焦げた後に湿った生活

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でもここはお前のいるべきところじゃないから

なすべきことなんて全然わからないまま物事はいつもはじまる、1日1日がそうだし仕事も他のだいたいのこともそうでしょう?

1日のはじめに「今日はなにがなんでも革命を達成する」と考えることなんてほぼないっしょ? 仕事だって、ごく若いときから「自分は最高の石職人になって◯◯の建造物に石を使ってもらうんだ」などと意識する人材、限られてるでしょ。たいていはなんとなくとか、偶然とかである職業をはじめて、好きになったりコツをつかんだりして終わりまで進んでいく。どこまでいったら「終わり」かも把握せず。

 

今日だってそうで…今、私は高速道路のキワを歩いている。歩き続けている。次のインターを降りて下道で歩を進めるつもり。大阪市内にある◯◯高速、20代前半まではよく父親の車で通った見慣れた風景だ。市内の企業がたくさん看板を出している。

車の数は少なく、比較的危険性は低めで歩いていっている。高速道路に装備なしでいるので決して安全ではないが。どだいこの世界が安全なはずはないのだ。

 

高速に上がる前、中央区のような市内でも都会度が高めだが、梅田や北浜ほどきらびやかではない、といったエリアにいた。私は国道何号線にいるんだろうか?と考えながらトットコ歩いていた。

大通り沿いを歩いていると、「おおい〜」「*****(私の名前だ)〜」と声がする。懐かしい声だ。大阪市内の真中らへんで声をかけられるということは、きっと高校の知り合いだろう。高校時代がとても楽しくて今でも同級生が好きな私は、期待を込めて声に近づいた。声の主の姿は遠くに霞んでいてよく見えない。

 

懐かしき知己を求めて引き寄せられていくと、高速道路に来たってわけ。しばらくすると「李くん」が現れた。

 

「わー、李くん! 久しぶり」

「久しぶりやなあ」

 

いつもニコニコしていた同級生は、少し話すと再び霞んで気配が遠くなった。あれ?と思って小走りに近寄ろうとすると、今度は別の人物。

「おにいやん!」

仲の良かった男友達がかつての笑い方とまったく同じに、話しかけてきた。

「*****〜、おっそいねん〜。こっちやで、こっち。みんな、こっちおんねん」

 

しかし、<こっち>とはよくわかんないのである。だって高速道路なんだもの。もし、同窓会や飲み会を開いているならこんなとこでやるはずないんだもの。

ハテナマークを複数出しながら李くんやおにいやんがいるはずの方向へ進むと、ちょっと経って霞が晴れてきた。

 

「*****」

「カク」

 

初めに友達になった人間が面前に現れた(突如)。

 

「お前、なんでここにおんねん?」

「え? だってみんなおるやん。李くんもおにいやんも。」

「…よォ考えろや」

 

あー…わかってる…高速道路なんていう危険な場所にみんなが私を誘い出すはずがない…

本物のみんなは3年間ずっと、信念だけがつよくて世故長けてはいない、危なかっしい私を見守っていた。

ふだん抑圧している「帰りたい」という願望をかなえるために、無意識はまた私を危険と引き換えに願望を叶える世界に飛ばした。懐かしさという情に訴えかけてまわりが見えなくなる霞めいた世界に。

 

「お前、自分のやること考えぇよ。ここはお前のおるべきとことちゃうやろ?」

「せやな。やらなあかんことやってから帰るわ」

 

自動的に返答が出てきた。やらなあかんことがある。そして、やらなあかんことというのは高速道路でやるべきことじゃないというのが唐突に理解できた。

 

「ありがとう、カク」

最初の友達は返事をせずに消えてしまったが、会話の続きは現実に帰ってから電話でもしたらいいのだ。

 

で、高速道路を渡り切ってとあるインターで降りたというわけ。

もうここがどこが分かってる。ここは西成だ。西成だと認識した瞬間に、幾度も嗅いだ独特のすえた、へんな甘さと太陽の光のまじったにおいが形成された。このにおいは母校や新今宮駅を中心とした一定の区域全体にある。なぜかファーファという柔軟剤で洗濯をするとこのにおいに近い香りになることがある。

 

「あー、わかめー」

長年の友達、これも高校の同級生が高架下からの旅の同行者となった。幻とはいえ完全に安全だ。彼女は12年に渡ってバンドメンバーであり苦楽をともにした仲なのだから。

 

街並みは、どんよりしていた。天気がくもりのせいでもあるが、おそらく街全体の経済状態がよくないのだろう。ここはいつでも物価の安い街だが、安いなりに波もあって、フツーのトコより露骨にモノの価格が変動する。1本50円で販売しているドリンク自販機が次来たときには70円になっていたりする。自販機をみて「ハハァ最近の日本の経済はアカンのやな」と判断していたものだ。

 

韓国惣菜屋で、生気のない少年が店番をしている。奥に母親であろうおかみさんがひっこんでいる。児童労働、ひとむかし前はアタリマエ。

真夏なので道ばたでねむる労働者はいない。冬は毎年、だれかが凍死する。

 

「*****、どこに行くのん?」

「んー、西成ひと通りみたら××(実家のある街)行く。アンタの実家もあいだにあるさかい、途中まで一緒に行こや」

 

2人でくるくると街を回る。屋台が一件、居酒屋が一件あいており、小休止するためにどちらかへ入ることにする。空腹で体力が減って旅が続けられないのはまずいから。

屋台が混んでいたので居酒屋へ入り、適当に注文する。

 

「……」

「これは…うん…」

 

2人とも微妙な表情をした。出てきた品がたべられないものだったからだ。店員も客も消えてしまっていた。店の出入口も。無意識の世界の罠にかかったらしい。よくあるパターン。口にしないと脱出できないか、口にした瞬間事態が致命的になるかの択が発生している。

 

「出口、そっち」

 

1人だけ残っていた客の、パンクス風の青年が喋った。街の住人の意思は私に味方している!

ありがとう、と心の中でとなえて彼が指差した方向に出てきた扉を開いた。いつだってここは人情で成り立ってる街なのだ。

 

そこから先はずっと国道×号線を東に目指す。

てくてく歩いていくと気がついたらまた高速道路に位置していたりする。進もうとすると阻まれ、楽に目的を達成させてくれないのが無意識の世界のルールだと何度もレッスンして知っているから、私はこまめに座標を確認する癖がついている。

最低でも5分おきにチェックしている、体にしみついた習性のおかげで、いつのまにかなんばや天満橋へ行ってしまう逆方向へ進んでいることに気がついた。

「おっとっとー、危ないあぶなーい。わかめー、うちらの実家と逆方向にきちゃってたー」

「あははー、じゃあ戻ろー」

などという会話のうちに、せっせと歩くと路面電車の駅に着く。西成界隈は路面電車があるので不思議ではないが、これも罠だろう。だって、我々の実家方面へ行ける路線は何十年も前に消失しているから。まあ、現実ではないので存在しててもいいんだけど。ホームで両方向に停車している2車両の電光表示を確認してみると、案の定どっちの車両に乗ればいいのかの認識が狂ってしまって、誤った電車に乗っちゃうよーな仕組みになっていた。

 

「あ、うん…やっぱうちらは歩かなあかんみたいやね」

「うん。これ乗ったら浜寺公園まで行ってまうかもしらんしな」

 

ベタやなー、と苦笑しながら2人で歩き続けた。2人なら長時間の旅でも苦ではない。

そのうち、百済のターミナルに着いた。友の実家近くだ。

「ほな、うちはこっからタクシー乗るわ」

「うん、気ィつけてー」

 

タクシーに乗る。ここからだって気は抜けない。

「××まで」

数分走っているうちに、思い出したように運転手がたずねる。

「××区に入りましたけど、どこまで行きます?」

「うん? 決まってるやん。実家やで、お父さん」

タクシーの運転手は父親に変わっていた。座標が実家に近づいているので、登場人物の近さも応じたものになるのは当然といえば当然だった。

西成は貧困と切っては切れぬ場所とはいえシティではあるから、建物ばかりで畑や田んぼなどは殆どなかった。今、風景は緑が少し増えている。父親の夢を反映したものになっていっているのだ。

…私の父親は、晴耕雨読の生活をし、学問と武芸を静かに磨く人生を送りたかった。でも、自由意志を奪われた。イエと社会によって。だから娘である私の夢の世界では完全には願望が再現されないで、現実の××区をベースに小さな畑の一劃がぽっちりぽっちり、手入れされていない私有地に草木がある、といった風景にしかなっていない。

 

それでも、親と会えたからいいやと思うけど。

現実では、コロナの影響もあるけれど、精神的断絶によって親と会う時間は限られている。私は両親の心や人生の具体的情景を引き継いで語りに出来るだろうか。それが自分のライフワークといえばライフワークな気がする。市井の人間の一生というものは想像を超えて濃くて、再現性は全くなく、代えのきかない秘宝だからだ。

 

「おぉ、*****やないか。久しぶりやなぁ。ハハッ、お母さんも、お父さんも待ってたんやデ」

「うん、早ようちに帰ろ」

 

安全運転で。

夢の世界は現実と同じくらい危険だから。

お父さん、ナビはダディとママンの最高の作品こと私だぜ、久しぶりにママンのメシを一緒に食べたら私は東京に戻るよ、現実で言われたとおり3年は辛抱して仕事をモノにするため今日だけ夢でホームシックを治してまた日常にカムバックするのだ。