焦げた後に湿った生活

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映画は映画だ

というのは映画のタイトルだけど別にその話ではない。

 

バイトを退職した。

自発的に辞めたわけではなく店自体なくなってしまうのだ。

唐突にそれを知らされたが、先方は早いとこ告げるつもりが私が修士論文執筆のために全然出てこなかったので言うタイミングがなかったという。

そんなわけで、四、五年におよぶお水の花道は幕が下ろされたのだった。

ママたちといつものように近頃あった事件や今ハマっているゲームの進捗状況など話し、お客さんと笑い合って、つまりいつものようにとどこおりなくシゴトして、じつにアッサリと役目を終えた。

その日は新年明けてはじめて常連の焼き鳥屋に顔をだす予定だったので、23時に祇園のまちに放り出されたわたしはその店のドアをあけて、ひとりで退職祝いをすることにした。

二、三日風邪をひいていたが突然の知らせで一瞬体調が戻ってしまった。いつものように熱燗とお気に入りの串を二本頼んで、同い年の店主と世間話をした。

そのうちに、以前ここで出会ったしばらく会っていなかった友人のことを思い出して、なにしろ夜のさなかで来れはしないだろうが一応誘ってみることにした。

 

連絡をして返事を待っていると、さっきまで店には自分しかいなかったのがわらわらとサラリーマンの集団が入ってくる。そういえば今日はJCだ。瞬く間に席が埋まる。

「お一人ですか」

「いえ、連れが来るんです」

ええ、来るかどうかは分からないけど連れがね。それとここはひとりでゆっくりしたい時に来るのだから、ろくでもない中年に愛想笑いして神経つかうわけにはいかないのよ。とはもちろん口には出さないが。(以前、うっかりにこやかに対応したら長時間"接客"するはめになった。飲み代を出してもらえるかもしれなくてもプライベートで仕事なんてしたくない)

二、三回団体客が来て新規の客があぶれ出してきたころ、その人は来た。仕事帰りかと聞くと会社をひけてから映画を観ていて、ちょうど電車で帰っているときに連絡がいったらしい。

 

二時間ほど飲んで出ようとすると、友人は飲み代をすべて払っていた。卒業祝いだから、となんでもないようなようすで。颯爽と登場して問題を解決して行く機械仕掛けの神みたい。

タクシーを拾おうと大通りに出る。ちょうど個人のプリウスが停車していてそれに乗り込む。シートの座り心地が良い。BGMはジャズだが音が良いのでおそらくラジオでなく運転手の所有している音源だろう。これじゃー、「1Q84」だよ。勘弁してよ。もしこれから変な時間軸に突入したら今の精神状態じゃ参るね。などと考えていたが表面的には明るく何でもないような話をしていた。

友人は途中で降りると、なんとタクシー代を置いておやすみ代わりに去年の流行語を口にしさっさと去っていった。クールにすぎる。タクシーが走る四条通に臙脂色のビロードが敷かれて閉じゆくお水の花道を飾っていたとしてもおかしくはない。

 

三人から二人になった車内で、この車は座り心地がいいがなんという車なのか、と形式的に運転手に尋ねてみる。プリウスです。トヨタプリウス

音楽もいいし。-いやあ、ジャズおやじでして。

ジャズは、チャールス・ミンガスくらいしか知らない。あとは有名なやつ、テイク・ファイブとかくらい。-若い方がミンガスを知っていれば十分じゃないでしょうか。おどろきました。ところで、今日はすごい人でしたね。

今日はJCだったから。実は今日で祇園のおつとめが最後だったんだけど、まったく最後がこんな混んだ日だなんて。-ああ、大変だったでしょうね。しかし、あなたみたいな女性だと、男はカネもってないとハナシにならんでしょう。

運転手はわりに下世話だった。ここでは何もかも村上春樹の物語のようにスタイリッシュにはいかんのだ。当たり前だけど。

「人間カネより品性でしょう、品性はおカネで買えないから」

何の示唆も方向性ももたない一般論的な答えがすぐに出た。瞬発的にすらすらと出まかせで歯切れのよい文句を並べ立てられるのは特技である。この数年で技術を改良し続けたのだ。

 

タクシーは最寄の交差点に着いた。カネを出して家にむかい、シャワーを浴びてから布団に入った。

今日のことと、かつてあったエピソードを思い出し、とんでもないことが起きて精神的に(あるいは身体的にも)参る時ヒーローがあらわれて、そのものごと自体を解決するわけではないが必ず復帰してものごとに対応できるだけのエネルギーを与えてくれてきたことを思い返して(本当にちょっとだけ)泣きそうになった。

それは友人であったり全然知らない通りすがりの人であったりするが、共通しているのはヒーロー本人が毛ほども他人を救おうという意思がなく、たまたま彼らの行動や言葉がうまいことこちらが置かれている状況に当てはまって思いもよらない効果を発揮してきたのだ。彼らがそれを知ることもなく。

 

ある時期、病んだ他人に巻き込まれて冗談でなく死の淵に立っていた時も、同じようなことがあった。

生存本能も食欲も機能停止しており、ろくに食事をとっていなかったが(その時読んだマンガの「何か食べたいと思うときまだあなたは生きたいと願っている」というセリフを読んでじゃあほんとにヤバイじゃん、と妙に納得した)誰かと食事に行けば食欲がわくかもしれないと、院生の友人を呼び出して学校近くの店に入った。

食事中、さっきから何だか視線を感じるなあと顔を上げると、ななめむかいのテーブルにいた男の子がこっちを見ていて、目が合うとにっこり笑った。男の子は我が校のスウェットをはいていたのでおそらく体育会の部員だろう。

ただそれだけのことだったが、急速に活力が戻ってきたのを感じた。このハナシを聞いた長年の友人は「お前バカだろ…うらやましいわ…」とあきれていた。イケメンのおかげで生きる意志を取り戻すなんて全くもってバカバカしいことにちがいないので否定しない。

また別の友人は、「よくそんな少女漫画みたいなイケメンエピソードばっかり拾ってこれるな」と言っていた。たしかに通常の人間よりはヒーローに救われることが多いかもしれないが、その代わりむちゃくちゃなことに遭遇してもいるのだ。難易度はvery hardだが必ずHPMP回復イベントが用意されているRPGみたいなもんだ。

 

このように破綻した出来事が多いので、「なんで映画みたいな人生なのに実写化しないんだろう」と冗談を言ったら、ある人がこう答えた。

「まだ完結してないからじゃないですか」

なかなかうまい返しだと思った。願わくば、完結しかかっても地獄の底から復活して物語を続行させたいけど。