焦げた後に湿った生活

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影の話

"夢の内容は現実の世界では実現不可能なことや、本人の願望に近い内容であることも少なくありません。心理学的立場からは、現実に達成できなかった衝動などを夢という疑似的な行為で満足させたり、性欲や破壊欲などの本能欲動が開放されるという仮説があります"

引用: 尚絅学院大学 人間心理学科 / 「夢」を生きる

https://www.shokei.jp/faculty/university/human_psychology/information/detail.php?p=144

 

私の母は荒唐無稽な願望を抱いている。ひとりの人間のキャパシティを超えた苦難の記憶を、そっくり忘れた人間として在りたがっている。

完全なる忘却などありえない。たとえば、私はつい最近、いまだ赤面してしまうほどの失敗をして試験におちた。この恥ずかしく嫌な記憶を抹殺するためには、すべて忘れようと力んでも逆効果である。むしろ、恥ずかしくてのたうちまわっている自分を受け入れることでしか忘却の道はひらかない。

母が楽になるには、イエ制度と女性差別と貧困のため未だに苦しみ、うらみを持っていると彼女自身が認めるしかないのだ。時間が傷ついた人間の味方をするには、この関門をクリアしなければならない。

 

ロバートダウニーJr.主演の、映画シャーロックホームズの2作目「シャドウゲーム」を知っているだろうか? 愛すべきダメ人間ホームズが、結婚のため自分から離れていくワトソンと再び推理と冒険に出ていく物語だ。

この映画に対する考察がすばらしいサイトを見つけたので貼っておく。

https://kaorusz.exblog.jp/19518881/

全体的にすばらしいのだが、モリアーティがホームズの影(シャドウ)だと指摘しているところにまいった。特に引用したいのはこれ。

"ホームズにとってのモリアーティとは、決して認められない自らのネガであると同時に、自らが意識的に望むことを許されない抑圧された願望が叶えられる口実を与えてくれる存在でもあるという、アンビヴァレンスそのものの象徴なのである"

 

 私にもある。ホームズにとってのモリアーティが。

 

実家に帰れなくなって何年経つかわからない。私は現在うつ病PTSDがひどくて希死念慮があり誰かの介助がなければ生活はむずかしい。配偶者が介助を放棄してしまったためなんらかの庇護下になければ生きられないが、それでも実家に帰るというのは入院より上の最終手段だ。

自分の意思で実家に帰らないことを選択したのは自明のことだが、しかしながら、ものごとにはつねに反対の力がはたらく。理不尽なことをされて帰らない意思を固めるたびに、ホームシックは年々高まっていく。

路線図をながめると谷町線をみてつらくせつない。

用事があって大阪へ行くと、喉から胃にかけて、帰りたくても帰れない気持ちがしとり、しとりと降っている。

電車の中で老女をみかけて母ではないかと吃驚する。

 

どうしようもない。私にできるのは、自分がホームシックであるとみとめることだけだ。しかし、影はそうではない。いつかのレッスンで、夢の世界は無意識の闘いだと学んだでしょう? 今回もそうだよ。 

 

私はまた××区に閉じ込められている。閉じ込められているとはいささか妙な表現かもしれない。別に私は監禁されてもいなければ、手錠足枷をされたわけでもない。ただ、出られない。

この世界のルールは

(1)××区内を移動すると必ず時が加速して移動に失敗する。もちろん隣区に移動しようとしてもおなじ。

(2)たとえ公共交通機関に乗っても梅田までの間に必ず乗り換えが失敗する

(3)妨害が入る。避けられないのでのりこえるしかない

(4)にもかかわらず移動して何かを成し遂げなければいけない

だ。

 

成し遂げないといけないことは様々で、区内の特定の場所に行かなければならなかったり、はたまた大阪府外へ行かなくてはならなかったり。

私は何度も××からの脱出に失敗した。ある日は地下鉄で乗り継げなくなって。ある日は時が加速して身体が追いつかなくなって。ある日は成し遂げをしなきゃならん場所が理不尽にもコロコロ変わって。またある日は区内で夜道を歩いていると、性暴力にあい抵抗したが三人がかりで暴行され死ぬ。

 

こんな目にあっても健気に私の無意識は大阪にいるのだ。どんなに酷い目にあっても大阪にがんじがらめなのだ。実家に帰ると自動的な幽霊が現れることもわかりきっているのに。(http://jahlwl.hatenablog.com/entry/2018/10/13/172751)

カウンセラーには原風景と言われたが、原風景以上のものだ。私は今でももとめている。父にも母にも別れても、どんな体験をしてどんな大人になっても、leashで縛りつけられてテコでも動かないものが脳か心にドンと居座っている。

私のシャドウはちゃんと私の願望を叶えている。ホームズにとってのモリアーティがそうだったように。苦難苦痛をあたえながらも、大阪に帰りたいという願いを成就させているのだ。

 

今日はちょっと様子がちがうらしい。どうも区外から××に入ってきたらしい。中学入学当初通学路で私の名前をなぜか知っていて呼びかけてきた大将のいるちゃんこ屋あたりで私はテクテク歩いていた。歩く方向だっていつもと逆だ。

信号のある場所で不審者の中年男性が相撲取りに絡みついている。多分相撲取りは別れたいが中年男性はそれを許さないのだろう。

私はなるべく自然に二人の間に割って入ってそのまま歩いていった。中年男性が怒りの矛先を私に向けてついてきた。

パンクスの友達たちがたむろしている、友達のひとりのアパートに入って、部屋でやり過ごさせてもらおうとする。Kは私を中に入れてくれた。Kの他にも何人か大阪のパンクスがいるからか、中年男性はアパートに入ってこれない。

彼はしばらくアパートの前に立ち止まっていたけど、やがてどこかに去った。

 

はじめてシャドウゲームで、展開を変えられた、といえる。

友達を頼れば、安全は保たれているらしい。

母もいつかは影のゲームに気づくのだろうか。われわれはイエから生まれたしイエのシステムと影は切っても切れない関係だ。抑圧とモリアーティはコインの裏表だ。

母に友達はいるだろうか。急に心配になってきた。家のために働けとむりやり中卒にされ、親の仕事や家事を手伝わされ、結婚を強制され、馴染みない土地に住むことになったひと。夫の親族にいじめられたひと。

血のつながりが救ってくれないのならば横のつながりに賭けるしかないのだから。

母に友達はいるだろうか…できればハードコア&ジェントルな友人がいい。