焦げた後に湿った生活

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お題:初対面の人と話す話題

バイトでこの方面はわりと鍛えたほうだと思うんだけど、何話してるか冷静になって考えてみると全然思い出せない

こういうのってスポーツと同じで無意識にフォームが定まってて、意識すると逆に固まっちゃう気がする

音楽関係の人ならサービス精神旺盛スイッチ入れないでもあっさり話進むんで苦労しないけど

意識してないけどありとあらゆる共通点を見出して鉄板ネタを出せる状態にまで整えるようにがんばってるんだと思います!押忍!

あと多分話題を考慮するより相手の話拾うほうに力配分割いてる

ex)(客に最近仕事が忙しいと話される)1「え~~~~~~仕事ちゃんとしてるんや~~~知らんかった~~~」2「ただの酔っ払いやと思ってた~~~」3「はじめて知ったわ~~~」

まあこれは連携プレーなんですが・・ソロで間髪入れずに返しの手を入れて場を持たせるの大分神経使う

明石家さんまレベルの返しスキルほしいポヨォ・・

 

 

テメーのまんこをもっと信じろ(雑)

宋美玄先生が巷に出回る経血コントロールについて批判していたが、オーガニッククラスタに散見されるこのテの噂は「オニババ化する女たち」が売れたり布ナプキンが流行ったころからよく見かけるようになった気がする

 

月経中の諸問題で悩んでいるひとが検索をかけると高確率で布ナプキンにヒットし、布ナプキンについて調べるとさまざまなネタが読めるのだが

・紙ナプキンの化学物質が皮膚吸収されて人体に悪影響を及ぼす

布ナプキンを使うと月経痛や月経血が減る

・経血コントロールで子宮に血を溜めておくことができ次第に量が少なくなる

など根拠のないネタがかなり出回っていることが分かる

 

紙ナプキンのポリマーが皮膚吸収されるなどその最たるもので、ティッシュだって製造時に石油や化学物質が使用されているけど別に鼻につっこんでもどうってことないし、もし化学物質が悪影響を及ぼすほど吸収されてたら月経が重くなるレベルの話ではすまないと思う

 

膣肉締めて月経血を出にくくするというのも”一瞬なら”できる

ただし膣肉は筋肉であり、他の体の部分で考えれば分かるけど筋肉に長時間力をこめたまま維持するというのは不可能に近い

筋肉は鍛えればその分リターンがあるだろうけど、寝てる間すらずっとコントロールできるみたいな言説が出回ってるのってどうかと思う

宋先生の言う通り花電車の技術があるくらいだから出来る人間もいるのだろうけど、ずっと筋肉に力を入れてコントロールしていられるなんてほぼ強化系能力者に近い芸当だと考えたほうがいいのでは

仮にその手法が可能だとしてもまんこに気を遣う面倒から解放されるためにナプキンが発明されたんだから怠惰なわたしは文明の利器を選ぶぜ

 

このテのネタがきらいなのは大体「現代人批判」「昔の人は出来てた」「ホメオパシー」に帰結するからです

経血コントロールで検索すると大体のページで愛されるボディやメスの本能といった単語がならんでいるのもめまいがするポヨォ!

ていうか膣肉ずっと締めて出血おさえられるくらいなら他の筋肉でも出来るだろうからとっくに出血多量で死ぬ人間が減っているはずポヨォ!これにて解散ニャン

 

 

 

 

山本直樹「ありがとう」

先日誕生日だったのでバンドメンバーが「ありがとう」の上下巻セットをくれた、本屋行っても見当たらなかったしうれしい


上巻で柳美里が解説を担当していてこの本を誰にでも勧めたいと書いていたが

きっとわたしが一番「ありがとう」を読んでほしいと感じているひと(層)はこの本を手に取らないだろう

凄惨なシーンが多くて薦めにくいとゆーだけではなく(伝わってほしい、この感じ)


家庭崩壊経験してその後自主的に家族から離脱したクチなんだけど、そのわたしから見て全編とおして"あるある"が沢山あった

父親のイラッとくる感じとかほんとうまいんけど、山本直樹自身は家族とうまくいってるみたい、どこからリアリティを創出しているんだろう


家庭を退場してから、時々強烈に郷愁めいた感情が興ることがあるけど、それはひとりで生き抜くのが不安だったり疲労していたりするだけで、選択としては間違ってない

「ありがとう」読んでやっぱりそうだよな、と思った





陰謀論とか相対性理論の歌詞だけにしてほしい

カンタンに右翼とか左翼とかヒトの立場を表すのに使われるけどさ、twitterみてたらいわゆる左翼のイメージである反原発の立場の人が人種差別したりしてるのって結構ある

 

一番多いのはユダヤ人が裏で何でもかんでも手をひいてるって言説で、その他に朝鮮人とかイスラムとかあるけれど殆どは陰謀論に基づいた脅威説である

 

オバマを信じる人々により陰謀論が拡散され信憑性のある形態になる現象を書いた論文があるが(http://t.co/t83mWrodhE)、その中でこれはと思う一節があった

 

陰謀論は国家やマスコミへの不信感はもちろんゼノフォビアやネイティビズムを吸い上げてあらわれるものであると

この論文では反オバマや反ユダヤに関して述べられているが、日本で言ったら在特会やその幻想を共有する人々が該当するし、その他何故か大麻クラスタ・反原発クラスタに多いユダヤ人やイルミナティの陰謀を信じる人々もそれにあたる

 

これで既存の右翼ではなく一見ふつうの人がきわめて政治的で過激な排外主義発言をするようになるという現象の説明がつく

 

これまで調べていたネット右翼に関する先行研究では格差社会だの不景気だの、在日特権()を信じてバッシングする人々にそれらしい背景をあたえてなんとかそれっぽい分析にしようとしているが、なんてことはない、そもそも人々のなかに自分とはちがう<他者>に対する嫌悪感・蔑視感情があるからこそ陰謀論が力を持つのだ

 

その発言をするヒトが右翼だろうが左翼だろうがフェミだろうが男根主義者だろうが反原発だろうが原発推進派だろうが大麻愛好者だろうが主婦だろうがサラリーマンだろうが非正規雇用だろうがヤンキーだろうがオタクだろうがリア充だろうが非モテだろうがミュージシャンだろうがボカロ中毒者だろうが関係ない、心の中に他者を疎外する感情があれば誰だって今日からだって陰謀論者になりうる

 

 

 

 

生物学的性だってグラデーションなくらいだから、何事もグラデーションだ

レイシズムにもグラデーションがある

陰謀論者を極めて濃いほうの排外主義だとすると、薄い排外主義はkpopはゴリ押しとか軽く言っちゃえる人々がそれにあたる

彼らはたぶん○○人死ね!とは言わないだろうが、彼らの中にも他者への蔑視感情があるからして、新世界秩序が世界を動かしているとは思わないが流行のポップスに対して馴染めない気分をゴリ押し説に投影するのである(もしもこれがフランス発エレクトロ新人ユニットだとかなら話は別 音楽文化における欧米への蔑視感情がないのと音楽ジャンルへの親和性によって陰謀論に吸い上げられる余地がない)

 

現代社会において人種差別的言説が闊歩する悲惨な状況ができてしまったのは、歴史修正主義の存在も確かにキーであろうが、歴史修正主義を信じなくともひろく都市伝説のような言説が跋扈し定着してしまう背景に、誰もがもっている他者への蔑視がある

陰謀論など昔は一部のトンデモな人々のものでしかなかったのに今になっておおっぴらに語られるようになったのは、排他的感情をコアとしつつ、パイオニア(東海アマとかかな?影響力のあるツイッタラー)による陰謀論的言説発言→フォロアーによる拡散とフィードバックによる幻想の強化→ウィキリアリティの形成という、ネットがインフラになった時代だからこその構造が出来たからなのである

 

これに対してどのような対抗策を打ち出せばよいのか?

 

陰謀論をとなえるヒトがいたら、彼女もしくは彼が他のあらゆるテーマで自分と意見を同じくしていてもそのヒトの発言自体を拡散させないこと

だって陰謀論言ってる時点でさしたる論拠・学術的根拠もなく発言してるのが目に見えてるので…

(陰謀論者の論述の手口については「ユダヤ陰謀説の正体」という新書でくわしく批判されている)

 

他は宮台が言うように民度をあげる=2ちゃんに書いてるよーなことはゴミというくらいのリテラシーが一般的に普及する 程度のことしか今は思いつかない・・

 

 

 

 

 

 

ディスコ・イズ・デッド

この間気になるツイートをみた。

正直にいうと誰がツイートしたものか覚えていないし、さっきこの記事を書くにあたってそのツイートをRTしている筈の某ラッパーの発言をさかのぼったけど、該当ツイは見当たらなかった。

なので正確に引用できないことを心苦しく思うが、その内容はおおむねこういうものだ。

「(不特定多数のクラバー女子を指し)お前たちのやっていること、オシャレ、アップした写真、などはすべて無意味」

といったようなことだった。

 

さて、これはどういうことだ?

クラバー女子の対になるべき存在はクラバー男子である。

で、これを書いていた(はずの)人もクラブへ繰り出し踊ったりフロアを沸かしていたりしているはずの男性。

クラバー女子のやっていることが無意味ならば、相対的にクラブに存在する彼女たち以外のもの=クラバー男子のやっていることは有意義として意味づけられる。

 

…などと考えていたところ、追い討ちで今度は知人DJと客が「ブスはニューエラをかぶるな」と発言していた。「だったら童貞とコミュ障はクラブにくんなよ」くらい言いそうになってしまうがそれは口に出したくない。売り言葉に買い言葉でつい反撃してしまいそうになったがそんなこと考えてない。クラブは誰がどんな風に楽しんでもいい自由な場所なのだ。

しかし、これは糾弾したい。頭で思っているのとオモテに出すのでは責任がまるで違う。理想をいえば人をきずつけるような考えが浮かばないのが一番だが、たとえ思っていても倫理観と照し合わせてみて不適当ならば口に出さないのがニンゲンのモラルである。

 カンタンに女の子たちをおとしめる言説を誰でも見れる/皆がいるところにポストできる風潮って一体何なんだろう?

 

数年前、毎月クラブで遊んでいた。

家族仲は破滅、学校の勉強は大変、オマケに生活費を自分で稼がねばならない境遇だったわたしにとって唯一の息抜きだった。月に数えるほどしかないオフの日の一つを必ずクラブにあてていた。

バンドもしていて楽しかったが、遊び場であり戦場であるライブハウスでは女子であることに起因するゆるせない案件があったため(mixiで書いたがそのうち転載する)、次第に純粋に客として遊ぶ場所はクラブへと移行していった。

そこでは変なプライドもなく皆が享楽的にお酒を飲んでタバコを吸い踊っていて、踊るのに疲れたらいつでも休んでいいし、誰としゃべってもいいしナンパをしてもされてもオーケー、要するに人に迷惑をかけなければ何をしたっていい本当に自由でわたしにとっては神聖な空間だった。

好きなジャンルの曲がかかるとブースの前に行き、お酒片手にいつまでも踊り続けた。多少の疲労では止まらない。疲労の限界点を越えて踊り続けるのも楽しい。いつだったかあまりにも生活に疲れていた時期にクラブで踊っていて、「まるで自分は音楽が鳴っている間だけ動くゾンビで、DJは現代のシャーマンみたい」と感じたことがある。

それくらいソトの世界のあれこれを忘れさせてくれるものだった。過去、わたしにとって生き延びるためになくてはならないものだった。きっと他の客だって多かれ少なかれそういう要素を求めて集っていただろう。退屈で過酷な日常を生き抜くために、あの空間は必要だったのだ。

 

わたしは文字通り全身全霊をかけて遊んでいた、ダンスフロアにすべてを捧げていた。最前列で踊ること、気軽なあいさつ、カクテルなどは意味がなくて意味があった。

 

それがなんだ。今やそういったことや、それらを記録にのこしておくことがバカにされているのだ。同じフロアにいる男たちによって。こんな矛盾した、かつ理不尽なことがあるだろうか。

「ただ、楽しむこと」フロアの原理はこれに尽きるといっていい。時に忘我の境地に至るまで楽しむこと、しかし気軽さを失わないこと、この論理を愛していた。

だけど今は、踊らせる側の登場人物も、踊る側の登場人物も、同じ踊る人間を貶している。徹底して重さのない、あぶくのような形のない夜(だからこそ、パッケージングして脳に残すのだ)を愛する人間を。貶す者にとってソレは仲間じゃない。女だから。

 

フロアはジャンル問わずサブカル男子の馴れ合いと化した。わたしの遊び場だってそうだ。イベントの細分化や身内化が大きく関わっているのかどうかは分からない。だって某有名ラッパーが客の女の子たちの遊び全部を無意味と評価を下したくらいだから。

 

原始、フロアは太陽だった。

あからさまな悪事は排除され、あとは自己の倫理で律された。だれとでもなかよくできたしだれともなかよくしないこともできた。

 

だからちゃちな、非常にこどもっぽいマッチョイズムが浸透したならもう終わり。軽さの論理にマッチョの重みを持ち込んだ時点で神は死んだし、その重みが理論化されるほどの強さを持っていないために余計厄介である。あくまで無自覚な「気軽な」会話として男同士で語られるのだ、某ラッパーのRTのように。

一介の客もダンスフロアの論理を最も体現するはずの演者もそういう表明をしたのだ。わたしはあきらめた。

生き延びるための場所がなくなったら、また次を探そう。同じような遊び方じゃないかもしれないけど、しょうがない。だって、何が起こるかわからんファンタジー性はもうクラブにはないのだ。

いや、違う。ファンタジー性がなくなったんじゃない。フロアでは今でも何でも起こり得るはずだけど、何が起こっても正しさや価値はホモソーシャルな目線によって評価されてしまう、ということだ。

 

女の子たちのやってることが「すべて無意味」ならばあなたがたはきっと<意味のある>行いをしているんだろう。フロアの論理を愛していたわたしからすれば馬鹿げたことだ。せいぜい<意味のある>もの同士でなかよくしていてくれ。

夜におしゃれすること、出かけること、集まること、踊ること、話すこと、踊り疲れること、刻みつけること、忘れること、遊びの世界が汚されたからさよーならしよう。

新しい遊び場を探し当ててサバイブする。息苦しい場所から脱出して冒険し新天地に飛び込むのは慣れているから大丈夫だ。”過去はどんなに暗くとも夢は夜ひらく”っていうしね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

子鉄ちゃんからのお題

【自分の友達の中で「この子が、私の知っている人の中で一番、世間一般の、平均的な、20代前半の女性だなー」と思う子を挙げて、どういう所をしてそう思うのか。そういう友達がいない場合は、母性本能というコトバを聞いて真っ先に抱く感情について。】

 

大学のクラスメイトはわりかし所謂リア充多めだけど広く浅くの付き合いだったわたしが分析するのは筋違いだと思う。頻繁に遊ぶ友達は皆どこかしらやばポヨ。

アパレル関係に就職した友達が働きはじめてから世間一般の社会人(大卒)イメージに近くなったかな?と思ったけどあいつ最近「ポヨォ」に感染して自分でも使いまくってるらしいからやっぱダメポヨォ♥♥

 

なので母性本能について書くべきなんだけど頼むから言葉狩りしてほしいとしか言えないニャン♥♥

この単語を聞くたびに心の中の釘バットがブンブンうなっているぜ、次の犠牲者になりたいヤツはダレだ

 

 

 

 

時折人から「母性がある」といわれることがあるけど母性に惹かれて集う男は潜在的マザコンだろうから全然うれしくないですね

 

ちなみにこの記事を書いている途中で開けてはいけない記憶の扉をひらいてしまったことをお知らせします

 

 

 

 

 

 

結婚とかその他の話

保守コンとか婚姻制度は差別かとかみたいな結婚に関する話題がTLで出ている

自分はキャリアを積むのに手一杯、つまり自分のことだけで余裕がないのでそこに結婚組み込むビジョンがないしさしたる欲望もないが、もしこれから誰かと生活を共に形成するならばうちのボスを手本にしたいと思っている、というかそうでもなければ愛の生活なんてしたくない

 

ボスはanarchyだから事実婚のまま子どもを作り入学時だけいろいろ面倒だから入籍→離婚を繰り返しているらしい

結婚制度にとらわれないのも良いけれどそれに増してそういった価値観を共有し実行してくれるパートナーがいるのがうらやましい

ポリティカルな活動していく中で出会ったのかな?そうでなければものすごく自分を盲信的に好きで崇拝しているようなひとじゃないとなかなか"王道"から逸脱した選択しは受け入れてくれないよね、

 

私は”在日である自分”を重視しているから既成の結婚制度には色々思うところがあって結婚面倒くさいなと思う、

相手がよくても相手の家族がガイジンに偏見もってるとかよくある話だし一回経験したし

他にも例えば子どもができたら子どもの国籍どうする?とか教育は?とか考えたらキリがない

民族学校に入れるという選択肢は自分が行ったことがないから想像がつかないけど何らかの形でルーツとなる文化くらい知っておいてほしいと思うし

在日形成史だって教養として、そして玉石混交の情報がネットや噂で飛び交う今の時代において身を守る術として知っておいてほしいが、一方で自分ほどの苦労をさせたくない=この国で外国人・移民の子孫としての人生を歩ませないほうがいいんじゃないかとも思う

…というようなことを考えると頭が痛くなるのでめんどくせえし結婚いらねえわという結論に至る

あ、国籍に関する云々のぞいても夫婦のどちらかが名字変えなきゃいけないのいやだなあ

 

こういうことばかり考えてしまうので、先日既婚の幼馴染に聞いてみた

 

「ねーえ、私に結婚に対してメリットというか夢が持てるようなこと言って?」

「やっぱり二馬力で働いてるから生活が安定するよ!」

 (そういうことを期待してたんじゃないけどまあいいや、すばらしい回答だ)

 

 

 

宇野常寛の「ゼロ年代の想像力」を読むと、既成のカップル・家族像にとらわれないまったりしたつながりを彼は評価している

友人にルームシェアの話を持ちかけられたのがきっかけなんだけど、最近そういったつながりを基盤にした、それぞれにちょっとした欠落とかやっこい状況とか抱えてる人間が共同する生活、のことを想像している

面白くて好きな友人たちと共同生活を営みたいが、ウサギ小屋みたいな部屋はいやでそれなりに文化的な水準の暮らしと創作活動をする時間も持ちたい、でも皆バイトしか収入を得る手段がない、といった状況を想像すると、一人が風俗やって主たる収入を稼ぎ生活を保持するという手段が浮かんだ

 

ヒモをもったわけでなく、友達と生活したいからと主体的に風俗で働いてルームメイト養う女の子(男の子でもいいけど)の話おもしろそう、書きたい