【戦闘! 膀胱炎】
なんかポケモンのBGMみたいな項目名つけたけど戦闘!ってほどではない。
抗生物質を飲むと尖りが薄くなってきた。
抗生物質は食後に飲むのだが忘れそうになる。
何時に食事をすると決まっていれば、いいのだが、リモートワークになってからは腹が減ったら食べるとしているのでいつ食べるかはそのときどきによる。
学校や職場でメシの時間が決まっているのもおかしな話だと思う。
私のようなすぐ腹の減る人間もいるし、夜にならないと食欲がわかない人間もいる。
人前で食事をするのは恥みたいな文化コードが学校と職場とみちばたでだけ発生しているのは謎だ。
腹が減っては戦はできぬと昔の人は言うた。その通りで腹が減ったら勉強も仕事も作業も手につかないのだから食べたい時に食べられるという風になってほしい。
【地味に困ること】
骨折したのがもうすぐ治るのだが、その間マッサージ屋に行けなくて困る。
私はもともと全身凝りやすく、二週間にいっぺんは通っているのでサロン通いをかれこれ二週間我慢していることになる。
まあ、賃金を払った将軍が身の回りの世話をしてくれる時にマッサージもしてくれるのだが…行きたい時に行けないっていうか今すぐ身体をほぐさないと凝りすぎて仮眠もできない! って時に行けないのがなあ…
【河内や泉州で女として生きること2】
昨日も同じテーマで書いたが。
河内や泉州の女が「強い」と言われるのは、我慢せざるを得ない環境を分厚い糖で粉飾しまくったフレーズだ、ということを書いた。
家訓として「美男子と結婚するな」というのがあった。
泉州の母方の家の家訓である。
おばあさんがそれで相当苦労したからだ。
その言葉通りおじいさんは大変な美男子だったらしい。若死にで、私が生まれた時には既に故人だったので見たことがないのだが、皆口を揃えて「かっこよかった」と言うのだからまことに美男子だったのだろう。
だって人の好みは様々で、私がかっこいいと思っている男や美人だと思っている女が他の人にとっては全くタイプじゃないなんてざらにあるし、親族間でも嗜好は違うのに、おじいさんを知っている人は皆そう言うのだ。
しかも貧弱な食生活を強いられていた貧困の在日コリアン家庭であったにも関わらず、祖父の身長は180cmを超えていたという。今だって180cmは高身長であるが、当時の基準でいうと高身長of the 高身長で、死んだ時用意可能な棺桶のサイズがなく葬儀屋と家族が困ったという逸話さえあった。
そのせいか私の家では男も女も低身長はおらず、私は163cmくらいあるが家族の中で一番背が低い。男で180cm未満の血縁もいない。
だが、泉大津のアラン・ドロンと称された男は典型的なDVで、外ヅラは良く家族には当たりがキツイという男だった。ちなみに家に金もあまり入れていない。
故におばあさんとママからは口すっぱく「美男子を相手に選ぶな」と小さい頃から聞かされ続けていたのだが何の因果か私の周りには美男子が多い。結果はお察し、呪われている。
で、その記憶はおじいさんの娘、つまりママやおば達には強烈に残っており決して彼女らはおじいさんの写真を祖母の遺影の横に飾らないという気配りを20年以上続けているのだが、おじいさんの息子であるおじは何故か自分の父親について「親父も大変やったんやな~と思うわ~」と口にした。
当然姉たちから即座に「絶対にそんなことない」「殴られたの覚えてへんのか」「一番苦労したんはお母はんや、何を言う」と袋叩きにあってたのだが、もうこの一連の流れがいかに泉州の男の一種の気楽さを体現しているか、地に巣食うシステムを無意識的に継承しているか、読者諸君にも感じていただけることと思う。
なお泉州のアラン・ドロンの娘たちは梶芽衣子そっくりだ。アラン・ドロンから梶芽衣子が生まれる。マジカルですねえ
そして今日の本題に入るが…
泉州や河内の女は実は家でととのえる食事にうるさくない。
これには仕事の質が関係している。
祖母は泉州の名産であるニット・毛布の仕事をして家族を食わせていた。
母も中学卒業後は祖母と一緒に働いた。祖母の家には印象的なミシンがあったのを未だに覚えている。他の地域の家にはちょっとない、とても大きく立派なミシンだ。
家に風呂はなくてもミシンはあった。
東京の子に訊かれたことがある。
「それだけ男尊女卑な文化で育ったら、仕事をしていても家事をきちんとしろ、食事をちゃんと作れと母親から小言をくらわないか?」と。
私は一度もそのたぐいの事を言われたことがない。
両親共働きで、あと何故か高2-3の時家に殆ど両親がいなかったから、料理を含め家のことは自分でしていたけれども、あったら有難いという感じで、文句をつけられたことは本当にない。
料理を始めたのが中学の終わりごろだったので高校の半ばくらいまであまり料理は上手くなかったけれど、味にも品数にもケチがついたことはなかった。
たまごやきときゅうりの酢の物だけ、みたいな簡素すぎる食事でも、単に失敗して思ったとおりの味にならなかった食事でも。
一般的なサラリーマン家庭と違って、家業をしている家の女は食事にうるさくないのだ。
代表的な話として京都のパン消費量が日本一多いのは和食の街のくせに意外だ、という話題が定期的にあるけれども、あれは家業をしている家が他のエリアより圧倒的に多く、そんな家で朝からちまちまと米を炊き味噌汁をつぎなんてやってられないのでパンを買っておいたら事足りるということである。
(蛇足だがそのおかげで京都市内のパン屋は総菜パンのクオリティが高い)
もう、仕事を終えて食事があつらえられていたら万々歳、という感じ。
歴史的に見れば専業主婦とかいうポジションが生まれる前は皆々農民や商人をやっていたわけで、こちらの意識の方が期間でいえばスタンダードである。
今更料理研究家の土井センセが一汁一菜で十分だと唱えているがこちとら半世紀以上の歴史あり。
これが何故か男目線だと違うんだよなあ。
ボクも家事は<手伝い>ます、という目線になる。共働きでも御立派な食卓があること前提のセリフである。
食えるモンがあるだけありがたいと思えぇ!と心の中の千鳥ノブが叫んでおる。
【祭り】
そういえば泉州出身の男性とこのあいだしゃべったが、「しょうみ、東京の祭り全然おもろくないんです。地元のだんじりに比べたら、リズムも何もかもちまちまとしてて…」と切り出すと、向こうも「ボクもそう思います。オモチャみたいな神輿を大の大人がよってたかって何人も…何がおもろいんやろか」と言っていた。
他の泉州人からも同様の感想を聞いた。
東京の祭りは人が死なない。