尿意を全くコントロールできなくなった。
寝るときは下に使い捨ての吸水シーツを敷いていたらいいだけだが、起きてるときは唐突に尿意が発生し発生段階ですでに漏れる直前なので困る。
今日は一日でパンツを三枚洗濯機送りにしている。
この現象は今に始まったことでなく、高校最後の日々、受験も済ましてしまいぐうたら玄関で犬と寝ているときいきなり起こった。春のうららかでそれでいて悪魔的な時期に。
泌尿器科へいっても異常はなにもなく、「心因性じゃないですか? ストレスを減らして…」などと無責任なことを言われ、「仮に心因性だったとして、つける薬がなくコントロールも不可能なままならどうしようもないではないか」と内心絶句して呆れかえった。
医者のいう「ストレスのない生活を送れ」ほどナンセンスな言葉はないと思う。誰だって1mmもストレスを感じない生活を送ることは出来ないからだ。
以来、ひどくなってはいつの間にかおさまり、また思い出したかのように膀胱がいうことをきかなくなる、を繰り返した。
【悪魔の到来】
一方で、その頃高校から大学へと進む私に比較的ストレスが多めの生活をしていたのは認めざるを得ない。
長時間の通学をしながら(親は立命館大学がうちからどれだけ遠いのかわかっているくせに何も検討や議論をせず一人暮らしはダメだと言った)学費生活費の類を稼ぐためにバイトをしたが、大学の何かしら共通点がある子たち以外で人間という生物とたくさん出会うのは心底面倒くさかった。
女子大生というラベルに、羽虫みたいな連中が大量に群がってきたのだ。
きわめて正確に表現すると女子大生になる前にもわざわざ1年かけて友人のふりをし続け私の信頼を得てからレイプしにきた野郎もいたが、まあ圧倒的にラベルに群がるのが多かった。
高校生では親の監視も甚だしいが、大学にすすめば行動範囲も広がりそこまで警戒されないだろうという無意識の計算を奴らはしていた。昆虫のような印象だった。絶対彼らは自身では言語化できないのに、あるパターンを内蔵しながら生きている。
個体は色々いるのに気色悪さが同等の沼から這い出てきていた。
(同時に、高校の時の男友達はじつにフラットに接しながらも世間の汚さを私に見せないように気をくばってくれていたんだなと気づいた。同好の士が自分に向けられる性欲に対して何も知らず防御する術も学んでいないとどこかの時点でわかったんだろう。その友人たちは顔が良かったので無理して近寄ってくる男はおらず、幸か不幸か私は勉学と趣味に熱中した高校の三年間恋愛せずにすんだ)
私のリソースは羽虫を除ける、それも性質の悪いのがストーカーや逆ギレした暴漢にならないようにすることで一定の割合割かれた。
めちゃくちゃな機会損失だ。
【重いもの持てない】
そのままだけど重いもの持てない。
コメを取り扱うのに家事に使う体力の三割要する。
自分の身体は44kgあってコメより22倍重いから毎日倒れそう。
【明日が来るという欺瞞】
明日は明日の風が吹くとか、明日があるさとか、ああいうただただ無責任なだけなのに口にしたときの語感の良さだけで世間に浸透したフレーズが好きでない。
ある先輩が、「<明日がある>からってポジティブに言うやついるけど、全然共感出来ないし明日なんて来なければいいのにって気持ちでいるやつらの方がなんなら多そう」と昔言っていた。
それはそうだと思う。
私は、明日があるからどうこうとは感じないが、別に明日こなくても全然困らないし、来たらそれなりにかったるいんだよな…くらいの気持ち…
むしろ、「今死んでも全く後悔ないなァ」という、突然の閃光みたいなキラキラした瞬間が発生し目撃しているときがいくつか(何度も)あって、その「今死んでもエエ」を燃料に生きている。
死んでもエエが断面の、連続した生。
突然の閃光が来訪するとき、いつだってウソみたいなマジカルが起きて、私は神様さえ見たことがある。
京都METROというクラブで遊んでいたら、DJイベントに痴漢がまぎれこんでいた。
(まだ、クラブやライブハウスでの痴漢が問題としてとりあげられてないときだ!)
痴漢は私の後ろにいたらしい。らしいというのは、私は踊っていて気付かず、一切合切を一緒に来た友達が見ていて後から話したからだ。
夜のさなか、音楽に身を任せて楽しんでいた私に後ろからそっと近づいて胸を両手で掴もうとした男がいた。
しかし、一番前にいた女の子が「前来て一緒に踊ろう!」と私の手をひっつかみ連れていった。痴漢の手は空中を掴んだ。
性犯罪者は性犯罪を遂げられず意志が折れてMETROを出ていった。
私は友達の話を聞いて、知らない女の子に次会ったらお礼を言おうと思ったけどそこから先会うことはなかった。
神はパリピのかたちをしていた。
これの連続で何とか生きている。