焦げた後に湿った生活

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loveless and roundabout

配偶者が失踪したために逃げるように京都を出た。5/29 鳥目とI氏に電話をかけ俺は最初から駄目だと思ってたよと二人分のコメントを聞いた。こんなになるまでどうして電話してこなかったんだい御嬢さん。去年逃亡に付き合っただけじゃ足りなかったかい。うん、あかんかったみたい。

そこから人生ではじめての就活がはじまり上の二人から、ハウツー。1ヶ月で二回面接を受けはじめのいっぺんは当日配偶者の職場から「無断欠勤していて連絡が全くつかないんです、そちらには帰っていますか」というえげつないtelがあったため全くものにならなかった。面接官の声が名状しがたきノイズにきこえまともに受け答えが成立していなかったにちがいない。

I氏に、配偶者が生きてるか死んでるかもわからなくて正気でいられないよと連絡すると「相手からレスポンスがない以上、あなたにできることはないし責任は全くない」という短い文章がきて以後それは精神がノイズにからめとられそうになったとき私を留める楔になった。5月にI氏に電話したときどうしてもっと早く言わなかったのと聞かれて「だって今あなたにお願いするとしたら、ひとりで生きることができないから一緒に住んでくれという重い依頼だから言えなかった」と言うと(ここではじめて泣けた)、なんだいいよ部屋探そうと返答があっけなくかえってきてふらふらでもなんとか立てそうだった。その後ルームシェアの話は流れてしまったのだがさもありなんという感じだしそもそもいっぺんでもあの人が一緒に住むことを考慮したことが意外だったのでしょうがない。私は自分のことだとすぐしょうがないと思ってしまう。他人のことと社会のことだったら強い戦士なのに。

 

内定が決まった時はまだルームシェアが流れていなかったが当面の住居が定まっておらず何も考えずに動く自分の阿呆を呪った。動悸がヤバヤバのヤバになり震える手で東京方面の知人にどうしよう、どーびわしょ、とつづっていたらあっさり久野昆布氏に拾ってもらえた。氏は京都時代に面識があったが記憶の限りでは私が話しかけてもあまり返答がかえってこずきらわれてんのかなと思っていた。(のちにバンドメンバーの大濱周也からそんなことないよとコメントされたが本人の本心は未だに知らない) 「なんもないけど寝椅子が来たからラブレスやで」という招待を読んでシューゲイザーやなあと感心し、そして今居候生活を続けている。

 

京都を出る前日どうしてもM.Tに会いたくて夕方飲みに行った。「兄」を欠落している私にとって長らく空白を埋める存在であった。12年つるんでいてはじめて怒られてしまい、俺たちがお前を甘やかしすぎた、どうして手出しできない状態になってはじめて泣きつく? 傷ついてないならいいけど傷ついてるならもう少し考えて行動しろ、と反論の余地が全くない説教をくらいかえって今から失うものの大きさを痛感した。私は今からこの人がいない土地にいってもう助けてもらえないのだ。助けてもらっているということの大きさを正確にノウトできない自分がバカだ。

でもさすがにお前は頭おかしいやつ、ってのは傷ついたよお兄ちゃん。これからまともになるからやるじゃんって言ってくれ。がんばるから。

 

などと決意した矢先に鳥目に尻拭いしてもらっていて、五里霧中。二週連続で年下に尻拭いしてもらって、バカなんじゃないの? 30才の大人がやることじゃねえ。御嬢さん、もっと自分を大事にしてって言われる。どうしたらええんか全然わからへんのやが。自分で自分を好きになれなくなってしまった。だがしかし「恋愛感情は全くないよ」という彼が、泣いたりうちのめされたり不用意な行動をしたりする私をこの世に留める限りはこの世に留まるのだ。現実感は、まるでない。昆布さんの家から出るのも怖い。掛け値無しの冒険だから。18才からの12年犬のように歩き回った世界の貯金で、使い果たす前に成し遂げなければならない。ah

もう一度だれかと魂の相互開示をしたくて胸に風がふきすさぶが多分アプローチの仕方が狂っているからメンターが必要。結局鳥目に頼りそう。他人に期待してはいけないけど、あなたがいなかったら生きていけないかも〜と一年は言わしてくれ。ラブレスでラウンダバウトな綱渡り。