焦げた後に湿った生活

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映画監督に送った手紙(20xx年)

拝啓 T監督

 

こんにちは、すっかり春の気候になりお散歩日和になりましたね。

春がくるたび、というより桃の節句がくるたびに、私は幽霊屋敷のことを思い出します。

 

「幽霊屋敷についてのテキスト」をお読みになったことと存じますが、私は呪われています。

 

どこから書こうか迷いましたが、時系列順にお話しましょうか。

私は在日コリアン4世です。

曾祖父/曾祖母の代から大阪市内にイエがありました。

両親ともに韓国人です。帰化をしたのは兄だけで、他は韓国籍のままのはずです。

 

どうも2世代前までは男が早死にする傾向だったらしく、私は母方の祖母しか見たことがありません。

祖母は私が中学に上がる直前に亡くなりました。母方の祖父にいたっては30代で死んだと聞いています。

もとより在日コリアンのおかれた環境(就職差別と貧困の連鎖)では長生きする方が稀なんじゃないかと思いますけどね。

 

祖父は典型的な顔だけよいDV男だったらしく、さっさと死んでよかったのかもしれません。

祖母はいくらでも再婚できただろうにそうしなかったので、結婚あるいは男性パートナーというものに興味を失ったのでしょう。

祖母と母は、私に「イケメンと結婚するな」と小さい頃からこんこんと言い聞かせておりました。

論理的に考えればイケメン=性格に難があるというわけじゃないのですが…それくらい、彼女たちの中では顔のいい男は危険だ、という認識になっていたのです。

 

どれくらいイケメンだったかって?

イケメンの定義なんて人それぞれなのに、祖父を知っている人は全員が「かっこよかった」と言うくらいイケメンだったそうです。

身長もその当時には珍しく、栄養状態がままならない貧困にも関わらず180cm以上あり、死んだ時には棺桶のサイズがなくって家族と葬儀屋が困ったそうですよ。

今も血縁で180cm未満の男はおらず女も高身長ばかり、祖父の娘たちは梶芽衣子似。なんともマジカルですねえ。私は父親似なので梶芽衣子要素がないのがちょっと残念です。

 

在日コリアン家庭というのは、就職差別があった分血の繋がりは一般に比べて強いです。芸で食うか専門職になるか自営業をするしかありませんから。

ウチも自営業でした。父は父のきょうだいの一番上が作った電気工事の会社に入りました。

そのおじの借金を背負わされたため今は断絶して、自分で会社を作りましたが。

おじとおじの妻であるおばは両親にとっては害のある人物でしたが私は可愛がってもらいました。T監督の家が好きなのは、おじの家に似ているからです。

 

深い色合いのベロアのソファ、ガラス製の重たい透明な灰皿、ベタっとした油絵、階段手すりの先にある曲線、青色のトイレのタイル、大きな窓ガラス、レンガ色のテーブル…バブルを通過した何かにしか許されないデザイン。

私にとっては夢の空間でした。

私は幼い頃から服はシック好みで、バーガンディのワンピースに黒のエナメルの靴なんか買ってもらって、おじと一緒に『笑ゥせぇるすまん』なんか観ていましたね。面白いけど怖いのでおじが一緒にみてくれたのです。

今は人の手に渡っていますがお金がたくさんあれば買い戻したいほど。まあ、その空間も呪われていたのですが余裕があれば後述します。

 

母は進学したかったけれど下のきょうだいを食わせるために家業を手伝わされ半強制的に21才で結婚させられました。家業というのは、母方のイエがあった泉州の名産ニットや毛布を作る仕事です。

祖母の家にはどでかいミシンがありました。風呂はなくてもミシンはあった…祖母は近所に子どもたちの家があったのに同居しなかったのですが、おそらくミシンがあったからでしょうね。

一般家庭に置くには大きすぎるミシンでした。祖母は「生活保護は死んでももらいたない」といって死ぬまで働いていました。

年金なんかおさめる余裕がなかったのでもらっていません。

 

というわけで、生涯現役だった祖母をイメージする時ミシンを切り離すのはちょっと難しいです。単にひとりが好きで、子どもと同居していなかったのかもしれませんけどね。

 

そんな祖母も昔は少女でした。どうやって生活していたのかというと、曾祖父が早死にしてしまったので曾祖母が家族を養っていました。

曾祖父は教養に見合った頭脳労働を差別で得られず、海外旅行が危険だった時代に中国大陸まで職を探し回ったそうですが結局見つからなくて、日本へ帰国後体が弱かったのに肉体労働をしたので、死んでしまいました。

 

曾祖母は、前にお話しした通りムダン(シャーマン)です。

本国(といっていいのか?大韓民国です)では近代化にともない弾圧されており現在は占い師か観光資源としてしかみなされていませんが、当時の大阪では需要があったので、近所の人たちから依頼を受けて口寄せをしていた、と母から聞きました。

 

母はリアルタイムでそういう仕事を見ていたから、娘に霊媒のスキルが隔世遺伝したと気づいてからは色々と私に言い含めていました。父方にも、霊感があって四柱推命など勉強した人は何人かいたそうです。

 

母から言われたこと…

・コックリさんをしないこと(いっぺん友達の家でやって帰ったら何故かバレてて母から注意されました。コックリさんよりそっちの方がある意味怖かったです。 当日友達の家は親不在だったので親同士で状況を伝え合ったはずがない。GPSのない時代ですから後をつけてのぞいたか、何でか知らないけど気づいたってことでしょう?)

 

・必要もないのに寺社仏閣へ参らないこと。神さんというのはやたらめったら参ったら怒らはるから、だそう(どうしても高野山のゴマ豆腐が食べたかったり仏教美術をみたかったりする時以外は守りました)

 

・人に自分の能力を言いふらさないこと(言う必要がある時以外は守りました。キチガイ扱いされるのを防ぐ/中二病的に調子に乗るのを避けるためだと思います)

 

・霊力に振り回されないようその道のことを勉強し、己に合った型を作ること(占いの勉強は既にたくさんの習い事をさせられていたので断りましたが、やっておけばよかったと思います)

 

・自分の利益のために力を使うな。世のため人のためならok(能動的に使用できるスキルではなかったので自然と守れました)

 

ここから、私が現在持っているスキルについて説明しておきます。

【個人のスキル】

①持ち霊の助言

②理屈と証明をショートカットして結論へ至る

③無意識の世界で死の領域へ(比較的安全に)アクセスし歩いたり行動したりできる

 

【個人ではなく血統のスキル】

①霊的存在を音で感知

②霊的存在にエンカウントしても命に関わらない(呪いへの耐性があるというか、呪いを含有して生まれているので他の呪いが勝つ余地なしという見解)

 

音で感知するのは私の個性らしいですね。曾祖母がどうやって霊的存在を認識していたかは知りませんが、私はお化けが見えたことはないのですよ。必ず音で認識します、現実では。

無意識である夢ではその限りではありませんが。彼らは恐怖そのものですから、私が怖いと思ってる姿で夢に出てくることはあります。

 

カードキャプターさくら』に「幻」のカードが出現する回があるのですが、あれは結構本質をついています。

「幻」の起こす現象を同時に体験した目撃者がそれぞれバラバラのものを見てしまいます。

同じ現象を見ていても、「幻」は目撃者が無意識に考えていたことの姿で現れるので見たものは違うのです。

さくらは亡くなった母のことを考えていたから母を見るし、知世は公園で行われる予定のお祭りのことを考えていたから公園の遊具を見たのです。

 

…話が少し逸れましたね。血統のスキルに関して私は努力していません。背が高いとか、そういうたぐいのことですから。

個人のスキルについては、自学ではありますが…遅ればせながら多少修験を積みました。

 

最も重要な点は、現実と超現実/フィクションとノンフィクションの差なんて大したことではなく、夢の世界でも現実でも脅威が己に来たならば対処するのが超大事、ということです。

対処しないことが一番タチ悪いのです。悪霊よりも。対処しないでいると、その人の人生にとって致命的な損傷をもたらします。

 

私はこれを長らくできませんでした。

幽霊屋敷での恐怖の記憶があまりにも大きすぎて、恐怖が永久凍土のごとく自分のコアに染みてしまったから。

しかし、現実世界でセクハラ男に即断即決電撃戦術を叩き込んだり、理不尽なことに対して即座に「は?」と言って理詰めしたりする経験を積むことで、徐々に無意識の世界でも恐怖に対峙できるようになりました。

そして、対峙できるようになると常世の要素に触れたり死者の領域にいたりしても、昔に比べたらそこまで支障なく生活できるようになったのです。

 

持ち霊のことは大人になるまで認識できませんでした。

20才超えてからかな…彼は黒人男性で、今の私より少し年上にみえますが詳細は何もわかりません。

名前を知らないので勝手に「〇〇」と名付けました。しっくりくるのでずっと〇〇と呼んでいます。

寡黙なのか、言語障害があるのか、私に彼のおしゃべりを聞く力が欠けているのか原因不明ですが、自ら私に話しはしない。

ですが、私に致命的な出来事があるのであれば、レゲエやヒップホップなどを鳴らしてくれます。私に限界が来るであろう時、教えてくれます。

そういった音楽を学んで以後認識できたので、私がレゲエ等を知る前彼は交流しようがなかったんでしょうね。または英語が出来ないとダメか。

悪意のある霊的存在を感じ取ってしまい彼に助けを乞う時は、英語で内心話しかけています。ああ、やっぱりここでも音がキーなんだな。

 

"〇〇, beat him(/her/it)" 私が助けを求める時使う文言です。

誰にも明かすつもりはありませんでした。しかしストーリーテラーであるT監督にだけ明かすのであれば彼も本望でしょう。

監督がアメリカに行って、黒人の方がよく亡くなるような地域に訪れることがあれば、〇〇のことを思い出してあげてください。彼はウイスキーと煙草が好きです。

たまたま今世で守護霊になってくれただけで、生前彼がどんな人生を送ったか私は知らないけれど、彼はこの頼りない生者を見守ってくれていますから、私が死んだ後も誰か彼の好きなものをお供えしてくれたらいいなあって思います。

 

次に、呪いについてお話します。

私は呪いを含んだ赤ん坊として生まれました。先祖の呪いです。先祖の呪い、悪霊というべきものとともに生きてきました。

死者というのは人格がありません。時間の経過と共に人格は分散していき、悪意そのものというべき概念的なものになります。

その悪意が私の血統にはセットされています。家父長制と男尊女卑の中で、表に出すことの出来なかった無念や恨み、負の感情はシャドウとなります。

シャドウは消滅することはありません。常世(あの世)の文字に永遠性が示唆されているように、ヒトが無意識に封じ込めたモノは永久に続いていくのです。少なくとも私のイエでは。

 

しかし、このような環境では家父長制/男尊女卑にあまりにも都合がいいでしょう? ただでさえ、女や子どもは家父長制で損害を受けるのに。

 

これは村上春樹の文章(たしか『1Q84』)で学んだことですが、ひとつの力が強まるとそれに対抗する勢力も強まります。

そんな具合で、私は家父長制のアンチとなるために生まれました。だからこそ、「幽霊屋敷についてのテキスト」で述べたように生まれた瞬間から悪霊を感知する力があったのだと考えています。

私はシステムです。システムとしての役割を果たし生きて死んでやろうじゃないか。

 

受精時点で決まっていたのです。そのことについて、若い頃はなぜだ!と怒ったり悲しんだりすることもありました。

今では、うまいこと力と共存する…という方向性にシフトしています。望む望まないに関わらず恩寵は受け取っていますからね。

T監督も知っているように、最近私にプロポーズしてきた男が「人に出来ないことを出来るんだからある意味チートでしょ」と言っていました。私も同じような考えです。

 

魔を通して、シャドウ(死者も生者も)にタッチできたり、命を損なうような絶体絶命の危機を回避できたり、他の呪いは私に巣食うことができなかったり、怪異という切り口でフェミニズムの思想表現を伝播出来たりしているのだから、適度に付き合っていこうと思います。

 

音で現れる怪奇現象は様々なことを示唆します。

私が何か無意識的に見て見ぬふりをしているとか、不安があるとか、「彼ら」はいつだって不意に来るけど来る理由はきちんとあるのです。そう感じます。

 

直近で音の怪異が起こったのは、先月の中盤でした。

今の家には1Fにちゃんとした風呂釜がありますから、よく長風呂を楽しんでいます。

その日も、夜の0時か1時くらいに中将湯(蛇足: ツムラのバスハーブなんですが、めっちゃ漢方な匂いだけど良いですよ)をいれて、湯につかっていました。

 

すると、誰かが玄関のドアを開けて入ってきて乱暴に閉め、リビングにあるモノを蹴っ飛ばしているような音がしました。

その時は、酔ったか何か怒り心頭になったかした同居人の誰かが暴れたのかな、と思って無視しました。

無視したのは良くなかったです。吉凶を読むことを体得したくせに私はしませんでした。

 

後から考えると、そんなことしそうなのは家の者では例のプロポーズの男性しかいませんし、該当者は寝てるし、そもそもそんな音がしているなら誰かしら見に来るはずなのに誰も音に言及しないし見にこなかったのです。

ブログの闘病記?70 - 焦げた後に湿った生活に書きましたが、あれは反復の呪いの始まりでした。それから数日間、生者ではない者の出す音は続きました。

 

<音>について考えました。ふと「この間から夢で死者の領域に居たから、常世と現世の境目を曖昧にしてしまったのかも」と思いつきました。

 

私に経営コンサルタントワーカホリックな彼氏がいたことはお話したでしょうか?

彼は死にました。死を確かめたわけではありません。若くして自殺したり行方不明になったりした人の最後の連絡相手になった経験がそこそこあって判別に自信があったのと、勤務先に確かめて本当に死んでると聞いたら私はショックで立ち直れなかったかもしれないので。

正確に表現すると、最後に連絡した時、「彼は死んだか、ワンチャン生きていたとしても今世ではお互いの利害が一致せず敵同士になる」と兆しを受け取ったので、死んだと確信しました。オカルトな話ですしスピってると思われたくないので口外してないのですが。

 

もともと、一般的な価値観でいうと付き合ってるとは言えない2人でしたが私たちは確かに彼氏彼女の関係性でした。

彼とはマッチングアプリで出会いました。私は東京に引っ越してすぐ友達か彼氏が欲しくてやっていて、彼はバーの常連とアプリで見かけたイタいやつのスクショをとってグループLINEでシェアする遊びをしてました。で、唯一興味を持って会ってみたいとなったのが私だったと。

 

それは脚色ではないと思います。彼はめっちゃくちゃ多忙で恋なんか必要としてませんでした。私は最初コンサルタントなんてチャラそう、と警戒してましたが、キラキラした一直線の何かに触れて彼を信じるに至りました。

 

初めて会った日彼は昼から私と会って、深夜まで一緒にいたがって、帰りはタクシーで自宅まで送ってくれました。

タクシーの中で運チャンが「コロナにかかるのはどんな人間か知っていますか」と奇妙な質問をして、「運でしょう」と答えると、「近いですね。コロナにかかるのはコロナにかかると思っている人です」とまた奇妙なことを言って、私と彼は顔を見合わせました。

降りた後すぐそのタクシーは事故にあいました。運転手は無事でしたが。映画か小説のような始まりで私どもの恋も始まりました。

 

出会ってすぐお互いの人生のことを話しました。私たちは両方親に虐待されていました。

人の痛みを比較するのは基本的に馬鹿馬鹿しいことですが、あえてハッキリと言います。

私より彼の方が圧倒的にひどい目にあっていました。精神的な虐待だけじゃなくて、とてつもない額の金銭的搾取をされつづけており、幸か不幸か彼は稼ぐ能力があった…

 

私は留学のためにこつこつ貯めたお金を勝手に使われたことなどを話して、彼も自分の人生を話しました。

「俺たちはよく似ている! でも、もう俺たちは大人なんだ。親から、2人で逃げよう。逃げて幸せになろう!」

 

私はこの言葉を聞いたとき、「私はずっとこの言葉を求めていた。これが本当に求めていたことだった。だけど今まで誰も言ってくれなかった」ということに気づきました。

私は彼を一生愛することをその時点で誓ったんだと今になって思います。

これまでの人生を振り返っても、これだけ人に執着するのははじめてでした。

むしろ、お前は本当に俺を好きなのか?と聞かれたこともしばしばあるくらい、私はこれまでの恋愛の相手にとって冷たそうな印象だったみたいです。私としてはそんなことなくって思いやりある行動してたつもりなんですが。

 

彼はワーカホリックすぎてほとんど寝ていませんでした。

6月に出会って、11月に転勤が決まって、転勤になったら会社を辞めて私ともっと過ごせる時間を持てる仕事に転職すると言っていたけど、偶然新しいPJTは彼のやりたかったジャンルで好奇心の刺激されるものでした。私が同じ立場でもやりたいわ!となるくらい。

 

会社は彼に「このPJTにアサインされるならばプライベートを捨てなさい」と言ったそうです。

彼はパニックになって私に連絡してきました。別れ話をされましたが、私は断固として拒否しました。

 

銀座ど真ん中の喫煙所で、「絶対別れない! でも仕事もやって! 私はやりたいことはやるべきだと思うしだけど絶対別れない、待つから行ってきて、でも別れない…」と泣きすがりながら言いました。

今までの彼氏がこの光景を見たら本当に同じLwLなのか?とびっくりしたでしょうね。

喫煙していたおじさんサラリーマンたちは月9の撮影か?と最初思っていたようで興味深そうに眺めていましたが、そのうちマジだということに気がついて、気を遣って木陰に移動して私たちを見守っていました。

 

彼は「彼氏として出来ることがなくなってしまう」と告げて、あわただしく、東京から去っていきました。

その後は遠距離で、仕事の相談をするか生存確認をするかの付き合いでした。変わらず愛していたため時々私は情緒不安定っぽくなりましたが、自分軸とかいうやつはハッキリしていたので、いくら人に言われても「いいえ私たち恋人ですので」というスタンスは崩しませんでした。

 

最後に会ったのは20xx年9月です。急に会えることになったので転勤先の九州まで行きました。彼は言葉には出さないもののウキウキなのがまるわかりでかわいかったです。

 

当日の朝美容院に行って「久しぶりに彼女に会う」と美容師に伝えると気合の入りすぎたツーブロックにされてしまったそうです。

私が「ええやん、ゲイリー・オールドマンみたいで。フィフス・エレメントの時の」と笑うと、「レオンならいいけどフィフス・エレメントはぎりぎりdisり」と怒られました。

パーツも似てるから言ったんだけどな~。生きてたらゲイリー似のイケオジ決定でしたから、見れなくなって残念です。

 

生存確認しないとダメなくらい彼は自分を痛めつけました。リストカットしていたわけではありません。

東京にいたときは、私がいたので少し時間を作ってまともな食事をすることが出来ましたが遠距離になると歯止めがきかなくなりました。

彼は自分自身のことが嫌いで、激務することで内面を見るのを避け、自傷行為も達成していたのです。

それはシャドウを強めてしまい暗い分岐にしかならないのですが、彼自身がどうにかしないといけないことで、私にはどうしようもなく愛していることを伝え続けるしかなかったと思います。

(姉は、私が向こうにいってあれやこれや尽くせばいいのにそうしないから本物の恋じゃないとか言いましたが、私はそういう考えが嫌いです。私自身何かに打ち込んでる時に尽くしてほしくない、ほっといてほしいという考えで、だからこそ向こうも最後の瞬間まで私を人間関係の中に入れていたのでしょう)

 

一方彼とは子どもが望めないな…と思ったので私はゲイの友人と子を成すことを決めました。彼に伝えたら、了承の意のLINEが返ってきたのですが実はカンカンに怒っていたそうです。

この辺はT監督が既知の情報なので割愛します。気になることがあれば聞いてください。

 

そして、彼が死んだ後、私はとても強い意志で彼の味方でい続けることを誓ったのに、その気持ちの向け先がなくなりました。死者のことを口外しないまま時間が経過して、20xx年になってから死者の夢を間借りして見るようになりました。

 

かつて草花があった、ということがわかるだけの茶色一面の空間。

枯れた草花だけがあり、手入れされていないことが明白で、かえってその空間のownerが誰かわかりました。

そうです、死んだ元彼の自宅にそっくりだったのです。ブログから引用します。

 

<【他人の夢】

このところどうも馴染みの深い夢をみないな、と思ったら他人の夢に間借りしていたらしい。草花が在った、ということだけ分かる空間にいた。そこには枯れた背の低い植物しかなくて、歩けるところを示すようにぱさぱさの土のみの道があった。

死者の夢…既に現実世界でなくした人の精神世界へ、どうも無意識上でアクセスできたらしい。死者に会う方法は簡単で(人によってはとても難しいかもしれない)、どんなかたちでもいいから顕現してほしいとひっそり願い続けていればよい。

『るなしい』の3巻で、みんな神様のことを「温厚な、ふんわりハッピー❣️にしてくれるもの」みたいに思ってる、もっとヤクザなものなのに、というくだりがあった。

人間関係を手放す代わりに出世を願った人が、恋人が怪我をするなんて聞いてない、もしそんな風になると知っていたら願わなかったのに、と文句を言ったあとのシーンだ。

神様はヤクザなものだという考え方に同意する。人智を超えたものは人のコントロール下にない。だから、制御不可なものにお願いする時はどんなかたちでもいいから…とリスクを受け入れた方式でしか願ってはいけないしそれ以外のかたちで成就することを期待してはいけない。

話を戻して、間借りした他人の夢はどこまでいっても茶色一面のさびれた空間だった。私はそれでも親しみをおぼえる。持ち主が手入れしていないことが明白の精神世界は、確実に現実を反映していた。生きていた間だってその空間のownerは立ち止まって自分の心を省みることはなく、どんどん溟い分岐を辿っていくだけだった。その人が住んでいた部屋は、精神状態を反映したように、まるでスラムみたいな有様だった。

一度もブラシでこすられなかった便器、ぬめりさえとられず黴だらけの浴室、ゴミ袋がたまるだけたまって人ひとり入ることすら出来なかったキッチン、殆ど私物のないベッドルーム。遊び心のある品物はオモチャの銃(といってもとあるブランドが作ったものでかなり精巧な品である)だけで、かえってものがなしさを加速させていた。

くつろげるのは、わずかに十数センチ四方の灰皿があるところだけだった。

それら全てが懐かしくて、同じように荒廃した枯れた世界を慈しんだ。

死者の残したものは私が奪い取った服一枚しかない。そのぬのきれを私はベッドの隅に放ってぬいぐるみで隠している。目に入れるのは悲しいからいやで、でもふとした時に香りが漂ってほしいから。

枯れた植物のまんなかで、私はぬのきれを抱きしめた。願いが顕現したからオブジェクトは現実と超現実の中間から発生する。

まだここにいるしかない…振り返って見るには、悲しみが新鮮すぎる。>

 

※本当はピアスももらっているので厳密には彼の形見は衣服だけじゃないんですけど、ピアスのことも誰にも言わないつもりでした

 

ゲイの友人の裏切りの後、私は妊娠可能年齢に焦りました。

幸い、自分と結婚してもよいと言ってくれる方に「子どもが欲しい。あなたは長年私を支えてくれていて父親としても最高だと思う。一度デートして悪くなかったら、結婚しようではないか」と要件を伝え、デート後も良好な感触だったので婚約を進めることにしました。

 

だけど私がその男性と一緒に寝ていると、毎回怪奇現象が起こりました。

たとえば滞在している部屋のドアの一番下をこつこつ叩く音。闘病記40 - 焦げた後に湿った生活で書いた通りですが、部屋に入りたがっている何かがいました。

 

大阪のあるホテルで一緒に過ごした時は、その部屋に居た何者かが体内に入りました。

闘病記25 - 焦げた後に湿った生活の時ですね。

ジョジョの「トーキングヘッズ」のような状態になって、「助けて!」と叫ぼうとすると出てくる言葉は「そのままでいい」。

部屋の近くでホテルの従業員か別の客が私の助けを求める声を聞いてくれるかもしれない、と「誰か来てください」を言おうとしたら「ひとりでいい」。

ひとりで追い払うのに難儀しましたね。お気づきかと思いますが婚約者は全く霊感がありません。

 

…私は不安を覚えました。これらはいったい何故起こるんだろうと。婚約者は私にとって絶対害のない人なのに。

 

そして、とうとう呪いの音の正体に気が付きました。

先月の怪異の中で、以前プロポーズしてきた男の部屋から、不在にも関わらず音が聞こえました。

その音は、婚約者と一緒にいた時ドアを蹴ってきた音と酷似していました。

 

なんだ、これは結婚や出産を控えた女性の不安につけこむ怪異なのだ、大したことはない、だって結婚はガチャだもの。

どんな人だって、結婚後にモラハラになったり険悪になったりする可能性はあるから。

私は気分が楽になり音を気にしなくなって、音の方もおさまっていきました。だけど。

 

……重大なことを見逃したな?

誰かが頭の中でそう言いました。

 

死んだ元彼とも結婚をする約束をしていたのに、彼と会っている間、怪奇現象は全く起こらなかった。

 

「じきに死ぬから、カウントされなかったのか」

自分でそう言ってしまったら涙がにじんできてしまいました。彼は、呪いにカウントされることすらなかった…

 

幼い痛めつけられた子たちが無邪気に、大人から逃げられるとキャッキャしていたような恋愛だったかもしれません。

でも、私は彼を愛していて彼もそうでした。一般的な恋愛からは乖離していたけれど、共依存という言葉で片付けられたらキレるほど、私は愛していたのに。

人生も不憫で、呪いからも除けられるほど不憫で、だけどジジババになっても愛し続けるつもりだったのにな。

 

私は、恋人をなくしてしまいました。

かしこ

 

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