焦げた後に湿った生活

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闘病記47/暴力の仕方論2

【今日の病状】

カウントし忘れただけかもしれないが7月月経が来ていない。

8月は来た。そして今日も。

 

内的観測が出来ていないだけで私の身体と精神はかなりヤられてるんだろうな。

色んな人から短い生存確認が来る。

思い返せば8月の月の障りは不正出血かと勘違いするほど短かった。

 

9/2に新宿で和食を食べた。ここはなんでもうまい。焼き魚とか、帆立とアスパラのバタ焼きとか。

少しずつ食える量が減っており、退路が狭まっていっているのを無視することは出来ない。

それでもどばどばと股から血は出てどうしてこんなに血液を生成する機能が残っているんだろうとちょっと感心する。

 

【夢の内容】

9時間寝ても眠いのは、薬の副作用か身体症状か。

どっちでもいいけど。やりすごすしかないし。

 

夢の内容がやや以前のものに近づいてきた。

情緒の乾いた、文明が滅んだり宇宙人が来たりしているのに、何も起こらない(登場人物たちが生活に直結する行動以外何もしないため)世界。

 

病院で「引っ越し先は緑が多くてのんびりしているから静養に良い」と話すと、「あなたは静養したい気分なんですね」と言われた。そういえばそうだけど。

逆に静養以外の何したらいいわけ? イライラするのを吹き飛ばして、はっちゃけて、夜通しクラブで踊れってか? 昔みたいに。

 

私は新居で引きこもる、やることは沢山あるし。

新しい家に必要なこまごまとした買い物、調度品の調達、風呂にゆっくり浸かること、部屋のレイアウトを考えること。

本棚を買って衣服を適当に突っ込めばいいとINTPの人間から聞いたから真似することにした。

ご丁寧に彼は部屋の写真まで送ってくれたので、同じようなモノを来月買っておけばいい。今月は段ボールを折り直して、タテに並べて、簡易の収納にしている。

ジョゼと虎と魚たち』で恒夫がジョゼの引っ越し先で段ボールを収納にしているのを見て何も言えなかったシーンを思い出した。落ちぶれているのかしら?

不思議と、焦りはないけれど。

 

【生活】

私みたいなビョーニンは生活と向き合わざるを得ない。

クラブでテキーラ飲みまくって朝まで踊ったり、ワーカホリックになってあくせく働いたり出来ないからだ。

日々の生活を見つめ直して、小さなことを積み重ねていくしかない。

それが恢復につながったという人もいるけれど、私は根本的に考え方が「手札と状況がまずければ一旦場を混沌にして、山札をシャッフルし新たにカードを引き直そう」という人間なので、ていねいな暮らしで回復するタイプの人間とは違う。勝負師気質。

 

しかしそれでも、なんだか左京区にいそうなヒッピー上がりの住人が住む新居で、緑に囲まれて、だらだらと過ごしていると漫然とそっちの方向に引っ張られていく気がしなくもない。

 

最近のお気に入りは米茄子で、秋田で作られたのをよく行くスーパーが置いてるもの。冷たさと乾燥に弱いがそのかわり肉厚でうまい。高知でも生産されているらしい。

パスタにしてもよいし、切ってしめじなんかと一緒に深めの皿に放り込み、オリーブオイルとにんにくを入れて二分レンチンするとトロトロになる。

ひき肉と一緒にマーボーにしてもうまいだろうな。

 

ばかみたいに大きいハマグリの貝殻に垂らしたベルガモット精油を嗅ぐと、道頓堀で食した生牡蠣の思い出が鮮明に蘇ってくる。

 

コットンの上着に天然石のアクセサリーを一つ二つ付け、リモートワークで完成された閉じた幻想の中で、実地の生活をのんべんだらりとやっている。

 

【制約】

それで、そういう生活をしていると、プロダクトに色々うるさくなってくる。

100均の製品とか殆ど使わなくなるし。元々、思考のリソースを温存するために、普段視力を矯正しないし、眼が痛くなるような情報量の多い店には行かない。ダイソーとかドンキとか。

その制約のかけかたが「エロい」と評した男の子がいる。HUNTER×HUNTER脳、すぐに制約と誓約をかけてしまう。

その子が普段あたたかい茶を飲まないというので、適当にその場にあったものでお茶を用意したのだけれども、お~いお茶のパックしかなくて閉口した。

「よりによってお~いお茶かあ。これ、伊藤園の商品の中でいっちゃんつまらんわ。美味しいと思ったことない。市販の緑茶なら他にもっと美味しいのあるもん。伊右衛門とか」

「殿様商売なんだろうね。改善しなくても皆買ってくれるし。」

「ほら、でも…こうやってぬるめのお湯で淹れればマシな味になった。」

 

家で飲む緑茶をひしわの茶に変えたらすぐに味が落ちるので困った。

ひしわの製品、たいがい美味いのだが、緑茶に関しては改善の余地あり。

紅茶は全く問題なく美味い。

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日常使いの緑茶に関しては辻利に旗が上がる。

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UAって歌手知ってる?」

「知ってる。」

「あの人の新曲、お茶っていうバカげたタイトルなのね。曲はとんでもなくいいんやけど。でも、UAの歌唱力を以て許されてるわけよ。そういう曲、この世に結構あるなと思った」

「たとえば?」

ショーケンの『ぐでんぐでん』」

 

これもショーケンだから許された曲だろ。ふつうの人間が歌ってもサマにならん。

萩原健一 ぐでんぐでん - YouTube

 

こうして制約のある生活の中で誓約を果たさんとしている。

私はマトモじゃないので道に大幅に逸れていたら理にかなった人間が適当に導いてほしい。(常に世話焼き女/男が居た人間の感想)

書いたこと口にしたことは10年後の人間のスタンダードになっている自信があるけれど同じ時を生きている人間に理解されているとは思っていない。

それが当たり前になりすぎて割と頻繁に理解されていないことを忘れてしまう。

 

【加害のスタンダード/東京のおっさん、どうした?】

 

闘病記35/映画「チロンヌプカムイ イオマンテ」を観たらなんかすごいことになった/暴力の仕方論 - 焦げた後に湿った生活

これで述べた通りだが、男性が性犯罪をすると、ストレスとかプレッシャーとかそういうモノと結びつけられがちである。

「暴力の仕方論」で書いたが、他人を害するかどうか、つまり暴力がどう表れるか…は、受けるプレッシャーの質などに関係なく己がどうふるまうことを許されているかの、ビヘイビアの問題である。

受けるプレッシャーの質ではなく社会的に許されたふるまいによって暴力が表れる。

 

「暴力の仕方論」とかを読んで私のことを「男性嫌悪」だとコメントした愚かな方がいらっしゃったが、そういう方は愚かなので、見た事実を淡々と積み重ねた文章に対して、好き嫌いでしか物事を見れない自分を私に投影している。故に嫌悪というワードが出ている。

まだ読んでいらっしゃったら、論評に好き嫌いのものさしが大きく入るかどうかは人による、と覚えて帰っていただきたい。

 

この投影という仕組み、知らない方は本当に知らないので、他人から見て明らかに投影じゃあないかと言われかねないことを知らない人はやらかす。

投影、知識として知っていたら、今自分がそれをやってるかやっていないか知識がある程度指針になり得る。*なり得るだけで100%やってないことにはならない

 

先日、これほどまでに綺麗な投影同一視による暴言のサンプルがあるか、と思う事件があった。

 

春ねむり氏に対して、宇野維正氏が、「面識のない自分(宇野)をブロックしているのはいかがなものか」と事前ブロックを批判し、さらに「俺と喧嘩した奴はだいたい消える、喧嘩しないけど」とのたまっていたものだ。

 

春サイドによる反論を読んだら合点がいくと思うが、宇野氏は春氏から「有害」だと認識され事前ブロックされている。Twitterの使い方として個人の自由の範疇で、宇野氏から批判されるほどのことでもない。

 

問題は、宇野氏が事前ブロックをしまくっていることだ。

私も宇野氏にメンションしたことは一度もないのにブロックされている。

おそらく「東京の女の子、どうした?」で炎上した時に、自分に対して「キツイ」とみなしたアカウントを宇野氏はエゴサしてブロックしまくっている。

別にそれも個人の自由なのだが、自分がやってしまっていることを人がしたらわざわざ批判するのは、投影同一視だ。

 

彼は恐れている。批判を見るのはキツイと思ってしまっている自分を第三者に見られるのを。だから弱い者の常として先制攻撃でマウントを取りに行く。

春氏本人のいない場所で一方的にマウントしたり、俺と喧嘩したやつはと言ったり、そーゆーの恥ずかしくてふつうやれないんだけど、弱い者は手段を選んでいられない。

 

①自分が嫌いな自分、見たくない自分を押し込めている人は、全くの他人にそれを投影して批判することがある

②自分の強さや正しさに自信がない人は先制で攻撃しにくる

 

暴力・加害のパターンとして覚えていたらいい。