焦げた後に湿った生活

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河内のルージュマジック Ⅱ

笑ってもっとbaby, 地獄にon my mind.

絶滅ってドラマティックに起こるもんじゃない、しずかに忍び寄ってというか、みんなわかっちゃいるけど手ェ動かさずにいてる状態でのろのろヨタヨタ何かがドリブルしてしまいにゃゴールしちまうのよ、たいていは。河内弁も泉州弁もそうやって死んでいくんやろう、私は竹渕(たこち)と泉州のハイブリッドとして生まれた矜持を持って東でひとり奮闘してる、商売に河内弁を使ってあっちとこっちの言い分をくるくる転がし、いつのまにか商談まとめたってる。つらい結婚生活から逃げて西でくたばっても東でくたばってもおなじというなげやりな魂をベースにして、せんどやったろやないかという気持ちで、仕事に従事。私はビートの強い地と血から生まれて、basslineを武器にしている。You would see my Instagram, せやさかい、死ぬまで見守ってて。

母はどこに行ったのだろうか? 気がついた時、私の家庭は父子になっていた。離婚したのか死んだのかわからないが、ともかく「既にいない」状態となっている。

竹渕の貧乏長屋の一劃にて、かろうじて清貧をキープしていた。カブのはっぱ、にんじんの切れ端、少しのホルモン、そういったものをゴマ油と塩かしょうゆで炒めてなんとか栄養状態をヨシ! としている。

父は土方仕事をしており、というか土方しかすることを許されず、土方がダメならガタロ物乞いをするしかない。2020年の東京から飛んだ並行世界では、私はなんらかの被差別層に属しており赤貧チルドレンであった。現実の昭和の時代、多くの在日コリアンがそうだったように、頭の出来に関わらずホワイトカラーには就けず、住む家もたいして選べず、よって大多数の在日コリアン家庭がほったて小屋に住んで貧相な食生活をしていたのだが、並行世界にいる私らも似たり寄ったりだった。(現実においての戦時中、輪をかけて悲惨な食生活だったらしいが、在日コリアンゴマ油の栄養価が高いために栄養失調をしのぎやすかった、という研究結果がある。腹の減りはどうにもならんだろうが) 身体をいためつけて必死のぱっちをしている父親にどうにかしていいものを食べさせられないだろうか、と思っていた。

 

赤貧チルドレンの例にもれず私も児童労働をしている。被差別層のジャリに出来ることは限られていて、ごく少数の配達の仕事や給仕のもうけは砂の一粒しかない。父親が身体をいわして肉体労働できない日があるととたんに餓死の危険性があった。

現実でやむにやまれぬ事情のある子が性的搾取される仕事を選び取るしかないように、私は今までの仕事にくわえ自分の尊厳を売る商売もはじめた。マトモな社会なら禁止されるであろう、だが、現実を幾分か反映し圧縮したこの世界では尊厳を売ることはわりに当たり前の光景であり、よろこんで消費する者どもが大量にいるのであった。

客や近所の住人や店の人間に嗤われながら、せっせと奉公していた。「ソドムの市」に労働中の少女が足をひっかけられ転ばされた後凌辱されるシーンがあるらしい。働く私はそのような気分を味わった。笑いながら下卑た物言いや差別的な侮辱を飛ばすやつらに対して、ニコニコを絶やさずに接客し続けた。こづかれるのも日常茶飯事だったが涙を見せれば興ざめとして即クビになることはわかりきっている。だから全ての感情にフタをして、父に楽をさせたい一心で働き続けた。

 

ある日、私は顔の病気にさせられた。例の尊厳を売るバイトの最中、魔術をかけられたのである。顔面に奇妙な斑点がまず生じまたたく間にいくつもの突起ができた。尊厳を売るバイトでは、客も雇う側も何も禁止されていない。

私がかかった病は、この世界において一等差別されるものであった。めっちゃべっぴんというわけでもないが一応は若く外見を消費される見た目だった私は、ゲスの気まぐれでおどろおどろしい者となった。ふためとみられずよりえげつない差別に見舞われ、二度と今までの生活に戻ることはできないのだ。

ここからの展開を考えると自死する方がよかろうと一旦は判断した。しかし、そうした瞬間に父が「親を想ったがために娘はこのようなことになった」と残りの人生を嘆き悲しみ自身を責めながら過ごすことになる。私を消費しているやつらは、それを見て一層ゲスなおたのしみを得ることだろう!

私は、死ぬことすら差別によってがちがちに縛られ、自由意思で決断できないことを悟った。

母は高速をぶっとばしている。

はるか昔に、両親と車に乗っていた際「お母さんも免許とっとけばよかったと思うけどねえ、乗ったらスピード狂になると思うんよ」と聞いた記憶がある。

 

夜の泉州を自動車で走るのは、ま、爽快といってよかった。母の故郷から大阪市に向かう方面の道だ。母の故郷を出るときは、ゴム製品の工場からなんともいえぬニオイがする。もう10年以上かいでいないニオイを久しぶりに鼻で感じている。

この世界に父はいないらしい。離婚したのか死んだのかわからないが、ともかく「既にいない」状態となっている。母はなんとなく機嫌がよさそうに運転していた。といっても、本当に機嫌がいいかどうかはわからない。彼女は家の都合でむりやり中卒にされ、結婚させられ、故郷と違う場所に住まされ嫁いびりにあった。無意識に封じられてはいるが、許せなさというものは常に感情の最上位に出ようと彼女の中で機会を待っている。

そんな母が故郷から出るベクトルで車を運転している。これはどーゆーことなんだろうな。母に、泉州に戻りたいかどうかなんて聞いたことがなかった。あたくしも怠慢よね。精神分析とかちょっとは勉強したけどさ、自分のことで手一杯で。母にやさしさを発揮することが思い返せばなかった気がする。

 

だからとゆーわけでもないだろーが私はドライブにつきあっている。目的のある運転かどうかは知らない。夜は無意識の世界だから、母が走りたければそれにつきあえばいいのだ。

「マミー、あのでっかいツインタワーは何?」

「さあねえ。いつのまにかできとったわ。でも、あんま人はおらんみたい」

 このツインタワーを現実の泉州でも確かに見た。今の世界ではタワーマンションとして存在しているようだ。現実で何かはしらん。電気はほとんどついておらず滅びかけの文明の末端としてはじめに地方都市の人口減をあらわしているようだった。

 

笑ってもっとbaby, 地獄にon my mind. と替え歌をうたった。母は気にしていなかった。たしか母はサザンオールスターズが好きじゃなかったけど、こと泉州の女が好きとか嫌いとか言う場合、いちいち真に受けてはいけないのだ。一種の突き放したような冷たさが泉州の女の魅力(ミリキ/Ⓒ水木しげる)で、祖母もこうやったなあと思い出す。

 

#夢日記