焦げた後に湿った生活

このブログは投げ銭制です。投げ銭先⇒「このブログについて」

no choice! (日常における外国人(+女性)差別)

非常に不愉快な目に遭った。
役所で、全く同じ手続きにも関わらず日本人男性には何も提出物がなく、私には求められる事態が発生した。


もともと提出物がいるような手続きではないのに、私には提出せい、と言うのだ。

ことわっておくが私は特別永住者在日コリアンであり、やりとりも書類も全て日本語で行われている。

 

だいぶ時間に余裕を持って行ったが、まず「提出物がなくても登録情報を確認できるかどうか調べます」と待たされ、トータル2時間かかった。

 

公的な登録情報、他府県での登録とはいえ役所で受理・登録したものが調べられないはずがない。

「何故提出物が必要なのでしょうか。職員ならば照会できるでしょう」と疑問を口にすると、やはり照会できるもので、提出物なんか必要なかった。

 

提出物はとあるもののうつしでよいと言うので、家にあるやつの写メを見せたら、「画像はダメ」と言う。

必要ない提出物のうつしがよくて、画像がダメな理屈があるかッ!

 

また、私の名字が結婚前/後で変わってないから、時々勝手に「内縁の妻」にされる。

 

これは役所関係に限らないことだが、「何故名字が結婚前と後で変わっていないのですか? 内縁の妻ですか?」と言われるのだ。

ひどい時は「結婚していないならば2016年に遡って書類を書き直してください」と。

 

外国人である私は日本国内で誰と結婚しようが名字を変える必要はない。

サイボウズの社長が夫婦別姓を求める裁判で、"日本人と外国人だと戸籍法で同姓か別姓か選べるのに日本人同士に認められないのはおかしい"と根拠を述べたのは有名だ。

https://www.asahi.com/articles/ASP6X61YCP6XUTIL04L.html

 

だけど、色んな人、ほんと〜に色んな人が良くて「事実婚ですか?」、最悪、結婚の事実がない扱いをしてくる。

こんなにも世間のアップデートが遅れていればサイボウズの社長も残念ながら敗訴するだろう。(まことに残念だ)

 

私は2016年に1度結婚しており婚姻届を提出している。
婚姻の証明となるものなんて常に持ち歩くものではない。

私には戸籍がないものの、元夫の戸籍謄本には私のことが記されている。

だからといって、彼の戸籍謄本をわざわざコピーして持ち歩く、なんてナンセンスすぎる。

 

でも、今回役所は、そういうナンセンスなことをせいと平気で求めてきたのだ。

お手数をかけて申し訳ないという雰囲気もなかった。


人生で婚姻の証明を求められたことなんて、せいぜい、勤め先から「結婚したら特別休暇を付与するので(証明になるものを)出してくれ」と言われた程度だ。

 

内縁の妻という古臭い表現を平気で使うのにも驚いた。
内々で使うならともかく、仕事で使う表現ではない。

 

世帯主についても、法的には扶養がないのであれば誰がなってもいいものなのに、「どちらの方が世帯主になりますか?」と聞かれず勝手に夫が世帯主とされることがままあった。

日本人男性と外国人女性ならば、自動的に前者が世帯主だと思い込まれている。

こだわりはないけれど、お前はno choice(©️増村十七/バクちゃん)だとされるのは立腹だ。

 

※バクちゃんは素晴らしい漫画なので皆さん是非読んでください

https://www.kadokawa.co.jp/product/322001000445/

 

それから、「外国籍お断り」物件も増えている…私が初めて実家を出て物件を探した時より、ずっと、増えている。

チョイスがだんだん、平気な顔で、減らされていく。

 

全ての人にあるはずの住む権利だが、我々外国人は奪われつつある。

 

憲法違反のオーナーなんて全員逮捕されればいい。

現実的には、憲法に違反してヘイトスピーチをしても逮捕できる法律はない…

 

 

結局、2時間もかかったのに手続きは完了せず後日また役所に行くハメになった。

 

外国人差別をするのは、いい加減にしてくれませんか!

闘病記105

年齢を重ねて良かったと思うのは、昔よりずっと身体が自分にフィットしていることだ。

 

私は元カレと会っても「同級生の体型が崩れていくなか、昔と見た目が変わらないままだ」と言われるように、18,19の時のままの細さである。

ずーっと痩せてて、長年やってた水泳を辞めたらちょっとふっくらしたけれども、また痩せて以降そのまんまである。

 

今でこそ元カレに細さを褒められたり、人から白魚のような指と称えられたりするけれど、小学生の頃は細すぎて悪目立ちした。

絵の上手い幼馴染が「クラスメイトの絵を描く」という授業で私をモデルにしたが、彼女が私をリアルに描いたら指や手首が細すぎてちっとも小学生らしくないというのがあらためてわかって、「早く大人にならないかなあ」と感じたものである。

 

それに、高校生大学生の時分はアクセサリーを買ったりもらったりしても、アクセサリーがぶかんぶかんで全然似合わなかった。アクセサリーだけ浮いた。

 

今、ポロ・ラルフローレンのクラシックなレザーとシルバーのブレスレットを身につけているけれど、これだって大昔に姉から譲ってもらって当時は全然似合わずにしまっていたものである。

30才くらいになってようやく「痩せているお姉さんがOLらしい格好をする」というファッションが似合う年頃になったので、ポロ・ラルフローレンのブレスレットもファッションを含めた全体の雰囲気に馴染んだ。

 

細く長すぎると学生服もキッズ・ティーンのおしゃれ着も滅多に似合わないんだ、というのが10何年と続いたけれど、シックないでたちが年相応になったら細長く薄い身体が長所になった。

 

長かった。長かったが、「いつかは終わる」と服やアクセサリーが浮くたびに思っていた気がする。

<いつか>が終わったから、タイトニットを着て浮かばれるのがあと何十年かは続きそうだ。

 

 

あまり昔と変わらないけれど、箱のまましまっていても室内保存ならモノがちょっとずつ劣化していくように、静かに変化した部分もある。

 

肌がそう。

ティーンエイジャーだった自分は「日焼け止め塗るのめんどくさい、塗らなくても大したことない」と、水泳部だったくせに日焼け止めをしていなかった。

他の部員が見かねたのかアネッサを「使ってみな」と貸してくれたが…

そんで今、しっかり日光が当たってた方の頬にシミが出来た。

シミの他、乾燥に負けて目の下にうっすらとしたシワもある。

 

ものぐさ、でしたなあ…

 

惰眠を貪り、香を焚いて、風呂に浸かり風呂上がりにはスキンケアをしっかり施し、多少のストレッチ・美容体操をする。

 

美容体操は顔が小さくなるのと足が細くなる効果のやつを主にやっているが、恐ろしいことにあの細すぎて小学生らしくなかった時代、「自分は顔がデカくて太ももが太い」と信じ込んでいたのでやるようになったものだ。

知り合いの誰も太いなんて言わないのに、平成のルッキズムの直下にいて(姉が美人だったのもあり)自分の姿がそう見えていた。

 

それも今は昔で…現在は単に習慣として残っている。

やった方が身体にいいし朝なんか目も覚めるので続けている。

 

連綿と続くものと変化するものがあり、概ね良い方向のものが多めに続いて、縦のアンチだが気分だけはしゃなりしゃなりとセルフケアしている。

 

幼稚園児の自分は将来の夢を聞かれた時、誰にも本当のことを言わなかった。

「紫色の大きなバイク(近所のバイク屋に紫のカラーが入ったのが売っていた)に乗って首都高を走る」

「バーに1人で行く」

これらを自分のお金でやりたい、と思っていた。

(表向きには適当に職業を挙げてかわしていた、将来の夢なんか聞く大人は子どもらしい内容しか耳に入れないと感じたから)

 

体も心もだましだましだけど働き続けてお金は稼げるようになったよ、バイクは「ま〜私は運転というものに対して全面的に才能がないわ」と早いうちに悟ったから免許取ってないけれど、毎年誕生日には1人でバーで過ごす時間を取ってるし、そうでなくても縦になって好きなカクテルを飲みに行くことくらいは容易に出来る、なんなら頼まなくても奢ってくれる人もいる、アンタが思ってるよりずっと好きなことを出来る人生だわ、と小さい頃の自分に教えてあげたい。

 

人財もキモいが地頭もキモい

他人から自分へ使われる分にはいいが、自分で自分に使うと一気に「あかんやろ」となる言葉がある。

 

例えば、「いい男/女」。

他人から「アンタはいい男やなぁ」と言われるのは何ら問題はない。

自分で「俺はいい男だ」と言った瞬間に、とてつもなくナルシストになってしまう。

 

いつから流行って定着したのか忘れたが、「人財」という表現も自分で使った瞬間にキモくなるものだと思う。

 

「おたくさんの会社はほんまえぇ従業員揃ってまンな、なかなかないだっせ。さしずめ人"財"ちゅうとこやな」と他者に褒められる分にはいいだろう。

よそから褒められるのではなく人財を自社で使ったならば、なんともいえん胡散くささ、寒々しさ、トンカチで割りたいような何かが急に出てくる。

 

人財というワードをSNSやHPで使った企業はことごとく嘲われネタにされてきた。

嘲笑の的となったのはおそらく、未だに労働者というものがヒサンな状況で搾取されまくってるにも関わらず財産扱いされているのを、皆が無意識に嗅ぎ取っているからだ。

 

財産扱いの問題は2つあり、

・人間をモノ扱いしてること

・財産というからにはそれなりの良い待遇を与えられて然るべきなのに、多くの現場でそうはなってない

財産と呼ぶわりには大事にしていない。それなのに人財という表現を使いたがるのは何故だろう。とにかく、薄っぺらいウソを見破った人々が嘲笑した。

 

嘲笑になるのは、インチキめいた言葉を指摘したところで簡単に現実が変わるわけではないからだ。

ゼロ年代に指摘されたことだが、現実(ベタ)はネタにされる傾向がある。

いちいちグロい現実に向き合っていると人は壊れる。自力で変えることが難しいことならばなおさら。

 

人財がひとしきり嘲われた後は地頭という言葉がビジネスの場に登場した。

地頭自体は昔からあった。小学生くらいの時に使っていた気がする。

 

標準的な使い方としては、「オマエ学校の成績は良ォないけど何をするにも飲み込み早いなぁ、地頭ええんやなあ」といった感じだ。

学校のテストではなかなか測れない頭の良さを指す。

一緒にはじめた子より将棋が上手くなるのが早いとか、ゲームをしていてどういう行動を避けたら負けないかをサッと捉えられるとか、何かキラッと光るものがある時。

ものづくりやゲームなんかで、人より飲み込みが早くて適正があるなぁって子に褒め言葉で使うものだった。

 

もしくは、学校のテストに全くやる気を出せず成績自体は無惨なものの、周りから見て「こいつは本気出してないだけ」という場合。

「地頭はいいのに…」

(このケースを観測することは少なかったが、「ポテンシャルはあるが発揮しきれていない」=「地頭はいいのに…」というのは地頭の最も正しい使い方であると思う。

地=元々のポテンシャルやスペック だとよくわかる使い方だ)

 

で、コンサル界隈などで地頭という言葉が使われるようになった。

あいつは地頭が良いと褒める方向ではなく、「皆さん、地頭を鍛えよう」という努力目標として使われはじめた。

地頭力なんて言葉も登場した。

 

地頭力というのは初めて聞いた時もウソみたいな言葉だと感じたが、今でも「こんな言葉は存在してなくていい」と私は信じている。

前述のように地頭の地は元々のポテンシャルというニュアンスだったのだから、それに力がつくというのは一種の粉飾だ。

 

元々の種族値みたいなものを良くするというのは壮大なウソである。

後天的な努力でどうにかなるものでなく、先天的に備わってる値を増やしましょうと言ってるのと同じである。

努力や工夫をしてガブリアス抜き調整をすることは出来ても、種族値S102未満をガブリアスより上にすることは永久に不可能だ。(あなたは綺麗になることや野球が上手くなることは出来るが、指紋や身長を変えることは出来ない)

なのに、地頭を良くしようとか地頭力を鍛えようとかいうのは、不可能を可能に出来ること前提で話をしている。

 

いや、地頭力なんて言葉を使う人はその前提を無視して地頭という概念を都合よくすり替えているのだ。

 

「努力して地頭が良くなりました」「地頭力を鍛えてビジネスパーソンとして実績を残しました」なんて本気で言う人はいない。

いたとしたら言葉のセンスがなさすぎるかドがつく阿呆である。

 

それでも、地頭という概念をビジネスに持ち込み努力目標にする企業や人は存在する。大マジのマジで。

 

私は人財と同じくらいかそれ以上に地頭という言葉はキモいと思っている。

他人からの褒め言葉でなく自分で使ったらあかんやろという言葉を平気で努力目標にするのはイカれた行いなのに、今んとこ使ってる企業や人はキモさを無視して使い続けている。

 

思うに、2030年問題になってるほど労働力が足りなくなるような人材不足のなか、個人のポテンシャルを粉飾したいという力学がはたらいている。

エースバーンだろうがハバタクカミだろうが等しく種族値は変えられないのだが。

「努力して立派なビジネスパーソンになりましょう」「会社の売上に貢献しましょう」ではカバーできない何かが日本のビジネスには横たわっていて、ポテンシャル偽装に等しい行為をさせたがるのか。

 

また、ビジネス地頭概念がキモい理由はもう一つあり、ポジティブを無理やりに引き出しているからだ。

どうしたって変わらないことは変えられないのを、個々人に変えろと説くからだ。

 

以前「努力報われる社会へ」と演説している政治家に対し、思わず素で「努力で報われることの方が少ねぇだろ」と毒づいてしまったことがある。

例えば恋愛は努力でどうにもならないことの方が多いし、スラム生まれ故努力してより良い位置に行くというのは運の要素がかなり高いというのを身をもって知っているため、努力したら報われて然るべきというのは何ともピュアなことで…と思ってしまうのだ。

 

あれはたまたまピュアでポジティブなままでいられる立場のくせに、他者にも当たり前のように努力はしたらしただけ回収できるていで演説してるのが私にとって我慢ならないことなのだった。

ビジネス地頭概念が我慢ならないのは、「努力報われる社会へ」と同じように、どうにもならないことをどうにかできるとして他者へ刷り込みをしているからというのが強い。

何故どうにもできないことはそのままに、それはそれとして、という感じにならないのか不思議だ。

 

「会社としては、従業員がだらだら月給をもらうためだけの労働しかしないというスタンスでは許せないのだ。会社が目標未達にならないためには◯万円必要で、そのためには個人の売上を前年度より×%増加してくれ」と言ってくれた方が、地頭概念を持ち出されるより余程好感が持てる。

 

 

プランクトン・マナクは失望している

流行り病がおこり登校できなくなってしまった。

プライベートで友達と会うことも禁じられて、家にこもっているしかなくなった。

一日になんべんか、学校から一斉送信で宿題やお知らせの類が届く。

 

そのようにして過ごしているうち、学校のメールには奇妙な現象が記載されるようになった。

奇妙な、というのは、怪我をした生徒の情報が流れてくるようになったのだ。

奇妙なメールが来る頻度は徐々に高くなっている。

 

私の友達とのグループLINEでもこの話題があがっている。

全員勘はにぶくなかったのでお互い言葉にせずとも、<怪我>に対して「なんだかへんだな」という気持ちは持っていたみたいだ。

 

友達は一郎と洋次と誠との四人組だ。

二年三組の中で気の合う連中と自然につるむようになったのだった。

 

一郎は高校生ながらも犯罪防止活動をしていて、洋次も「自分は嫌な子ども時代を過ごしたから、子どものために何かしたい」とボランティアをやっている。

誠と私は常々音楽なんかの話をしていて、熱中していたら一郎も洋次も居る時は混じる、という感じだ。

時間が取れる時はバイクでラーメン屋に出かけたり、そうでなくても学校の屋上で授業をふけて煙草を吸ったりしていた。パンデミックになる前は。

 

学校に行けなくなってから、サボりはしていたくせにかえって学校のことを思い出す。昼休みのざわつきとか屋上の風のこととかも。


パンデミック前、私は毎日弁当を作っていた。

両親は宗教活動で大体いないので、自炊は毎日している。

弁当には好物の卵焼きを必ず入れ、あとは前日のおかずの残りなんか詰めている。


ある日、誠が弁当を覗き込んできて、「美味そうやな」と言ったのでおかず交換してやることにした。

メニューは、卵焼きに加え、冬瓜とそぼろの煮込み、醤油蒸ししめじ。


そのやりとりを見ていた女の子がいた。

(誠や一郎のファンは、昼休みになると時々現れる)


「やっぱり私も、これくらい出来ないとダメですよね?! 誠さんの愛妻弁当、作りたいもん」

「いやいや、ただの友達同士の弁当交換やがな、愛妻弁当て!」と誠は笑った。

私も食事してるだけなのになと内心思いつつ、誠に同調し流した。

 

今、家で一人洗い物なんかしてるとその光景を思い出す。

趣味はあるしパンデミックでもそれなりに過ごせる方だ。

パニックになっている人も多いと聞くが、もともと親がほぼ家にいなかったし。

パンデミック時だからこそ響く音楽をチョイスしてプレイリストを作り、グループLINEでシェアしている。

学校でしていた音楽の話の延長線だ。

 

でも食事については、流石にそろそろ友達と食べたいという気分になる。

 

私は自分一人のためだけに料理をするのは億劫だが、誰かのために用意するのは苦じゃない。宗教活動のない日に親が帰って来る時は、多少気合を入れて作る。

毎日早朝に出て何時に帰るのかわからないから、私は宗教活動についていけない。

集会に連れて行かれたこともあるが、信者のエピソードトークや「色んな人がいて世界が回っている」「違いがあるからこそ人は云々」みたいな、ふわっとした説法ばかりで退屈だった。

私にはピンと来ない教義や理念のために毎日勤しむ両親も、帰宅してご飯があるとまるで信仰がかなったかのように嬉しそうだった。

 

部屋を整えるのもトイレ風呂の掃除も面倒だが、自分以外やる人間がいないからやっている。

友達が来るなら面倒さはちょっと減って楽しみの方が勝つだろう。

パンデミックじゃなかったら皆を家に呼ぶ選択肢もあったけど、無理なものは無理だ。


炊事家事のたぐいはこのように嫌いではないのだが、親は私が家事をするのは当然のようにふるまっているのは引っかかったし、家庭科の授業では結構注意された。

刺繍の出来があまりにも酷かったからだが、他にも下手な男子はいたけれど、教師は私にだけ「諦め半分、期待半分」みたいな目を向けた。


「もっと丁寧に綺麗に出来るよ、な?」

そう言って、やり直しを命じた。

 

刺繍を丁寧に仕上げられるビジョンが全く湧かず、クラスで一番上手な子に頼んで、五百円払ってやってもらった。

私だけがやり直しさせられたことについて、一郎は静かに怒っていて「教師というものは信用できない」と言い放ってたし、他の二人もなんだあいつはとぷりぷりしていた。

 

刺繍の件の後、一郎と一緒に屋上に行って喫煙した。

一郎とは刺繍のことではなく、とりとめのない話をしたが夕方の屋上のちょうどいい気温と風が良かった。

私は面倒くさがって教師へ感情を表に出さなかったけど、(親には放置されている、でも友人に恵まれてる)といつものメンツに感謝した。

 

 

パンデミック後はその"いつものメンツ"と対面で会うことはできないけれども、グループLINEは毎日している。

一日中ずっとではないが、一人一回二回は必ず発言しているんじゃないか。

一郎があまりファンの女子への返信をしないから最初はからかっていたが、やはり自然にあの話題になる。

 

「家にこもる日々なのに、何故こんなに怪我する人が多いのか?」という当然の疑問が沸き上がった。

頻繁に怪我の知らせがくるので多くの生徒が異変と感じ取っていた。

我々も、好きな音楽の話や今日あった話をするだけではなく<怪我>についても推理するようになった。

まず、DIYや格闘技が流行っているわけでもないのに次々<怪我>をする者がこう連続して現れるわけないだろう、と私が言った。

皆もそうだなとか外に出ないから交通事故もないしとか返したが、では何故<怪我>が連続するのかは当然わからない。

 

他の同級生とのLINEでも、あの学校からくる告知のことが語られる。

「昨日腕に傷を作ったのは二組の委員長らしい」といったように。

いつも告知では生徒の氏名は伏せられていたが、まあ知り合いの誰かから情報は来るものだ。

ある者は切り傷、ある者は骨折といった噂が毎日流れる。

 

一郎が「学校から来るメールはいつも同じ文面だな」と言った。

言外に、「またか…」というのが滲んでいる。

洋次はまだボランティアに行けているらしい。園が完全に閉まるわけじゃなかったから、今のところ、それだけが以前と変わってない。

 

 

地味に、静かに、日々が狂っていった。

だんだん<怪我>を負うものが増えている。

隠されているものの、<怪我>というのは自傷なのだと噂されるようになり、一方で回復した生徒がいるとは聞かないし、実際学校からそういった連絡はない。

 

LINEでは誠が「怪我ってなんなんだよ、自傷? それ皆がやってんの?」と打った。

何人もの人間が自らを<怪我>させ、戻ってこない。

これは匂うぞと一郎も送ってきた。

取り返しのつかないことが無差別に、無慈悲に降りかかっているんじゃあないかと私は思ったがそれは送れなかった。

取り返しのつかなさが顕著にあらわれたのは洋次の時だった。

 

ある日の十六時頃、例の告知が来た。

三組の男子生徒が指を怪我したというアナウンスが来た後、「当該男子は洋次で、指を自分で切り落とした」というのをすんなりと他の同級生が話した。

 

「はぁ?」と思ったがその日から洋次の連絡が途絶えたため、我ら三人も共通認識とせざるを得なかった。

残りの二人とLINEした。

「ありえねえ」

「洋次が自分で指を切るなんて」

「幼稚園で働いてるのに」

 

何かある、という直感はほぼ確信となった。

沢山の生徒が自身を傷つける行為をしているが、隠されているのは学校が恣意的にやっているのだろうと話した。

原因はウェルテル効果でもなんでもいいが、起こったことを隠しているのには不信感があった。

 

しかし、どうして洋次が自分の指を切り落としたのかはわからない。

またもや噂で「指を切り落とした日、洋次が親に怒鳴っていたのを聞いた」とか「鏡に血がついていて顔を何度もぶつけた形跡があった」とか情報が入ってきたが、洋次は高校入学前に虐待する親から逃げているはずだし、不可解だった。

鏡に何度も顔をぶつけるとはどんな状況だったらやるのか…激情に駆られたのであろうが、どこまでも想像でしかない。

話しても暗い方向にしかいかないとわかっていたので、誰からともなく適当なタイミングで話を切り上げた。

 

しばらく経った日の夜、夕餉と風呂を済ませたあと、ふすまの前でぼーっとしていた。

すると、ふすまに映った影がぬるぬると動いて変化した。

影は動き続け、歌舞伎役者のこども、というような風体の和装の美しい男児に成った。

 

影の男児はふすま上を自由自在に舞った。

六才くらいの男児であろうが、その者の眼光はしっかりしているし動きは普段の練習を想起させ華麗に舞っていた。

何より舞は愉しそうだった。

 

舞を見ていると、「彼にはそれが許されていますが、あなたはそうではありません」と声が聞こえた。

まるで週刊誌の次のページをめくったようなトーンで。

 

声を耳にした瞬間殆ど自動的な怒りが身を支配し私はふすまを殴った。

殴っても影は消えなかった。

殴るたびに男児の影は、小さな女児が動くさまに一瞬変わる。またすぐに男児に戻り、一向に現象は止まない。

 

私は気づいた。

一瞬映る女児が、自分の影であることに。

影を殴るたびに自分の内臓が熱を持った。高校生の力で幼児を殴った分の暴力がそのまま自分に返ってくる。

けれども殴ることを止められず、いずれふすまは壊れるだろうがふすまが壊れても今度は別のものを殴るし、家のものを順番に破壊していくなかで自分の右手が壊れることだろうと思った。

 

あの声のせいで、自分が昔から持っていた恨みと怒りを喚起されたことに勘付いた。

勘付いたけども止まらない。

恨みと怒りはしっかり私の内部に根付いていて、(こうやって皆自分を壊していったんだ、洋次も自分の弱い部分を攻撃されてこうなったんだ)と思考をしつつも、私の意思とは無関係に自動的に右手が動いた。動き続けた。

(洋次もきっと声に抗えなかった、オマエ、親の姿にさせられたんだろう! 自分のままで)

 

「ああ、自分も明日には右手を<怪我>したって告知をされる」と考えた時、背が低くて善良そうな、眼鏡をかけている老女が私を止めにきた。

 

老女は「おばあちゃんびっくりしたがな! ◯◯ちゃん(私の名前だ)止めなさい、手ェが痛むよ」などと言っていた。

 

この丸っこい眼鏡の「祖母」が本物の祖母であるはずはない。私の血縁者は皆々高身長でイカつい風貌だからだ。写真で見た生前の姿と違いすぎる。

 

それでも、「オバアチャン」と、私は口にしてしまった。

「祖母」が私の腫れた右手を持ち、痛ましそうにして、この子が可哀想、こんなに愛しい孫なのに不憫だ…という顔をしたので。

 

そして、「祖母」はある言葉を口にした。

それは言ってはいけない一言だった。

 

所詮偽物の言うことだ、と斬って捨てることはできなくて殺意が閃光のように生まれた。

彼女が、私に対して「女の子なんだから…」と述べたから。

 

腕を振りほどき、「消えろ」と強く念じたら即座に殺意は達成された。

 

一気に傷が噴出して、人ではないものの殺害まで致した。

露わとなった怒りにかえって呆然としていたところ、「祖母」と入れ替わりに両親が来た。此方は本物だった。

両親は宗教活動に時間を取られ普段は留守にしていたが、子の危機を本能で察したのかもしれない。

あるいは一晩だけ信心の成果が出たのか。

 

「ママ…私"女の子"やった」

 

私はようやく理解した。

友達がフラットに扱っていてくれたから、忘れてしまうほどに性別を意識しなかったのだ。

だが、「祖母」やあの声…「彼にはそれが許されていますがあなたはそうではありません」に、私はずっと傷つけられてもいた。

 

今日初めて聞いたんじゃない、<怪我>は再生されたものだ。

生徒たちは過去や日常の傷を強制的に再生させられ壊れていったのだ。

 

これは呪いだ、パンデミックの形をしているだけの呪いだ。

 

「どうしたん、こんなんなって」

母が心配そうに聞く。

 

「皆自分を傷つけるようになったんや。洋次も自分の指を…」

「洋次くんて仲良かった子ォちゃうんか」

父が私の友達関係を思い出しながら質問する。

 

「そうや、友達や。ちょっとふっくらした、幼稚園でボランティアしてた子や」

 

洋次はひとめ見ただけなら不良と思われそうな見た目で、つり目のどっしり体型だった。

でも、人となりを知れば、彼が幼稚園で働くのは極めて自然なことだと皆得心するような子だ。

 

「ずっと縛られてた、今思い出した、このままやとまたやってしまうわ、影は消えへんもん」

 

どういう理屈かは知らないが確かに学校がこれを隠していたことは変なことではない、と思った。

だっておとなしい個が集まって成立する性質のものだから、「感染」したものは学校の性質にそぐわない。

抑圧されたことに対して人はこんなにも激しく反応するのだから。

 

「〇〇ちゃん、聞きや。プランクトン・マナクなんよ」

「え?」

「あなたはプランクトン・マナクなの」

 

母が言い出したフレーズは初めて聞いたものだった。

 

「それ、なに? プランクトンはわかるけど。マナクたらなんや、全然知らんえ」

プランクトン・マナクは他の個体と違うということが、種のためになるの。生物多様性ってあるでしょう。あれは生きもんに必要なもんなんや、プランクトン・マナクはそれを担保してくれるんよ」

 

なんじゃ、そりゃ。

 

「いやや、私がプランクトン・マナク? 生物多様性のために存在許されてるん? そんなん…他の生きもんのための人質やんか」

「〇〇ちゃん、聞きなさい。プランクトン・マナクにはまだあるねん。プランクトン・マナクが存在してるとな、後の生物が続いていけるんや」

 

母の説明はやや茫漠としていたが言わんとしていることはわかった。

 

プランクトン・マナクの後には進化の可能性が残されているってこと?」

 

母の解答が聞こえる前に両親は消えた。教義が達成されたからだろう、おそらく。

 

私は進化のために生かされているのだ。不服なのは不服だが。

おそらく身体的な進化のためではなく概念のための遺伝子キャリアーなのだ。

いつか成される何か良き変革のために、「色んな人」を担保する目的で人と違うまま生き続ける。

 

理解したと共に、深海から水面へ上がっていくみたいに、意識が醒めていった。

 

 

パンデミックは長く続かなかった。

学校や会社は再びパンデミック以前のように運用されることとなった。

 

プランクトン・マナクも高校を卒業し、大学も出て働いた。

男児の影や謎の声に指導されたわけでもないのに、半ば自動的に大企業に入ることにした。

右手が壊れる<怪我>とはならなかったものの、あの夜以来、遺伝子キャリアーならキャリアを積むべきとでもいうように、人間社会の生物としては自然な選択をするようになった。まったく冗談みたいな恐ろしい話だ。

 

一郎や誠はどうしたかって?

いるけど、いない。

洋次みたいに<怪我>をして人口、特に若者層は大幅に減ったが、政府により増やす方法が確立されたから人々は従った。

皆早々につがいを作ってせっせと子孫をこさえているから、増える方が速くなったのだ。

 

プランクトン・マナクについては…あれは一晩だけ宗教的力を得た親が世界を理解して発したものであり、多くの人に共有された言葉ではない。私一人の記憶にひっそり残った、はずだ。

生物多様性といっても、私は私のままだったし。変革を起こせるわけでもない。

 

で、ちょっと前に、会社のある男性が育児休暇を取っていたのだが、

「男が育休を取ったらどうなるものか」

「あの人、両親に子ども預けられないから仕方ないんでしょ」

と他の男性社員たちが話しているのを聞いた。

 

両親に預けるかどうかなんてその人の自由ではないか、と思った。

しかも男が育休なんか取れるわけない、叩かれる、みたいに言われていたから、頭の片隅に杭となってその会話が残った。

 

21世紀、プランクトン・マナクは失望している。

闘病記104(縦のアンチ)

最近の病状はというと、縦のアンチとでもゆーべき状態だ。

 

横になることが増えたので、縦になるのが億劫になり、外出なんてのは縦になって移動するという縦になるの一段上のアクションなのでもっとダルい。

 

縦のアンチというフレーズを思いついたのは、フォロワーが「僕は傘が嫌いなので雨が降ってもささない。甘んじて雨にうたれる」と言っていたからで、「世の中には傘のアンチがいるのか、しかし自分も傘をさすのは嫌いだな」と感銘を受けたのがもとだ。

 

春夏秋と横になり食事も面倒くさいがかってスキップすることが増え、「私はいわば縦のアンチだわ」と思った次第である。

 

幸か不幸か仕事も暇なので(えげつないセクハラがあったためいっぺん案件を離脱させてもらった)、縦のアンチを悠々している、という矛盾した生活。

 

セクハラの詳細はいわないが、私が「心の中で思うのは個人の自由だけど口に出さないでほしいものだ」と評すると、弊社の偉い人が「俺は思いもしねーよ、あいつらのようなことは! 理解できねー!」と素で怒っていた。

昭和生まれの偉い人が「昭和かよ!」とも言ってたくらいの酷さだったので、セクハラを容認していた人たちの住んでるところだけ地球滅亡したらいいと思う。

 

話を戻して、縦のアンチを自覚してからは横になることがデフォルトであるからして、

・縦になる(立つ)ことが1つのタスクであること

・そのタスクはダルい

・ダルいので、横になる(デフォルト)なら「横になる」と言わず「縦になるのを止める」と表す

こういう風に自然になった。

 

 

それから、朝晩1回ずつしていた湯浴みは夜の1回になることが多くなった。

朝のシャワーは寝癖直しの他、あまりにも朝に弱いため温めて体を目覚めさせる目的があったが、別に寝起きでエゴエゴと寝巻きのまま在宅ワークをはじめるくらいは出来るのでスキップしてもいいこととした。

私が遅刻無断欠勤をしない限りはクビにならないのだし、オンライン会議だって顔出しでやるわけじゃないから前進的な諦めをした。

 

残暑の時分は顔を洗ってスキンケアと日焼け止めを塗ることも出来ない日があったけれど、今はたいていの日出来ている。

スキンケアについてはコスメデコルテに頼った。美容部員が私の状況を案じて、ものぐさスキンケアでも肌が傷まないようにセットを考えた。肌が傷むと自尊心も傷むと彼女らは知っているのだ。

 

多分、無理に今まで通りを貫こうとしてたら冬までに快復していなかっただろう。

料理だって全然やれない時期はあったけど、ずいぶんお金をつかいはしたがウーバーやセブンナウに頼ったあと再び自炊を簡単に済ませられるようになった。

 

で、縦のアンチは人より多く縦になることを止めつつ、工夫も色々してなんとかやっていきをしてる。

もともとは月収がいくらであろうと貯金はしていたが時間と金銭の管理がうまく出来なくなったので、強制絶をすることにした。

貯金すべき額を自動的にNISAへ突っ込む設定にした。短期売り買いはもとより性格的に向いてないので手堅い銘柄を長期保有するんである。

現在、証券口座には「仮に仕事を1ヶ月休んで縦をやめ続けてもなんとかなる」金額が入っている。

 

時間の管理は月初に整体師へスケジュールを伝えている。

 

ちなみに、直近の整体ではぼーっとしてたら予約時間の20分前になってしまったので、縦のアンチとしては非常に珍奇な、「縦になったうえに疾走する」という行為をした。

 

予約時間には間に合った。

縦のアンチは50m8秒フラット、校内マラソン大会では3位以内で運動神経は悪くないからである。

 

夢の金魚

2022年頃に初めて実家以外で金魚を飼い始め、ようやく夢が止まった。

 

夢というのは定期的に、昔実家の玄関で飼っていた金魚やブルーギルが水槽も昔のままで夢に出てきて、水換えやエサやりをしなければ…と思う夢だ。

いつ頃みはじめたのかは覚えていないが随分長いこと「またこの夢…」と思っていた。

 

ブルーギルの飼育について日本では禁止されていそうだが、兄が「唐揚げにする」と釣りに行って持って帰ってきて、唐揚げにするのも手間だったのかそのままにされた。

ブルーギルは金魚やメダカよりデカい分脳みそも大きいのか、エサをくれる人間(つまり私)のことは見分けていて、帰宅すると水面まで来ておかえりを言ってくれたものだ。

玄関には空調が入っていないから秋冬は寒いし夏は暑いのだが、季節問わず私はそこにいることを好んだし魚も何故か体調を崩さなかった。

 

夢に出てくる水槽は実際に魚を入れていた虫カゴにそっくりで、そこに悲壮感はない。設備としては貧相だが。

濾過装置はなく酸素の出る石と水草を入れていただけ、空調もなしにどうして魚が生きていられたのか不思議だ。

強いていえばエサはいつも少なめにしていた。どこで知ったのかは忘れたが「エサのやりすぎは良くない」というのを実践していた。

 

実家にいた金魚もブルーギルも最期は近所のネコが知らぬ間に玄関に入ってきて食った。

ネコ相手に文句も言えず泣く泣く水槽を片付けて以来魚は飼っていない。

 

東京へ来てしばらく経ちコロナ禍もおさまった頃、お祭りの夜店が復活した。

金魚すくいに行って小赤やハネの金魚をとり、ついでに何故か混じっていたメダカももらい初めて1人で水槽を立ち上げた。

 

昔ながらの観賞魚店で一式揃えて店主が勧めた金魚用メダカ用それぞれのエサも買った。

金魚は安いと1匹100円から買えるのに、生かすためのモノの方が生体よりはるかに高いのだな、と感心したり呆れたりした。この場合の呆れるは己の道楽に対してである。

(このような観賞魚店も実家の近くにはあって幼い時分は熱心にネオンテトラ等を眺めていたのだが、もう店を畳んだと風の噂に聞いた。店のおじさんと魚とカメはどうしたんだろう)

 

それで、色々飼育したが金魚というのは難しいものですぐに腹を壊して死ぬ。

ストレスにも弱い。

実家の簡素な装置だけで3年も生きていたのは何が良かったのか。難しさを知った後では、あの玄関にいた生き物たち、犬と魚とカブトムシと幼子が何かに守られていたとしか思えん。

 

私の地元は治安が良くなく不審者もそれなりに多かった。

共働き家庭のため、帰宅したら玄関で犬と遊んだり生き物の世話をしたりするのが私の日課だった。網戸1枚を隔てただけの空間で、幼い子どもが1人で長時間親を待っているのを外から見ようと思えば見れる環境については、今から考えると恐ろしさも感じる。

それでも1人で玄関にいてつまらないと思ったことはなく、親が帰るまで寂しくもなかった。小さな友達がいたから。自分なりの小宇宙が生き物を介して作られていて、それで満足していた。

何もなかったのは、あの狭い空間に生き物を守る神や仏の類がいたのかもしれぬ。隣の町内会長は24時間365日私を守れるわけではないから見知らぬ加護はありがたいことだ。

 

話を飼育の難しさに戻すと、エサは多くても少なくてもダメ急な気温変化もダメ、よかれと思ってつけた濾過装置の音がうるさくて白点病になるという始末で、個体ごとの性格もあり本当に難しい。

 

金魚に性格はあるというと人に驚かれるが、去年飼っていたコメットなど気位が高くて気に入った音や声しか耳に入れたくないというやつだった。

私が帰ってきて部屋のあかりをつけると怒る。

急に明るくするな、足音を立てるなと。

気に入った音はオンライン会議で客先のおじさんの1人が出す声くらいで、会議でその人が発言するとご機嫌で近寄ってきた。

面白くて好きだったが人間でいうところの感覚過敏なのでそのうち死んでしまった。

 

今いる金魚のうちでは琉金がそういう気性難の系統で、誰と混泳させても自分が王でいたいというプライドの高さだったがたまたま後から入れた東錦との相性がよく、いつでも2匹で泳いでいるしがらっと穏やかになった。

卵は作っていないので同性同士なのだと思うが、これも巡り合わせである。

東錦の方はある特定のエサに強い執着を見せる以外は温厚で賢く、新入り金魚やヤマトヌマエビにもむやみやたらにかかっていかないし具合が悪そうな個体には寄り添っている。

 

 

メダカもそれぞれに性格があり、ジャイアンのような性格のもいるし誰とでも仲良くするのもいる。

 

そのなかで混泳お断りの個体がいる。

つがいが死ぬとガクッとくるのもいるがこのメスは1人になってせいせいしたといった風情だ。

2022年の金魚すくいで拾ってきたメダカで産卵もたくさんしたし先天性の疾患があるので今年は死ぬんじゃないかァと思っていたが春夏秋と持ち越した。

とうとう12月になって疾患が最終段階まできたので、最期は1人でゆっくり過ごせるように隔離した。

 

川原やどるというおじいさんが作ったミューズという品種の金魚も1匹、病気でもないのに横たわっていていまわのきわだ。

ミューズのことは「川原やどる」で検索してみてほしい。

偶然手に入れてからは、こんな魔法みたいなのが家にいるなんて考えると不思議だし嬉しかった。

 

養生目的の塩を入れる関係で2匹の水換えは毎日やらないといけないが苦痛でもない。死なれる方がよっぽど苦痛だ。

部屋を24度に保ってせっせと水換えはするが、手を尽くしても終わる時は終わると知っている。

観賞魚店店主曰く「あなたのお世話している子はどれも体表が綺麗だから環境は良い」のだし、それでダメなら何をしたってダメだ。

 

人が生命の長短に関われることなんて限られているよな、と思う。

 

金魚仙人が作った夢のような金魚と疾患を持ちながら寿命まできたヒメダカがいる部屋で、長い微睡みに包まれているのだった。

金魚が水に放たれているみたいに私も金魚とメダカがいる間は夢の世界に浸かっていられる。

水槽はいつまでも見飽きないし、金魚がいる間は天国みたいだ。

誰も俺の人生の責任を取らない(don't trust almost all people)

しゃらくせえアドバイスやいつか俺の言っていることはわかるよ式のごたくをいう大人って全員信用できないよな、ということをフォロワーのりせすけと喋っていた。

https://x.com/jahlwl/status/1982144103535333640?s=46

 

https://x.com/risesuke_/status/1982156367453433899?s=46

 

小さい頃やティーンエイジに限らず20代でも、年上から「私の年齢になったらわかるよ」式のクソバイスを言われるから油断ならない。

 

私が27才の頃ミドサーの女性からごちゃごちゃ言われた際、結構です、と返したら「私は社会人経験があるからこう言ってるの、あなただってビジネスの世界にいればわかると思う」と重ねられた。

 

あの頃の彼女と同じ歳になって思ったのは、「社会人経験積んだけどあの女の言ってることはぜーんぜん共感出来ないな」「ていうか自分より随分年下の子に向かってそういうこと言う気が起こらん、ますます理解できん」だった。

 

私の友人たち(この場合は、頻繁に連絡を取っている人を指す)は大部分が自分より年下になってきていて中には親子ほど年が離れた人もいる。なので自分が言われたら鬱陶しいことはなるべく言わないようにしてきたが、年齢由来のマウント取る人を見かけたらあらためて反面教師にする。

老害発言をしないようこれからも気をつけよう、とまことに誓う。

 

年下の友人からウケがいいのは「好物を食べすぎて腹痛を起こし医者に怒られた、腹痛の原因は素直に話したのに」などのバカすぎて笑えるかつ他愛ない話題であり決してクソバイスではない。

 

で、冒頭の話に戻るが年上のクソバイスが鬱陶しいという話はかなりの人が共感できるはずなのに、まあまあ反響があるからして色んな方が今も体験してるのだ。

 

みんな自分のティーンエイジを振り返ってみたら「あいつの言うこと全然的外れだったな」という

大人と出会ったことがあると思う。

これがどこかの世代から減っていれば、don't trust over30が定着したあるいはパンク的な意味合いはなしに単にそういうのはマナー違反だからやめましょうという言説が定着したことになると思うのだが残念ながら全く聞かない。

 

女子力云々は女性差別的だというのは定着したのに、女子力よりもっとレンジの広いクソバイスに対しての反論が勢力を持たなかったのは不思議である。

長年疎まれていてもなんだかんだ生き延びている、ということなのだから。

 

クソバイスはクソバイスだがマイノリティに対して大きく阻害を起こすものではないということか。年齢差別という言葉は存在するものの、「大人になったらわかるよ」式のごたくは若い方への差別という感じではない。

 

もし大きな阻害ならとっとと駆逐されていると考える。

相対的に他のことに比べて被害が少ないし、反論するより流して疎遠にする方が楽なので先述の「長年疎まれていても…」という状態になっているのかもしれない。

 

でも、年下に対するクソバイスは矯正の要素があり、人を矯正したがる人間はどこかの時点で絶滅した方がよい。

罪を犯したわけでもない他人を矯正したいという欲求は自他の境界が曖昧でなければ発生しない。

 

 

クソバイスではないが小さい頃は「やっぱり早いうちに結婚したいわよねぇ?いつするの?」と親戚含む色々な大人に言われたものだ。

齢5才の時はおばに言われたのを記憶している。

私は「結婚したいと思ったことはありません、今も思いません」と返事すると面倒だなと直感したので適当に流した。

 

おばやその場にいた大人の常識の範囲内の回答である限り、どの年齢で答えても彼らは満足気に笑うのがわかった。心底きしょいなと思った。

かといって常識の範囲外のことを言ったら、あれこれ説教されそうで気が重い。説教とまではいかずとも、私が常識の中に入るよう、彼らによるやさしい矯正がはじまるのだ。

 

この説教されそうで嫌だ、という感覚が後々クソバイスに対する本能的な防御反応の基礎になった気がする。

そしてクソバイスはどんな馬鹿馬鹿しいことでも矯正の一種である。

あなたをひとつのかたちに押し込めてパワーを抑えるものである。

 

私が幼少期親戚に心を閉ざして話を早く終わらせる方向に動いたのは「こいつらは私の個を削いでおさえつけ何か別のものにしたがっている」と気づいたからであり、しかもその個は存在していても誰かに迷惑をかけるたぐいのものではなかったからだ。

 

気づいてからは同じような話題をふられるたびものすごく冷たい目をしていたと思う。

目は口ほどに物語るため次第に彼らは結婚の話題をふらなくなった。

 

あれって私が知らないだけで大人になるためのイニシエーションだったんだろうか?

昔も今も冷たく流して大人になれずじまいの私にはわかりかねることだが。

 

誰も私ではなく、私の人生は私が完走する他なく、交代もいない。

人生の責任を負うわけでもないのにアドバイスをしてくる人間は、単に老害の場合もあるし、個を奪い矯正したがっている場合もある。何度もしてくるとしたら後者のパターンである。