焦げた後に湿った生活

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河内のルージュマジック

どんな世界にも昼行灯のような人間はいる。ようござんすなあ、こちとらそれではどんならん、アタマつこてカラダはってやらなあかんさかい、と煙草の一服でもしとうなる。

 

どこの並行世界にほうりだされても、私はヘルタースケルターせなあかんらしい。5才の時分すでにはたらいていた。給金をもらっているわけではないが、家の仕事なのだ。

私の家はマフィアで、商売柄出入りの人間もいるし家族・親族自体も多かった。家の構成員のつながりがよそより濃い。血の繋がっている者も義兄弟にあたる者もいたが、こういう家の人間との関係性の強さが他の家の子とちがうんやなと思った。小学校の同級生に「よォいとこや義兄チャンとお風呂入ってる」と話すと、うちはいとことそんなになかようないよ、と言っていたから。私はESPを持っているので、自我がめばえ立って歩けるようになったらすぐに家の仕事を手伝うようになった。

人数の多い家の一番下だったので、面倒をきょうだいやいとこたちがよくみて、私も彼らになついていた。どつかれて育ったわけではないが、仕事をしないという選択肢はなかった。イヤイヤ言える時期は与えられず、手伝わなければ愛情はみせてもらえぬ。それが当たり前で、自分のやらないといけないことを考えて行動しないとほっとかれるだけだったのだ。はじめのうちはなんとなしになんもしとうないと気分で動かぬこともあったが、すると誰も構ってくれなくてポカンとひとりぬいぐるみを抱いて皆がせかせか動いているのを眺めているだけだった。おもしろくないので、結果働き者になったというわけだ。

私の役割は情報収集だった。私は一定の相手ならある程度心を読んだり防衛機制を看破したりして、対象が次に起こすであろう行動を予測することが出来る。といっても幼い間は複雑な概念を知らないし家の仕事の詳細もわかっていないので、「あのおじちゃんは〇〇したいねン」「えややなあ思てはるねん」と告げる程度であった。

よく兄や義兄が幼い私を抱えて仕事に連れていった。危険察知の能力もあるので炭鉱のカナリア的な意味合いもあったのだろう。彼らは口にこそ出さないが、よォ見ときや、あれがお前のターゲットやぞという意思は私に伝わっていた。

ちゃんとするべきことをしていれば怒られたりほっとかれたりしないし、きれいな洋服や人形を買ってもらえることもあった。私はシック好みで、つるつるの黒いエナメルの靴をほしがり、靴が小さくなるたびに似たようなデザインのものを買い替えてもらった。毛が生え揃って何年も経ってないであろう、若くしてスーツ姿の義兄が、えんじや紺のワンピースに黒の靴といういでたちの私をだっこして、ガム(駄菓子屋で数十円の、私が好んでいたもの)なんかをくれて一緒に仕事へ行ったものである。

 

ある日、事件が起こった。夜にガシャーンとガラスの割れる音がして、騒ぎが始まった。ガラスの割れたところから誰か侵入してきたらしい。家の中にいた親や兄たちがただちに集まった。

あわただしくなされる会話の断片と、ESPで読み取ったことをつなぎあわせて親族のひとり、おじの勢力が我が家に突撃した、というのがわかった。家の者の大半は侵入者と闘っていて、義兄のうちより若い何人かが私を連れて走って逃げた。私の家は広い二階建てだったが、二階にいた私たちは他が一階の侵入者を食い止めているうちに侵入されたところと反対側の出入口から外へ出た。家はマフィアの息がかかったマーケットのほど近くにあり、義兄は私を連れてマーケットを駆け抜ける。20時を過ぎたマーケットは橙のあかりがともっていて、妖しい雰囲気を醸し出している。

途中、呼び止められたのか義兄たちが助力を求めたのか、一旦立ち止まった八百屋のメロンやバナナを売っているおじさんは…敵だった。

「おニイチャン、あかん」

短く伝えると義兄のひとりが八百屋のおじさんより先にサイキックを発動し相手の動きを止めた。おじさんを一時的にねじふせて再び逃走する。いつもなら優しい商店のおじさんたちも、今は誰が敵なのか判別つかないのが分かった。(これを見越して親は私を連れて兄たちに逃げるよう命じたのかもしれない。侵入者は敵であるのが確定しているし) 

長い長いマーケットを走って、だけど行き詰まった。抜けないといけない所で、おじの勢力がかたまっていたのだ。サイキック同士の殺し合いを避けられないと判断したきょうだいは、一番若い義兄に私を任せ撃ち合いを始める。

「おにいちゃんらはここでやらなあかん。こっから先ひとりでいくんやで」

いつもの癖で、イヤと言えなかった。

「にいちゃんらは絶対あとから行くからな」

それだけ言って一番若い義兄は私をよその世界へやった。移動している最中、今からうつる先で彼らに会える保障なんてどこにもないと小学生ながら悟った。

という夢を実家である「幽霊屋敷」の二階でみていた。起きて一階におりる。二階は無意識の領域、イエなるものの脅威が魑魅魍魎というかたちで襲ってくるのでいやなところだからさっさと離れたい。

一階の、玄関をしきる引き戸の前で私はふと止まる。二階にスマホを忘れた。二階の寝室に戻ると私のスマホは寝ている父親のしたじきになっていて、ある知人とのLINE画面でスタンプが12個くらい連打されていた。「おいおい、こんなにスタンプ押されたらパイセンが困っちゃうよ」と思いながらスマホを回収しまた玄関の方へ向かう。この流れのうちに、今自分が存在しているのも夢の世界のひとつだと認識する。私の夢の世界は複数の世界線と複数の因果が並行して存在し、これらを処理するための複数のわたしがいる。さっきまでみていた夢も、今も、one of themだということだ。

今までいた夜の世界に私は執着した。義兄たちを渇望した。うつった先の昼の世界ではひとりぼっちで、マフィアの抗争ほどドラマティックな展開はなくとも、人生のハードさを味わうことが明白だったからだ。というか、たいていの人間は生まれてから死ぬまでハードなのだ。学校や仕事や結婚、ありとあらゆる事象が生存をおびやかすだろう。親はいるけど私は今からこの家を出ていく。現実を反映して、過干渉の親や男尊女卑の親族の元から離れ、家というセーフティネットを失った状態で自活する。

この世界の私はほんの少し前に生まれた。死ぬまでか、夜の世界から義兄たちが迎えにくるまで、長くて孤独な闘いを強いられるだろう。現実だってそうなのだから。

よォわからんメンツで海外旅行をしている。親族と、会社の女の子もいる。北米大陸についたあとは、大型バスで現地を移動していた。現実にはこんな旅行は何十年していない。親族と早々に縁を切った自分は、家族旅行がとてもハードルの高い身分なのだ。

バスはPAに止まった。PAに止まる際の常として私はトイレに行く。ところが、トイレではどの便器にもシャワーが併設されていた。はてと思いながら近づくと、自動感知式になっていてシャワーから温水が出、私は濡れてしまった。便所でシャワーなんか浴びたくないのだがと困っていると、仕事場の女の子がやってきて「この国ではトイレとシャワーが一体になっているという文化なんです」と教えてくれた。

 

まったくトイレのトラブル関係は夢の定番だな、とこの夢の世界の私は思った。

そして、もしかして旅行のメンツは全員「働き者」という点で選定されているのだろうか、ということに思い当たった。私の親族は皆働き者なのだ。

昔は在日コリアンのため就職が出来ないで、頭脳労働をすべきような人間でもせんなしに土方仕事でもなんでもやったという背景もあるだろうが、時代が変わって一応就職は出来るようになっても働き者という性質は変わらずに、くるくる労働するのだった。先祖の居住したところが繊維業のさかんな地域だったので毛布ニットの類をせっせと作り、繊維業が落ち目になってくると用具をそろえ資格を取って介護業へ鞍替えした。いとこも空港で働いたり、勉強して行政書士になったりと、地味でも確実に食っていけるようにしている。会社の女の子は、有能な子だが働きすぎて倒れたという過去がある。

働き者が流浪する世界であった。

さらに進んだ先では、世界が最早手のつけられないほど差別的な社会になっていると判明する。バスには途中で乗らなくなり、おりたところで我々はアンネ・フランクのように隠れ家へ隠れた。

どうも、一定の属性は迫害されることになっているらしい。国から命じられたわけでもないのに、街の住人は徒党を組んで迫害対象を探して回っている。そういうことを私は隠れ家からこっそり様子を眺めて把握した。隠れた先は田舎の山の方で、田舎の常として家は広い。

住人は林間学習で使うような施設の前に集まり、町内会長然とした人物がなんちゃらかんちゃら喋っている。どうせ迫害をよさそうな言葉で正当化して話しているんだろう。体育祭の選手宣誓みたいな感じで。住人が周囲をぞろ探索しはじめた。遅かれ早かれ我々は発見され、屈辱的な目にあうだろう。

 

これだけ見届けると、また、世界を移動する予感がした。もちろん予感のとおりになる。

にいちゃんらは絶対あとから行くからな、というフレーズがリフレインした。ずっと忘れていたのに、夜の世界のことを思い出した。私は義兄たちが来るまで、自分のやるべきことをやって、経済的にも精神的にも自立して、ひねもす働いたりごはんを作ったりするだけだ。甘チャンのボンボンではないから、ようできひんなどと泣いているヒマはないのだ。何があろうと煙草を吸って立ち上がるしかない。せんど嫌な目に遭うてもそのたびに気持ちを切り替え、労働するかアタマをはたらかし手ェを動かして適切に対処するかしなければ、野垂れ死にするだけである。

 

どれだけ世界を移動し、昼の世界で日常の厳しさをなんとか耐え真人間としてやっていってても、私は義兄たちを待っているんだな。

夜の世界から義兄たちはやってくるだろう。おそらく。人数が減ったり姿形が変わったりしても、来るのは来るだろう。根拠はまるでないが、私はなぜか信じているのだった。しょうむないジャリの夢想でも信じてんとやってられんワ、ということでもあった。

 

#夢日記