焦げた後に湿った生活

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Set up, lady

乾いたパンくずあるいはクルトンが頭蓋骨の下にカッサカサ詰まってる。読んでるものもブコウスキーのパルプとか鈴木いづみのユー・メイ・ドリームとか、あとグリム童話の数々とか、乾いたものばかり。ここんとこ脳みそをはたらかしたという実感がなくて、あったとしたらホワイトデーの日に下北沢とかいうでかめのオーディオに存在するバーでロバート・グラスパーのsmells like teen spilitに対して"いい曲だけど雑貨屋で流れてそう"と言って情緒をお釈迦にしたときくらい。キーボードの位置はシド・ヴィシャスのそれ。網シャツもな。ひとつ注釈しておく、ロバート・グラスパーの音楽は好き。

youtu.be

 

悪口ってセンスが顕著にあらわれる部分だから言語にセンスのない人間は悪口なんか言わない方がイイ、だけど言語にセンスのない人間に限ってセンスという概念に対するセンスをもちあわせていない。センスって多くは後天的な教養と訓練だし現時点でセンスなしの人間は救いようがない。向上心がないってことだからだ。

もしくは自室から一歩でたら演劇的になるスイッチの押し方を知らない。

オールド・スクールな大阪人なら分かると思うが大阪の人間はたとえズブの素人でも外にいるとき演劇的になる。ペルソナの一種だけれど。自動的に初代春団治がインストールされるからintelより勝手がよい。喋ってるときは小気味いい(はずだ)けれど喋り終えて自宅に帰ったときプツッと線が千切れる。文楽の人形の糸がしまわれるみたいに。

私のそれは大学入ってから箱入り娘をやめて飲食のアルバイトをして得たもののはずなんだけど、しかし思い返してみると5才の時分「〇〇ちゃんは、何才で結婚したいのかな?」というクソさむい質問をされて「んー、25才くらいー♥」と思ってもないセリフを内心質問者を軽蔑しながらもすらすら並べ立てていたから知らず知らずのうちにテレビやら家族の会話やらでオーサカ・インテルを習得してる。

一体自分を構成する要素の何%がガキの頃に形成されているのだろう?

たとえば、悪口を言うとき私は短さとビートとリズムを重視しているけれど、それは上述のオーサカ・インテルを幼少時に入れているからで、オーサカ・インテルの正体は無数の芸人や街の人々、父親といった河内弁話者といえる。

(ここまで綴った文字数が893なの、笑える)

 

で、ビートとリズムの強い地から生まれた自分は丁稚奉公のつもりで東京にきたのだけれど、今日はある男の昔の日記を読んでしまったことで全てのやる気が削がれて残業をことわってしまった。丁稚が残業をことわっていいわけがない。プライベートを仕事に持ち込むのも自分の美学に反する。明日から本気出すのでクライアントと明日の私は私を許してほしい。

 

その日記の主は定期的に私を捕まえている男で、3分人生ディフェンスの記事で書いたんだけど娑婆いことしたくないって主張しているわりにクソ娑婆で軽蔑していたのに、そいつの日記読んだら記述のかなりの部分で自分の思ってることとアウトプットパターンが被っているうえ(軽蔑に一部同族嫌悪が含まれているってことなんじゃないかな)、元妻であろう人物のSNSがどこかのページで紐づけられていて、恐ろしいことにそれにuploadされていた元妻の顔の雰囲気が自分にほんの少し似ていたのでゲロった。

多分本人も意識していないと思うんだけど、これには心当たりがあって、私も今のクライアントのオフィスではたらきはじめたとき気になる男性が2人いて、2人ともてんでばらばらの顔パーツなのに雰囲気の一点のみ元配偶者に似ていたのである。

でも私の方がマシだ。だってそいつは元妻より好きになれた女性がいないって書いてたんだから。

(絵に関する投稿を読んで私には絵から描き手の意図やメッセージを読む能力が欠けていると思い出したけれどこれって後天的な学習で身につくのか? 誰か教えてほしい)

 

とにかくやる気というやる気が洗い流されてしまったので今日は適当に資料更新しながらずっと音楽を聴いていた。私はプレイリストを作る天才だしいい音楽といいご飯と切り花さえあればテンションをマイルドにキープしていることは可能、問題はマイルドにキープしている状態と刺激的な日々両方に飽きていること。

先天的に欠陥があると感じてるんだけど10才くらいで多くをどうでもいいと認識してしまった。母親と買い物にいくため自転車で信号待ちをしていると急に街の建物全てが書き割りにみえて、「こんな街にずっといたら気が狂う、できるだけ早く街を出て、最低でも高校はなるべく遠いところに行こう」と考えたときから地球に対する興味のなさが遺跡みたいにデンと居座っていのかなくなった。

どうでもええわい、そんなん犬のエサにもならんわ、ガキの使いやあらへんで。

 

…あの話に事実のかけらがどれだけぶっこまれているかわからないけど、光源氏がお母さんのことを好きで、そしてお母さんと自分が似ているって気づいたとき、紫の上はめちゃくちゃ嫌な気分だったんじゃないかな?

 

次に顔を合わせるとき、底意地の悪さをささやかに発揮するために、「ダーリン♥」って呼んであげよう。演劇的努力と洒脱さがなければ死ぬ土地で育ったから軽薄ノリはit's a gum gum gum、自分すらだます精度で。

ていうか3日後にはこれに思考のリソース割くことなくなってそうだけど、こういうことがあったってなくったって、生存に対するやる気のなさはひとしいから、自分で面白くしたい。仕事と創作以外で心が動くときはいつも誰かの防衛機制まで読み込めるくらい心理分析が開始されたときで、先天的にちょっとサイコなんだと思う。シリアルキラーが芸術性を殺人で披露したい欲求に少しだけ似ている。

なんのうたか忘れたけどけたたましく"Set up! Set up! Set up!"ってうたってる曲があった気がする、たっぷりサボった分巻きでいかないといけないから突撃のような曲が必要、なければ自分で作る。実感レベルでいうなら街が芝居の書き割りで構成されていれば当然自分が歩くところ全部ステージで、観客を楽しませて自分もだまして右から左へノッている。本当は芸人だけど芸人はロックスターにも俳優にもなれる。

 

グリム童話の台詞回しが秀逸、おれの魂がやばくならないならなって訊くけど、いつだってそのテの危険性はつきまとうし(だよね?)、そのうえでどーでもええわいになってる、みんなは?

グリム童話、でかいナタを思い切り振り下ろしたみたいに終わるけれど現実ってそうはいかないよね。自分が終わるときは大好きなklondikeの終わりみたいに無数のトランプがポルターガイストのように舞って肉体が消滅してほしいって願望を抱いてることにサボり途中気づいて、それが分かっただけでいいということにする。自分の望みすら知らないやつがこの世の大半だから。ショウの幕引きで種明かしなんてしなくてイイ、らしい終わり方でさえあればあとは観客が勝手に考察してくれるでしょ。

東京では3年丁稚のつもりでいるがわたしゃ手前の人生において生涯丁稚、せえだいきばってあんたさんも手前もだまくらかすさかい、せんどみたってぜぜこ頂戴や。

 

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