焦げた後に湿った生活

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ヤリチン質問箱とゾンビ

自分のつらさを他人がまるごと一緒に抱えてくれると信じ込んでいる手合いっているじゃん? あれってどうしてああなんだろ。

 

コロナ渦から何年か経ってるのに未だに許してないんだけど、コロナ禍の初期に自分のおとんが感染したって朝から鬼電かけてきて、こっちが倒れてるのにお構いなしで暴言をきかせにきたやつがいる。

その前日私は「コロナの影響で来月から給料があるかないかわからないこと」「とにかく収入をキープするために副業もらえるようアポ入れまくってるのと、会社のコロナ対応巡って揉めてるから疲弊してるし明日は一日中寝る」って宣言していた。

なのに、朝からギャアギャアと電話・LINEがきてて、ふつう何回か電話かけて出なかったらあきらめるじゃん?

そいつ「LINEみた?!?!」からはじまる追いLINEしてきてて、多分いっぺんも脳裏に「疲れて寝てるんだろうな、起こしたら悪いかな」とか考えなかったんだろう。まるで俺の一大事に応対しないお前は罪とでもいうように書き殴ったLINEがたくさんきていた。人の生き死にに関わることをやつあたりベースで送ってこないでほしい。

 

「ってことがあったので、めんどくさい男のことはめんどくさい男に聞いてみようと思って、知人のヤリチンに連絡したんですよ」

「やつあたりしてきた人はヤリチンなんですか?」

「いいえ。ただメンタルが弱く直情的に行動しがちという点では合致しているので」

「なるほど」

「ヤリチン曰く、◯◯(私の名前)にとってはその人の家族って他人なのに、やつあたりしてきた人は"こうするべき"って考えを押し付けている、だって」

「それはそうですね」

「究極、無関係じゃん? 他人の親のことまで仲がいいからといって抱え込む義務はないよって」

「たしかに」

「まあヤリチンの人は、元カノにGPSつけて行動を逐一把握して常に浮気疑ってたそうなので、こうするべきを押し付ける側の人間だったんすけどね。それじゃいけないと思って、今は彼女を作らず複数人とつるんで気持ちを分散させているそうです。根本的解決にはなってないが…」

「根本的解決にはなってないですね…」

 

私だってなんか困難にぶちあたってしんどくなったら他人に連絡するけど、それって今までの信頼関係があるから皆うけいれてくれるわけだし、その人が聞く気分じゃなかったらあきらめて他の人に聞いてもらう。他人に私のつらさをわかちあう義務はないし、友情の絶対条件というわけでもないからだ。

 

特に、ウソをつけない性質の人と友人であるならば、彼らが「乗り気じゃない」「聞く感じの体調じゃない」と言ってくるともうそれまでである。いちいちそこに怒っていたら友人関係はもたない。しかも怒る道理は、多分ない。

 

くだんの彼は情念たっぷりで、そのたっぷりさがあるかないかで真摯どうか決められる、と信じているらしい。お前には人の心がないとか言われた。自分の状態によらず常に人に合わせてあげることを真摯とよぶならば真摯さなんてなくていい。

あと特大ブーメラン刺さってるのに死んでないからあの人ゾンビだと思う。ゾンビが人間を語る。

 

ゾンビパーソンは感情のコントロールがわからないっていう。特大ブーメラン刺さってる彼に限らず。

切り替えがへたくそっていう特徴もある。

 

多くの人間は人生の中途で自分の思い通りにはいかないってあきらめる。

お金がなくて扶養もしてもらえなければ働くしかなく、働くのをやめたら飢え死にする状況であれば、多少の理不尽があってもぐっとこらえて働き続けるしかない。

こらえるばかりでは負の感情の爆発が起こってしまうから、同じ境遇の者と一緒に話をするとか、ひたすら好きなことをする時間を作るとか、空気の入れ替えを必要としながら。

 

しかし、それは誰かから教えてもらわないとわからなくて、人によってはそのような発想すら思い浮かばないことがある。

すると自分を痛めつけるほどに何かに依存して苦痛の時間をまぎらわせようとしてしまう。仕事だったり、身近な人だったり、コンテンツだったり。

仕事依存だと一見人にべたべたしなくて自立型にみえることもあるが、嫌いな自分とコミットしたくないから健康を害したり人間関係が悪くなったりしても仕事し続けるというのは、やはり依存嗜癖であり自己の中で切り替えができず同じものを咬み続けることになっている。

 

私が咬むのは煙草の吸い口と好きな男くらいでいい。