焦げた後に湿った生活

このブログは投げ銭制です。投げ銭先⇒「このブログについて」

能動的最先端

先日男と別れたので自由恋愛に戻った。
たった2ヶ月コンツェルン化しただけなので自由恋愛の神は私をゆるして出戻らせてくれるわ、なんせここ数年ずっとうまくやってきたのだから、と思った。

慣れた世界に戻ったはずだが世界の見え方は違っていた。久々に連絡したボーイフレンドは概ねみんなやさしかった。モテる男はやさしい。傷ついたことを察して癒えるまで好きなだけ頼ればよいと示してくれた。なぜ説明しなくてもわかるのかとたずねると、「君みたいな普段ちゃんとしてるひとに何かあったならわかるしそりゃ心配するよ」とのことだった。
いくらフリースタイルとはいえヨソの男の話なんて聞いて不愉快なことはあっても機嫌がよくなることはないだろうに、とてもありがたかった。

ありがたみの感じ方がちがう。並の感じ方ではなくてひしひしと感じる。
己の空虚を見ないようにするために女を利用するタイプの阿部薫系男子にあたってしまったが、かなりのMPは奪われたもののコアが破壊されていないので大丈夫だ、と思いたい。
私のコアは別れてからわかった。みんながお前はいいヤツだからこんなことで苦しむなと言ってくれるしボーイフレンドがやさしいのは今まで彼らをないがしろにすることがなかったからだ。情けは人のためならずというが相手を大事にしているからいざというとき自分も大事にされる。私は遊び人だが遊び人なりの仁義をとおしている、というか仁義をとおせるような性格だから遊び人でうまくやっていけていたのだろう。
仁義とは人と人との間に発生するものであり、低レベルな遊び人はこれができない。遊び人は内部構造が砂漠であってはいけない。砂漠の乾きに耐えられないからどこかから水分をぶんどって一時しのぎするようでは粋ではない。相手を搾取しなければちゃんと粋でなさけのあるボーイフレンドが残るのだ。


私の他にバタバタと何人か別れていた。しかも長年の友人が多い。昔からの友人が家に来て、女と別れたというのでへえーあんたもと聞くとミョーに自分の話と合致するところがあった。
数年、自由恋愛の徒として聖者になろうと修羅の道を歩んできたひとって、同じような運命たどるのかしら?


我々はインチキ自己肯定に恋愛を利用しない。かといって恋愛に救いをもとめずにいて、これからどうなるのか?歴戦の猛者同士話しているとそんなトピックになった。


どうなるかなんて、わからない。我々はオルタナなのだから!そのへんの空虚ヤリチンとは一線を画しているのだから。最先端をいって、成果はあとからしか見えない。ロールモデルなどないから、よくよく不粋にせぬよう心がけなければならぬ。修羅の道である。それでも我々が誇りを失わないかぎり、およそ人間というものをナメないかぎり、自由恋愛の神は我々に微笑む、のだと信じている。自由恋愛の神の眷属の遊びはまだまだこれからだもの。