焦げた後に湿った生活

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闘病記31/「おもしれー女」とは言うけれど 2

【今日の病状】

かろうじて自炊に成功。

昨日パクチーラーメン食べてから気が付いたが、何を食べていいかわからなくなったらとりあえずエスニック料理にしたらいいのだ。

 

茄子とピーマンと鶏ひきにくのクミン炒めを作り、白米と漬物と食べる。

隠し味に生姜、醤油を使っているから和風にも合う。

 

栄養素は足りているはずなのだが貧血のような症状はずっと続いている。

平生なら自分の身体の細さは気にならないけれど、今日は妙に「こんな細くては頼りない…」と思ってしまった。いきなりポキン、と折れてそのままさらさらと崩壊していきそうだ。

 

【夢の内容】

土曜、でかめの仕事をした後お師匠と会った。

この人は今月誕生日なので贈り物を買っておいた。「いつがいいですか」と訊いたらその日になったので渡すものを持ったまま朝の仕事へ行った。

 

これは本業ではないのだが仕事といえば仕事である。正確に言えばあるインタビューをセッティングし同行したのだが、自分の人脈から湧き出た話なので一応責任がある。

とはいっても軽い気持ちで同行したのだが、天才×天才の盤面になってしまっており「ヒッ…」となった。出来心というかいつもの軽いノリでセッティングしたら場は想定してない領域のものになっていた。

 

なんで自分はいつもこうなんだろうな…と、終わったあとお師匠を連行した初見ではドッキリとしか思えないシチュエーションにある和食屋でひとりごちた。

 

「ええやないか、それで機会ができてんから」

「それはそうですけど…手におえん範疇のことを悪ノリレベルでやってしまうのはちょっと。もう少し慎重に生きようと思いましたよ。ああそういえばそういうの今日の夢で見たんやった」

「夢?」

「私探偵でワトソン役はすきぴ、という夢で、というか大体夢ではいつも探偵なんですけど」

「探偵?! お前探偵なの?! いつも?!?!」

「青森に殺人事件を解決しにいく道中で」

「西村京太郎やないかい」

「ワトソンが仕事があるから東京に帰ると言い出すんです。で、最初はしゃあなしやと送り出すんですけどすぐ気が変わって怒鳴るんですよ、私一人おってできひん仕事なんかそもそも上手くいかん、才能ないから辞めろはよ帰ってきいや、ていうかこの仕事、そんな下に見てええもんとおもてるんか!って」

「探偵の仕事なめてるんちゃうか、と怒るわけね。しかし実際は探偵の仕事って九割浮気調査らしいよ」

「あと逃げたペットの捜索ですね。私は殺人事件しか受け持たん主義ですが」

「そんだけ浮気調査にニーズがあるのか~って思うよね。浮気してる人間多いんやろなあ。あるいは浮気や身の上を調査したい、というニーズがある」

「内容はともかく確かめたいという感情ですね」

 

その夢がこれ。これから夢日記は絵で描こう。

✩ℂℋÅℛ✩ on Twitter: "夢日記 探偵、舐められるの巻… "

 

【おもしれー女 2】

闘病記30/「おもしれー女」とは言うけれど - 焦げた後に湿った生活

先日、これから半世紀おもしれー女に幸福はやってこない、という記事を書いたら読んだ子から「『私ってサバサバしてるから』ってマンガ、おもしれー女になろうとしている人が主人公で、本当におもしれー女かどうかはともかくなろうとしたらおちぶれて制裁されてる」という感想をもらった。

 

確かにそうだ。このマンガがヒットしているのであれば一定数そういう欲望が人々にあるということで、真におもしれー女かワナビーなのかは問わずおもしれー女には制裁される運命が待っている。

 

他にも牧野つくしはおもしれー女だと言われてベタな所なのに忘れていた。

おもしれー女が認識されるフックは、男がおもしれー女に無視されるところである。

例えば、女側が他に夢中になって打ち込んでいることがあって当該男に興味を持たない、とか。

これ男女逆だったらひたむきに夢に向かって一直線な男とけなげに応援する女の図式が楽に生産されるのに、そうじゃないと「おもしれー」になる、というのがミソじゃないでしょうか。

 

もう一人、おもしれー女の元祖といえるキャラクターがいる。

有島武郎/或る女 の早月葉子だ。

有島武郎 或る女 (前編)

有島武郎 或る女 (後編)

彼女は時代が追いつかなかった、といえる新進的な人間のベタである。物語の終盤では、心も身体も病んでいき作者に制裁されている。

 

有島武郎は女人に対してどんな眼を持っていたのか。新しい時代の女になるべく生まれてきた葉子の人生に対して、正当に評価しているむきもあるけれども、最後にああいう終わり方をさせたのはやっぱり懲罰的感情がある。でなければあそこまで堕とさせる意味はないと思う。

葉子という人間を描写する際に「タクト」(技量があるという意)を強調するのも、ベッタベタに悪女のレッテル貼りになってしまっている。葉子の、本当に評価されるべきは精神性と時代が彼女を受容しなかった不遇さなのだが。

 

作者の有島自身がどういう死を迎えたか知っていれば、皮肉なものだと思うだろう。

女性を買うことは出来ないと言い放ったことと葉子に対する処遇の落差がえげつない。

(葉子に対する処遇は投影同一視からの批判ともいえる)

 

有島は当時のレベルでいえば女性に対する目線はまだ新しい方だった、といえるけれど、有島でさえむごたらしい罰をおもしれー女に与えている。況や凡人たるや

 

誰でもおもしれー女に罰を与えたいと願っているならば、なぜおもしれー女などという概念が誕生したのか。

枠にハマらない女をおもしれーと呼んでとりあえずカテゴライズしていたい、という凡の欲求ではないだろうか。

そして、凡から生まれたものであるからこそ普遍的に、気楽な会話で浸透していく悪意の標的になり得たのではないか。