焦げた後に湿った生活

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えろともだち

イライラするとクジラックスや朝凪を読む傾向にあるがなぜだかわからない。
特に朝凪は露骨な女性蔑視(と女性崇拝)があけすけでイヤになることさえあるのに、どうしてかやりきれない状態におちいると読みたくなる。薬物と快楽堕ちが好きだからというのもあるだろうがやはりあの作風を求めている。
理不尽さへの現実逃避に理不尽なストーリーのエロ漫画を選択するのはどういうことだろう?

町田ひらくを貸してくれた人に「これを読んであなたはいたぶられる少女といたぶる男のどちらに感情移入するのか」と聞いた。無論私はいたぶられる少女の方だ。その人は作品によって変わると答えたが、「男の情けなさみたいなものを楽しむために読んでいるフシがある」と言ったのがおもしろかった。

なるほどエロ漫画の加虐者はだいたい情けない。朝凪の作品でもクジラックスの作品でもそうだ。前者は女に神性を押し付けるオールドな身勝手さで、後者は自己にとじこもるか暴力による一時の連帯しかできないコミュニケーション不全者だ。そもそも性的な欲望を制御できないという情けなさもある。なんせエロ漫画だし。

以前「どれだけムカつく奴がいてもそいつがイッている時の顔を想像するとブチギレそうになるのを抑えられる」と言った友人がいた。私にもそういう傾向はある。キモくてムカつくおっさんに絡まれてる時でも「でもこいつにもチンコあるんだよなあ」と考えるととたんにバカバカしくなってしまうのだ。バカバカしいとは軽蔑と哀れみである。欲に左右される器官を所持していることと、そんなものをぶらさげている者がわめいている状況の滑稽さ。
そこには人間のバカバカしさを性に収束して嘲笑うことで自分へ向かう理不尽な攻撃を無力化したいという力学が働いている。

私がイライラすると朝凪やクジラックスを読むのも同じことなのかもしれない。私は多分、暴力的なエロ漫画を通じて男の身勝手さを逆に消費しているのだと思う。被虐者が快楽堕ちしていく過程で興奮しながらついでに加虐者の滑稽さを無意識にせせら笑ってきたのだろう。
性が加虐者と被虐者を転換させ、倒錯的な構造が発生するというへんな現象がおこっている。
まあふだんそんな小難しいこと考えながらエロ漫画読んでないけどね。





あとはロマンティック・ラブ・イデオロギーに即した作品だとフェミニズム的にアラが目立つのでかえって薬物・快楽堕ちのほうがよいという人がいた。加虐者が悪いに決まっているし思いっきりファンタジーなので安心して読めるということだろうか。