焦げた後に湿った生活

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闘病記56

【今日の病状】

意味わかんないくらい急にお腹痛くなって電話の途中でトイレに駆け込んだ。

あるトラブルを解決するために力を借りた先と話していたのだけど、私の身体は抱えてるトラブルに耐えられないようだ。

 

痛みは「これ以上頑張ったら死んじゃうよ」っていう身体のアラートだという。

痛覚を遮断したら一時的に動けてもその後の生存確率は低くなる。

 

トラブルを抱えてからは、それがトリガーになって、生活が自己の根本的で不穏な何かに視線を合わせてしまう時間になった。

出来れば洗いざらい誰かに話してしまいたい。でも理解してもらおうなんて烏滸がましいと思ってる。もしかしたらとてもつまらないことで、「そんなこと悩む必要ない」「こうしたら大丈夫」と断言されるようなことだったらいいのに。

 

イカレーやたら食べたくなって一週間で三回食べた。レモングラスやらココナッツミルクやらに含まれる何かが足りなかったのかな?

 

背中のじんましんが治ったと思ったら今度は太もものつけねに出来た。

リンデロンをぬりながらツムラの薬湯入ってたらマシになった気がする。

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【感情】

ジャーゴンについての二つの記事…ジャーゴンを用いるものは感情を見ないようにしているし、感情をあらわすのを恥ずかしいことだと考えている&感情を伝える=論理破綻だと勘違いしている、と書いた。

闘病記53/ジャーゴンに憑りつかれる人々 - 焦げた後に湿った生活

闘病記54/ジャーゴンに憑りつかれる人々2 - 焦げた後に湿った生活

 

先程痛覚は身体のアラートだと述べたが、感情も同じようなものだ。感情はアラートだ。

感情に蓋をしてしまったら最後、ほんとうに目をみひらいて考えて対処すべきものを無視することになる。

私は18才の時それをやって結構な時間とパワーを消費したと思うし、やってしまったことで長期間ツケを払う羽目になったと考えている。

だからなのかこのところ無茶苦茶空虚で、来週誕生日を利用していろんな人に電話することになる、きっと。空虚は蓋をしたところから生じていて様々なevilを呼び込む。

 

歴史のどこかでおかしなふるまいが定着して、うまく自分の感情と付き合うのが大事であるとか感情をみつめるスキル・塩梅のいい表現をするスキルの磨き方とか、みんなそんなもの忘れたかなかったことになっている。

 

現代人は夢も見ない。

逐一夢の内容を覚えてる人は少ない。

夢の中は無意識の世界だからシャドウと向き合う絶好の機会なのだけどな。

(寝てる時すら修験になるの、それはそれでハードなことかも)

 

【貧困】

ビッグイシューを読んでいるとこないだ書いたが、又吉のインタビューが載っていたのでそれを読んだ。

bigissue-online.jp

又吉は火花を書いたあと、風呂なしの部屋に住む貧乏暮らしについて「こんなことあるわけない」と言われたらしい。

あるわけない、って何の根拠があって言うているのか…ともかく読者のうちなんぼかは本気で又吉が書いた貧しさを信じていないようだ。

 

私は又吉より年下だが、大阪においてそういった暮らしがあるのはさもありなん、という感じだ。

アンミカだって昔は実家がとんでもない貧乏で一家5人くらいが雑魚寝、みたいなエピソードを話していたが、ああいうのを「盛ってる」と考えてる人はいるんやなあ。

 

生活保護をもらう、または生活保護もらうのがプライドで我慢ならんという人は歯を食いしばって文字通り骨身を惜しまず身体を消費して、貧乏暮らしする。

そういった人々の存在が嘘松扱いされるという現象について、「明日食べるパンがなかったらどうしよう」と恐れていた小学生の頃の自分が許さんわ、と過去から怒ってる。今の自分はそれを静かに聞く。

実際存在しとる貧困をみとめられん人が同じ口で「本当に生活保護をもらうべき人」を論じてるんだろ〜な〜!

 

私は生家に自分の部屋がありませんでした。

なかったけど同級生の中ではマシな境遇だった、それだけ言うておく。

 

【愛の話】

私は春から今日に至るまでうちのめされている。

魔女狩りにおうた気持ち。

 

私が去年からとりかかったことは24世紀の裁判所でも裁けない。ことさら人に説明し啓蒙し理解を深めん、ということもしない。新しいことしたら時々はウザいこと言われるんやろな、とは思ってた。

しっかし、「そこまで言わんでええやろ」というレベルでうちのめしにくる人の多いこと多いこと。

 

うちのめす、というのは何故やるんだろう。

アンタ意味わからんことしてる、と言うのはわかる。

でも、「最初から上手くいくわけない」「判断能力がおかしい」などなど、モーレツに、そこまで否定しなくていいだろってくらい言われる。(ここに書くのは控えるが言われた瞬間にこの人出るとこ出たら処罰できるな、ということさえあった)

誰かに危害を加えたわけでもないのに頭のおかしいキチガイ扱いされ、そんなん言われたら誰だって傷つきまへん?という激しい言葉を投げかけられる。

 

そういうことをしたらあなたが苦しい目に遭うよ、という注意ですらなく…

 

多様性という概念が良いものとして世の中に定着したって、「一般」からかけはなれるものは当事者が合理を考えて選択したことであったとしても叩かれる。ボコボコに。この私が半年以上経ても傷ついてるくらいに。

 

私の他の当事者はマイノリティ男性であったが、私がされたような中傷には(多分)遭ってない。

かたやぶりがカッコいいとされてもむこう半世紀「おもしれー女」には幸福はやってこないと以前書いたけれど、

闘病記30/「おもしれー女」とは言うけれど - 焦げた後に湿った生活

闘病記31/「おもしれー女」とは言うけれど 2 - 焦げた後に湿った生活

ほんまアンタさんに迷惑かけてへんのに何故にそこまで攻撃性を発揮するのか、と疑問を抱くくらいのことをされるんですよ!と愚痴りたくなったから記しておく。

なんというか私が善性を持ってるか持ってないかに関わらず、とにかく雷や氷柱のような言葉をバシバシと投げても構わない、という人間は相当数いた。

 

そんな中傷を受けて傷ついてるとき、そういう目におうてるというのは話さなかったが、お師匠は反応がやさしかった。私がなんか「一般」からかけ離れてることをしてもまじめにとりあうし、結果的にうまくいかなくてもいたわってくれる。

元夫もちょっと経ってから思い切って電話してみたらまじめでやさしかった。結婚して共棲みしてるあいだは距離が近すぎてお互い傷つけあったけど、距離が離れてからかえっていたわりができるようになった。

 

「これ誕生日にほしーなー」と何の気なしにつぶやいた、いざという時窓ガラス割れる扇子に対して「予算オーバーや!」とお師匠から連絡がきた時、中傷されてる渦中で沁み入ったやさしさを思い出した。

 

私は狂ってる、破滅型としてみなされているけど誕生日には致死量の愛とアクセサリーがほしい凡な人間。服・カバン・アクセサリーと致死量の愛以外欲しいモンある? 私はない。

けれども何気ない独り言を覚えていて買ってあげようかな、と検討してくれたのはとても嬉しくて幸せな気持ちになった。

 

キチガイ扱いされ異教徒のように石を投げられても私は愛の話をする。

愛のほうが強くてただしくて人間をエエ方向に押し上げるか善に留める、と思っているため。