを片手でさえぎるしぐさをしながら歩いていた。瘴気たちこめる空気で乾燥した化粧では広告にはなりえないだろうけど。地下鉄東梅田駅に向かうため人の群れのなか疲れてとても一歩が重い足を進めていると、前方から「あなた、幸せ?」と声がした。

 

それは群衆のなかをまっすぐ自分にむけて飛んできた。おかしいんだ。こんな人がいっぱいなのにその問いが自分にむかってくること自体。知人なら初手は違う声かけだろうし。

危険を察知しながらゆっくりと視線を探ると、彼女はいた。心霊写真が必ずカメラ目線であるのと同じように彼女はこちらをきっちり見ていた。最新のファッションじゃない。でもみすぼらしくはない。おそらく80-90年代の格好。セミロングの髪。妖魔のような無言の笑いをしている。30-40代の女性。新手のスピリチュアル系か? 一瞬のうちに相手を解析する私の頭はそれでも相手が正気がどうかは判断しかねた。しかし理性が判断できはせずとも本能は(コミュニケーション不可。逃げろ。)と早鐘を鳴らしている。

幸いなことにターミナルに人が溢れかえっているおかげか接近はなかった。私と彼女は人をはさんですれちがった。ベクトルが反対になってからふりむくと、ぴったりタイミングが合ったのかずっと見ていたのか、彼女は私に対してあやしい微笑みをうかべていた。

 

 

接客は嫌いではないのだが客にウソをついてまで売上を伸ばそうとする店長にドン引きしていた。客に絡まれている私を放置して他の客に危害を加えそうになってから店長が出てくるのもうすら寒かった。副店長がトンだ。人の良さそうなバイトが客を殴ってやめた。

 

2回目の邂逅は同じように疲労困憊で早朝の梅田駅を歩いていると、こちらの方面へ歩いてくる彼女がいた。一度発見したウォーリーの如くもう人混みにいても彼女を見分けられた。そこだけちがう彩度だから。

「幸せ?」また私は無視した。

 

 

風邪で休むと連絡したら診断書を提出して代打のバイトに依頼しないと休ませないと言われたのでとうとうやめることにした。イケメンもいなかったし。

 

3度目のピーカンの青空、退勤後の梅田でいつものように歩いていると後ろから「ねえ、やっぱり幸せ?」とたずねられた。はたしてふりむくと彼女がバッとこの世ならざる笑みをうかべて問うていた。返事は決まりきっているが、声には出さなかった。

 

 

彼女はまだ梅田にいるのだろうか? バイトをやめてから見ないから。不本意な状況下で私がおかしいことにおかしいって言わないでただ耐えるだけなら彼女はいる、ということなんだろうな、多分。あんなブラック企業いまなら証拠とってローキックいれてるよ! 若かったな。今はどうだろう? もしも彼女が登場する余地があるのなら、私が私自身を批判すべき時なのかもしれない。

あるいは、単に梅田に巣食う化け物のまぼろしか。

誰か彼女に遭ったら伝えてほしい、「全然幸せじゃなかったし今も大変だけど心に金属バットは持ってるよ」と。