焦げた後に湿った生活

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闘病記74

最初は誰に誓ったのだっけ。

そんなことも忘れてしまうくらい闘い続けた。

 

その昔私は高潔な処女で「できるならば一生彼氏なんか作らないでいよう」と思った。

 

17,18くらいの頃だった。

 

私は既にその時<状態異常でさえつよつよ★かかってこいよ不条理フルボッコだよ★>状態で、やるべきことが沢山あったのだ。

 

「女は裁縫を男は椅子の片付けを」と生徒に命じる担任(裁縫の方が明らかに手間だった)、在日コリアン差別、虐待、いじめ、家父長制、異常なまでの過保護、女子だからということで貶される音楽(そいつらは私の曲を聴いてすらいない)、それらを片すためにつよつよである必要があったのでつよつよだった。

 

高潔な処女は予感した、「これから先男とつがいになったら私は弱くなる」「今まで1人で強くあれたけど一度でも頼って仕舞えば味を占めてしまいもう前の自分には戻れなくなる」と。

天才少女の予言は当たる。

 

成人前に順当に彼氏が出来、処女じゃなくなって(正確には高校の時にも彼氏はいたけど恋愛というものに夢見ていただけで全然実地でしとうないと解った)、私は弱くなった。

 

だけど弱くなる前も時々叫び出したくなることがあった。

私には頼れるきょうだいも親もいない。

彼らは私の尊厳をしょうもないことで売り飛ばした。自分から突き放して、ひとりで京都のまちを駆け回った。

 

勉強、勉強するためのお金稼ぎ、音楽、音楽をするためのインプット、ものを書くこと、やりたいことが多すぎて全部投げ出すには若すぎた。

大人はそういう少女に近寄ってきてすきあらば…をする。抜け目のない方だったので身体は守れたが身体を守るたびに目が死んだ。

たまに、自分には最低の瞬間の時にさえ駆けつけてくれる男の人がいない、他の子は父親や兄に頼れるのに…と声にならない叫びをあげた。

 

唯一師匠だけが無料で音楽を学ばせ色んなライブハウスや熊野寮のイベントにも連れて行ってくれ、対価は要求しなかった。

 

そうした後ろめたさのない援助で私は成長していきあれやこれやをやって、多少の呆れと称賛とが入り混じった感情を一定数の人から浴びるようになった。

 

201x年、かつての天才少女は気づいていた、「今はいいけどどうせ30才を前にしたら寂しくなって誰かと一緒にいたくなる」

それを聞いたある男性(恋人ではなく友達)は「まさか俺たちがそんなことになるわけない」といったようすで驚いていた。

 

202x年、彼は「お前が正しかった」と言った。

私は「そらそうよ、人類にあまねくふりかかる呪いやもん」

 

2023年6月、私は泣いている。

私のような極端な女、「強い」「変」のラベルを貼られた女は、観客席にいながら「おもしれー女」を消費する男に食い荒らされるか、付き合ったとして掌におさまらないとわかった瞬間離れられるか抑圧されるかする。

 

後者はまだいい、はたからみたらただの別れだ。

前者は自分をフツーの位置にキープしておきながら、刺激だけ求めて私を消費する。

 

これに耐えられなくなって、それでも、かつての高潔な処女は死んでなくて心の片隅にぽっちり存在していて、「あの頃みたいにもう一回、もう一回って唇に血を滲ませてでも立ちなさいよ!」と泣きながら叫んでいる。ロールモデルがないなら自分で作れと。

 

疲れた。

歩くのも座ってるのもつらい、ひたすら横になっていたい。

心許せる人の胸で眠りたい。

 

私の欲しいものは「消費者」が想像しているよりずっと卑近で、心許せる人間が恒常的に側にいること、理解しなくていいから辛い時寄り添って安らぎを少しくれることだ。

おなじことしてても男だったら支えてくれる女性はいるのに。

スパイダーマンにもバットマンにも支えがあるのにどうして私だけ孤独なん?

 

私はウルトラマンになりたくて一回はなって確かに誰かかれかを救った。でも2023年6月21日現在心が折れてるよ。