闘病記21/関西の笑いの本質とは何か

【今日の病状】

ひたすら眠い。

薬剤A2錠+薬剤B1錠+薬剤C1錠 が就寝前投薬の定数なのだが、Cを半分に減らさないと眠気で仕事に支障をきたす。

だがCは私の身体を元気にする薬なのである。世の中うまいこといかんなあ。

 

睡眠随伴症: 有り。

悪夢見た。失踪した友人と再会したけど、そこに居合わせた人間全員「私の人生の物語から既に退場した」人たちで、ということは彼もそうだと認識する夢。

起きてメールしたらやっぱり宛先不明で返ってきた。死んでたら諦めがつくが意味深な一言を残して消えられると諦められないので、次に音源出したらタイトルにその人の氏名を記載し「Hit my phone ASAP」としてリリースしよう❗️

 

食事、朝パン少し+カフェオレ+ウイダーインゼリー。

昼は会社で栄養バランスの取れた定食。大盛にしたい欲を抑えてごはんを普通盛りにしたから腹の調子は悪くならない。

どんなに食っても15時には腹が減る。マクドでチキンナゲット買う。ここ数日間割と揚げた鶏肉を欲しているので、おそらく肌に油分が少なくカロリーも足りていない。

夜、辛子明太子を白米にのせて食べ、チンゲン菜/しめじ/うすあげの煮物を副菜にする。

 

東京に来てから口に出来ないもの。しろなやつまみな。

しろなは大阪の名物だがこっちではとんと手に入らない。つまみなは一番好きな葉物野菜。ホタルイカとパスタにあわせる菜っ葉の中では、ホタルイカと同じ旬の筈の菜の花より格段に合う。

 

眼鏡をつける時間が多すぎて疲れた。頭が痛い。

 

【読書】

人間椅子春琴抄、少年を再読。

どれも今読んでも面白い。谷崎潤一郎の書いた中で一番エッチなのは少年だと思う。

春琴抄は食べ物や衣服など生活にまつわるものの書き方が良い。特に食べ物は、読者でも買えるような素材で、食欲をひっそりかきたてる。この頃では食える店が少なくなったが大阪の美味い鯛は本当に美味い。しかも値段は東京より安い。ただし鮎の方がはるかに美味いという個人的感想は添えておく。

佐助が視力を失ってからの静かな桃源郷、とでもいうような心理描写がフワアと差し込まれていて、読んでいてじわりと想像できる。

 

【笑いの本質】

畢竟ビョーニンのためビョーニンらしく身近な物事を題材に書く。テレビ見てああだこうだいう森茉莉ナンシー関の心持ちである。

 

かまいたち山内について。エレベーターで、同じタイミングで乗らないでいた女性に憤慨していやがらせしたという。

私だって男性と二人きりでは乗らない。もういつ言われたか覚えてない程度の昔に親からそういう瞬間が来たら乗るなと言いつけられたし実際知らない男と二人のみのエレベーターは怖い。乗って何かあったらあったでどうせ自衛が足りないとか言われるのだ。

先に上がったのにわざわざ戻ってくる山内の面倒な心理はよくわからんが、山内は普段妻への対応が賞賛されていることがわからなさに輪をかける。

 

当然炎上した。で、おおむね私のTLには山内への批判があがってきてたのだが、その中にこういうのがあった。

 

はて、関西の笑いの根底とは。

 

関西の笑いといえど、本丸は浪速でしかない。摂津も泉州もお笑いの中心地ではない。

浪速の笑いはペーソスである。

ペーソスが根底であり、ペーソスのない芸は長らく登場しなかった。

 

明石家さんま上沼恵美子あたりを見ていると読者諸君も感じないか。芸人でないならば和田アキ子和田アキ子は漫才せんが、世代的にか、あるいはソウルを歌てるからか。

さんまのあの特徴的な引き笑いの向こうにペーソスが見えないか? 

お笑いモンスターなどと呼ばれているが、「モンスター」の笑いはせわしない抜群のビートで調理したペーソスだ。美味すぎて調理した形跡にすら気づかない。太宰治は「サービス精神」といわれるものの独りよがりだがさんまのサービス精神は太宰的ではないお道化。

 

ペーソスが、わざわざ女性のもとに戻って加害を行う攻撃性と結びつくかといったら、つかない。

気持ちは分かるが暴論に過ぎる。

 

また、引用元の方は、新喜劇とかまいたちを一緒に「関西の笑い」としているが、新喜劇と漫才一般を混ぜて論じるのは良くない。ポケモンポケモンパンくらい違うから。

 

 

この新喜劇論に私は懐疑的である。

何故なら、名前を失念してインタビューの記事URLも掘り起こせなかったけれど、新喜劇にいっときよく出ていた芸人が「新喜劇はアドリブをしたらウケても怒られる」と証言していたからだ。

つまり、漫才やバラエティ番組と違い、新喜劇はアドリブ禁止できっちり脚本通りに進める。

急にセリフを忘れたり話をふられたりしてもアドリブやギャグで笑いの爆発を発生させることが尊ばれる漫才、バラエティと違い、新喜劇はそのたぐいのことを求められる場所ではない。

丁寧にパックされたスーパーの食べ物のごとく平均値で笑わせるもんであり、個人がアドリブでウケようもんなら客は次から上振れした所からオモロを求めてくるので、欲かいて立ち回ったらかえって大損、ということだ。

そしてこの話はかなり前のことであり、最近になって新喜劇が変わったとするならば、逆に小さい笑いから大きい笑いに…となるのが道理である。

 

要するに、新喜劇の脚本や特定の芸人に対して引用元の方の感性が合わなかっただけ、だと考えている。

 

まあ変わったといえば、今だいぶ風向きちゃうな、と思うところもある。

例えばAマッソや金属バットは地元が近いので彼らのべしゃりは狂おしいホームシックをもたらすが、彼らに感じるのはむしろエートスだ。私がオーサカ・インテル*と呼ぶ、間の取り方や会話のハンドルの切り方が無数の河内弁話者や芸人から無意識的に継承され、エートスと化している。

*オーサカ・インテルの解説はこちら

Set up, lady - 焦げた後に湿った生活

 

ナイナイにはペーソスを感じない。だからあの世代くらいから笑いの本質は少しずつ変容していったのだろう。浪速が大阪における笑いの中心なのは変わらないけれど。

 

私は関西の、大阪の笑いにはペーソスがあると未だ信じられているけれど、今見ることのできる芸人でどれだけ、ペーソスをほんの少し匂わす芸をする人はいるのかなとも思う。

日本エレキテル連合は本質をよく理解しているから精巧なイミテーションを創ることが出来た。

日本エレキテル連合 - YouTube

しかし彼女らの笑いはおおむねホラーである。本人たちも属性をわかっててシャイニングパロディとかしてるし。

日本エレキテル連合で最も怖いネタは多分これ。コメント欄に書かれているとおりおもろいと怖い二つの性質を併せ持つ。

https://youtu.be/cRhhqL1O8mA

「最初に一言 笑いと恐怖はよく似ている」と岡崎京子は言ったし、いがらしみきおなんかはその道の大ベテランだが、笑いとホラーは確かに似たもん同士というか、同じ魔女の釜から出てきたナニカである。煮たもんってか?

 

今の漫才や芸の一定数はホラー属性だ。

ハリウッドザコシショウの「ヤバいサラリーマン」なんか、あれ、完全に日常のホラーを切り取った芸でしょう。

 

それから別種のホラーとして、Aマッソや金属バットに近いところの出身者、泉州はZAZYがいる。

ZAZYの芸は同じホラーでも藤子・F・不二雄「ヒョンヒョロ」だ。並行世界の倫理観、常識、ルールを延々見せつけてくる。

ZAZY 『海宝奉納』 - YouTube

 

エスファイブもほぼホラーなんだよなあ…

【ネタパレ】スーパーキュートヒッピングパルカ - YouTube

 

ペーソスは包摂するものである。女性への性犯罪や暴力とは違うベクトルのパワーだ。

ヘルタースケルター(しっちゃかめっちゃか)な哀しみをも「お笑い」にする力だ。

 

個人的結論だが、芸人を神輿にかついであげてきたここ四半世紀程の風潮が、山内が暴力をむき出しにしてもよいと勘違いさせるほどにうっちゃってきた気がする。(山内のふるまいは全く「包摂」していないのだから、彼をもって関西の笑いは、と言われても困る)

タイミング的に上岡龍太郎が引退した時と同じ…というのは出来すぎか。

 

【5/11追記】

私の母親なんぞは未だに「上岡龍太郎引退以降の探偵!ナイトスクープは質が下がった」と言う。

70近い母親は泉州に生まれた後21才から今日に至るまで河内に住んでいるが、母の中では上岡龍太郎の引退が関西の笑い、芸に一区切り付けてしまった。

泉州の女は審美眼がちべたい、きびちいのが一種の魅力のため、彼女らが何かをdisる時は話半分に聞かないといけないことを念頭に置いても、同意せざるを得ない。

この記事を書いた後、それを思い出し、やしきたかじん(やしきたかじんとフルで呼ぶ時とたかじんと呼ぶ時では"たかじん"のイントネーションが異なる)と上岡龍太郎の「ディベート」、そしてパペポTV最終回を観て、「ウン…ナニカが変わってもうたなァ…」と内心ひとりごちたのは言うまでもない。

今のお笑いがおもんないというのでなく、言語化しにくい変容に対するノスタルジーである。