誕生日の夜に何が起こったかというと、Ms. Aを見つけた。
その夜私はしこたまワインを飲みいい気分だった。
最寄駅から降りて回転するように歩いていると、彼女がいた。雨をよけるため銀行の軒下に。
彼女は地べたに腰かけ、大荷物を枕のようにしてうずくまっており、表情は見えないはずなのになんだか苦しそうに見えた。
「Hey! 大丈夫?」
声をかけると、怪訝そうに彼女がこちらを見た。
こんな夜中に声をかける人がいるなんて思わなかったんだろう。
でも彼女は答えた。
「大丈夫じゃない」
「どうしたの?」
「二日何も食べてない、I'm hungry」
私は彼女に取引を持ちかけることにした。
「私のダンスを見てくれたらそこのコンビニで必要なものを買います。どう?」
「ダンス?」
「そう、ダンス。今すごく踊りたい気分。見ててくれるだけで構わない」
「分かった」
「決まり、じゃあまずコンビニに行きます!」
次の瞬間、彼女は目を覆った。
私が道路を横断したから。
「なんて危ない! あぁ、信号を見て…」
「車は来なかったし、この通り何もなってない」
「もう…左右を確かめて…」
彼女はちゃんと横断歩道までいって、右も左も見て、それからコンビニの前まで来た。
先に待っていた私に対する心配と呆れと不安が入り混じった表情を見て、すぐ動く子どもを持った人間はきっとこういう表情を毎日せざるを得ないんだろうな、と思った。
コンビニで「今日あなたVIP! 必要なものを選んで!」と聞くと、あたたかいお茶、ホットコーヒー、弁当を彼女は選んだ。
銀行の前まで戻って、彼女がゆっくり食事をするのを待ってから私は踊り始めた。
人選は適切だった。
彼女はバカにせず無粋な質問もせず、平生の調子でちゃんと私の踊りを見た。
Rick Jamesの"Super Freak"が終わると同時にiphoneの充電は切れてしまった。
一曲終わってヘラヘラ笑いながらまるで紙が空中を舞うような仕草で座った私に対して、彼女は相対的に冷静だったといえる。
私は座る途中で眼鏡を落とした。さっき出会っていきなり取引を持ちかけてきた女がとんでもなくおっちょこちょいということに既に彼女は慣れ始めていて、静かに「落としたよ」と言いつつ眼鏡を拾ってくれた。
「あなた、いつもこうなの?」
「いつもって?」
「お酒のんでこうなるの?」
「酒なぞ飲まんでも眼鏡は落とすし転ぶし階段から落ちるんよ」
「酔っ払いじゃないのに階段から落ちないでしょ」
「皆そういうけど私は落ちる」
座って話しはじめ、ようやく彼女の名前を聞いた。彼女は日本語がまあまあ、英語は流暢、中国語はネイティブだった。(「中国人だから当たり前」と言われたが私は韓国人なのに韓国語は分からないからこのテの質問は型にはめないことにしている)
私にとって彼女の名前は聞き取るのが難しすぎた。それは流麗な中国の名前なのだろうけど英語で聞いても日本語で聞いても、頭の中で文字をつけるのが難儀だった。なのでここでは便宜上Ms. Aと書く。
Ms. Aから以下のことを聞いた。
彼女は大阪から来ていて東京で二日間メシを食べていないこと。
図書館へ行こうとしたら追い出されたこと。
マスクがないのでやたらめったら警察に文句を言われること。
結婚して18才の子どもがいるが、子どもに恥ずかしい母親と思われていて不服であること。
私が彼女を見つけたように彼女も私を見つけたということ。
「あなた、何の仕事してる? いつもこんな遅い時間に帰ってくるの」
「〇〇で働いてる、今日はたまたまバースデーパーティをしてもらってて遅くなった」
「あなたの働いているところのシステムを私はいつでも止めることが出来るよ。信じる?」
「信じる」
私には能力がある、とMs. Aは言う。
「システムだけじゃない、信号も。あなたさっき危なかったから、私は怖くなって三回も止めることになった。いつ車が来るかと…」
「私はいつもこう。子どもの頃から注意力が欠けてておとなになっても治らなかった。もうずっとこうなんだろうな、近くにいる人が能力者でも能力者じゃなくても等しく迷惑かけて、何か補ってもらうことになる」
私が死ぬ時は多分注意力の欠損が理由ではなく、その他の理由になる。
注意力が欠けている分は、Ms. Aみたいに近くにいる人に助けてもらってるから…私にとって致命的な事象は、注意力由来では在り得ない。
彼女の子どもは18才だというからしばらくこんな目に遭ってないのだろう。
漫画表現みたく、Ms. Aは額に手を当ててため息をつきそうだった。(私がたいそう不注意なため)
Ms. Aとしばらくお喋りした。
生活保護がきれないかどうかに一喜一憂しているらしいので、英語も中国語もペラペラならうちで仕事をしたらいいのにと言ったら、「掃除の仕事?」と訊かれそれで彼女が置かれている境遇を察した。
掃除婦が真っ先に思い浮かぶということは、Ms. Aは日本でまともに就労する機会がない。
私が煙草を開けて吸っていると、
「あなた煙草吸うの。どんな味がするの?」
「甘くも辛くもない。苦い」
「苦いなら吸わなきゃいいのに…」
まるでお母さんみたいなことを言う!と言いそうになったけど、今の私は彼女から見た印象が「ものすごく不注意な人」であるし、そもそも皆が幼少期に親から躾けられるようなことすら出来ていないので黙っていた。
「あぁ、コートに灰がかからないように…穴空くよ」と今宵何度目かの生活上の注意をされたあと、竜神の話、星の話、警察がとにかくMs. Aを精神病患者として入院させたがる話、私と同じ名字の人が某省庁の大臣の愛人になって寵愛され多くのお金をもらっている話、男に遊ばれるよりは遊んでしまえという話、往来でコロナウイルスの確認をして必要があれば破壊している話、天候を操れる話…色んな事を話してもらった。(どれも面白かった)
電話をかけるべき時がきたら電話帳を調べなくても番号がわかる、という能力のことを切り出され再度「信じる?」と訊かれた。
「信じる」
「なぜ?」
「<極端>の女の人は一般から見て信じられないことをするのが普通だから」
Ms. Aは私の手を握ったらあんまり冷たかったので、吃驚して、健康状態や将来を視てあげる、と言った。
私は冷え性だから手足の先は常時冷えているのだが、素直に視てもらうことにする。
Ms. Aの念視のspellは英語だったけど、文言は割愛する。
私はコロナにかかりにくい、運も強く栄養状態もいいが、それならば自分から身体を悪くする習慣をやめろとのアドバイスをされた。
「貴方酒と煙草を辞めれば一生健康」
「酒はともかく煙草辞めないから無理そ~~~~」
「結婚は貴方を想って毎日泣く人にしなさい」
死ぬときに涙する人じゃなくて、毎日やきもきしてくれる人かあ。
私は彼女の能力に対して、1000円支払った。
Ms. Aは「私を能力ある人と思うならもう1000円払ってほしい。コインランドリーに行きたいしご飯も食べたい」と言った。(女として身なりを綺麗にしたいという主張はもっともだった)
だけど私の神が「1000円」と決めたのだからそれ以上支払うことは出来ない。その説明は他人にするのがかったるいからどうしようもない。
私は立ち上がって、Ms. Aにおやすみなさいをして歩いた。
傘は要らないのかと聞いたが、傘は大丈夫、不要だと彼女は言っていた。
しばらくして眼鏡のレンズが片方落ちていることに気が付き、Ms. Aのもとに戻ると彼女は再び請求するでもなくレンズを一緒に探してくれた。
レンズはすぐに見つかって、私は帰路についた。
「…というわけでね、ここに来るまでにこんなことがあった。信じる?」
「信じる。信じて僕は救われることにする」
可能性について私は疑問を挟まない。
「そういえば、帰る時には雨降ってなかったな」
「操作は出来なくても予想が上手いのかもしれない」
そうかな? 予想に福音ってあると思う? 私はないと思う。
私がMs. Aの話のうち「これは妄想」だと内緒で斬り捨てた部分の他について「信じる」と言ったのは本当で、私が道路を横断している間と踊っている間、車は一台も通らなかった。