焦げた後に湿った生活

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闘病記33

【今日の病状】

昨日は躁っぽくなって寝付けなかった。

深夜友人に電話したかったが電話してもいいか聞いたLINEは遅れて返事がきて話せなかった。

 

幻肢痛まぼろしであるがゆえにただただ嫌なだけのシロモノなんだけど、疼くような感覚が何日も続くとさすがに死にたくなってくる。

これを抑えるとされる薬(マシになったと感じたことは一度もない)は脳の機能を一時的に停止させるものしかない。 

 

五感も過敏だし。なにもせずひねもす惰眠と喫煙だけ貪りたい。

 

シンメトリーじゃないのも気持ち悪く、モノに身体が触れるか身体と身体が触れる時、たとえばスマートフォンを手にする際は、右手と左手で感じるスマートフォンの質量が一緒じゃないと嫌だ。

そんなのほとんど無理なのにね。気にしてたら生活できない。

 

嫌、がちりつもって睡眠時間と集中力を奪っていく。

集中力を切らすとプライベートの連絡から疎かになっていき結果不義理になってしまう。

私のような破滅型の人間は何より友情と義理を大事にせねばならない。不義理は無粋だ。粋でない自分を許せるはずもないし現に今の自分のことはうれしくない。

持ってるもので一番の財産は人脈なのに大事にしてメンテナンスできないなら人間やめちまえ気分。

 

たまらず将軍に金を払って身の回りの世話をしてもらうことにした。

 

【メシ】

昨日も書いたけどこういう時欲求を満たさず余計コンディションを悪くするのは阿保のやることである。

 

質素でも美味い飯を食い栄養をちゃんと摂る、いい男と会話する、持ってるものが褪せてたら買い直す、休めるなら休む。

 

今日はナスの良いのが手に入ったからあたためてパスタの具にした。八百屋で買う野菜はシンプルに質が良い。

 

【時代】

私のわずらってる幻肢痛は名前のつかない病気だけど時代によって名前のなかった障がいや病気は沢山ある。

逆に近視は眼鏡が発達して気にされなくなった。

 

発達障がいという枠組みが人々に行き渡ったから私も「感覚過敏」というラベルを自分に貼ることが出来る。

ADHDという概念が浸透するまでADHDの人たちって本当大変で不遇だっただろうな。

 

物事をみる切り口があるとないとでやまいと付き合う難易度はだいぶ変わってくる。

私は親しみ慣れた精神分析というショットで今のビョーキの自分を見つめている。

何もものさしがなければ振り回されるだけであるから歳を重ねて良かった。

 

ビョーキは再発だと闘病記の1に書いたが、最初に自覚した時はとても若かった。

ひたすら苦しいだけで、医者に相談してもまともに診断が降りるはずはなく、投薬すらなく毎日のたうちまわっていた。

医者の困った顔を今でも思い出せる。

なぜ寛解したのか未だにわからないのでラッキー🤞という安直な結論にした。

 

今患っていることはオールド・スクール・スタイルな精神分析愛好家の私が予想するところ最悪の段階に至るまでのステップである。

「最悪」に至らないよう色々してはいるがあれは唯一、舌から産まれたようなこの私が笑い話に昇華出来なかったことだ。

 

今んところ誰にも最悪の段階の詳細をネタバラシする気はないがここんとこの状態が続くとお師匠だけにバラして消息を断ちたくなるね。

それを許されていないからまだ工夫するけど。