焦げた後に湿った生活

このブログは投げ銭制です。投げ銭先⇒「このブログについて」

闘病記55/エーリッヒ・フロムも助走をつけて殴るレベル

【今日の病状】

生理って来ても来なくてもバグだろ。

 

お腹痛くて何度かトイレに駆け込んだ。

例のパン屋でのバイトをしていた時、レジうってるおばさまが頻尿でトイレが近かったのだが、所謂お局バイトがその人が何度トイレに行ったか数えていて裏で「あの人トイレ行きすぎ。今日は〇回も行ってた」と言っていた。それを見て他のバイトは「なんて意地悪な…自分だっていつかはトシとってトイレ近なるのに」と呆れていた。

(こういった、数十年先の老いを自然に考える感じが関西、という感じがする。)

それからなんとなく自分がトイレ近いと、そのことを思い出すようになった。パン屋で働く以前はそんなこと考えなかった気がする。

 

オフィスでうれしいことはトイレが清潔で寒い時期は蛇口からお湯が出ること、メイクスペースが5人分くらいあること。

トイレ個室にある広告のことトイレサイネージっていうらしい。まんまやんって思ったけど確かにそう呼ぶ以外ない。

 

トイレサイネージに何分までしか使用できないからさっさとしろ的なアナウンスが当初出るようになってて、「生理現象までいちいち監視され指示されるのディストピアっぽ~い」と内心disってたら案の定苦情が来てとりやめになったらしい。

トイレは色んな状態の人が来る。急な痛みや吐き気で長いこと出られなかった人だっているだろう。

現在トイレサイネージには英語レッスン等ビジネス関連、または健康・美容関連の広告が出てくる。毒にも薬にもならぬ広告が前より良かった、となる事例も昨今珍しいがディストピアよりマシってことみたい。

 

【愚民】

パワハラ対応をしてるとこの間書いた気がする。書いてなかったらすまんが今私はパワハラ対応中だと認識しててください。

で、ハラスメント受けてる側の下請けの人たちに「あのー怒鳴ってる場面を見て嫌な気分になるのも環境型ハラスメントに該当しますので、出社いやならしなくていいです。フルリモートokにします。出社は義務ではないので、いやなら事前にご連絡いただければ対応します。」と伝えた。

 

そしたら最初はリモートにしますと言った人が、今日「あれはリモートが良かったのと〇〇さんにのせられたこともあって言った、やっぱり出社日は出ることにする」と伝えてきた。

 

それ私のせいにするんだ?

 

フルリモートでもそうじゃなくても私はどっちでも構わない。

私はハラスメントが発生している状況において身を守るためのオプションを増やしただけだ。

選んだルートの安全は保証してあげるけども何を選ぶかは各自の判断で、と提示した。それなのに、自らが巻き込まれている状況で自らの意思で選ばない人がいる。

 

選択肢を増やしても人は自分の意思で選択しない。

自分自身で選択肢を創ろうとか増やすために交渉しようとかなんてなおさらしない。

というか、自分で選ぶという事が思考にないのだろう。

極端な話、全体主義になったら彼らはどうするんだろう?

口だけ達者で行動に移せない人、というのも困るが口から出ることも他人由来にしたいというのは驚きだ。

 

東京来て今の会社入ってから吃驚したけど、西と東で労働者の意識は全く違う。

入社してしばらくたった頃会社からいきなりアンケートが来て、労働組合の代表にこの人を選ぶがいいか悪いか書いて出せと通知されたものの何のマニフェストも載ってないので、いいか悪いか判断しようがなかった。

私は「通常マニフェスト等判断材料があるのに何も書いてないから肯定しようがない」と理由を述べて否認で返した。

 

労働組合が虚無なのだ。本質がないのにとりあえずないとルール上困るからでっちあげてるだけなのだ。

代表だって立候補じゃなくて社長が選んでやっといてーと声かけただけだし、おそらく今まで変だと言って否認で返す人もおらず、だからその人は投票者に対して何もアピールする必要がなかった。

カルチャーショックを受けて、他社の年上の人に「こんなことがあったんですけど、何故労働組合の代表を決めるという大事なイベントがちゃらんぽらんなんですか? 東京ではこれがスタンダードなんですか?」と真剣に質問したものである。

 

前の職場は京都の大学事務だったので、雇い止めに抗議声明を出す、などはよくあることだった。

労働組合の代表を選ぶのだって大きなイベントで、立候補者が何をアピールしているのかはしっかり投票者が把握できる仕組みになっていた。

母校でも職員が待遇改善を求めてハンストするといったことが日常茶飯事だったし、自分の意思で考えて行動し、交渉していくのは労働者として特別でも何でもない行為だった。

 

もしかしたら私はそのような環境、文化で育ってきてラッキーだったのかもしれない。

 

地元・大阪だって公務員といえどお上に従うまま…ではなかった。私が小学校、高校の時の先生は上から言われたことでも間違っていると思ったことには従わなかった。国歌斉唱時不起立だってする人は当たり前にしていたし。生徒の方でもいちびることはなかった。

大阪も京都も自治体のトップは当時自民党だったので殊更左翼系が強いわけではない。文化的に個人の意思というものが尊重される社会だった。

(大阪については最近の事情をよく知らない。トップが維新の会に変わってから不起立の教員は処罰対象として検討されたらしいが今はクソ真面目に罰回避で斉唱してるのだろうか? 私ならお腹痛いといってトイレに行く。生理現象は他人に止められない)

地元はいつまでも「トウキョウモンの言うとることなんぞ知らん…」で済ますスタンスでいてほしい。

 

普段の事から何も考えない選ばない人、に私は今課題を見つけてきて分析したり解決策を提案したりするスキルを教えている。

出社の件があるまでは「頑張って教えよ」という気概でいたが、今は自分自身の問題ですら他人任せにする人にヨソさんの意思決定をさす仕事、それも0から1を創る仕事が出来るンかなぁ…と思っている。

 

エーリッヒ・フロムが聞いたら真っ青になりそうな話である。

私は言われるがままに…とか自己決定が出来ないとかは愚民だと思っているが、何故彼らがそないに何も選択しないのか本気でわからない。小さい頃からこういう人間なので何が足枷になっているのか、それとも自然はこうなのか、ほんとうにわかっていないのだ。

 

ちなみに異業種のベテランが「最近の若いのは課題と問題の違いを知らない。問題解決と課題解決って別物なのにごっちゃにしてる」と愚痴っていた。問題は課題とちごてマイナスなのだということだが思うに自己の課題も問題もまことに考えたことのない人は上っ面の字面でしかそれらを見ていないよ。