焦げた後に湿った生活

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闘病記22

【今日の病状】

睡眠随伴症: 有

悪夢の内容が変容してきた。

ダイレクトに暴力や恐怖を与えるものから、心理的にゆるりとダメージを与えるものへ。

今日の夢は、元配偶者と会話していたら、元義母等周りの人間が集まってきて結局話せない、というものだ。

 

睡眠状態はあまりよろしゅうない。眠れる時はものすごく眠るのだが、たいてい寝つきが悪く朝目覚まし時計が鳴った時に「ああ足りない、二度寝したい」と感じてしまう。

 

ナマモノは相変わらずダメなのだが、ここしばらくは筋子、明太子、ホタルイカが続いて食卓に並んでいる。

ダメと分かってたって食べたいのだからしょうがない。タウリンが足りていないのだろう。筋子と明太子は少量に留めておき、ホタルイカは火を通すか、ナマで口にするならば生姜をたっぷりからめておく。

 

面倒なので皮むきの必要な野菜は使わず必然的に葉物野菜が多くなる。チンゲン菜や小松菜等白いところが多めのものは、しっかり煮るのが肝要だ。茹でが足りないと、根っこの部分が変にミルク臭くなる。何故か個人で作った無農薬野菜を売っているような八百屋で買った場合はこの現象が起きない。

 

そば茶。

家で茶を飲む際に美味いと思えるものは玉露、そば茶、コーン茶の三つが最上。

喫煙者として言うが、喫煙するならば味のある飲み物と一緒に嗜むしかなく、水や飲み物なしで煙草を吸うくらいなら紫煙を燻らせない方がマシだ。

(もしも読者諸君の中に青のハイライト吸いがいるならば、一度バニラアイスと一緒に嗜んでみよ。ベストマッチである)

 

玉露はぬるめの湯でいれて、あと二つは熱い湯でいれるのがコツである。コーン茶は飲む人が少なく、知人に飲ませると九割九分ハマって帰っていく。

玉露は下手ないれかたをすると生臭く、金の無駄遣い。

そば茶は栄養もあり、玉露ほど注意を払う必要もなく、私のような食欲の失せた(といっても元が大食いなため成人女性の平均になっただけ)ビョーニンにはうってつけだ。

 

【大阪】

浪速はペーソスと前記事で書いたが泉州サイケデリックだ。

二色の浜なんぞは、人情とかあはれとかと切り離された一風変わった空間になっている。あそこで雷が鳴ると、空がピンク色になる。

「岸和田のだんじり」のせいで泉州人は四六時中騒いでいるという印象しか世の人は持っていないだろうが(なぜカッコつきにしているかって? 私は岸和田のソレを一等のだんじりと認めていないからだ。平野のだんじりの方が非常に刺激的だ!)、夜になると全く街に人がいなくなる。異世界に来たように思える、と地元の方すら言っていた。

 

東京に来て思うのは、食べ物はまずいし、祭りもおもしろくないし、一体人口と仕事の口以外で何が上方に勝っているのだろう、ということ。

秋になると今の住居近くでも伝統的な祭りはあるがのんべんだらりと神輿曳き。シケてる。聴いて思わず踊りたくなる音ではない。

シャコも鱧もずいきもろくになく、シャコに至っては寿司でしか食べられない。

凝らない方が良い食材というのは確実にあり、シャコはその一つだ。ちまちまと寿司にのせるより、大きな鍋に放り込んで塩ゆでにし、さっとゆがいてひきあげ殻を豪快に剥いてかぶりつくのが一番美味い。

 

一方で大阪の「人情」と自分の性格が合わないのは自覚している。だからなるべく一定の距離を置いている。

「人情」は、まあええやんで済ませてあげる優しさと引き換えに何もないことを強制する力だから、人間関係を一切気にせずその時の状況における正しさを一番大事な事として表明する人間は、合わない。

今までの経歴、特に職場の記憶を振り返っても、誰が何を言ってこようが間違っていると判断したら「知らん知らん。道理に合わんど取り合わん。アンタが矯正せェ」と斬り捨ててきた人間だから、もしかしたら故郷に骨を埋める資格がないのかもしれないな。

 

…といって東京に骨を埋めたくもないのだけれど。

本当に終わりがきた時に誰が骨を拾ってくれるのか、しかもう興味がないのかもしれない。

 

【仕事】

英訳の指導をしてみて思ったが日本語で書かれた資料とはなんと英訳担当者泣かせなことか。主語述語目的語のいずれかあるいは複数が抜け落ちていて当たり前という有様だ。

前の職場で、「マニュアルを読むならかえって英語版の方が読みやすい」と言っている方がいたが、意味が理解できた。

今の仕事にも慣れて用語もある程度吸収出来、手癖で英訳していると気づかなかったが、新しゅう入ってきた人間にとっては英訳前に一旦日本語で書かれていることに対して文脈を自分で補い、それから訳す、というのが難しいのだ。

 

指導していて思い出したが、入ってすぐの時、一日のスケジュールを記した書類を英訳してくれ、と依頼された。

その中に"開設"とだけ書かれている箇所があり、「すんませんけど、これは誰が何を開設するんですか」と訊いたものだ。「ああそれは、インターネット回線を立ち上げるということです」と返され、(ほなネットの回線て書いとけェ)と思った。

 

私は河内弁と泉州弁のハイブリッドだが東へ来てから一切ことばを直していない。

河内弁のビートで相手を圧倒し泉州弁の間接的性質で翻弄した方が、社内調整が上手くいくからだ。

また、仕事でストレスを溜める人の特徴は断れないことらしいが、大阪の言葉を保っていると断り方がnice and smoothである。

もとより上下関係という概念を無意味の最たるものと認識しているため、保守的体質の企業でよくある何を言ったかより誰が言ったか、をばっさりのけて、「あきません」「やってメリットあるならやりまっせ、ないんやったらやりまへん。ない? ほな。」で終わる。なんと便利な言葉だろう、「ほな」。

とっとと話を終わらせたい場合、「ほな」でもいいし、「色々な方と相談いたしまして、いずれ、また…」と放てば相手は言外のニュアンス(既に私が話に飽いているということ)を感じ取り諦める。

※これで上手くいくのは大概バディに「エエ人」が居る場合。上下関係を重んじるというか流されても気にしない人、所謂イエスマンを一人だけ置くのがコツである。多すぎると自分がストレスを溜める羽目になる

 

誰に向かってか知らんが、「ホンマ、舐めたらアカンど。」というフレーズがいつも胸のドコカにある。故にきょうびまで大した業務知識もないのに生き残っていられる気がする。いつまで河内のアンダラでいるのだろうか。