焦げた後に湿った生活

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魔術の時間

私はみずから手を動かして魔術をおこなったことがない。怠惰な人妻である。

原因としては、計画をたてて意図した結果を出した成功体験があまりにも少なくて、あるいはあったが記憶に残っておらず、いくつかのむざんな失敗ばかりあると思っていて、計画のうえでなにかやろうとするとゲロりそうな気持ちになるのでやがて放棄しはじめた。どんな人間にも魔はあるが私の魔のセルフイメージは歩きまわったあと尻から糸がたれて結果的に巣になったのだ。もっとも自然界の蜘蛛は目的があってせっせと巣を作っている。人妻より高尚だ。

 

読者諸君はいきなりなんやねんとお思いになったであろうが、書いている本人にも魔の言語化はむずかしい。生きているうちに奇跡としか思えない事象にときどき出会うので、なんか馴染み深くなってしまった。自分の持っているものを差し出して別のものを手に入れる式の奇跡であれば数年前に体験していて、長所だったフットワークの軽さがまったく失われてしまいそのかわりに自分の生活範囲から強姦魔をシャットアウトすることに成功した。(まだパージされていないらしい。はよ死ね) 誰と契約したわけでもないので、この取引はいわゆる神としたことになるんだろうな。意図しておこなったわけではないのでやはり奇跡で、私は魔方陣のひとつも自分の手で書けない。

そのうちポロっと結婚したが鬱になり配偶者も鬱になってどこかにいってしまい、薬のぬけきらぬうつつのなかで2DK分の夢想の中に生きている。配偶者に都合のよい家事システムと、鬱のために、部屋は陰惨に散らかっているが、あけはなした浴室からイスラエル産れの上等な香りがただよってさながら王侯の気分で喫煙している。

 

独居してから現実に抗うことをやめた。現実をちょっと改変するのが魔術なのだから風が吹けば桶屋が儲かるの奇跡しか見たことのない人間は、五里霧中。能動的に何かを変えたりつかんだりする能力はどう努力したら身につくのか検討もつかない。スプーン一本曲げる程度のサイキックでも、現実に作用するスキルのある人は羨ましい。

しかたなしになしくずし的におとずれる刺激と笑いと官能を楽しむことに決めた。(官能とは単純な性交ではなく観念的で、倒錯を楽しむ心意気くらいに思ってほしい) もともと、私の生活は結婚という手入れをしなければ極端の人(多方面に配慮した表現)やサイコパスだらけのおまじない人生だった。誰も私を退屈させず皆美しかった。生活傾向は独居になってからたちまち独身の頃と近くなった。いくら結婚しても人が持っている魔というものはあんまり変わらないんだなあとへんに感心した。

蜘蛛の巣を気取り、やっと出来るようになったセルフケアをおこたらず、いつか状況が変わるその時まで、甘い匂いのたちこめるこの部屋で、寝てるか、人と会うか、魚介とベビーリーフを和えたパスタなど簡素で美味いものを作って食うか、夢想しているかを続けるだろう。

 

 

とはいっても、抜け目なく蜘蛛の糸をひょろひょろのばして就職先を世話してもらうことに成功している。どうせ家でひとりの時はろくなことを考えないので、フルタイムで働けばいいやと思ったのだが、鬱の身で身辺整理して東京に引っ越すのは重労働すぎ、だましだましもたせてそのうちふっと出来るようになるだろうといいかげんである。

昔は加速が得意だったが、その気になかなかならぬというだけで、今も得意らしい。ふるまいをまちがって何回か機嫌を損ねてしまった人にギリギリ怒られないラインでいきなり距離をつめ仕事の世話を頼んだ。また、何のつもりもなくって人に会うためだけに旅をして、自分では自然のことだが他人からするとへんかなあ、とあとから思いはするが、そのときどきでじゅうぶんに楽しんでいるし、あらためようにもどうあらためていいのかわからない。

 

薔薇と死海の塩の香りに、隣家が植えたジャスミンがモウモウとあがって、ますます贅沢と怠惰の霞を通してものを見るようになり、魔の生活が完成しつつある。はたして、受動的に夢にひたることをやめて、これからひとつでも魔術をこさえることが出来るのだろうか?