焦げた後に湿った生活

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間接霊呪

母親は幽霊になっていた。生きた人間も霊になるのだと、今更思った。生霊という言葉は知っていても、身近な人間がそうなるとはなかなか信じ難いものだ。

 

 

「幽霊屋敷」とイエを捨てて京都に逃げ、さらに実家に帰ることもやめて新しい家に籠りはじめてから、何年も経った。両親の顔をあと何回見られるだろうかと思いながらも帰ることはしない。わずかな回数、母が京都まで来るに限って私は親の顔を見ることがかなう。もはや父と顔を合わせることは諦めている。あの時も「今週京都に行くから食事しよう」と母はいかにも楽しみなようすでお店選びを私に頼んだので、私もそんな位のことで喜んでもらえるならとせっせとwebを繰ってきれいなビストロを探しあてておいた。

選んだのは、×条駅から歩いて3分ほどの新しい清潔な店だった。野菜にこだわりがある店だと書いていたので野菜料理に期待していたが、まず眺めがよかった。建物自体は雑居ビルの3Fだったが、中に入るとよごれていない白い壁とあかるい照明で、いかがわしい雰囲気が全然なかった。当日最初の客だったらしくどこにでも座れたので窓際のテーブルへいくと、どの椅子に腰をおろしても川を眺めることができるのだった。母はビール、私は腹の調子がよくなかったので常温のワインにし、前菜の盛り合わせと野菜のサラダを頼んだ。前菜は並みだったがサラダはよかった。美しく盛り付けされているだけでなく、二人でシェアすることを見越した配分にされており(つまりいちいち客が考えたりゆずりあったりしてとりわけなくてもいいようにされていた)、燻った香ばしいオイルと塩でシンプルに味付けされ、色とりどりの野菜が見た目にも美味しそうだった。この店を選んで正解だと思った。こんな料理は家ではできない。できるかもしれないが誰が時間と手間をかけてやるだろう。母も私も働いているのだ。働く人を癒す料理、見て食べてときめく料理を食べさせたかったから、ひとまず店選びがうまくいってよろこばしかった。

グラスワインが二杯目になったころ母は私の結婚生活のことを聞いてきた。そもそも今日母が来た理由は私のことを心配してきたのだ。母親は娘をみて、むかし妹たちが結婚した時のことを想起していた。ひとりは夫が口やかましく、何をしても貶され、気力を失ってしまった。もうひとりはあんたがさっさと済ませないと下の子たちがつっかえるからという理由で半強制的に結婚させられ、相手は真正のアル中だった。(母は長女だったので同じように半強制的な結婚をさせられていたが父は少なくとも暴力はふるわなかったし酒飲みでもなかった、しかしそれは単にダーツ式に何を引き受けさせられるかの問題であっただろう)妹から夫に殴られているこのままでは危険だという電話を受けて父と弟と一緒にお母さんが駆けつけたんだよ、弟と一緒に、寝ていたそいつを蹴飛ばしても起きやしなかった。アル中でずっと深酒してるんだという話を聞いた瞬間に私はすべての動作を止めた。

弟? そいつは私にセクシュアルハラスメントをした人間だ。母にその人物の名前を私の前で出さないでほしいとお願いしてからその名前を聞くのは三回目だった。たった二か月前も、母は加害者である叔父の名前を言って私を凍らせている。その時だって、私はなぜ名前を聞くのが嫌なのかを再度説明して、母は二度と言わないようにすると面前で誓ったではないか。

「なぜ私の前でそいつの名前を言うの」

「うっかりしてたのよ。忘れてたの」

うっかり? うっかり何度も娘に加害した人物の名を親し気に出すなんてことがあり得るのだろうか?

動作を止めたまま、頭の中で虚空が疑問とともに拡がっていった。虚空はするすると拡大してゆきどこまでも深かった。紺色の無窮空間が答えを求めてとめどなく膨張していき、同時にすべての気力を私から奪っていった。親は私の被害を軽くみている。いくら心配していると言われても、心配している人の行動をしていないから信用できない。加害者を罰しもせず、加害者と関わりたくないし名前も聞きたくないという娘のささやかな依頼も裏切った。怒りも悲しみも苦痛も共有してもらえず、何度嫌だと伝えてもなぜか会うたびに加害者の名前を出され、本来なら一番安心できる存在である親から二次加害を受けているという失望の分だけ虚空が拡がり、もう止めようがない死んだ方がこれ以上苦しまずにすむのではないかと思いながら無言で涙を流し続け無窮の空間で絶望しながら何分経っただろうか。膨張が一旦止まった。誰かが私のSOSをつかんだ。「うっかりなんてあり得ない」というセリフを聞いた。大変なつかしい感触だった。私はこれを知っている。

声は警告している。ー「そんなことはあり得ない」と。

 

 

母の願いで場所を変えた。ビストロから××コーヒーに移った。

さっきの声を聞いてから私は何かがおかしいと確信し母を問いつめていた。なぜ何度お願いしても加害者のことを口にして私を追いつめるのか、いくら質問しても母は忘れていたとしか答えない。そんなことは真実ではないと怒った私がおしぼりを投げると、母は「親にこんなことをするなんて…何度言っても信じてくれないなら、距離を置きましょう」と言った。

親にこんなこと? この期に及んで、自分の弟によるハラスメントや家族の無理解で精神科にかかっている娘に対して、都合が悪くなると親の威厳を見せつけようと試みる習性に腹が立った。おしぼりを投げられるくらいなんだというのか。それ以上のひどいことを自分がしているという自覚がないからそんなセリフが出てくるのだ、親だというのなら娘が被害にあった時加害者に謝罪させればよかった、それすらしないで何が親だ、と反論した。そして、私に本気で謝ってほしいと言うと母は考えこんでしまった。考えこむのだ。ひどい仕打ちをしておいて謝れないのだ、と思うとまた絶望の味が舌にあらわれてきた。

そのうち私が呼び出した夫がコーヒー店に着き、夫にひとこと「母がまた私の前で加害者の名前を出した」とだけ告げてトイレへすべりこんだ。しばらく泣きながら個室で壁に手をついていると、ふと不思議な感触が頭の中に形成された。不思議な感触を持ったまま席へ戻ると、いきさつをきいたであろう夫は何とか言葉をしぼりだして、母に「お義母さん、距離を置くというのは、結局問題を先送りにしているだけじゃないですか?」などという話をしている最中だった。私はそれを真剣に聞いておくべきだったのかもしれない。けれども、席に座った瞬間から個室で発生したあの感触がどんどん頭の中だけでなく体中に侵食していき、絶望していた心(それは人体の箇所で表すならば胃の底に該当すると思う)にコン、と触れた時、私は第六感の新境地を見えない方の眼で体感しておりそれどころじゃなかったのである。

心眼開花し神懸かり状態になった私はこう切り出した。

「お母さん、自分がされたことを私にやり返すのはやめてほしい。」

ここから以降は、誰かの力を借りて口にしたことだ。でも、一体誰が力を貸してくれたのだろう?

 

 

「お母さん。自分がされたことを私にやり返すのはやめてほしい。といってもいきなりこんなことを言われて訳が分からないと思う。だけどもう私には分かってしまったから訳が分からなくても聞いてほしい。あなたは無意識のうちに過去自分がされたことを繰り返している。今まであなたを苦しめた人たちはあなたを尊重しなかったし、謝らなかったし、それに周りにいた誰もお母さんを苦しめた人間を断罪してこなかったんだね。気づいてあげられなくてごめん。私がお母さんにお願いするのは酷な話かもしれないけど、上の世代が耐えないといけなかったことを下の世代も耐えないといけない義理はない。あなたを無理に結婚させる人ーあなたの母親も、あなたに意地悪をし続けていた義姉も、もうこの世にいない。あの人たちの亡霊にとらわれるのは今日で終わらせてほしい。」

「お母さんは……もう気にしてないのよ。あの人たちのことは忘れたの」

忘れた? そんなことはあり得ない。

あの幽霊屋敷で無力な少女を守っていたカール・ユングマントラが私に向かって呼びかけてきた。そんなことはあり得ない。ユングマントラが私に加勢し、見えないものを見させた。母は、どんな理不尽な目にあっても、子どもを育てるために憎しみを忘却しようとつとめたのだ。しかし、忘却しようとすればするほど、なかったことにしようとした感情は幽霊屋敷の養分になっていく。幽霊屋敷、いわば家父長制・イエ制度というシステムのデメリット、抑圧された影が自動的な存在になり、無意識の領域で、イエの中で弱い者を自動的に攻撃するようになる。私は中学生の時に読んだ、ブギーポップシリーズの作者が書いたライトノベルに出てくる「ラウンダバウト」を思い出した。直接ダメージを与えず、偶然の現象によって間接的に対象を攻撃する能力だ。それよりもさらに間接的ということを深化させた、幽霊屋敷の怪奇現象。かつて先祖の誰かが味わった苦痛が無意識の悪意となること。私を直接死に至らしめることはできないが、間接的に消耗させようと猛威をふるう幽霊たち。母は今、彼女/彼らと同じように無意識の攻撃を私に行う存在になっている。

「虐待された子どもが大人になって今度は虐待する側にまわる」というありふれた言説のことも思い出した。母は女性に対する抑圧を打破する成功体験を持たないのだ。昭和の時代にどうやって貧乏な家に生まれた女性が自由な選択肢など持てただろう。だいたい、母の経験が忘却可能なレベルであるはずがない。私よりも強烈にイエというものの悪影響にさらされざるを得なかった。それでも忘却したと片付け、なかったことにすることでしか前に進めなかったのだ。たとえそれが影を強めていったのだとしても。

忘却と抑圧のメカニズムだけじゃない。そうだ、心理学にのめりこんだときにレッスンした箇所だ。うっかりなんてあり得ない。人が何かを忘却するとき、うっかりやらかしてしまうとき、そこには何らかの欲望がはたらいているというくだりを確かに読んだ。誰かが私の手を握っていた。現実的には夫の手であっただろう。しかしながら、現実にいながら心眼開花によって冥た世界に移動している私の手を握っているのは夫でない。


「本当に認めがたいことだろうけどあなたが何度も加害者の名前を出すのは私を憎んでいるからだよ。もちろん娘を愛しているのも理解しているけど心のどこかで憎んでいると言わざるを得ない。何回も”うっかり””忘れて”て加害者の名前を出すのは偶然じゃない」(この世に偶然などないと、手を握っている人も言う)「心のどこかで私を憎んでいるから無意識に攻撃している感じがする。あくまで無意識だから本人としては"うっかり"だとしかとらえようがない。それは私にはよく見知った現象なんだよ。実家で何度も怪奇現象にあったことは知っているよね?大幅に話を端折るけど、幽霊の正体は【なかったことにした気持ちのふきだまり】のようなものだよ。お母さんは忘れたことにしたのかもしれない。それを責めもしないし否定もしない。そうするしかなかったのだろうから。でも現になかったことにされた気持ちが私を攻撃していることを一旦受け入れてほしい。あなたは私が理不尽なことに対して抗い怒りを表明することに、腹を立てている。それだけじゃなく、ほとんど記憶に残っていないだろうけど、私が自由に人生を生きようとするとき、それを阻害する傾向がある。」(彼女は12年前自分が怒り狂って私にカットモデルを辞めさせた時のことを、父だけが怒り狂って辞めさせたと記憶していた。実際は、両親ともに鬼の形相でカットモデルの現場にのりこみ私を引きずり出したにもかかわらず。娘を好きなようにさせたくないという自分の中の闇の欲望、負の感情をなかったことにしていたのだ)

「こういうことをふまえて、ちょっとにわかには信じられないかもしれないけれど、やっぱりお母さんは自分がやられたことを反復していると私は断定しているし、できるならば、酷な話だけどなぜ自分が娘を憎んでいるのか、同じ目に遭わせてやろうと欲してしまうのか、をカウンセリングの力なんかも借りながら、考えてほしい」

 

ここまで並べ立て、私は帰ろう、お母さん。と言った。

母は飲食代を払おうとしたが私は断ったし夫にも出させなかった。今日終わらせると決めたのだから、母をあの幽霊どもと同じようにはすまいと、言葉遊びのようだが私がはらうのだ。

 

母を見送って、帰りの電車で「なぜ今まで気づけなかったのか疑問だ。お母さんは自分が苦しめられてきたことを娘に繰り返してるだけ。よくある話なのに」とつぶやくと、夫は「前からうすうす勘づいていたんじゃないの? 言葉にできなかっただけで」と言った。そうかもしれない。

 

私が床についても夫は何かを考えていてなかなか寝ようとしなかった。

「なに、かんがえてるの?」

「あなたの、能力だよ。人の心を見抜くとき、何かをショートカットしてるんだ。」

「ただの第六感じゃない」

そう、ただの第六感。ただし一朝一夕のものではない。コーヒー屋で手を握っていたのはかつて泣いていた先祖の誰か彼かだ。家父長制というシステムのデメリット(個人の人格を尊重しない)によって起こされた、何十年も前の、ひょっとしたら百年以上前の出来事によって無意識の悪意に成り果てる以前の、怒りや悲しみを抱えていた個人(たち)が私に同調しサポートしているのだ。

私はもはや家という限定された場所を媒介にしなくても第六感を発揮できるほどに成長していることを知った。私の曾祖母は腕の立つムダン(イタコ)だったが、今は2018年、大掛かりな口寄せなど必要ない。たとえば、繰り返す抑圧から母を解放する程度の能力さえあればいい。

媒介は、現代人らしく心理学の知識くらいにとどめて。