焦げた後に湿った生活

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闘病記35/映画「チロンヌプカムイ イオマンテ」を観たらなんかすごいことになった/暴力の仕方論

★本記事には映画「チロンヌプカムイ イオマンテ」のネタバレが盛大に含まれています★

 

【今日の病状】

骨折してからバイオリズムが低下した。

ぶつけた薬指はぐるぐる巻きに固定されているのだが、悪いモンがそこに滞留している気がする。

私が普段裸足なのはエネルギイを足先から放出するためなんだなきっと。

 

ひょこひょこと買い出しに行くと体力をかなり消費する。

もともとすぐにカロリーを消費してしまい消費しちゃうと音もなく一気に身体が動かなくなる。たとえば会社だからって人の目を気にしている余裕はない。会議前は軽く糖分をとる。そうじゃないと会議中に筆記していても腕が震えて何も書けなくなるからだ。

買い出しに行く前は食べ物をひとくち食べてから出るんだけど、おとといの買い出しでは買い物の途中でガス欠を起こしてしまい帰りは倒れそうだった。

身体が不自由になるとちょっとしたことでも大変なんだな、と思った。

 

肉が足りない!と本能的に感じて美味しいシュウマイを買った。私はこうでもしないと肉、特に豚肉を食べられない。

551と同じくらい崎陽軒のシュウマイは美味い。小さめにあつらえておりひょいひょい食べられて味付けもちょうどいい。酢やからしをつける人もいるのだろうが私は何もつけない。

 

バイオリズムが変化したのでいつまでも眠る気にならないしへんに夜更かししてしまう。身体は良くないのに精神だけ躁、みたいな…

相変わらず胃もよくない。

 

骨折してから色んな人に「痛いでしょう」と言われるが痛くはないんだただただ調子が悪い。

 

イオマンテ

ここから「チロンヌプカムイ イオマンテ」のネタバレだぞ!

 

こんな調子の悪い時によく知らない人に会ったっていいことはない。

 

誘われたので映画「チロンヌプカムイ イオマンテ」を観に行った。奢りで。

www.iomantefilm.com

 

チロンヌプカムイ イオマンテの大筋は大切に育てたキツネを、きたるべき時がきたら殺して神の国に送り返す、というものである。その儀式の映像がメインのドキュメンタリー映画だ。

 

開始直後はなんともなかったが、儀式の音楽や踊りが少しずつ出てきたところから私はおかしくなった。

儀式で用いる音楽を聴いているとだんだんと意識が薄れていく。

薄れていくというか、音楽がアンカーになってひとりの人間としての自我が弱まらせられ、どんどんもっと広いものに同期・統合されていく感じだ。

 

ひとりで部屋で観ているのならば停止ボタンを押せばいいのだが、映画館、それも奢りで…というシチュエーションもあって私は観るのをやめられなかった。

適当に理由をつけて抜け出そうにも言い訳を考える思考能力が既に奪われており観続けた。

音楽、そして踊りは呪文のように私に魔法をかけ脚に力が入らないわ意識はなんか違うもんに引っ張られていくわで、抵抗する術はない。

 

音楽と踊りが盛り上がっていくと共に私の意識はよくない方向に行っていた。生贄方面に。

儀式が最高潮に達する頃つまりキツネが殺される直前で、「あ、今から死ぬわ」と認識したら吐き気がして我慢できずにトイレへ駆け込んだ。

 

トイレから戻ったらキツネは既に皮を剥がされ身と分離されていた。

あのまま観ていたらどうなったんだろう。

 

【祭礼の音楽】

映画が終わったあといやほんとうに見苦しいところをお見せしてすみませんでしたと相手に謝ったが多分もう相手は私に興味を失っただろう。初対面で吐く女、私が男ならちょっと距離を置くと思う。

 

一方で、一種のトランス体験、トリップをした人間の感想には興味があるようだった。

「あの音楽はずっと同じリズムを反復していました。踊りもそうです。決まった型を続けていく中で深い陶酔といっていいのか…トリップがおとずれる。その時<私>の意識はありません」

「前もこういうことがあったんですか?」

「最近聴覚過敏の気はあるけど…こんなことは殆どありません。今思い出しましたが一度だけ、高校生の頃音楽を聴いてフワっとトリップしたことはありました。その音楽は民族音楽ではないけれど、同じようにリズムが反復しているものでした」

「僕はそういうことが全然ないから、体験できる人はうらやましいですよ」

「まあ確かに稀有な体験かもしれないですけど、生贄になる気分はあまりよくないです。…思うに世界中の、祭礼用の音楽というのは反復がグルーヴになっている。世界中どこでもだいたいそうです。反復を繰り返すことで人ならざるものと人との距離を近くしてるんじゃないでしょうか」

「確かに映画でやっていた踊りもそうでしたね。反復がキーなのか。もともと音楽に引っ張られやすい体質なんですか?」

「いえ…多分映画館だと上下左右から音が来る、というのが大きいと思います。そういえばひいおばあさんがシャーマンでした。遺伝的にいえば引っ張られやすいのかな。昔はそういう仕事のニーズがちゃんとあってそれで家族を食わせていたみたいですよ」

「それは興味深い。キツネになった気分はどうでしたか?」

「fuckです」

どんな生き物も殺されるとなったらものすごく抵抗する。

 

私はとりたてて極まった動物愛護主義者ではないし、アイヌ文化についてひとこと物申す気もない。

キツネの意識に引っ張られたのだって、100%同化したわけじゃなくて、儀式ではこういうことをするという知識がトリガーのひとつになって「キツネらしい」状態であっただろう。

でもキツネになった感想はどうかって訊かれたら、「殺された後どんな理屈を並べられても殺されるのはいい気分じゃない」としか答えようがない。

軽んじられるよりは尊ばれる方がマシだとしても。

 

ドキュメンタリーとしてはかなりパワー系の映画で、終わり方がばっさりだったのが良かった。

ゴールデンカムイはマンガなのにマンガらしく都合の良い描写を読者がほんとうだと信じて困る、という話が先日議論になったが、私もマンガは都合よく語るという認識を持てない人は軽々しくアイヌ文化は守れられたとか語らない方がいいと考えている。

あの話で最後アシリパが願って達成したとされることは、現実には殆ど廃墟であった。

映画に出てきた美幌峠のアイヌコタンはたった35年前に既に風前のともしびになっていて、2021年時点ではなにもなかった。

 

「文化を継ぎますか?」と訊かれた子どもたちが、アッサリと否定しそのまま映画は終わった。リアルでいいと思う。

 

【暴力の仕方】

「なぜ無差別殺傷犯は男性ばかりなのか」加害者家族の支援者が語る"彼らの共通点"(プレジデントオンライン) - Yahoo!ニュース

 

なんともズレた記事だった。

プレジデントオンラインもロクなこと書きませんねえ。ビジネスのことだけ書いてたらよろしねん。

 

無差別殺傷で、女の犯人っていないでしょう という一文があった。

これに関しての答えは明確である。女性は他害することを幼い頃から抑圧されているからである。

暴力の仕方を彼女らは知らない。男はなんやかんや幼児の頃から「やんちゃ」だの「ダンスィ」だので片付けられている。

私が7才だった時、クラスメイトの男子に首を絞められた。スカートめくりが常習化しても大人が誰も叱らなかったところ暴力の行先はついに直接的に命に関わるところにまで行きついた。それでも大人は「暴力」として扱わなかった。その出来事は、女子をからかうのはやめなさいの一言で始末されたのだった。

 

「無差別殺傷で、女の犯人ってほとんどいないでしょう。男ですよね、やっぱり。劣等感とか、勝ち負けとかのヒエラルキーがはっきりするのが男のような気がしますね」

と記事内で書かれていたが、劣等感や勝ち負けのヒエラルキーは女もたえずさらされている。

教育虐待で親をとうとう殺害してしまった女性のあの同情すべき事件を忘れてしまったのだろうか。

社会からさらされる理不尽さでいえば、女に対する理不尽さは相当ひどい。記事内のリクツでいえば、医大の受験で不当に点数を減らされ人生をめちゃくちゃにされた女性たちはとっくに男どもを殺害していてもおかしくないのに、彼女たちは誰もまだ殺していない。

それに、外見面でいえば男の比較にならないほどヒエラルキーに支配されている。

 

記事の筆者は、受けるプレッシャーの質の違いは男女で差があると言いたいようだ。

しかし受けるプレッシャーの質で犯人の数に格差があるというのなら、貧乏人とエリートでの差や、或いはすがれる宗教の有り無しでも差が生じるはずである。

類似の事例として、ほんの最近まで「ヘイトスピーチをするのは低年収の人」という言説が信じられていた。しかし、調査の結果、年収は差別主義者とは相関関係がなかった。

ほんとうに低年収のうっぷん晴らしでヘイトスピーチをしているというのであれば、その前に宗教が彼らの受け皿になっているはずである。特に関西では伝統的に貧乏の受け皿として宗教が強かったのだし。

 

受けるプレッシャーの質などに関係なく、他人を害するかどうかは己がどうふるまうことを許されているかの、ビヘイビアの問題である。

昔、「男のメンヘラはいないのか」という質問を受けた。同じメンヘラでも女子は自傷にいきがちだが、男は他害にいく傾向があるので男のメンヘラは視認しにくい、と答えた。

ヤリチンなどに多い。ヤリチンはほぼ他害の一種だが、それをしていると健康的な方面にはいかないのがわかってすらおらないヤリチンがまあまあいる。女と寝ること、搾取することが一種のステータスになっているからインチキ自己肯定を一瞬出来る。彼らはマッチを擦るかのようにインチキ自己肯定を次々していく。

当然マトモな情緒は身につかず、彼らに進言する人間はいないかいても離れていく。そして狭い同類の人間関係の中でドツボっていき、最終的に大きな痛手を他人に負わせ自分も負うということになって初めてヤバいかもしれないということに気づく。

 

これは一例だが、「ヤリチン」というワード自体が己がどうふるまうことを許容されているかのビヘイビアが型になったものだ。

実質が精神的被害から生じた他害であったとしても(ヤリチンの一定数は人生で辛い目にあっている)、女と寝ることは許されたビヘイビアであるため彼らはそうそうそのようなふるまいを止めない。

(一応はっきり言っておくが「ヤリチン」とひとことにいっても、望まない行為を強いる性的暴力の加害者が何割か混じっているので私はこのワードは随分砂糖菓子で粉飾された言葉だと考えている)

 

他者を害する行為をやる、というのは積み重なった文化、ふるまいのなれのはてである。

生きづらさなんて誰しも持っている。

ビヘイビアの在り方とプレッシャーというのは、おおむね同じところを源流にしているんだけど、知識がなかったり日々がキツくて視野狭窄になってたりすると余程カンが優れていない限り気づいて「プレッシャー」から逃げることは出来ない。

そんで己が脅威の側に取り込まれると、無差別殺傷の犯人になったりそこまでいかずとも他害をするようになる。

 

断言してもいいが、プレッシャーは男女で差があるなどと言ってるうちは他害はなくならない。

 

闘病記34

【今日の病状】

生まれてはじめて骨を折った。

昨日階段ですべって足の指を強打し、内出血の量が異常で時間が経ってもひかなかったのと買い出しに行った時に今まで体験したことのない足の違和感を感じたので、即整形外科を予約した。

 

注意力がもともと欠けているのに脳のリソースが足りてないとこうなる。

昨日から友達にこまごましたことの代行を頼んでいたから、買い物や洗濯などは彼に任せて、出来るだけ外に出ずに過ごそう。代行を頼んでから心がうんと晴れやかになったから、熱に浮かれて新しいことに次から次へと手をだす人間は常にこういうカードを持っとくべきである。

人間は啞然茫然としている自分を好きになれない。

 

病がちの人の方がかえって病院へ行く習慣があるから早めの対処をしやすいね。或いは、自分を病とみとめたくないひとは何が何でも病院に行かない。そのチキンレースは誰のためにしているんだい、という感じだけれど。

大昔、今の私より少し年上くらいのひとがよくひとりで飲み屋に来ていて、彼は酔うとこう言うクセがあった。

「僕の右手は少しいがんでるやろ。これは若い頃骨にヒビいったのに病院いかんとあくせく働いてたからなんや」

私は何も突っ込まなかったが、直感で、(ああこういう人間を滅ぼすために自分は存在しているのだ)と確信した。

 

【分散】

初めての足先レントゲンで放射線技師が「うーん」と唸った瞬間から「あー折れてんだろーな」と思ったが放射線技師は神妙な顔をするだけで正確なことを伝えてくれず、医者の待つ部屋に戻ると医者から「うんっ、ヒビいってるね! でもきれいな剥離の仕方だからひどいことにはなんないね。二週間くらいでくっつくと思うよ。普段は靴はいてるの?」と笑顔で告知された。

 

いやふつうは靴はくだろ。

 

めちゃくちゃ年下の男の子とご飯を食べに行ってその話をしたら「(すべったのは)どうして」と訊かれ、どうしてと問われてもすべったからとしか言いようがない。

しょうがないから詳細を話す。

「両手がふさがってて受け身とれへんかったんよ。洗濯物抱えて二階あがるやん? 洗濯物のせいで足元見えへんわ両手もとられてるわで、滑ったとき一瞬『あ、どこで受け身とったらええんやろ?』って迷ってもうてんな。それで遅れてしまって気が付いたら全体重が足の指にかかってたんよね」

「俺骨折も捻挫もしたことないな。身体がじょうぶで」

「私もしたことないよ。注意力が欠損してる代わりに反射神経はよかったからね。何一つできなくて怪我するのは初めてだった」

「どんな感じなの?」

「屋内で裸足で生活してる分には困らんよ。でも外に出て歩くとなると最初は慣れん。どこに重心おいたらええんやっけ? って戸惑う」

「どこに重心おくの? 難しそう」

「踵から慎重に体重を分散させることになる」

 

歩く時の体重の分散は、骨折するずっと前から意識していたことだった。

私は冬季を除き裸足で屋外を歩く習慣があるのだが、裸足で歩くといかに現代人が靴によって守られ守られた分だけ鈍感になってるか分かる。

コンクリートの道は硬いし、何が落ちているかわからないから足を落とす前に神経をつかってネコのように歩かねばならない。都会はなおさら慎重に歩かないといけない。ガラスだのなんだの散らばってる可能性がおおいにあるから。

靴の厚さとフラットさに慣れた現代人の足ではそうやって慎重に柔らかく歩くのが修行になる。ダイレクトにかかる負荷に集中できるのはせいぜい30分。

 

平生からそうしていたから初めての骨折をしてもまあ分散の仕方には困らない。

有頭海老を啜りながらそう思う。

年下の友達はうんと若いけれど既に都会で仕事に疲弊しており代理店からの電話に出て行った。

 

この友達と話していて救われるのは私がどんなに馬鹿なことをしても<9才差>のパッケージに取り分けて扱ってくれることだ。いっしょくたに"lady"と扱われることで楽になることもある。

 

「痛い痛い、センセそんなウキウキと固定せんといてよ」

整形外科医は音符が舞うような軽快さと無神経さで私の足の指をひっぱって巻き巻き、固定していった。

「薬指と小指を一緒にしようかな? それとも中指も巻いて三本一緒にしようかな?」

「三本もいらんでセンセ、感覚ちごてかなん。小指だけで十分や」

 

整形外科医は答えずにニコニコしながら薬指と小指を固定した。

医者って一定数私と同じ性質の人間がいるな。

これをこうしたらどうなるだろう? という欲求が隠せないやつ。

私は医療系に進んだら実験したい欲を抑えられなかっただろうから進まなかったのは英断だと思う。そういう人間がいるから医療が発展する側面もあるけどさ。

 

【新しさ】

年下の友達が多い理由、ひとつは同年代はとうに結婚していてなかなか遊びに誘えないからだが、それより強力な理由として彼らと遊んでいると不快感が非常に少ない、というのが挙げられる。

 

オジンと酒の席が一緒になるとコンプライアンスのコの字もない無神経さにイライラすることになるのは読者諸君にも予想が出来るであろう。

意外に同世代もヤバい。

表面的には「セクハラあかん」「ジェンダーフリー」「LGBTs」といった概念を持ってはいるが、昭和のオジン的な思考が無意識レベルで刷り込まれており、結果「昭和のオジンより稼がないのに考え方は昭和のそれ」というキメラが爆誕する。

だったら飲みの席のきっぷがいい分オジンの方がマシである。見得であろうと、くどくど自説を話した分ペイするという気が彼らにはある。

 

年下のボーイフレンドたちはもっといい。

近所に住んでいる青年で綺麗なのがいるが、「どうして前の恋人と別れたんですか」と訊かれ、「進路を決める時、直接言いにはこんけど、ああこの人私には家庭に入ってほしんやろなというのがありありと分かったから。彼女に家庭に入ってほしいと考えるのは自由やけど話合いしにこんのがぐっわるい、察してもらおうって感じがかなん。正直に切り出してくれたらこっちも答えようやりようがあんのに。」

と答えると、彼は一刀両断「彼女に家庭に入ってもらおうというのがもうダメです古臭いです」。

 

パートナーの自由意志をまず訊かないのがダメ、そんな男捨ててよかったと断言されこの断言で救われる魂は沢山あるのだろうけれど彼が一切そういうことを気にもとめていないのがなおさらいいな。

 

【感覚過敏】

病院の待合のBGMがイヤになってくる。

私はバンドやってた割に音質は気にしないタチだが、それなのに骨をみてもらいに行った整形外科のBGMが絶望的に悪くて驚いた。

 

病院というのはクラシックやヒーリングミュージックを流しているものだけど、その病院は選曲が悪く、おそらく「クラシックを流しておけば病院としての体裁が保てる」という意識のもとやたらに大きい音量で音を垂れ流していた。

流れている曲は「悲壮」であった。

「悲壮」の他にも猛々しい曲、じっとりした曲ばかり流れていた。

馬鹿なんじゃあないかと呆れたが、呆れの次に来たのは不快で、音がねばっこく感じたり鋭すぎたりした。

私は100均のCDでもただ流す分には平気なのだけれど、診察の時は音質と音量がとても気になって早く帰りたかった。

 

これだったらラジオを流してくれたほうがよほどマシである。

少なくともラジオのパーソナリティは客観的にみてどうかと、自分の声をわきまえているから。

 

きっとこういうのも、普段だったら笑い話にできるけれど、今はdiscordの通知音にさえイライラするから…何の理由で聴覚過敏になっているんだろう。

酔えば幻肢痛はマシになるけど内臓は痛むし、せんなしの日々が続く。

 

「ねえ職場でのさ、自分の最終的な立ち位置って決めてる? 私はいつまでも今のキャラ…元バンドマンではいけんと思っててさ」

「もう俺は確立したよ。立ち位置じゃなくて休みが欲しい」

30分後に無茶ぶりの要請に出ていくひとがそう言う。

闘病記33

【今日の病状】

昨日は躁っぽくなって寝付けなかった。

深夜友人に電話したかったが電話してもいいか聞いたLINEは遅れて返事がきて話せなかった。

 

幻肢痛まぼろしであるがゆえにただただ嫌なだけのシロモノなんだけど、疼くような感覚が何日も続くとさすがに死にたくなってくる。

これを抑えるとされる薬(マシになったと感じたことは一度もない)は脳の機能を一時的に停止させるものしかない。 

 

五感も過敏だし。なにもせずひねもす惰眠と喫煙だけ貪りたい。

 

シンメトリーじゃないのも気持ち悪く、モノに身体が触れるか身体と身体が触れる時、たとえばスマートフォンを手にする際は、右手と左手で感じるスマートフォンの質量が一緒じゃないと嫌だ。

そんなのほとんど無理なのにね。気にしてたら生活できない。

 

嫌、がちりつもって睡眠時間と集中力を奪っていく。

集中力を切らすとプライベートの連絡から疎かになっていき結果不義理になってしまう。

私のような破滅型の人間は何より友情と義理を大事にせねばならない。不義理は無粋だ。粋でない自分を許せるはずもないし現に今の自分のことはうれしくない。

持ってるもので一番の財産は人脈なのに大事にしてメンテナンスできないなら人間やめちまえ気分。

 

たまらず将軍に金を払って身の回りの世話をしてもらうことにした。

 

【メシ】

昨日も書いたけどこういう時欲求を満たさず余計コンディションを悪くするのは阿保のやることである。

 

質素でも美味い飯を食い栄養をちゃんと摂る、いい男と会話する、持ってるものが褪せてたら買い直す、休めるなら休む。

 

今日はナスの良いのが手に入ったからあたためてパスタの具にした。八百屋で買う野菜はシンプルに質が良い。

 

【時代】

私のわずらってる幻肢痛は名前のつかない病気だけど時代によって名前のなかった障がいや病気は沢山ある。

逆に近視は眼鏡が発達して気にされなくなった。

 

発達障がいという枠組みが人々に行き渡ったから私も「感覚過敏」というラベルを自分に貼ることが出来る。

ADHDという概念が浸透するまでADHDの人たちって本当大変で不遇だっただろうな。

 

物事をみる切り口があるとないとでやまいと付き合う難易度はだいぶ変わってくる。

私は親しみ慣れた精神分析というショットで今のビョーキの自分を見つめている。

何もものさしがなければ振り回されるだけであるから歳を重ねて良かった。

 

ビョーキは再発だと闘病記の1に書いたが、最初に自覚した時はとても若かった。

ひたすら苦しいだけで、医者に相談してもまともに診断が降りるはずはなく、投薬すらなく毎日のたうちまわっていた。

医者の困った顔を今でも思い出せる。

なぜ寛解したのか未だにわからないのでラッキー🤞という安直な結論にした。

 

今患っていることはオールド・スクール・スタイルな精神分析愛好家の私が予想するところ最悪の段階に至るまでのステップである。

「最悪」に至らないよう色々してはいるがあれは唯一、舌から産まれたようなこの私が笑い話に昇華出来なかったことだ。

 

今んところ誰にも最悪の段階の詳細をネタバラシする気はないがここんとこの状態が続くとお師匠だけにバラして消息を断ちたくなるね。

それを許されていないからまだ工夫するけど。

闘病記32

【今日の病状】

数日前から凄まじい感覚過敏で不愉快だ。

しばらくおさまっていた幻肢痛は悪化したし苦手な音も質感も全てギンギンに突き刺さってくる。

 

私の苦手な音は複数ある。こんなようけあってよぉハードコアできたのうと思うくらいに。聴覚の設定がバグってていつもより苦手な音は悪く聴こえるし一度聴いたら耳に何度もリフレインする。

服もよっぽど気を遣って選ばないと普段ならなんとも感じない服が一気に脅威と化す。今日はスカート選びをミスって一日嫌な感触を我慢することになった。といってもそのスカートは今の今まで大丈夫だったんだけど…

 

第三の眼の位置あたりも常にウズウズしててヤな感じだ。ずっと鉛筆を突き立てられてるみたいだ。

 

ついでに頻尿も悪化した。

こいつとの付き合いも古い。18才の春受験が済んで玄関でダラダラしているといきなり前触れもなく始まり、その後波はあるもののまったく治ることはなかった。

ネトウヨだが名医と言われる医者に連れて行かれたが検査はオールグリーンで何一つ異常はない。(なおネトウヨなので検査が終わったらその医者をボイコットした。ネトウヨの医者、災害みたいなもんだろ。著しくshit)

 

これらは集中力の欠如に直接的につながり集中力の欠如は私のペルソナに影響を及ぼす。

つまり真人間の擬態が難しくなる。

 

【擬態】

誰であってもよそゆきのペルソナを有しているものだけど私のソレは職場で一番に発揮される。

元々が末っ子気質で空気読まなくて破壊衝動が強くて自制心が足りなくて口が悪くて破滅型で結果を知りたいからデメリットを無視して試す、というタチなので自ずとよそゆきのペルソナはその反対をインストールすることとなった。

まあインストールしても足りてないんだけど。

 

集中力が切れていると簡単に素を出してしまう。

書類作成に追われている最中に会社の人から「コロナ怖いですね」と聞かれると「ああええ〜そうですね〜でもどうせいつかは死にますしね」と適当にくっちゃべってしまったり。

 

素を出すのはよくない。

いやいや素を出せるのが一番という方もいるだろうが体感仕事場で素を出すのはよくない。

嘘とまことのハイブリッドが自分の真骨頂だと考えているのだから嘘をつけなくなったらおしまいだ。

コミュニケーション可能な範囲の人間性、不快感を不必要に催させず、それでいて職能はあるという状態を維持できなかったら私に価値はあまりない。少なくとも競争の激しい現場に居続ける価値は。

 

で、私の職能とは差異である。

差異というとちょっと格好いいかもしれないが要するにスキマ産業だ。他人と違うことが評価や存在価値に直結している。その領域での希少性と汎用性のある「出来ること」が組み合わさって価値が創出されておりおそらく前者の比重が高い。

スキマ産業のような形でしか仕事での自分の価値がわからなかったから2022年6月現在もこのスタイルだ。

安定した状態だと他者との違いは身のある議論をできたりアイディアの多産につながったりしてイイ塩梅でオモテに出てくる。

 

しかし他人と違うことは多少横暴になってもいい権利と裏表であり、追い詰められると権利が「ウオオン」と顔を出したがるから意識的に抑える必要がある。

 

今日はスカートがずっと気持ち悪かったのもあって手綱が緩み獣が一瞬出てきた。

 

数日前に脳のリソース不足だと感じたのは間違いじゃなかった。私は健康なら割かなくていいリソースを割いていて自分自身に足元をすくわれている。

 

【対処】

文字どおり対処療法でしかないんだけど。

・深呼吸

・欲求を出来るだけ満たすこと。たとえば腹をすかせて更にコンディションを悪くするのはバカのやること

・好きなことをする(私の場合ハマっているシューティングゲーム)

・やらなくていいことはやらない

 

→これらを一通りやったあと獣が出てきた状態の時に手をつけたタスクを見直す。

今日であれば午前に課題にしたことはトゥーマッチだ。課題自体は間違っちゃいないが足並みや熱量を共有できないレベルで設定してしまった。

適切に目標をセットして適切にプレゼンをしないと、ただの熱血バカどころか「握りたがりの掻き乱し人間」になるだけだ。

 

「適切に目標をセット」のところまでできたから今日はもう風呂入って寝よう。

朝イチの会議で、本チャンの会議に合わせられるようトーンダウンすべく誰かと喋ろう。出来れば同じタイプの獣を飼っていない人と。

 

 

ああ幻肢痛が嫌だな。

 

「嫌だけど命には影響がない病気」というフレーズがあるが「嫌」ってかなり命に影響があると思う。

闘病記31/「おもしれー女」とは言うけれど 2

【今日の病状】

かろうじて自炊に成功。

昨日パクチーラーメン食べてから気が付いたが、何を食べていいかわからなくなったらとりあえずエスニック料理にしたらいいのだ。

 

茄子とピーマンと鶏ひきにくのクミン炒めを作り、白米と漬物と食べる。

隠し味に生姜、醤油を使っているから和風にも合う。

 

栄養素は足りているはずなのだが貧血のような症状はずっと続いている。

平生なら自分の身体の細さは気にならないけれど、今日は妙に「こんな細くては頼りない…」と思ってしまった。いきなりポキン、と折れてそのままさらさらと崩壊していきそうだ。

 

【夢の内容】

土曜、でかめの仕事をした後お師匠と会った。

この人は今月誕生日なので贈り物を買っておいた。「いつがいいですか」と訊いたらその日になったので渡すものを持ったまま朝の仕事へ行った。

 

これは本業ではないのだが仕事といえば仕事である。正確に言えばあるインタビューをセッティングし同行したのだが、自分の人脈から湧き出た話なので一応責任がある。

とはいっても軽い気持ちで同行したのだが、天才×天才の盤面になってしまっており「ヒッ…」となった。出来心というかいつもの軽いノリでセッティングしたら場は想定してない領域のものになっていた。

 

なんで自分はいつもこうなんだろうな…と、終わったあとお師匠を連行した初見ではドッキリとしか思えないシチュエーションにある和食屋でひとりごちた。

 

「ええやないか、それで機会ができてんから」

「それはそうですけど…手におえん範疇のことを悪ノリレベルでやってしまうのはちょっと。もう少し慎重に生きようと思いましたよ。ああそういえばそういうの今日の夢で見たんやった」

「夢?」

「私探偵でワトソン役はすきぴ、という夢で、というか大体夢ではいつも探偵なんですけど」

「探偵?! お前探偵なの?! いつも?!?!」

「青森に殺人事件を解決しにいく道中で」

「西村京太郎やないかい」

「ワトソンが仕事があるから東京に帰ると言い出すんです。で、最初はしゃあなしやと送り出すんですけどすぐ気が変わって怒鳴るんですよ、私一人おってできひん仕事なんかそもそも上手くいかん、才能ないから辞めろはよ帰ってきいや、ていうかこの仕事、そんな下に見てええもんとおもてるんか!って」

「探偵の仕事なめてるんちゃうか、と怒るわけね。しかし実際は探偵の仕事って九割浮気調査らしいよ」

「あと逃げたペットの捜索ですね。私は殺人事件しか受け持たん主義ですが」

「そんだけ浮気調査にニーズがあるのか~って思うよね。浮気してる人間多いんやろなあ。あるいは浮気や身の上を調査したい、というニーズがある」

「内容はともかく確かめたいという感情ですね」

 

その夢がこれ。これから夢日記は絵で描こう。

✩ℂℋÅℛ✩ on Twitter: "夢日記 探偵、舐められるの巻… "

 

【おもしれー女 2】

闘病記30/「おもしれー女」とは言うけれど - 焦げた後に湿った生活

先日、これから半世紀おもしれー女に幸福はやってこない、という記事を書いたら読んだ子から「『私ってサバサバしてるから』ってマンガ、おもしれー女になろうとしている人が主人公で、本当におもしれー女かどうかはともかくなろうとしたらおちぶれて制裁されてる」という感想をもらった。

 

確かにそうだ。このマンガがヒットしているのであれば一定数そういう欲望が人々にあるということで、真におもしれー女かワナビーなのかは問わずおもしれー女には制裁される運命が待っている。

 

他にも牧野つくしはおもしれー女だと言われてベタな所なのに忘れていた。

おもしれー女が認識されるフックは、男がおもしれー女に無視されるところである。

例えば、女側が他に夢中になって打ち込んでいることがあって当該男に興味を持たない、とか。

これ男女逆だったらひたむきに夢に向かって一直線な男とけなげに応援する女の図式が楽に生産されるのに、そうじゃないと「おもしれー」になる、というのがミソじゃないでしょうか。

 

もう一人、おもしれー女の元祖といえるキャラクターがいる。

有島武郎/或る女 の早月葉子だ。

有島武郎 或る女 (前編)

有島武郎 或る女 (後編)

彼女は時代が追いつかなかった、といえる新進的な人間のベタである。物語の終盤では、心も身体も病んでいき作者に制裁されている。

 

有島武郎は女人に対してどんな眼を持っていたのか。新しい時代の女になるべく生まれてきた葉子の人生に対して、正当に評価しているむきもあるけれども、最後にああいう終わり方をさせたのはやっぱり懲罰的感情がある。でなければあそこまで堕とさせる意味はないと思う。

葉子という人間を描写する際に「タクト」(技量があるという意)を強調するのも、ベッタベタに悪女のレッテル貼りになってしまっている。葉子の、本当に評価されるべきは精神性と時代が彼女を受容しなかった不遇さなのだが。

 

作者の有島自身がどういう死を迎えたか知っていれば、皮肉なものだと思うだろう。

女性を買うことは出来ないと言い放ったことと葉子に対する処遇の落差がえげつない。

(葉子に対する処遇は投影同一視からの批判ともいえる)

 

有島は当時のレベルでいえば女性に対する目線はまだ新しい方だった、といえるけれど、有島でさえむごたらしい罰をおもしれー女に与えている。況や凡人たるや

 

誰でもおもしれー女に罰を与えたいと願っているならば、なぜおもしれー女などという概念が誕生したのか。

枠にハマらない女をおもしれーと呼んでとりあえずカテゴライズしていたい、という凡の欲求ではないだろうか。

そして、凡から生まれたものであるからこそ普遍的に、気楽な会話で浸透していく悪意の標的になり得たのではないか。

 

 

闘病記30/「おもしれー女」とは言うけれど

【今日の病状】

脳のリソース0。

まっこと食が細なった。二合のコメを2,3日かけて食べるなんて以前は考えられないことだ。

行きつけの漬物屋では色々な野菜を麹で漬けたものを売り出しておりそれが最近のベストヒット。売れ行きも良いらしくカットしたものを買いに行ったらさんべん続けて売り切れで面倒だがまるごとパックを買った。

あとセブンイレブンが発売した「きみののむプリン」が美味すぎる。セブンイレブンは売れている商品でもあっさり販売終了する傾向にあるがこれは定番商品にしてほしい。

【セブン-イレブン】今週の新作プリンはなんと“飲む”!ストローで吸うからこそ味わえる濃厚さも魅力 | グルメ | スポット | Mart[マート]公式サイト|光文社

 

食欲を漬物が担保し糖分補給をのむプリンがまかなってくれる。相変わらず飲み食いするとすぐ腸がキリキリと痛むけれど飲食業界の努力により私は生かされている。

 

で、脳のリソース0問題なんだが、前から視力を削ってリソース確保していたものの仕事にフルコミットしないまでも今月ふつうにやることがありすぎて今以上削れなくなり、ボウとすることで身体が帳尻を合わせるようになってしまった。特に手先。こまやかな動きが出来ない。

削れるところ、しいていうなら衣服をずっと同じにするとかで、微細な影響にしか過ぎない。もともと傾向としてはミニマルな生活形式をしていたから削れないんだよなあ。削る部分がない。

 

仕事中は仕事のことで頭使うようにしてるけど、

単純作業を下に流せるようになったのでようやっと頭を使う作業を出来るようになった。クソみたいなモノってちょちょっと手直し入れながら使うよりぶっ壊して1からフロー含めて作った方が楽だな???

こういう作業を去年は全く出来なかった…昔6,7人でやってた仕事を2人に減らされたから、世界中からやってくる書類をまとめるだけで時間がなくなり、今横目で見ている今年度分の単純作業は部下が来るまでの期間穴だらけだった。自分がどこの誰の書類を受け取ったか整理するのに精一杯で、次から次へと書類作成もあり、去年の踏襲とするので及第点とし、全く満足度の高くない仕事だった。

それでも人件費を減らす動きをキャッチしたので「人を増やせ」と文句を言っていたら(ムカついたので髪の毛も青くした)なんとか一人つけてもらえて、単純作業に専念してくれる人材がいるのでネゴシエーションやゼロイチに頭を使える程度になっている。

 

ヘッドハンティングされて辞めた元上司が「この会社、青い〇行とやってること同じだね。いずれああいう末路になるよ」と私と同じ感想をこないだつぶやいていた。難儀やなあ。まあ上から言われたことしかやらない人間がいればいるほど自分の価値は相対的に上がるけど。

おぼこいお嬢様、と皆に思われていたクライアントがメキメキと頭角を現してきて物言いになったので早く出世していただきたい。いや私が彼女に「自分があなたを出世させますとも」と誓えばいいのか。

 

そういえば彼女に謝ることがあった。コロナになる前の飲み会で、新人だった彼女がお酌をさせられていて(ご丁寧にビール瓶のラベルを上にせいという"マナー"講釈付きで)、私はそれを見た時止めるべきだった。よそさんの会社のことやし知らんわと無視しなければよかった。

彼女が私の席にやって来たとき、「わたえは酒飲みやさかい自分のペースで…」とよござんす風にやんわり断ったのだが、「それ誰にやらされてるんですか? ちょっとしばきにいきましょうか?」が正当なかえしだったように思われる。

 

【漢字のセンス】

田辺聖子の「夜の香雪蘭」という小説に、漢字を見て何か感じ取るセンスがない人がいる、というくだりが出てくる。

中年男女がその会話をするのだが、私にもそのような考えが発生する時はある。

 

それを最も感じるのは革命家として扱われている時だ。

「あなたはフェミニストとして」、とか「革命家として」、とかなんでもいいけれども、とかく話の相手が私をなんやら平均値より【珍】【爆】【激】なるものとして見ている時。

 

だいたいこういう枕の時はこんなふうに続く、「あなたは自分の考えに合わない人を排除するんですか」「なくそうっていうんですか」みたいに。

 

センスのなさにおったまげて私はポカンとしてしまう。

革命という字面から排除のニュアンスを読み取れないのは日本語のセンスがなさすぎる。

(自分で名乗ったことはなくとも)革命家として相手を扱う以上、なんとも間の抜けたナンセンスな質問ではないか。

革命家、今ある世界を多少ぶっ壊して作り直すことを期待されている。

なので質問者のいう「排除」なんて当たり前のうちに行動の一部に入っている。着いて来れないなら振り落とされる、それが社会変化である。そうやってセクハラはやってはいけないこととして糾弾されるようになってきたし、痴漢は犯罪となった。

これが経済だったら文句を言わないだろうに、思想になったら文句言う自分を質問者は問い直したほうがいいと思う。

 

【おもしれー女】

おもしれー女の源流、「100万回生きたネコ」。

このモテモテの俺に振り向かない女、というストーリー。

 

「虫愛ずる姫君」はもっと古いけれどあれは中途半端。

虫愛ずる姫君

姫は世の風潮なんのその、悟りさえもひらいているという有様だがどちらかというとあれはおもしれー女を不幸のエリアに置こうとする力が感じられる。

話が続きそうと思わせておいてぶったぎったように終わっているのはおそらく実際のモデルがいたからでリアルというのはそんなもんである。

しかし「虫愛ずる姫君」の書きぶりは、単に変わった女がいました、で終わらず何か悪感情が透けて見える。こういう女をいてこましてまえ、とまではいかずとも良いようにはならんように、位のpowerで。

 

あんまり現代と変わってないように見えるな。

 

気が強い女=自我がある女、と定義している方がいた。

技術と革新 on Twitter: "オッ 気の強い女の話してます?日本における「気の強い女」の定義、「自我がある」だと思ってます"

 

姫も自我はたっぷり持ち合わせている。だけど、作中ダミーの蛇で驚いたところをあざ笑われるあたり、一風変わった姫がそういう目に遭うことを作者が期待していたと思われる。または、当時の社会ではそういう目に遭ってしかるべきだったという描写である。

その描写が発生したのは彼女が普段本質を論じ世間の小言を無視して好きなことだけ追及していたからで、彼女のような人間はふとした瞬間に小心者であったり取り繕うクセがあったりするのが露呈して笑われたらいい、という力学がはたらいている。

 

自我がある女、気の強い女、何考えてるかわかんない女、風変りな女、かたやぶりな女、破天荒な女、こういうの全部おもしれー女の言い換え。

 

次に何するか、何言い出すかわかんないところが好き、予測できない方が面白い、と言ってきた男は私が真にかたやぶりなことをすると直接文句をつけなくとも怒ったり悲しんだりする。

だったら最初からおもしれー女なんか好きにならなきゃいいしそもそもそんな概念を皆が手捏ね遊びしなきゃいい。

 

私は、たいてい破滅型で破天荒だと評されるけれども、本当はこの世界そういう女が生きにくい、ということを嫌というほどわからされている。

 

結局皆、手のひら小宇宙サイズのおもしろさしか求めてなくて、かたやぶりで社会の枠組みをぶちこわすレベルのおもしろさは身近に必要としてないんだな。
だから虫愛ずる姫君には作中で制裁が与えられている。それ以上ありのままで生きられたら姫の周りの人間は「平穏」を脅かされるからだ。

「虫愛ずる姫君」は平安の作品だからまだ豪邸の中に行動範囲がおさまっているが、今は令和、真の「おもしれー」はいずこででも実行にうつされ時に周りを巻き込みながら社会を動かすだろう。そして、それはエンタメにはならず少数の讃辞と多数から鼻つまみもの扱い、の合わせになっているに違いない。

みんな正直になれよ、「エンタメとして観戦できる限りにおいて」おもしれー女が好きだと。

 

「おもしれー」概念は好きなのにその概念がごく近くに実体化したとき、概念をおもしろがっていた人たちは実存する命を持った生物を脅威とみなしエネルギーを止めにかかるであろう。

「おもしれー」は姫に与えられたほどの制裁でなくとも小言やアドバイスレベルで抑圧されるだろう。

でもねえ、皆さんの手のひらにおさまるエネルギーしか持ち得ないおもしれー女、最早おもしれー女じゃないんですよ。

 

かたやぶりがカッコイイとされていてもむこう25年おもしれー女の幸福は現実にはやってこない。

皆さんの手に余るからだ。手に余ったとき余剰は握りつぶされるしかない。

 

25年は言いすぎだ。減らしすぎた。

おそらく半世紀やってこない。

 

 

【蛇足】

とかなんとか書いてたら糸井重里こんなクソダサコピーつけてたんだ。

https://twitter.com/keizokuramoto/status/1533043277037207553?s=21&t=m5RgwX35GIctIHdvsKhPjQ

「よき問題児たれ」など実生活で揉まれていない、ダブルバインドされていないnot「問題児」の言葉であることは明白である。

「おもしれー」をめざとくみつけては手捏ね遊びする者をあなたがたも知らず知らずに模倣している。きぃつけなはれや

 

【続き】

https://jahlwl.hatenablog.com/entry/2022/06/13/215132

 

闘病記29

【今日の病状】

貧血のような状態が続いている。

血液検査の結果を記す。ほとんど正常値だが白血球像の項目のみ<*>がついていた。

 

白血球像

Eosino…基準値上限7に対して8.4

Neutro…基準値下限42に対して40.2

Mono…基準値上限8に対して8.7

 

これらの値が何を示すか私は知らない。

一応考察するならば、アレルギー持ちだから微量に上限/下限を超えてるということか。

その程度の事象ならいいんだけど血液の色が普段より悪かったから(酸素不足の色)多少気になる。

血液検査の結果をみて所見を述べられる人がいたら教えてください。

 

肉や魚を食べる気にならなくて困ると先日書いたけれども、僧侶のような食事でやり過ごしている。湯葉やがんもどきがあればタンパク質は摂れる。

東京で美味い湯葉とがんもどきを食おうと思ったら体感京都の1.5倍の値段がかかる。しかし好物に金をかけない選択肢はないし、まずいものを喰らって生き長らえるほど元気でもない。

 

大豆の栄養のみでいけるかどうか分からない。

そのうち肉を食いたくなって鳥目の家に駆け込むかな? アーメン。

 

【夢の内容】

昼休憩は食事を済ませたら寝ることにしている。

今日の夢では高校生に戻っていた。

相変わらず直接的暴力の夢ではなく間接的に魂を痛めつける内容だ。

 

なんらかの流行り病がおこり登校できなくなってしまった。

プライベートで友達と会うことも禁じられて、家にこもっているしかなくなった。

一日になんべんか、学校から一斉送信で宿題やお知らせの類が届く。

 

そのようにして過ごしているうち、奇妙な現象が知らせられるようになった。

怪我をした生徒の情報が流れてくるようになった。頻度はだんだん高くなり、今では毎日そういったメールが来ている。

 

家にこもる日々で怪我するなんてこと、そんな沢山あるんだろうか?という当然の疑問が生徒間で沸き上がった。

ある者はきり傷、ある者は打ち身、皆々DIYや格闘技の修行でもしているのかというくらい頻繁に怪我の知らせがくるので多くの生徒が異変と感じ取っていた。

私の友達とのグループLINEでもこの話題があがっている。友達の一人は何故かBLEACH黒崎一護で、あと洋次と誠との四人組だった。全員勘はにぶくなかったので言わずとも「なんだかへんだな」という気持ちは持っていたみたいだ。

それとなく日常のやりとりに毎日の、あの学校からくる告知のことがちょっと混じっていった。「昨日腕に傷を作ったのは2組の〇〇らしい」といったように。いつも告知では生徒の氏名は伏せられていたが、まあ知り合いのそこここから情報は来るものだ。

 

地味に静かに日々が狂っていってた。だんだん「怪我」を負うものが身近にも増えていってて隠されてはいるが自傷であろうというのが噂されるようになり、もうこれは匂うぞと私たちは思っていて、それが顕著にあらわれたのは洋次の時だった。

ある日の16時頃、例の告知が来た。3組の男子生徒が指を怪我したというアナウンスがあり、当該男子が洋次で、指を自分で切ったとすんなりと他の子から聞かされて知った。

 

はぁ?と思ったがその日から洋次の連絡が途絶えて我ら三人も共通認識とせざるを得なかった。

残りの二人とLINEした。

「ありえねえ」

「洋次が自分で指を切るなんて」

「幼稚園で働いてるのに」

何かある、という直感はほぼ確信で、生徒が自身を傷つける行為を隠されているのは学校が恣意的にやっているのだろうと話した。ウェルテル行為でもなんでもいいが、実際起こったことを隠していることに不信があった。

しかしどうして洋次が自分の指を切り落としたのかはわからない。話しても暗い方向にしかいかないことがわかったので、適当なタイミングで話を切り上げた。

 

その夜、夕餉と風呂を済ませたあと、ふすまの前でぼーっとしていた。

すると、ふすまに映った影がぬるぬると動いて変化した。

(私はこのギミックを別の夢で見たことがある)と気づいたけれど打つ手はなく影は動き続け、歌舞伎役者のこども、というような風体の和装の美しい男児に成った。

 

影の男児はふすま上を自由自在に舞った。6才くらいの男児であろうが、その者の眼光はしっかりしているし動きは普段の練習を想起させ華麗に舞っていた。

何より舞は愉しそうであったが、舞を見ていると、「彼にはそれが許されていますがあなたはそうではありません。」と声が聞こえた。まるで週刊誌の次のページをめくったようなトーンで。

 

声を耳にした瞬間殆ど自動的な怒りが身を支配し私はふすまを殴った。

殴っても影は消えなかった。殴るたびに男児の影は小さな女児が動くさまに一瞬変わるのだが、またすぐに男児に戻り、一向に現象は止まなかったのだ。

 

私は気づいた。一瞬映る女児が自分の影であることに。だけれど殴ることを止められず、いずれふすまは壊れるだろうがふすまが壊れても今度は別のものを殴るし家のものを順番に破壊していく中で自分の右手が壊れることだろうと思った。

あの声のせいで自分が昔から持っていた恨みと怒りを喚起されたことに勘づいたけど、恨みと怒りはしっかり私の内部に根付いていて、こうやって皆自分を壊していったんだ、洋次も自分の弱い部分を攻撃されてこうなったんだ、と思考をしつつも自動的に右手は動き続けた。

 

ああ私も明日には右手を「怪我」したって告知されるんだわ、と考えた際祖母が私を止めにきた。現実の祖母と全然違っていて、低身長で丸っこい眼鏡をかけていた(私の血族は全員高身長だ)。ついでに私が生まれる前に死んだので会ったことのない祖父も来た。

「おばあちゃん…」

私の腫れた右手を持って祖母は動きを止めてから、何か言った。それは言ってはいけない一言だった。

 

所詮偽物の言うことなんだわ、と斬って捨てることはできなくて、彼女が「女の子なんだから…」式の御託を述べたから。

 

腕を振りほどき、消えろ、と念じたら代わりに両親が来た。これはホンモノだった。ちょっとだけ若かったけど…

「ママ…私"女の子"やったんや…」

私はようやく理解した、友達たちが心地よくフラットに扱っていてくれたから意識せずにいられただけで、祖母の言ったようなこととあの何者かわからない、この世ならざる者の声が言ったようなことに、私はずっと傷つけられていた。夢の中で性別を忘れてしまうほどに。これは呪いだ、パンデミックの形をしているだけの呪いだ。

 

「どうしたん、こんなんなって」

母が心配そうに聞く。

「皆自分を傷つけるようになったんや。洋次も自分の指を…」

「洋次くんて仲良かった子ォちゃうんか」

父が私の友達関係を思い出しながら質問する。

「そうや、友達や。ちょっとふっくらした、幼稚園でボランティアしてた子や」

洋次はひとめ見ただけなら不良と思われそうな見た目で、つり目のどっしり体型だった。でも人となりを知れば彼が幼稚園で働くのは極めて自然なことだと皆得心するような子だ。

 

「ずっと縛られてた、今思い出した、このままやとまたやってしまうわ影は消えへんもん」

どういう理屈かは知らないが確かに学校がこれを隠していたことは変なことではない、と思った。だっておとなしい個が集まって成立する性質のものだから、「感染」したものは学校の性質にそぐわない。抑圧されたことに対してこんなに激しく反応するのだから。

 

「〇〇ちゃん(私の名前だ)、聞きや。プラクトン・マナクなんよ。」

「え?」

「あなたはプランクトン・マナクなの。」

母が言い出したフレーズは初めて聞いたものだった。

「それ、なに? ふつうのプランクトンはわかるけど。マナクたらなんや、全然知らんえ」

プランクトン・マナクは他の個体と違うということが、種のためになるの。生物多様性ってあるでしょう。あれは生きもんに必要なもんなんや、プランクトン・マナクはそれを担保してくれるんよ」

なんじゃ、そりゃ。

「いやや、私がプランクトン・マナク? 生物多様性のために存在許されてるん? そんなん…他の生きもんのための人質やんか」

「〇〇ちゃん、聞きなさい。プランクトン・マナクにはまだあるねん。プランクトン・マナクが存在してるとな、後の生物が続いていけるんや」

母の説明はやや茫漠としていたが言わんとしていることはわかった。

プランクトン・マナクの後には進化の可能性が残されているってこと?」

 

母の解答が聞こえる前に夢は終わったが、母と父はうなずいていた。私は進化のために生かされているのだ。不服なのは不服だが。おそらく身体的な進化のためではなく概念のための遺伝子キャリアーなのだ。

 

理解したと共に、深海から水面へ上がっていくみたいに、意識が醒めていった。

 

【世界の変わらなさ】

この夢を見たのは、ちょっと前にある他社の男性が育児休暇をとっていることに対して、「俺たちの会社で男が育休を取ったらどうなるか」「あの人両親に預けられないから仕方ないんでしょ」という会話を聞いたからだ。

両親に預けないのなんてその人の自由だし育休は取りたきゃ取るべきだ。しかも2022年に男が育休なんか取れるわけない、叩かれる、みたいな感じで言ってたから頭の片隅に杭となって残っていた。

プランクトン・マナクはこの世に失望している。