焦げた後に湿った生活

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🐕Watch out, girl Ⅲ

たいそうな人々は人生をeditして生きている。えらいことでんなあ。私は明確に自分の意思でものごとを変えようとして、うまくいったことがない。あったかもしれないが印象にのこっておらず、その場その場でやりすごしている怠惰な人間だと自己評価している。

 

寮生活に出されてしばらくしたのちにたまたま旅行の途中で地元に戻ってきたが、いきあたりばったりでうまくゆかぬことばかり。寮に出されたのは10代の半ばだったが、他の子は頭取の息子などが修行勉学のためという目的で全寮制の学校に入れられて卒業後は進路が決まっているというのに、私は何も決まっていない。漫然と科目やさまざまのレクチャーをこなしていくので必死、何者になりたいかとかどういうスキルを身につけたいかを考えるアタマのリソースがない。

今日は、長めの日程をとって西を回る修学旅行の途中で地元へ来た。(私は東の学校へ出されたのだ) 大型バスはあの2×号線の一本横の通りへ止まった。泊まるホテルは近代的だ。まあ、生徒の親の手前そこそこいいホテルに泊まらないといけないのだろう。私には心から友達といえる同級生もいなかった。適当に組んだ3人組で旅行中を過ごし、彼女らに「自由時間はなにをしたい?」と聞かれたとき、ぽろっと「初恋の人に会ってみたいな」と言ってしまった。結婚がうまくいかなかったので、いちばんいいところしか見なかった恋愛のうわずみを無意識に選んでしまっていたのだろう。とっくに別の人と結婚しているだろうが、ぼんやりその人のところへは歩いて20分あれば行けるな、と考えていた。

だが、突如人生のふいうち加減を味わった。切実さというものが急激にさしこんできた。私の飼っていた犬の容態がわるくなったのだ。犬は老体だったが、少しボケている程度で身体は健康だったのが、息苦しく丸まってしまっている。他のことは考えられなくなり、私は地元で過ごせる自由時間を犬の前ですべて費やした。

 

クラスメイトはわいわいとレクリエーションの時間について話し合っていたが、私はそっちのけで犬の前に陣取っていた。ひとりが、声をかけた。あまり話したことのない地味な女子だったが、こちらを案じてくれたらしい。

「こうなったらあかんね。何も食べられへんし、いっとき苦しいのがなくなって楽になったかと思ったら、それが最後やねん」

向こうが切実さを感じとってくれているようなので割にすなおに話せた。このひとはみなしごなのだ。金持ちや中流階級で家庭に問題のないところの子とちがって、シリアスにならざるを得ない環境にいる。

獣医を呼んで、薬を犬に刺す手筈を整えておいた。薬を打ったら楽にはなるが寿命は変わらないということを分かっていながら、苦しいままほっておくのが嫌だったのだ。どうせ寿命なら苦しまずに逝ってもらいたい。

 

「ねえ、あと少しでバス乗るよ」

とクラスメイトに声をかけられたが、犬がこんななので私は動けない。

「ええ。行ってもうて」

と短く答えた。みなしごのクラスメイトは気がかりだったようだが、いってしまった。彼女もこの旅を済ませたあと将来を考えて一歩進むフェーズに入るのだから、当然だった。他の子より少しきつくてへらへら笑っていられない、という違いはあれど。皆が出発の準備をしている間に呼んでおいた獣医が来た。私が学校のことそっちのけで獣医と話しているあいだに、バスはあっさり私を残して九州に旅出った。バスが行ってからも、丸まった犬の様子をうかがっていたがしばらく経つと静かに息を引き取っていた。

 

ああ、そうやったな。

残念だったが、いっぺんやったレッスンなので嘆きは少なくすんだ。

この犬は死んでた。うすうす気づいていたが、むかし死んだ犬がもう一度死んだのだ。もう10年も前に死んでいて、それからもちょいちょい私に警告をしなければならないときに夢に出てきていた。夢の中で死んだら、これから夢の中にも登場してくれないのだろうか? 今日出てきたのは、なんの警告だろうか?

ホテルのスタッフが声をかけてきて、学校の方は行ってしまいましたがこれからどうしますか、と訊いた。犬は死んでしまったのだから自分のいくさきを考えないといけないのだった。今から新幹線で九州まで追いかけることはできるが…

「家に戻るわ」

何も考えずに言葉を発したらそうなった。歩いて帰るのだ。

何年ぶりかに自宅に戻ると、家には母がいてこたつでみかんを剥いていた。

「〇〇さん死んだよ」

とだけ言って私もこたつに入った。大儀やったねとねぎらわれた。このくらい簡素な方がいい。家庭にウェットさを求めていない。

じいやが盆にお菓子とお茶を載せて持ってきた。じいや? 

どうも母は新しい仕事をはじめたらしい。母が家事をする時間をなくしたので、お手伝いをいれたみたいだ。菓子と茶を口にし、軽くシャワーを浴びて、服を着替えた。××に行ってくる、と言って家を出た。

 

私は泉州に向かった。JRで新今宮へ向かい、南海に乗り換えた。小一時間ほどしてある駅に着いた。

相変わらず薄汚れた駅の壁がなんとも南海らしかった。泉州はいつきても曇りのイメージだ。単に現実の今日の天気を反映しただけかもしれないが、灰色がかった壁と空が、あまり高い建物のない街とあいまって、田舎でも都会でもないいかにも微妙なゾーンさをかもしだしている。今でこそチェーンのカフェも出来ているが、10年前はタリーズとかはなくてせいぜいミスド、あとはばあさんひとりでやっているようなしなびた喫茶店しかなかったものだ。

駅から近くのところに目的地はある。哲学や芸術まわりの人間がたむろしているコミュニティがあって、東へ出たため長らく関わっていなかったが、久しぶりに顔を出す。大学生や大学生をまのびさせたような30代が集まっている界隈。哲学がテーマの合同雑誌を作ったので、今日はそれについて話し合い(という名目の飲み会)をする。ごく一部の記事をのぞいて、パッとしたものはなかった。

こういう界隈の弱点は、哲学をするということが大義名分になっていて、実践するとたちまちアラが見え、そこでふんばれればよいが大抵は空中分解する運命にあるところだ。昔っぽい言い分かもしれないが、我慢して粗塩でもまれ、カドが丸くなる過程をたどっていないと思想以前に人間関係でうまくいかずダメになる。棘ばかりでマイムマイムしていたらいつか皆倒れるよ、人格が成熟していないとなにをしてもダメなのだなあと内心ひややかな目でみながら酒をすすっていた。

そのうち、お前も寄稿してはどうかという話が舞い込んできた。文は書けるし、絵も出来るかどうかは知らないが1ページのカットをやってみてはどうかと打診された。私は即座に白黒のイメージ画を描いてみせ、相手はこの感じなら良い、次の号に文章と絵を載せるからそのつもりでいてくれと言った。

 

遅くならないうちに帰った。親とじいやはまだ起きていて、ぬくい茶を出してくれた。こたつに腰をおちつけ、新しい仕事をする、と宣言した。

「おや、今日行ったところでですか」

じいやが聞く。

「いいえ…あそこにはずっといられない。でも、何かするわ」

確固たるイメージは、ない。今日仕事をもらったから、それをツナギにしながら手に職をつけよう。

じいやがケーキのような、プティングのような丸い1ホールの洋菓子を出した。6つにカットし、私が1切れ食べる間に母とじいやはたちまち残りを口にした。この老人たちは、元気。なんとなく安堵しながら、私は私を編集しなければ…と思った。

 

#夢日記