焦げた後に湿った生活

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闘病記61/すべてを後ろ倒しにする

【ここのところの病状】

とても憂鬱。100分マッサージにいってもすぐに頭が詰まっていく。

 

信じられないことに、長年の友人だった人が、私の生まれつきもった変えられない属性について悪し様に罵っていた。それもかなり嫌味なやり方で。

直接伝えずに、まるで煙草の煙が部屋に立ち込めている時「ちょっと臭すぎるから換気しようよ」と言わずにス…と窓を開けるような、そんなやり方。

ギリギリ誹謗中傷で訴えられないような、間接的な攻撃。

 

ストレスのあまり呼吸が浅くなって、よろめいてリビングの何もつけていない冷たいままの床に何分も横になっていた。

 

私個人の性格について、だらしがないとかお前のこういうところが嫌だとか言われるならまだしも、本人が変えようのない事柄に対してこういったやり方で罵るのは、一日二日考えたけれど「悪」の一言で言い表すのが妥当だと思った。

 

さらに、正確に言えば<悪し様>の内容にはかなりの被害妄想が入っているのだが、被害妄想である方がこの場合最悪よりマシってことになる。

入っていなかったとしたら私がそれをされたら傷つくと知っているからわざとやっている。それならば最悪だ。

私はかつて一番といっていいくらい仲良しだった人を革命家の名にかけて断頭台に引き摺っていく。

 

革命家には別になりたくない。

諦めたり諦めなかったりしているんだけど、私はふつうの人ができることができなくて、できないことはできるらしい。そしてふつうのひとができないことに関して幸か不幸か才があって、これまで「変える」「この問題は解決してみせる」と決心したことに関しては手練れの暗殺者くらいの打率を誇っている。

それはそれとして再婚して世継ぎを設けて、毎日うまい食事と快適な寝床を整えて安心した生活をしたいんだけど、むべなるかな、私がちょっと「最近家事が楽しいな♪」なんぞ思いながら掃除したキッチンに花を飾るなどぽっちりした楽しみを手遊びしていると、「ほらほら、お前のやるべきことがやってきたぞ」式にドカン、がやってくるという始末だ。

 

この断頭台に引き摺り決心事件だって、庭の柚子と椿を眺めていて「和洋折衷の雰囲気を出すならどういう花を飾ればいいんだろう」「今はシーズンじゃないけどやっぱり庭に紫陽花ほしいな」なんて考えていた時にふってわいたのだ。

 

ああ革命家なんぞ引退したい。そもそも自分で名乗り出たわけではない。人に呼ばれて通り名みたくなったのだ。

しかし、目の前に悪があらわれた以上は地獄へ突き落とすのが筋である。

 

初日は泣いていた(同居人に頼んでゴミ出しを変わってもらった。声が出なくて、すぐ扉をへだてた向こうにいるのにわざわざlineした。私は床に転がっていた)けれど、二日目の朝「これから火あぶりにされるジャンヌダルク」の気分だった。

さあどうぞ悪意で私を焼こうとすればいい。歴戦の猛者にお前の悪意がかなうかどうか見ていればいい。狂戦士にしたあかつきにはお前も黄泉路に道連れだ。

 

人に悪意をふっかけたら、因果論としてもあるいは常識的に考えても反撃があると考えられるのに、なぜか悪意のある側ってそれを考慮しない。

 

【他人の死】

追いうちで他人の死。

追いうち、というか去年からはずっと頭にあったことだけど、消化しきれずに心に他人の死が残っている。

 

私はこの人が心配であった。とても残酷なことを幼少期からされていて、おとなになっても自分で自分を痛めつけることしかできなくて、悩みがあっても人に話せない、そうやってどんどん暗い分岐に進んでいくのを留めようとして留められなかった。

 

自分の視点なので、相手からみてどうだったかは知らない。

 

これまで何度も生存確認をして、いっぺんにへんは催促をしてようやっと生きてる、と返事が来るのを幾度となく繰り返していた。

 

それがある日ぷっつり「あ、もうダメだな」と思ってしまった。

理由を聞かれてもわからない。ことさら相手の職場とか昔のバイト先とかに確かめもしない。

多少スピった話なので興味がないなら読み飛ばしてくれていいのだが、たとえlineでもなんとなく私は画面の向こうの人間の生気みたいなのがわかる。

その時は「多分死んでるかワンチャン生きていたとしても今世での縁が切れている」と感じてしまった。

 

なので、自分の中でカタルシスを作らなければいけなくて、おいおいやろうとしているうちに年が変わってしまった。

(しかもその間に当事者以外の人から二人の関係性について傷の舐めあいと言われてプッツンきてしまい、そっちの感情の処理にも手間取った)

 

私はずっと味方でいたかったのだけど…これ以上は私信だからここに書くのは控えるけれど、手紙を書いて、おそらくレスポンスのくることを期待しない送信を、しなければならない。

 

【救助】

ifの話なので好き好きに書くがじゃあどうしたらその人助かったの?って考えたけど、なんべんシュミレーションしてもどうしようもないな。

 

お前が必死でそいつのもとにいってあれこれつくせばいいじゃん、みたいなのって暴力的な思想で好きじゃない。

そうじゃない人間だから相手も私のことを(最後の瞬間までは)人間関係の中にいさせたのだろうし。

 

自分自身の話に置き換えると、特定の人に一生の世話を約束されたらどんなに死にたくなるような状況でも生きると思うけど、これは私がこうしてほしいというだけであって、他の人には当てはまらない。

死んだ人間に限っていうなら、「自分のような人間は不幸なだけだからそんな不幸な人間が誰かと一緒にいたって幸せだと思える日々が来るわけない」という考えだった。

 

他、去年もう一人死んだ人間は、新しく何か事業を、それも彼女のあった被害を今後軽減していくための仕事を始めようとしていた。

そこで何かあったらしい。不幸が雪だるま式にきて病人の体に耐えられなかったのだろう。

「アンタは、無責任に"生きてよ"って絶対言わないところが好き」と言われたことがある。自分が言われてうんざりくることは人に言わないよ、と答えた。私はお師匠と取引してちんたらちんたら生きることを延ばしている。

師匠が不慮の事故とかで亡くなったら速攻後追いすると思う。取引相手がいなくなるというのもあるけど、私が寿命になった瞬間の顔が見たくて生きているのに先に死なれたら本当につまらない。あの人だって他人からすりゃ悪人なのに私にとってはかなりいびつなかたちであっても愛のある教育をかけてくれたいわば育ての親みたいなモンなのだ。

 

というわけで暖かくなったら三鷹にくるはずだった友人を一人失ってしまった。

 

【運気】

睦月はすべてを後ろ倒しにすることにした。

 

別に如月になったって元気になるわけではないがとりあえず今火あぶり前のジャンヌダルクなんだから2月になった時点でウダウダ言ってる暇はない。

考えるべき以外のことにリソース割く余裕ないから考えないといけないような連絡、全部闘病してます!!!!で済ませる。済ませよう。済ませないと無理だね???

やりたくないこと無視。

コンビニのチキンサラダという家畜のエサのようなものに上等のごま油と醤油と適量のきざみ葱をあえてやりすごす。力を蓄えるって言えるほどの命の力はあんま残ってない。(ような気がする)

 

日本の寒さは私が記憶している限り4月まで続くので4月になったら方向性が変わるかもしれないがそれはgo for it次回をお楽しみに、って感じ。

 

真冬の大根をナムルにすると目が覚めるほどに甘くて良い味になる。