焦げた後に湿った生活

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この世界はオワオワリ Ⅹ

大阪市の某区、私はまだここにいた。

10才頃から、街が書き割りのぺらぺらにしか見えなくなって、こんなところにずっといたらアタマがおかしくなってしまう、と思っていた。街はぺらぺらのくせに意思とかシステムとかがあって、居住している区民たちを規定していた。

ここでは何も起こらない。起こったことにされない。街を自転車で回って子どもが一人になる瞬間を狙っている男を放置する大人、クラスの中でスカートめくりや首しめなどがあっても「好きな子はいじめたくなるもの」だと被害者女子に言う教師。何も起こってはいけないしそのために言語やふるまいが設定されていたのだった。この街のルールは何かをしようとする人間には試練が与えられるということ…夢でも現実でも。

 

街の中心部にあるH町の商店街は歴史あるもので有名な寺や飴屋(戦時中の火災をまぬがれた)があった。この街が「郷」だった時代から続けられている祭りに使う法被などの品物もこの商店街で買う。商店街を抜けると、国鉄の方面かM山公園という大きな公園の方面となる。M山公園内には小さな神社があり、詳細を知る人こそ少ないが大昔に今でいうDV・モラハラから逃げてきた神が祀られていた。国鉄へ行く道にはある宗派の総本山となる寺もあり、人智を超えたパワーに連なる脈だと言っていいかもしれない。だが、結局街で一番強いのは、何も起こらないを体現する人と文化とシステムと、これらを補強する地霊の力だった。

 

私は昼間の商店街をやや駆け気味に歩いている。商店街は日中でも薄暗い。もっとも、漬物などを売っているのだからギンギンに明るくても困るだろうが。市内では活気のある方でシャッター街とはいえないが、年々商店街は勢いを失っているようにみえる。ファミリー層向けの居住区なので、少子化の打撃は痛いのだろう。他のエリアと比べて特別ブランドや欲をかきたてる場所でないので、ジリ貧になりつつある。武蔵小杉みたいに企業がテコ入れしてイメージを作らなければいずれは…と駆け足しながら考えていると、コーヒー屋があった。

昔からあったコーヒー屋ではない。たとえば新高円寺の商店街にあるような、シンプルでいてウッディ調の壁がおしゃれさをかもしだす店が出来ていた。いつの間にかしらん、地方みたいにUターン組が地元でオーガニックのカフェや雑貨屋をやる潮流がここにもきたのか?

店主は知っている顔だった。

「××君やん」

高校の同級生だったその人は淫靡な思い出もあったので名前と顔を覚えていた。若くしてある会社の社長であるはずなのだが、関係ないコーヒーショップにいる。あたたかいカフェオレを一杯持ち帰りで注文し、できあがりを待っている間に「どうしてあなたがここに」と聞こうとする手前で口をつぐんだ。久しぶりの挨拶以外口少なでいかにも平生をつくった表情の裏だけが「何も聞いてくれるな」と雄弁だった。

単に経営が傾いたとかじゃない、おそらく今私は彼の物語上で決められた登場人物なのだ。自分が見ている夢に他人の夢が間借りしている。私が出現した意味を考察するならば、彼は自分がやってきたことに対して第三者からのジャッジを受け入れることを、試練として課されている。radical feministの出現だから、推理は超簡単だった。ああ、この同級生はおそらく婦女暴行かそれに類することをやり逮捕されたのだな、と読み取った。出来上がったカフェオレを手にしてそそくさと去る。

深入りはしない、だって道を急ぐから。私は内情を聞いて審判を通知すべきだったかもね、だけど他人の闇で足をもたつかせるほどの時間はない。何をしなくてはいけないか忘却しているけど、何かしないといけないのだ。

オフィスで気になるひとはいないのという超絶くだらねえ質問をされたからせんなしで「〇〇さん」と答えたら次の瞬間からみんなのなかで自分が〇〇さんを好きということになってしまった。実際どうかっていうと、既婚者、闇が深そう、明確に古臭いジェンダー観、判明しているから足つっこみたくない。それでも共同体の中で何かが規定されるというのはパワーを持って個体に影響するのだ、わしゃ「自分が意識しているということが相手に気づかれないよう意識してしまう」というふるまいになってしまう。他者の欲望。

 

そーゆー状態でさ、オフィスで二人きりてろくなことが起こらないだろうと思ったよ。

かねてからの出社抑制でたまたま〇〇さんと私しかいない日だった。もともと隣の席なのだが、誰もいない広いオフィスで隣同士ってミョーにSFくさいよね。(伝わってほしい、この感じ) やることは終わったのに決まった時間に達してないから帰れない状態のときに、それは来た。

関西の仲間のひとりが、小説で賞を取ったという知らせだった。またたくまにニュースになった、いくつものメディアが彼にインタビューしていた。へえ、あいつ小説書いてたんか知らなんだと思いながら筋書きを読んで私は凍り付いた。すぐに小説が掲載された媒体の電子版を購入してページを繰ると、私があたためていた小説とアイディアがまるっと同じだった。

盗作だ! と言うのは簡単だった。でも私はしなかった。仲間は盗作をするような人だと思えなかったのもあるが、一番大きな理由は自分が小説を書くためにアイディアをあたためていたことが妄想なのではないか、と感じてしまったからだ。心のどこかで自分より下だと思っていた人間の成功に嫉妬して妄想をつくりあげてしまったのでは、という疑念が誕生した。

仲間のインタビューのプロフィールを確認すると、出身校が私の母校の高校になっていた。彼は高校の同級生ではない。ではこのプロフは詐称か、もしくは、一連の流れ全てが妄想なんじゃないか。時間が経てば経つほど思考は空虚にウロボロス化し、何も断定できない。

ふと、隣の男に質問したら真実がわかるじゃないと思い立ち「ねえ、この話題の小説なんですけど…」と話しかけたところで男の表情を視認する。〇〇さんは俺に言っても無駄だよ、の表情をしていた。なるほど、私はすでにこの男と寝て、そんで続行はしなかったんだな。

私は全く諦めた。

出身高校は大阪府下全域から受験可能な進学校で、大阪市のど真ん中にあった。交通の要所にあり難波も天王寺も近いところでちょっと足をのばせばすぐカルチャーに触れることが出来た。私は三年間大変楽しみ、ここにずっといたいなと願っていたがそのせいなのかなんなのかもういちど高校受験をしなくてはならないのだった。

高校卒業ときたら次は大学なんでねえか? という疑問をよそに受験の手続きは着々と進められ私は成績を考慮して受験校を選ばないといけない段階まできてしまった。同級生も同じ状況のようだ。仲いいやつと進路の話をしながら、高校見学へ。最近は見学をツアー式で市や塾がやってくれんのね。小学校から一緒のYという女子と相談し、ある塾が運営する高校見学ツアーへ参加した。

集合場所はC区にある件の塾のナントカ校で、我々のレジデンスエリアからは乗り換え一本30分内で行ける。時間通りに来た私たちは前述のとおり進路の話をしていたのだが、自分が筆記用具を持ってきていないことに気づいた。塾の備品で大量に文房具があるのでペンと消しゴムと鉛筆をもらっていき、という場面でとうとうモノレールが到着した。これに乗って移動し見学先を回るのだ。乗れば、もう、意思弱き自分は大学という選択肢をとらずに、みんなと同じように高校をふたたび一年生からはじめるのだろう。

グゴゴゴと音がして、モノレールが「起動しているぞ」と主張している。私は座った。隣にYもいる。あたくしの成績じゃあ今と同じかちょい下だが行ったことのない公立高校のどちらかねえ、と思案しながら、車両の走るに任せる。

いつものことだがとうに文明がぼろぼろになって都市が機能しなくなっている世界に、多少はひとが集まれるような場所が残っていて、東京でいうと東京近郊の元・ゴルフ場が該当していた。(じゃあ東京じゃないじゃんって野暮なツッコミはなしね) ゴルフ場は緑が豊富な地域にあるゆえ、人工物ばかりで機能停止していて地霊が完全に死んでいる渋谷とかよりはよほど「ヨシ!」の様相をしていた。地霊が完全に死んでいるようなところに人間は住めないのだ。地霊の存在を感知できる人間はあまりいないし、いても文明が滅ぶ前にこーなることを予測することは難しかったに違いない。ゴルフ場内には屋根と壁のある比較的清潔な建物がましな状態で残っており、終わった世界でだれかが集まるのに適していた。

緑の多さと建物のバランスが土地が死んでないかどうかの基準になるのだろうか、アクセスのしやすさ(化石燃料がほぼ手に入らないので移動手段は基本的に徒歩である)も関係あるだろうが。分析し断定するには他にもサンプルが必要だなと考えていたら何をするかを聞き逃した。

今日ここには魔女と呼ばれる女が集っている。下は幼女から、上はおばさんまで。おばあさんはなぜかいない。おそらく老齢に達してなお自分をシンから魔女と信じこめるようなイメージ力全振りパーソンは、医療・福祉施設に収容されているだろう。この地域ではなんらかの超能力といってよいスキルを持つ女を、魔女と呼ぶ文化ができているらしかった。呼ぶといっても正式に定義されたのではなく、なんとなしにあすこの娘は〜程度の言及が繰り返されるうちにまとまってエスパーが魔女と呼ばれるようになったんである。当のエスパーたちが"我こそは魔女である"みたいな名乗りをあげたわけではなかったが、中途からは好き好きで自称することもあるという。

伝聞形式なのは、私は地域にあとから流れ着いた人間であるうえに、自分が他人から魔女扱いされるか否かに興味がないからだ。

魔女は何かしないといけないらしい。その何かを指示されたらしい。聞き逃したが聞きなおすこともしなかった、なぜなら何かしなければいけないことはもとより自明だからだ。何をしなければいけないかは状況とESPが教えてくれるだろう。

私はなげやりだった。オワオワリの世界で明日に向かって生きろ!式の元気なんて持ち得ないことはあきらかだった、しかし同時に、ある種の決意らしきものを持っていることも自覚していた。この地域の人間が、「魔女」に「何か」をおしつけているであろうことに疑念をこっそり持ちはじめていたから…直感的に、「何か」は「魔女」もそうでない人間も一緒に負担すべきものだとさとったから、あるべき状態にするため自分は手を打つだろう。やれる範囲で。自己犠牲なんてこの世界には似合わないっていうのも、直感としてわかっている。

どこまでいってもオワオワリの世界は終わらない、原風景よりも歴史は浅いが、ひとりの人間の無意識において、確固たるルールと世界観と舞台としてかたちを成している。

私は今日もESPとして働くことになった、身体は任務に適した幼女の身体にすりかえられた。任務の内容は毎回のことながらはっきりしない。私は自分が誰に命令され何をなすべきかわからない記憶喪失になる。一貫しているのは、何かを成し遂げようとするならば試練があることで、たとえ成し遂げる内容が不明でも試練を避けることは不可能だ。

どんな身体になってもESPとしてミッションにアサインされたならばやるさ、どうせ他にやることもない。幼女のまま静かに思いを固めていた。今日はたまたま簡易な内容(出発すべき時刻や場所)を伝達する役のオッサンがいたが、もちろんこいつのためにやるってことではない。

 

視線を感じた。メタ的な視線だった。

幼女ESPを見つめるわたしがいて、別の任務のためにもう一人の私を見ていた。わたしの役目はできうる限りすべてを書き残す書記だった。メタに触れたことで理解した、この世界にはたとえば今回でいう幼女ESPのいる物語だけでなく、複数の物語と複数の役割と複数の試練、そしてこれらの因果を並列に処理するための複数のわたしがいる。書記のわたしはなるべくとりこぼさないように書き留めている。

全部をキャッチするのは無理だね、人間は忘れてしまうから。でも時々ならESPの力が助けてくれるかもよ…ともう一人に簡素なエールを送って、私は任務へ往く。

 

#夢日記