焦げた後に湿った生活

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闘病記41

【今日の病状】

旅の終わりに「なんか具合悪いな」と感じて家帰ったら急に風邪っぽくなった。

身体がいのくうちに漬物やパンを買って、3日分くらいは買い物せずいられるようにしそのまま風呂に浸かってバタンキューと寝る。

 

たかが二時間半の道程が病人から体力を奪い去る。

父を連れて東京に行ってみたいと母が言っていたが、同じところに長時間座るのがきついらしい。従兄弟の結婚式に連れていって午前中は居られた、というので喜んでいた。

きっと数ヶ月前だったら無理だっただろう。

これなら東京も行ける、新幹線に乗って、ホテルとって東京を少し観光できる、と母はるんるんだった。

同じ時間をより多く過ごしている母よりある意味で私の方が父のステイタスを理解できるかもしれない。新幹線に座っているだけそれがハードルになるっていう感覚。

 

コメを炊き、なすとあぶらげの味噌汁を作った。なすとあぶらげだけだと味に締まりがのうなるので葱等薬味を足すのがコツである。冷たくなるとなお美味い。

 

買い物してる途中、タンパク質をどうしようかとスーパーで考えていたらニシンをまるまる一匹塩焼きにしたのがあった。

ニシンと野菜の塩麹漬けと味噌汁で食事を済ませ、カロナールをほいほい飲んで寝た。

 

これ書いてるうちに熱をはかったら36.1℃

平熱万歳。

 

骨折、膀胱炎、風邪(果たしてコロナかどうか)と病気の三点フルコースをもらって体力が地に堕ちた。

 

【神の薬】

カロナールとかいう神の薬、薬局でも買えるようにしてほしい。

即効性そこそこ、飲んだ後のラリパッパ感ほぼなし、解熱鎮痛作用◎とケチのつけようがない。

 

【ニシン】

ニシンは大好物で、他の家ではどう調理するのが一般的か知らないけれども、うちの家でニシンといえば塩焼きである。

盆や法事に必ず出てくる。魚の塩焼きはチョグ、鯛、ニシンでどれも立派な大きさのものが一匹ずつ大皿に乗る。

 

西の人間は鯛に五月蠅い。与謝野晶子から谷崎潤一郎、おかんまでそうである。

先日愛媛で昔働いてたという人が、「東京に来てびっくりしたんは鯛の刺身や。ほんのぽっちりしか盛られてない薄い刺身が1500円もする。愛媛で1500円出したら結構な量くるデ。まあ見た目で判断したらあかん、調理技術は東京の方が上やろうと箸つけたら全然味せん。周りみたらこの刺身を美味い美味いと言って食べているから、東京はこれがスタンダードなんかと驚いたわ」と話していた。

 

私はそこまで鯛に執着心が無い方だけれども(ひらめの方が好き)、チョグやニシンで同じ目に遭ったら箸を叩き割りかねない。幸い、チョグもニシンも焼きで食べるので刺身のような憂き目には遭わない。

ニシンはええのを買って上手に焼いたら内臓卵も含めて全身食べられる。

普段可食部にしないむっちりしたところでさえ私は好きだ。

京都に居た時はもっぱら煮詰めたニシンをそばと一緒に喰っていたがやはり焼いたのが一番いい。

あの法事の焼き魚三種と、豆腐やあさり等の具を沢山入れたすまし汁が何より御馳走だ。

未だに名前を知らん法事でしか出てこん汁物の作り方をここに記しておこうと思う。

 

<材料>

・だし…メンテ(鱈の干物)、無ければあご出汁で代用

・豆腐

・大根

・あさり

・その他好きな野菜、椎茸等

・塩

・醤油

・酒

 

水を鍋の七分目まで入れる。

だし汁を作り、ついでにはやい段階からあさりと大根も入れる。あさりと大根からもだしを取るため。酒も少々。

沸騰したら他の野菜と豆腐も投入。塩を少し。火の勢いを落とす。

適当に煮たったら様子を見ながら醤油で味をととのえる。

※大根と豆腐はドン引きするほど入れるのがコツ

 

鯛で困ることといえば甘鯛チヂミが鶴橋以外の場所で買えないことだ。

ニラチヂミ、甘鯛チヂミ、牛チヂミ、それから色々の天ぷらも法事に欠かせないメニューだった。

鶴橋に行くと白身魚チヂミと甘鯛チヂミを分けて売っているが多少高くても甘鯛を買う方がいい。

家で出すときには「ようしょく」と呼んでいた。お好み焼きを洋食と呼んでいた時代の名残りだと思われる。

なぜ新大久保等で売っていないのだろうと調べたら、鯛や白身魚のチヂミは済州島出身者が好んだもので、オールドカマーの済州島出身者が多い鶴橋で定着したらしい。なるほど海のまちの人たちが集まったらこのような料理は好まれるだろう。

結構なことでごあすが帰省せんと好物を食えんというのは困る。

 

シンクロニシティ

昼からテラスでカンカンに冷やした赤ワインのソーダ割を飲んでいたとき、Vvotaroも一緒にいた。

テラスの方が精神衛生上いいと以前聞いていたのでテラス席のある店を選んでおいたのだが、暑い、暑いと言っていた。

「そんなに暑いかねえ」と首をかしげていると、「ああええなあその服、涼しそうや、俺も女やったらそういうの着るわ」と彼は。

私はベージュ色の麻のワンピースをひっかけて下はサンダルだった。

 

「来世待たんでエエ、あんたも着たらええやないの」

麻とか薄手のコットンとかであつらえたロングトップスにワイドパンツなんか、男でも着れそうである。

 

彼やもう一人は私の様子をある意味見張りに来ているので、必然的に最近はどうかという話になった。

馬鹿を友達に持つと心労が絶えず大変そうである。

 

「子を成そうとしてるわいな」

寿命が来るまでに、とは言わず。来るか来ないか知らないのだからしいて言う必要もない。一日二合三合の米を食っていた人間がピザを一切れふた切れしか食えなくなっていることで察してくれ給へ

 

彼は私が種だけ借りて男を放かす気と思っていたらしく、そんなつもりはない、ただし年俸の上昇も含めて転職を考えているからそれを片付けながらや、と言うと

 

「ようやるわ。俺は作る気もせんし作るなら作るで金が要るわな」

「いうて大阪でそんなに要るか? 年収500万は欲しいけど世帯年収一千万も要らんやろ大阪は。お互いが300か400万ずつ稼いでたら事足りると思うけどな」

「年収500万は最低ラインやろ、月収30万でも足りん」

 

私がそろそろ年俸を上げようかな、と決めた時期に向こうも同じくらいの収入獲得を考え始めていたしなんだか金銭感覚も一致していた。

アメスピのシケモクをしがんでからが人生やと言うておった二人とは思えん。

(ついでにここで文句を言っておくがアメスピの14本420円への改悪はなんなんじゃ、買いに行く回数がおおなるのもダルいし小銭用意せなあかんのもかなん、なによりケースの見栄えが悪い)

 

その後オマエはヒトをカードと思っている(無自覚)というのと、慎重に生きれない破滅型の狂人であることを自覚して諦めろと言われた。

「母は"36才までに子を成せなければ諦めて芸術に打ち込む"と言った私に驚かなかった」と話すとそれはオマエに諦めてんねんと2人揃ってぴしゃり、言われんでも分かっているが言われても治らない、しゃあないやんと開き直れないのを可愛いと思ってくれ

 

帰ってテレビを付けたらマツコ・デラックスのドレスの色と柄が中学生の時買って本日つけていたパンツと同じで、夢か現か曖昧になってきた。夢心地の抜けきらぬ日々、いやでも身体のボロボロが身体性を表現してくるけど。

一周回って濃いピンクに黒のピンストライプは流行るんだな。