焦げた後に湿った生活

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闘病記23

【今日の病状】

いやあ、旅行の際の私の荷物の少なさといったら友人の間ではそこそこ有名なのだけれど、今回は今までで最もコンパクトにしたのに体力が失せているのだからやはりビョーニンなのだな、と思った。

昼にしっかり栄養のあるものを摂って駅弁も食べているのに、東京-大阪間でこんなに疲れていては、趣味の秘境駅探訪も都内以外では暫く出来ないだろうな。

 

【新幹線】

喫煙者でない人は知らないだろうが新幹線の喫煙室というのは通常3人部屋になっている。

コロナ禍になった後、1人のみ入れるようになり、何人も並ぶようになってしまった。

※東京から西へ向かう場合モク吸いは新横浜までに一回目の喫煙を済ませておいた方が良い。新横浜からどちゃっと並ぶようになる。

名古屋前後も暇なので人が多い。

 

それがなんだ、しばらく経つと2人入れるようになった。

2人も3人も変わらないではないかと思うているうちにまた1人のみに戻った。

阿呆らしい。

 

【蝦蛄】

東京ではシャコを食べられず口にする機会があったとしてもちまい方法でしか食べられないと先日書いたが、大阪に帰るので母に「シャコとずいきを食べたい」と予め伝えておいた。

 

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これはシャコを剥いたあとだが帰ったらキッチンに立派なシャコが四匹並んでいた。下手な味付けをせずあっさり塩茹でにしたものである。

シャコは見た目はごついが可食部は意外に無い。

 

あっさり茹でただけで、蟹ともエビともつかぬ味わいがあり、今日はたまたま子持ちだったのでタマゴも食べることができた。

このタマゴがまた美味く、食感は数の子をまったりとさせた感じ、着色せずとも美しい秋の紅葉色をしている。(きっとこれに該当する和の色味があるのだろうが本棚にあるはずの色辞典が見つからない)

 

大阪でも泉州地方以外はあまり食べる文化がないのかもしれない。

西淀川出身のぼんちの知人は、「見た目が苦手やよぉ食べん」と言っていた。

確かにグロテスクなのだがグソクムシがあれだけ流行ったのだからシャコも流行ってええやんけ。東京でもまったく殻を剥いて小綺麗にしたら食べるのだから旨さは保証つきなのだし。

 

殻といえば、シャコは気ィつけて指に神経を集中させんと、絶対に怪我をする。

泉州生まれの母曰く、ある程度剥いたらしがんで食べるものだという。確かにこの方法だと魚卵までつるっと出てきて便利である。

 

こんな立派なモノが四匹で1500円なのだ。

私は東京で一貫1000円程度出して寿司で食うている。難儀やなあ。

 

ずいきは残念ながらなかったのだがまあここに調理法を記してあげよう。私はずいき煮の名人なので。

 

Don't think, just feel. 煮てまえ。

塩梅がわからんならわかるまで料理せえ。

 

小学生の時に「このけったいな根菜とも野菜ともつかんずいきちゅうやつ、めちゃめちゃ美味しい」と知ってから、母に基本の手順を教わり、以来実家にいた時分はずいき調理はかって出ていた。

 

高校生になってしばらくすると何故か母と父が家にいなくなり(週にいっぺん短時間帰ってきていた)、かわりに一人暮らししていた姉が帰ってきて、仕事が忙しい姉にかわって家事は私がやっていた。人生で一番料理をしたし凝った時期だった。

姉が美味い、美味いというのでずいきも煮たし、ごぼうも面倒がらずにささがきにしたし、オリジナルで作った冬瓜とイカの炒めなどは美味すぎて逆に姉は黙った。

真面目にレクチャーすると冬瓜は煮物のほうが無難。

 

【闘病】

脳をいわして倒れた父だが最近はリハビリの施設でリハビリをしすぎて筋肉が熱を持ったらしい。元格闘家、クモ膜下出血程度では価値観が変わらないらしい。

 

「リハビリちゅうんは少しずつアゲていくもんや、父のように四つのトレーニング機械を四つともやる、というのはリハビリではなくジム通いしてる連中のやることなんよ、ゴールドジムに通うてると勘違いしてるんちゃうか」

 

発破、かけすぎたかもしれぬ。

 

父が倒れた時母があんまりメソメソして、父の方も身体が思うようにいのかんので気ぶっせいになり、たった五分の「面会時間」に…面会でなく荷物を届けるのならば入院部屋に入ってもよい、という病院のルールで…母があれこれと気を遣っても父がマトモな返事をしないのでしまいにイライラして私に愚痴ってきた。 

※愚痴る前に母は「今日も病院行くね」と父に言ってたくせにムカついてドタキャンしたらしい。母も母である

 

「それはアカン、総合病院勤めてた時、センセは"緊急搬送されるほどの病人に対してはな、多少なにくそ、と思わせた方がええんや"と言うてた。センセ曰く、なにくそという感情が一番快気の近道で、周囲がメソメソしたり甘やかしたりすると余計病人仕草を本人が意識してかえってようならんのです、ということらしい」

とコメントすると、

母もそれはそうかもしれんと考え直し、次の日から「アンタッそんなむすっとして何様やっ、私ゃ昼休憩の合間ぬうて会いにきてんのや!」と言うようになったという。

 

私も私で、手紙に「身体が思うようにいのかんのは病気になったら当たり前、大山倍達の教えを受けたのなら動かせるところを動かすしかないやろ。マス大山は"全身が動かなくなったら相手を呪って倒せ"とまで言い放ったんや」と書いて寄越し、結果クモ膜下出血の予後としてはおそらくgood enoughどころかexcellentである。

 

なお読者から空手の話をもっと聞きたい、とリクエストされたので後々父にインタビューすることになると思うが、現在の一般的な空手とそれ以前の空手のちょうどあいだあたりの話になるだろうから、まあまあ面白いかもしれない。

 

【化粧品】

父は昔ながらの石鹸で身体を洗いベビーオイルで保湿、母はわりかしお高めの基礎化粧品を用いているので実家のスキンケアは全身困らない。いいとこどり。

推測だが繊維業がもともとの家業だった母は、加工に対して悪感情がないのだと思われる。

何処から見つけてくるのかしれないが質のいいオイル美容をしている。整髪料も、私の担当美容師茸氏が勧めてきた(そして年下の美青年が使っていた)あるメーカーのものをいつのまにか所有していた。

あえて情報供給源は聞かないことにしている。大人は自分なりの秘密を持っていた方がいいから。

 

実家で鏡を見ていると、私は何故ある時点まで自分のことをブスだと認識していたのだろう、と思う。昔の写真を見たらそんな地獄にいなくていい子どもの顔だった。

世間一般では決して良くないとされる歯並びだって、振り返れば自分に欠かせないパーツだった。

京都にいた20代前半の頃、四条で自分より少しだけ年上の男性グループが向かいから歩いてきて、私に聞こえないと思っていたのか一人は「俺の好みや、美人や」と言い、もう一人の男は「えぇ、どこが?」と言った。姉と比較されていたせいか小さい頃歯並びを揶揄われていたせいかブスだと認識していたけれどその時から自分の「顔」がわからなくなった。

三十路になり今はかなりどうでもよくなった。相貌で悩むことは失せた。バンドマンをしているうちにヒネたこと考えている暇がのうなったのかもしれない。

 

【皮膜】

バンドと会社員は自分にとって大して変わらぬ、どちらも客の前でしまいまで楽しいウソをつくのが本質と述べてきたが、やっぱ近松門左衛門も似たようなこと言うとるやんけ。

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ウソほんまどちらか一方の性質だけでなく皮膜の間が芸という。仕事もそうとちゃう?

私はハッタリかましはするけれども人を動かす効果を狙ってやっている。

 

【土産】

東京で気の利いた土産を買うなら舟和の芋羊羹に限る。

この羊羹、確かもっと前はほとんど日持ちしなかったのに、東京駅で見かけた時は数日間もたすことが可能になっていた。企業努力だろうか。

ずっしりしていて、忙しい人なら軽い昼食がわりになる。味は甘ったるくなく、家族に好評で、前回大阪に持ち帰った時は私の食べる分が一本の半分しかなかった。

 

銀座のデパートで売っているスコーン専門店のスコーンとクロテッドクリームも良い。

スコーンは焼きたてよりも、ちょっと時間を置いた方が美味い。

クロテッドクリームは、もったいぶらずにどちゃどちゃと乗せるのが正しい在り方である。