焦げた後に湿った生活

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映画は映画だ

というのは映画のタイトルだけど別にその話ではない。

 

バイトを退職した。

自発的に辞めたわけではなく店自体なくなってしまうのだ。

唐突にそれを知らされたが、先方は早いとこ告げるつもりが私が修士論文執筆のために全然出てこなかったので言うタイミングがなかったという。

そんなわけで、四、五年におよぶお水の花道は幕が下ろされたのだった。

ママたちといつものように近頃あった事件や今ハマっているゲームの進捗状況など話し、お客さんと笑い合って、つまりいつものようにとどこおりなくシゴトして、じつにアッサリと役目を終えた。

その日は新年明けてはじめて常連の焼き鳥屋に顔をだす予定だったので、23時に祇園のまちに放り出されたわたしはその店のドアをあけて、ひとりで退職祝いをすることにした。

二、三日風邪をひいていたが突然の知らせで一瞬体調が戻ってしまった。いつものように熱燗とお気に入りの串を二本頼んで、同い年の店主と世間話をした。

そのうちに、以前ここで出会ったしばらく会っていなかった友人のことを思い出して、なにしろ夜のさなかで来れはしないだろうが一応誘ってみることにした。

 

連絡をして返事を待っていると、さっきまで店には自分しかいなかったのがわらわらとサラリーマンの集団が入ってくる。そういえば今日はJCだ。瞬く間に席が埋まる。

「お一人ですか」

「いえ、連れが来るんです」

ええ、来るかどうかは分からないけど連れがね。それとここはひとりでゆっくりしたい時に来るのだから、ろくでもない中年に愛想笑いして神経つかうわけにはいかないのよ。とはもちろん口には出さないが。(以前、うっかりにこやかに対応したら長時間"接客"するはめになった。飲み代を出してもらえるかもしれなくてもプライベートで仕事なんてしたくない)

二、三回団体客が来て新規の客があぶれ出してきたころ、その人は来た。仕事帰りかと聞くと会社をひけてから映画を観ていて、ちょうど電車で帰っているときに連絡がいったらしい。

 

二時間ほど飲んで出ようとすると、友人は飲み代をすべて払っていた。卒業祝いだから、となんでもないようなようすで。颯爽と登場して問題を解決して行く機械仕掛けの神みたい。

タクシーを拾おうと大通りに出る。ちょうど個人のプリウスが停車していてそれに乗り込む。シートの座り心地が良い。BGMはジャズだが音が良いのでおそらくラジオでなく運転手の所有している音源だろう。これじゃー、「1Q84」だよ。勘弁してよ。もしこれから変な時間軸に突入したら今の精神状態じゃ参るね。などと考えていたが表面的には明るく何でもないような話をしていた。

友人は途中で降りると、なんとタクシー代を置いておやすみ代わりに去年の流行語を口にしさっさと去っていった。クールにすぎる。タクシーが走る四条通に臙脂色のビロードが敷かれて閉じゆくお水の花道を飾っていたとしてもおかしくはない。

 

三人から二人になった車内で、この車は座り心地がいいがなんという車なのか、と形式的に運転手に尋ねてみる。プリウスです。トヨタプリウス

音楽もいいし。-いやあ、ジャズおやじでして。

ジャズは、チャールス・ミンガスくらいしか知らない。あとは有名なやつ、テイク・ファイブとかくらい。-若い方がミンガスを知っていれば十分じゃないでしょうか。おどろきました。ところで、今日はすごい人でしたね。

今日はJCだったから。実は今日で祇園のおつとめが最後だったんだけど、まったく最後がこんな混んだ日だなんて。-ああ、大変だったでしょうね。しかし、あなたみたいな女性だと、男はカネもってないとハナシにならんでしょう。

運転手はわりに下世話だった。ここでは何もかも村上春樹の物語のようにスタイリッシュにはいかんのだ。当たり前だけど。

「人間カネより品性でしょう、品性はおカネで買えないから」

何の示唆も方向性ももたない一般論的な答えがすぐに出た。瞬発的にすらすらと出まかせで歯切れのよい文句を並べ立てられるのは特技である。この数年で技術を改良し続けたのだ。

 

タクシーは最寄の交差点に着いた。カネを出して家にむかい、シャワーを浴びてから布団に入った。

今日のことと、かつてあったエピソードを思い出し、とんでもないことが起きて精神的に(あるいは身体的にも)参る時ヒーローがあらわれて、そのものごと自体を解決するわけではないが必ず復帰してものごとに対応できるだけのエネルギーを与えてくれてきたことを思い返して(本当にちょっとだけ)泣きそうになった。

それは友人であったり全然知らない通りすがりの人であったりするが、共通しているのはヒーロー本人が毛ほども他人を救おうという意思がなく、たまたま彼らの行動や言葉がうまいことこちらが置かれている状況に当てはまって思いもよらない効果を発揮してきたのだ。彼らがそれを知ることもなく。

 

ある時期、病んだ他人に巻き込まれて冗談でなく死の淵に立っていた時も、同じようなことがあった。

生存本能も食欲も機能停止しており、ろくに食事をとっていなかったが(その時読んだマンガの「何か食べたいと思うときまだあなたは生きたいと願っている」というセリフを読んでじゃあほんとにヤバイじゃん、と妙に納得した)誰かと食事に行けば食欲がわくかもしれないと、院生の友人を呼び出して学校近くの店に入った。

食事中、さっきから何だか視線を感じるなあと顔を上げると、ななめむかいのテーブルにいた男の子がこっちを見ていて、目が合うとにっこり笑った。男の子は我が校のスウェットをはいていたのでおそらく体育会の部員だろう。

ただそれだけのことだったが、急速に活力が戻ってきたのを感じた。このハナシを聞いた長年の友人は「お前バカだろ…うらやましいわ…」とあきれていた。イケメンのおかげで生きる意志を取り戻すなんて全くもってバカバカしいことにちがいないので否定しない。

また別の友人は、「よくそんな少女漫画みたいなイケメンエピソードばっかり拾ってこれるな」と言っていた。たしかに通常の人間よりはヒーローに救われることが多いかもしれないが、その代わりむちゃくちゃなことに遭遇してもいるのだ。難易度はvery hardだが必ずHPMP回復イベントが用意されているRPGみたいなもんだ。

 

このように破綻した出来事が多いので、「なんで映画みたいな人生なのに実写化しないんだろう」と冗談を言ったら、ある人がこう答えた。

「まだ完結してないからじゃないですか」

なかなかうまい返しだと思った。願わくば、完結しかかっても地獄の底から復活して物語を続行させたいけど。

バイトのこと

夜の蝶をしていたころ、立て続けに退職した従業員がいて実質ナンバー4になったことがある

 

といっても客を必死にひっぱってくるわけでもなしになんとなく勤めているだけなので、なんていうこともないが、自分の中で実績と立場が合わなくて気持ちわりいなという感じをずっともっていて、宙ぶらりんな心持になっていた

 

夜の世界に入った当初は、一日の食事がパン二つレベルの困窮で、とにかくお金がなく日払いで即働けるところを探して無我夢中で飛び入り、何が何だかわけわからん状態で席につき、業界の常識なれどマニュアルもなし、何をしたらいいのか分からん状態で、バイトに行くたび何かギルティをしでかしそのたびに教えられ、店に貢献していないのに金をもらうのもおこがましいと感じるくらいであった

 

だいたい元々接客業の経験がさほどなかったし、喋ることが苦手だと思っていた、初めて働いた時終業後何を話していたのかも覚えていない自分にマスターが「アンタちゃんと喋れてるやないか、この仕事いけるで、がんばりや」と褒めてくれたが全くそんな気になれず、今でも覚えているが、後々一番楽な部類と判明した客に「人見知りなんか、全然話さんやんか」と言われ、非難した口調ではないものの気が重くなり、初対面のおっさん相手に何話したらいいのか、何故世のコンパニオンというものはやっていけてるのだろう、この仕事マジで向いてねえし、かといって辞めたら食い扶持がなくて辞められないので多大なるプレッシャーを感じながらも毎週店へ通っていた

 

最初の方は大体他の従業員が付いていたので緊張感はやわらいだが、半年経っても喋る技術が向上したとは思えず、灰皿交換やドリンクを作る作業など事務的な、はっきりいやあ誰でもできる仕事で金をもらっている現状がいやでいやでならず、かといってこれが私の武器だという一芸もなく、座ってるだけであがめられるような美貌もなく、何で私はここにいるのだろうという不安だけが身体の周りを覆っていた

「キミはボクの理想通りの女の子や、女は乳やなくて脚と尻なんや、ああなんてべっぴんさんや」とベタベタに褒めてくれるどこかの会社の社長さん1人以外、心を緩めて接客出来る瞬間はなかった

 

そのうち自分にもファンがつき、彼らが何を以って支持しているかというとカラオケであり、懐メロが歌えれば一定の歓びを与えることが出来ると気付き、せっせとレパートリーを増やしていった、ママのように話術がことさら優れていないならこれを磨くしかないと、一週間に一度二度店に出てそのたびに他の人間が歌った曲を覚えるということをした

芸は身の肥やしというのを21世紀にもなって実感しているのであった

 

気が付いたら三年が経ち、従業員の出入りも激しくなり、誰かが辞めては入り入っては辞めが繰り返されていたころ、ピンで席に付くことも増え、きっつい、これまじきっつい早く一番のテーブルの客帰ってママでも他の人でもいいからこっちにきてくれーという状況になることが多くなった

 

歌目当てでくる客ならさっさとカラオケを勧めればいいが歌がきらいな客に当たるとそうもいかぬ、必死で質問を飛ばし共通点を探り、団体客は勝手に己らで話をしているからほっといてドリンク作りに精を出していても特に問題はないが少人数だと会話を回転させるのに内心冷や汗たらたらだったのである

 

そんなわけで相変わらず向いてねえから辞めたいという気持ちはあったが何故かその気持ちが強く感じられる時に限ってベストタイミングでママから「だいぶ慣れてきたなあ、次はこれを覚えたらもっとよくなるから、期待してるで」などというメールが来て踏みとどまる、言い方を変えれば辞める時期を逃すということもあった

 

さらに時間が経過し店の従業員数が壊滅的になると、週一二の勤務が確二になり、加えてヘルプで入ることも増えた

 

この頃カラオケは懐メロの他にアイドルソングを習得した、世のAKB旋風は飲み屋の片隅まで届き、モー娘。世代が飲みにくる時代になったのでシメにラブマシーン等が入り、韓流アイドルも安定した人気

 

人生に疲れきって死にたいとこぼす客に「そんなこと言ってたらアカン! これ聴いて元気だせ!」とももクロピンキージョーンズを入れてヒール靴が勢いのあまり飛んでいくほどに踊りながら歌ったら謎の力が発生しその客は以来自殺願望をなくした

特筆すべきは依然聖子明菜世代が多い当店においてDESIREの威力はハンパなく、これに歌詞の一部を「パンツ」に変える替え歌を生成したところ以後リクエストされるほどの持ちネタになってしまった

 

不動の芸を手に入れると同時期にべしゃりの方も安定してきて、想像はつくだろうがこういう店につきものの高圧的・侮辱的な物言いをする客に対しても自虐ネタ(「誰が○○や!」とか)や関西土着芸人特有のマシンガンの如き”話を拾って自分のネタにする”一連の作業で事なきを得る、そういうスタイルになってきたのである

 

しかしこれで漸く及第点になったくらいのもので、ママやナンバー2には遥かに及ばず、あの人らはこれをやってのけてる上でコンスタントに客をひっぱってきているわけだから、そのレベルに到達するには更なる努力をせねばならず、その気概が大してわかず、この業界に居続けるには必然的にしなければならないことを自己正当化してやっていない状況で、

学生を卒業したらこれで食っていかねばならない理由もないから辞めたらいいわけだけれども、辞めたところで院生時代学業全振りで就活しなかったため他に食っていくための職を見つけておらず、何とも宙ぶらりんです、宙ぶらりんのままだった

 

店はある日突然マスターが心がしんどくなったという理由でつぶれた

内向的なINTPだった自分がENTPに変化して他者と接することが苦痛にならなくなったのはバイトのおかげといってよかった

 

お題:初対面の人と話す話題

バイトでこの方面はわりと鍛えたほうだと思うんだけど、何話してるか冷静になって考えてみると全然思い出せない

こういうのってスポーツと同じで無意識にフォームが定まってて、意識すると逆に固まっちゃう気がする

音楽関係の人ならサービス精神旺盛スイッチ入れないでもあっさり話進むんで苦労しないけど

意識してないけどありとあらゆる共通点を見出して鉄板ネタを出せる状態にまで整えるようにがんばってるんだと思います!押忍!

あと多分話題を考慮するより相手の話拾うほうに力配分割いてる

ex)(客に最近仕事が忙しいと話される)1「え~~~~~~仕事ちゃんとしてるんや~~~知らんかった~~~」2「ただの酔っ払いやと思ってた~~~」3「はじめて知ったわ~~~」

まあこれは連携プレーなんですが・・ソロで間髪入れずに返しの手を入れて場を持たせるの大分神経使う

明石家さんまレベルの返しスキルほしいポヨォ・・

 

 

テメーのまんこをもっと信じろ(雑)

宋美玄先生が巷に出回る経血コントロールについて批判していたが、オーガニッククラスタに散見されるこのテの噂は「オニババ化する女たち」が売れたり布ナプキンが流行ったころからよく見かけるようになった気がする

 

月経中の諸問題で悩んでいるひとが検索をかけると高確率で布ナプキンにヒットし、布ナプキンについて調べるとさまざまなネタが読めるのだが

・紙ナプキンの化学物質が皮膚吸収されて人体に悪影響を及ぼす

布ナプキンを使うと月経痛や月経血が減る

・経血コントロールで子宮に血を溜めておくことができ次第に量が少なくなる

など根拠のないネタがかなり出回っていることが分かる

 

紙ナプキンのポリマーが皮膚吸収されるなどその最たるもので、ティッシュだって製造時に石油や化学物質が使用されているけど別に鼻につっこんでもどうってことないし、もし化学物質が悪影響を及ぼすほど吸収されてたら月経が重くなるレベルの話ではすまないと思う

 

膣肉締めて月経血を出にくくするというのも”一瞬なら”できる

ただし膣肉は筋肉であり、他の体の部分で考えれば分かるけど筋肉に長時間力をこめたまま維持するというのは不可能に近い

筋肉は鍛えればその分リターンがあるだろうけど、寝てる間すらずっとコントロールできるみたいな言説が出回ってるのってどうかと思う

宋先生の言う通り花電車の技術があるくらいだから出来る人間もいるのだろうけど、ずっと筋肉に力を入れてコントロールしていられるなんてほぼ強化系能力者に近い芸当だと考えたほうがいいのでは

仮にその手法が可能だとしてもまんこに気を遣う面倒から解放されるためにナプキンが発明されたんだから怠惰なわたしは文明の利器を選ぶぜ

 

このテのネタがきらいなのは大体「現代人批判」「昔の人は出来てた」「ホメオパシー」に帰結するからです

経血コントロールで検索すると大体のページで愛されるボディやメスの本能といった単語がならんでいるのもめまいがするポヨォ!

ていうか膣肉ずっと締めて出血おさえられるくらいなら他の筋肉でも出来るだろうからとっくに出血多量で死ぬ人間が減っているはずポヨォ!これにて解散ニャン

 

 

 

 

山本直樹「ありがとう」

先日誕生日だったのでバンドメンバーが「ありがとう」の上下巻セットをくれた、本屋行っても見当たらなかったしうれしい


上巻で柳美里が解説を担当していてこの本を誰にでも勧めたいと書いていたが

きっとわたしが一番「ありがとう」を読んでほしいと感じているひと(層)はこの本を手に取らないだろう

凄惨なシーンが多くて薦めにくいとゆーだけではなく(伝わってほしい、この感じ)


家庭崩壊経験してその後自主的に家族から離脱したクチなんだけど、そのわたしから見て全編とおして"あるある"が沢山あった

父親のイラッとくる感じとかほんとうまいんけど、山本直樹自身は家族とうまくいってるみたい、どこからリアリティを創出しているんだろう


家庭を退場してから、時々強烈に郷愁めいた感情が興ることがあるけど、それはひとりで生き抜くのが不安だったり疲労していたりするだけで、選択としては間違ってない

「ありがとう」読んでやっぱりそうだよな、と思った





陰謀論とか相対性理論の歌詞だけにしてほしい

カンタンに右翼とか左翼とかヒトの立場を表すのに使われるけどさ、twitterみてたらいわゆる左翼のイメージである反原発の立場の人が人種差別したりしてるのって結構ある

 

一番多いのはユダヤ人が裏で何でもかんでも手をひいてるって言説で、その他に朝鮮人とかイスラムとかあるけれど殆どは陰謀論に基づいた脅威説である

 

オバマを信じる人々により陰謀論が拡散され信憑性のある形態になる現象を書いた論文があるが(http://t.co/t83mWrodhE)、その中でこれはと思う一節があった

 

陰謀論は国家やマスコミへの不信感はもちろんゼノフォビアやネイティビズムを吸い上げてあらわれるものであると

この論文では反オバマや反ユダヤに関して述べられているが、日本で言ったら在特会やその幻想を共有する人々が該当するし、その他何故か大麻クラスタ・反原発クラスタに多いユダヤ人やイルミナティの陰謀を信じる人々もそれにあたる

 

これで既存の右翼ではなく一見ふつうの人がきわめて政治的で過激な排外主義発言をするようになるという現象の説明がつく

 

これまで調べていたネット右翼に関する先行研究では格差社会だの不景気だの、在日特権()を信じてバッシングする人々にそれらしい背景をあたえてなんとかそれっぽい分析にしようとしているが、なんてことはない、そもそも人々のなかに自分とはちがう<他者>に対する嫌悪感・蔑視感情があるからこそ陰謀論が力を持つのだ

 

その発言をするヒトが右翼だろうが左翼だろうがフェミだろうが男根主義者だろうが反原発だろうが原発推進派だろうが大麻愛好者だろうが主婦だろうがサラリーマンだろうが非正規雇用だろうがヤンキーだろうがオタクだろうがリア充だろうが非モテだろうがミュージシャンだろうがボカロ中毒者だろうが関係ない、心の中に他者を疎外する感情があれば誰だって今日からだって陰謀論者になりうる

 

 

 

 

生物学的性だってグラデーションなくらいだから、何事もグラデーションだ

レイシズムにもグラデーションがある

陰謀論者を極めて濃いほうの排外主義だとすると、薄い排外主義はkpopはゴリ押しとか軽く言っちゃえる人々がそれにあたる

彼らはたぶん○○人死ね!とは言わないだろうが、彼らの中にも他者への蔑視感情があるからして、新世界秩序が世界を動かしているとは思わないが流行のポップスに対して馴染めない気分をゴリ押し説に投影するのである(もしもこれがフランス発エレクトロ新人ユニットだとかなら話は別 音楽文化における欧米への蔑視感情がないのと音楽ジャンルへの親和性によって陰謀論に吸い上げられる余地がない)

 

現代社会において人種差別的言説が闊歩する悲惨な状況ができてしまったのは、歴史修正主義の存在も確かにキーであろうが、歴史修正主義を信じなくともひろく都市伝説のような言説が跋扈し定着してしまう背景に、誰もがもっている他者への蔑視がある

陰謀論など昔は一部のトンデモな人々のものでしかなかったのに今になっておおっぴらに語られるようになったのは、排他的感情をコアとしつつ、パイオニア(東海アマとかかな?影響力のあるツイッタラー)による陰謀論的言説発言→フォロアーによる拡散とフィードバックによる幻想の強化→ウィキリアリティの形成という、ネットがインフラになった時代だからこその構造が出来たからなのである

 

これに対してどのような対抗策を打ち出せばよいのか?

 

陰謀論をとなえるヒトがいたら、彼女もしくは彼が他のあらゆるテーマで自分と意見を同じくしていてもそのヒトの発言自体を拡散させないこと

だって陰謀論言ってる時点でさしたる論拠・学術的根拠もなく発言してるのが目に見えてるので…

(陰謀論者の論述の手口については「ユダヤ陰謀説の正体」という新書でくわしく批判されている)

 

他は宮台が言うように民度をあげる=2ちゃんに書いてるよーなことはゴミというくらいのリテラシーが一般的に普及する 程度のことしか今は思いつかない・・

 

 

 

 

 

 

ディスコ・イズ・デッド

この間気になるツイートをみた。

正直にいうと誰がツイートしたものか覚えていないし、さっきこの記事を書くにあたってそのツイートをRTしている筈の某ラッパーの発言をさかのぼったけど、該当ツイは見当たらなかった。

なので正確に引用できないことを心苦しく思うが、その内容はおおむねこういうものだ。

「(不特定多数のクラバー女子を指し)お前たちのやっていること、オシャレ、アップした写真、などはすべて無意味」

といったようなことだった。

 

さて、これはどういうことだ?

クラバー女子の対になるべき存在はクラバー男子である。

で、これを書いていた(はずの)人もクラブへ繰り出し踊ったりフロアを沸かしていたりしているはずの男性。

クラバー女子のやっていることが無意味ならば、相対的にクラブに存在する彼女たち以外のもの=クラバー男子のやっていることは有意義として意味づけられる。

 

…などと考えていたところ、追い討ちで今度は知人DJと客が「ブスはニューエラをかぶるな」と発言していた。「だったら童貞とコミュ障はクラブにくんなよ」くらい言いそうになってしまうがそれは口に出したくない。売り言葉に買い言葉でつい反撃してしまいそうになったがそんなこと考えてない。クラブは誰がどんな風に楽しんでもいい自由な場所なのだ。

しかし、これは糾弾したい。頭で思っているのとオモテに出すのでは責任がまるで違う。理想をいえば人をきずつけるような考えが浮かばないのが一番だが、たとえ思っていても倫理観と照し合わせてみて不適当ならば口に出さないのがニンゲンのモラルである。

 カンタンに女の子たちをおとしめる言説を誰でも見れる/皆がいるところにポストできる風潮って一体何なんだろう?

 

数年前、毎月クラブで遊んでいた。

家族仲は破滅、学校の勉強は大変、オマケに生活費を自分で稼がねばならない境遇だったわたしにとって唯一の息抜きだった。月に数えるほどしかないオフの日の一つを必ずクラブにあてていた。

バンドもしていて楽しかったが、遊び場であり戦場であるライブハウスでは女子であることに起因するゆるせない案件があったため(mixiで書いたがそのうち転載する)、次第に純粋に客として遊ぶ場所はクラブへと移行していった。

そこでは変なプライドもなく皆が享楽的にお酒を飲んでタバコを吸い踊っていて、踊るのに疲れたらいつでも休んでいいし、誰としゃべってもいいしナンパをしてもされてもオーケー、要するに人に迷惑をかけなければ何をしたっていい本当に自由でわたしにとっては神聖な空間だった。

好きなジャンルの曲がかかるとブースの前に行き、お酒片手にいつまでも踊り続けた。多少の疲労では止まらない。疲労の限界点を越えて踊り続けるのも楽しい。いつだったかあまりにも生活に疲れていた時期にクラブで踊っていて、「まるで自分は音楽が鳴っている間だけ動くゾンビで、DJは現代のシャーマンみたい」と感じたことがある。

それくらいソトの世界のあれこれを忘れさせてくれるものだった。過去、わたしにとって生き延びるためになくてはならないものだった。きっと他の客だって多かれ少なかれそういう要素を求めて集っていただろう。退屈で過酷な日常を生き抜くために、あの空間は必要だったのだ。

 

わたしは文字通り全身全霊をかけて遊んでいた、ダンスフロアにすべてを捧げていた。最前列で踊ること、気軽なあいさつ、カクテルなどは意味がなくて意味があった。

 

それがなんだ。今やそういったことや、それらを記録にのこしておくことがバカにされているのだ。同じフロアにいる男たちによって。こんな矛盾した、かつ理不尽なことがあるだろうか。

「ただ、楽しむこと」フロアの原理はこれに尽きるといっていい。時に忘我の境地に至るまで楽しむこと、しかし気軽さを失わないこと、この論理を愛していた。

だけど今は、踊らせる側の登場人物も、踊る側の登場人物も、同じ踊る人間を貶している。徹底して重さのない、あぶくのような形のない夜(だからこそ、パッケージングして脳に残すのだ)を愛する人間を。貶す者にとってソレは仲間じゃない。女だから。

 

フロアはジャンル問わずサブカル男子の馴れ合いと化した。わたしの遊び場だってそうだ。イベントの細分化や身内化が大きく関わっているのかどうかは分からない。だって某有名ラッパーが客の女の子たちの遊び全部を無意味と評価を下したくらいだから。

 

原始、フロアは太陽だった。

あからさまな悪事は排除され、あとは自己の倫理で律された。だれとでもなかよくできたしだれともなかよくしないこともできた。

 

だからちゃちな、非常にこどもっぽいマッチョイズムが浸透したならもう終わり。軽さの論理にマッチョの重みを持ち込んだ時点で神は死んだし、その重みが理論化されるほどの強さを持っていないために余計厄介である。あくまで無自覚な「気軽な」会話として男同士で語られるのだ、某ラッパーのRTのように。

一介の客もダンスフロアの論理を最も体現するはずの演者もそういう表明をしたのだ。わたしはあきらめた。

生き延びるための場所がなくなったら、また次を探そう。同じような遊び方じゃないかもしれないけど、しょうがない。だって、何が起こるかわからんファンタジー性はもうクラブにはないのだ。

いや、違う。ファンタジー性がなくなったんじゃない。フロアでは今でも何でも起こり得るはずだけど、何が起こっても正しさや価値はホモソーシャルな目線によって評価されてしまう、ということだ。

 

女の子たちのやってることが「すべて無意味」ならばあなたがたはきっと<意味のある>行いをしているんだろう。フロアの論理を愛していたわたしからすれば馬鹿げたことだ。せいぜい<意味のある>もの同士でなかよくしていてくれ。

夜におしゃれすること、出かけること、集まること、踊ること、話すこと、踊り疲れること、刻みつけること、忘れること、遊びの世界が汚されたからさよーならしよう。

新しい遊び場を探し当ててサバイブする。息苦しい場所から脱出して冒険し新天地に飛び込むのは慣れているから大丈夫だ。”過去はどんなに暗くとも夢は夜ひらく”っていうしね。