焦げた後に湿った生活

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闘病記54/ジャーゴンに憑りつかれる人々2

【今日の病状】

8時間睡眠したら疲労感が改善されていて、自然に必要なだけ眠って起きるのが大事なんだけど平日はなかなかそれが難しい。

 

私は今年残業0で働くという制約を自身に課している。

今のPJTが始まったとき、人員削減されていたので「人を減らすなと前年度反省会で決めたのになんで減ってんねん、減った分誰がやるねん、もともと去年が少なすぎたのに」と文句をつけたら、繁忙期は12時間稼働したらいいじゃないかと言われ、そんなもの身体の弱いあたくしには無理だって整体師にもドン引きされるほど去年の繁忙期は体が悪かったもの、と姫御前の如く並べ立てた。するとなんで繁忙期の残業が無理なんだと粘られたので、では強カード発動するかということで「労働法/労働基準法で定められた時間以外働かない」と宣言した。

上司は最初あんぐりしていたが、法律をタテにされては言い返すのも面倒になったらしく、結局新人を一人つけることで妥協した。育成はあなたでやりなさいということで。

 

という経緯があって、言った手前残業するわけにもいかず、うまいこと新しい部下を教育して戦力にしながらとっとと定時で上がることになった。

この件は駆け引きの要素が強いのだが、それ以外にも定時で切り上げないといけない理由はあって、人が足りていない分自分の残業で賄っていると結局は彼女一人でいいじゃあないかと見られてリソースが増えない、という点。

 

人が増えてもこないだみたいにぶっ倒れているのだから姫御前にならなかったら今頃どうなってたかと思ってゾっとする。

あなたとちごて私は健康ではない、と説明しても健康な人にビョーニンの身体の心もとなさを理解してもらうのは難しい。名前つけようのない症状ならなおさら。

 

【投資】

そのような形で仕事をなんやかんや半年は進め、なんとかだましだましやっている。

だましだましは美容や食に出費の重きを置くことで成り立つ。

月一回コルギに行く、これは回数券を買ったのだが、多分美容にお金を遣う習慣のない人なら吃驚すると思う。

<100分コース×5回回数券>約5万円なので別にめちゃくちゃ高い買い物ではないのだが、コルギというと顔を小さくする目的で行く人と勘違いされそうだ。実際のところはヘッドマッサージ含め顔のコリを重点的にやってくれるマッサージのジャンルが限られているため、コルギに重点的にお金を出すことでデスクワークの疲れを緩和している。

 

コルギ、施術後やたら水を飲みたくなるし頻繁にトイレに行きたくなる。何故だろう。

 

後は日々の食事で、嫌煙家の居候が出禁になったため再び自炊をするようになったが、やはりいい野菜や豆腐をいい調味料で調理して摂っているとやらないよりマシになってくる。

 

今はやたらにカレーが食べたいのでスパイスに含まれる何かが身体に欠乏しているのであろう。

 

煮炊きするのが億劫になったが一度好きなだけ寝て休んで体力を回復したら、おでんを作ったり魚卵を昼に煮つけておき夜にポン酒と合わせて口にしたりしてみたい。

ああビョーニンって料理に関するリソースも減っていくのだな。

 

ジャーゴン2】

闘病記53/ジャーゴンに憑りつかれる人々 - 焦げた後に湿った生活

昨日の続き。

 

ジャーゴンを用いて場面を乗り切ろうとする人はその実、真に効果的な、コミュニケーションに必要なレッスンを放棄していると書いた。

 

ジャーゴンジャーゴンであり、ジャーゴンを使う時人は論理的な状態でない。(けれど論理的だと多くの使用者は信じている)

 

また、ジャーゴンを用いる者は感情的であることと論理破綻していないことは両立すると理解していないきらいがある。

 

経験上導きだされたジャーゴン使用者の傾向:

・論理的であるという見かけを成立させるためにジャーゴンが使われている

 

・論理的でない、理論武装していない状態を極度に恐れている、または軽蔑されても仕方ない状態であると思っている

 

・感情の話をすることを避けるし、自身の感情について冷静に考えるのは得意ではない

 

ジャーゴンの使用対象を絞っている(蝶野正洋に君はくだくだ屁理屈をくっちゃべるか?しないだろう)

 

スーツを着ていればサラリーマンに見えるくらいの適当さで一番目は成り立っているのだが、最も重要な要素であると思われる。

なぜなら、ジャーゴンを看破する人間にとっては死ぬほどくだらないことだが、本質より見かけで人をだませるかどうかというのはジャーゴン使用者にとって死活問題だからだ。

 

死活問題になるのは彼らの内面的状態を上手く説明できない欠陥から由来しているのだが、心に警告が灯ったとき、あなたはどうするか。

心の中身を見る余裕(あるいはスキル)があるひとなら、心に警告が灯ったとき、どういうアラートがなっているか、どのような理由でなっているのかをまず確認するだろう。必要に応じて適切な他人に説明をして助けを求めるなりなんなり、有効的手段を実行するだろう。

 

おそらくジャーゴン使用者は先天的にこのスキルと作法が欠如しているか教えてもらえなかったかのどっちかで、心に警告が灯ると内情を確認するより先に警告がなっている状態を隠そうとする。

結果的に喋った言葉は心で思っていないそれっぽい言葉の羅列なので、何も解決はしていないのだが、その場しのぎで警告が灯った自分を知られずに済む(と思っている)。

 

感情の話をするのは何も恥ずかしくない。

友人の中に共感性が人より欠如されているとされる者が二人ほどいて、サイコパス扱いされているが、彼らはとても自分の感情に正直である。

(これは笑い話なのだが「正直なのに職場の人が誰もそれを信じてくれない。いくら説明しても俺のことをうそつきだと思ってるんだよ、なんでだと思う?」と相談されたので、「プライベートでの正直さを仮に100%だとして、あなた含め誰も職場でプライベートと同じだけ正直な人はいないから。試しに遊びに誘うほど職場の人と仲良くなったらいい。プライベートでのあなたを見て合点がいくだろうから」と答えた。珍しく相手は目を丸くして手を叩いたので名回答であろう)

 

たとえ私が性犯罪に遭って死にたい時でも、彼らは自分に精神的・体力的余裕が無ければ話を聞くのを断る。

私の方でも断られたからといって相手にカンカンになることはない。我々の友情はイーブンであり一見ドライでシビアすぎる所は私の性質や行動とどこかで釣り合っていてトントンである。彼らは充分私にペイしてくれているという信頼があるから、「ほなまた」で済む。

 

ジャーゴン使用者はこのような正直さが欠けていると思う。

正直に言ったところで地球を揺るがすほどの大きな事態は起こらないのに、どこかで恐怖が大きすぎる。

前回「つい最近も」と書いた部分は、ある男性がジャーゴンでの「理論武装」で私を抑えようとしてうまくいかないでいるうちに不機嫌を自制できなくなり、「不機嫌になってしまった。自分を落ち着かせるのに少し時間がかかります」と此方へ一言申し出ておけばいいものを黙ってムッとし続けているので、私が「感情的になっていると伝えるのは恥ずかしいことではない。ひた隠しにしたつもりで不機嫌のイスを独占して近くの相手に圧をかけてる方が恥ずかしい。ちゃんと言え!」と言ったら、生まれて初めてそんなことを聞いたという顔だった…というエピソードが含まれている。

 

自分が甘えていたい時、譲歩されたい時にストレートに言って断られ致命的に傷ついてリカバーできなかった経験があるのかもしれない。そんなことはどうでもいいが、とにかく、お互いイーブンな関係でストレートに頼み事をする、また断られることまで含めて受け入れる、そういったコミュニケーションの訓練が必要である。

なぜこれが必要かというと、心の状態を明かして駆け引きなしで伝えることは人生の要所要所で大事になってくるスキルだからだ。特に相手が大切な人であれば。

 

変に我慢せずさせずという関係性を築くにあたって、最初から生き別れた双子のような存在であれば別だが、そうでなければ一度二度は心の状態を明かす場面は発生するのでそこで「自分はこう思っているのでこうしてほしい」という説明がどヘタだと詰む。「私は今大変なのでちょっと取り合えません、悪く思うな」が言えなくてもしんどいし、言われていちいち猛り狂っていたら友情や愛情が壊れる。

何を考えているかわからないけどとりあえず要求されてるというのは不健康な関係だし、逆に自分が切羽詰まっているから相手がどのような状態であっても聞き入れてもらえなければいてもたってもいられない、というのも危うい。

聞き入れてもらえないととても傷ついたり動揺したりする心理には「ケアしてもらえなかった」という面がちらりと隠れているが、保護者でもない他人がケアをする道理もないのでどこかの時点で諦めて地に足をつけレッスンするしかないのである。

(前の記事でジャーゴン使用者に男性が多い気がすると書いたが、加えて言えばジャーゴンを使用してその場しのぎをすることと、ケアを無償でしてもらえると勘違いしている男性の存在は断絶しておらずどこかで地続きな気がする)

そして、もし言い分を聞いてもらったらきちんと感謝を示すのが吉である。

 

年月を経て仲の良い女子グループ、あるいは男女混合であれば割と自然にこの辺の塩梅がとれている。(男性のみのグループには私は加わったことがないからわからない)

塩梅のいいグループは、こんなことがあって嫌だった~みたいな連絡をする時ことさら構えないし、聞く方もすぐに返事をしなければならないという切迫感はない。

友情のチリツモがあるから、お互い様という感じで余裕のある相互扶助が成り立っている。

 

ストレートな物言いや頼み事が成立している関係でわざわざジャーゴンは使わないので、やっぱりジャーゴンを使う時は不健康な心理で、いい塩梅のコミュニケーションが出来ない状態なのだろう。

でも、出来ないにあまんじてジャーゴンを使い続ければ本当に大事なものは人生から喪われてしまう。

 

多分殆どのジャーゴン使用者が己の内面を見に行くのを恐怖しているが、目を見開いてみつめないと恐怖以上のロストがある。気ぃつけなはれや

 

理論武装」する前にあなたがたにはやることがある。

愛の話をしろ!

好きやなーと思う人に好きだと言え。

好きな所エエと思っている所をあますところなく機会があったら逃さず説明しなはれ、相手から見返りがどうこうではなく言うているうち思いがけず福音があるでしょう。