焦げた後に湿った生活

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他惑星から飛来した恒点観測員

2007年、ガセネタのアルバム『Sooner or Later』を手にしその字面をみたとき、まっさきにThe Clashの「Clash City Rockers」を想起した。

歌詞に"Then ya' realize that you've gotta have a purpose or this place is gonna knock you out sooner or later"とあるからだ。自己流に訳すと、「で、わかっとんやろ? こんなとこおったら遅かれ早かれやられてまうわ」というくだり。

 

わたしは大阪市の南のキワに生まれた。(kk mangaのハマジも同郷である) 大阪市はガヤガヤしたイメージがあるが盛り場以外はわりにシンとしているものであるからして、なんもない住宅街でティーンエイジのありあまるエネルギーを消費できずにもちおもりさせていた。

箱入り娘として育てられたため、自分には地元を出てやりたいことをする力がないという暗い方向へ歪んだ認知が金魚鉢になっていて、絶望といえるほどのグラフの上げ下げもない沈殿した諦念と厭世観を金魚鉢の中で泳がせていた。

宇宙人に、遭ったことがある。

そいつは「Clash City Rockers」がすばらしいから聴け、と高校生のわたしに託した。2004年、金剛にある野原での出来事であった。ピーカンの空の下、宇宙人にパンク音楽を宣教された。

託すだけ託してこの個体は他の星に往ってしまったらしい、わたしが大学へ入ったあと電話をかけたら「オレは今アタマがおかしくなっているし性欲がやばいからお前に会えない」とのたまった。高潔な処女は「性欲がやばいのはかなんわ、ほなアタマがマトモになったら連絡して」と返してそれっきりである。

 

マトモにならないまま失われた者よ、this place is gonna knock you out sooner or laterというラウンダバウトなアドバイスを残してくれてありがとう。

忘れもしねえ2007年大学入学。過干渉な親から離れ北上、京都へ進学し、代償として生活費をみずから稼ぐ道を選んだ。

親元を出、箱入りではなくハコにinして暴れたりベースをふりまわしたりし(ベーシストに必要な3Bって知ってる? ベース、ビーチク、暴力よ)エネルギーを適切に発散できるわいと小躍りしていたから、こっからスイートな地獄がはじまるぇと18才の時分は知るよしもなかった。

 

ある日突然、わたしは宇宙人からガセネタの『Sooner or Later』をもらった。

宇宙人の春。

クラッシュな神託をした宇宙人とは別個体である。ハデなアイライナーをしたINU好きのギャルは、見た目だけはふつうの宇宙人の眼をみた。相手もまっすぐこちらをみていた。おそらくこのとき人生が決定的に分岐した。サイケな方向に。

 

ガセネタのCDを手にしたわたしはアホほどのめりこんだ。このBPMとこの曲調とこの歌詞とこのベースラインとこのグイッタア~~を求めてたんじゃい、とアプリオリな感動が生じた。こういう風に心と身体を動かしたかったのだ、と認識した。(宇宙人にものめりこんだが宇宙人と地球人では言語コードがちがうので感情が通じたかは未だに不明である)

ガセネタは、何らかの要因により内に滞ったエネルギーをいかにして放出するかを、だんじりがコンチキチンとせわしなく鳴り響き太鼓が間断なくリズムを刻みいっちゃん盛り上がって頂点に達したときが持続したまま、みたいな疾走感で教示する。

歌詞は、切迫していながらもどこか視点が突き放されている。人間の内面とかきつい状態とかをうたっている部分ですら、まるで観測しているような奇妙な客観性があるのだ。

しかも、観測する主体の表現方法が平均値からみて飛んでいる。散弾銃のごときパワーと勢いを以てギリギリまで言及に突き進む切迫感があっても、それをあらわす言語は"海底のような暗い閃きに 間違って感光させた白色フィルム"のようにするりと大方の人間の感性を越えていく。他惑星から飛来した恒点観測員が、地球の人間に憑依しつつパンク音楽にのせたスケッチをしているみたいだ。

それでいてなお、ガセネタの曲の歌詞は地球人の共感を呼ぶものである。

 

きっついきっつい学問と労働と音楽活動の合間に、疲弊した足を動かすため、「宇宙人の春」と「雨上がりのバラード」をせんど再生。ときどき極寒の路上ではだしになりダンスしながら。

逮捕されず他害もしない、程度のよい逸脱の仕方を、宇宙人が教えてくれた『Sooner or Later』とレッスンした。正気を保つために、"狂暴なやるせなさ"の曲をおともに踊り狂っていたのである。

2015年、僕の人生むちゃくちゃや~と言う年下の芸術家を迎えに行ったバーのマスターが村八分の元メンバーだった。

マスターに昔話をねだる。マスターはこころよく応じてくれるが、最後にはとてもさみしそうになるのであった。昔の仲間はたいがい死んだのだと。マスターは商売柄か、それとも性格なのか抑えてはいたが、自分だけ残ってしまった、という痛烈な感情が読み取れた。

「まあ…気ィ落とさんと、といってもアレですけど…そうや、山崎春美さんはいはるでしょう。Twitterやってはるから連絡、したらどうやろか」

わたしが提案すると、マスターはパッと表情をあかるくした。

なぜかわたしは山崎春美氏にフォローされており(非常にうれしいです)、Twitter経由の連絡をおもいついたのであった。

そんで泥酔した芸術家をあやしながらゴッドマザーを飲んでいると、ハっとした。

鈴木いづみの『ラブ・オブ・スピード』に出てくる見晴(ミハル)って、山崎春美さんのことやないか、と読んでからずっと経って気がつく。

しょうむないヤツを弄っておもしろがるいちびり、どこか冷めた感じ、神経質で気ィ遣いなのにやること大胆、といった見晴のキャラクターが、ガセネタを聴いたときの印象<恒点観測員>と結びついた…

2016年、人生をサイケの方向性からマトモにドライブしようとしたとき、タイミングが合い地球人と結婚した。生活環境が落ち着いてきたこともあり、ガセネタを聴くこともとんとなくなった。

ところが数年の結婚生活のうちにPTSDになり、配偶者もよその惑星に引きこもってしまったのでアクセル全開ハンドル鬼切りして東へ全速前進することになった。このまま西にいたらくたばってまう、どうせくたばるなら西でも東でも一緒じゃ、東でバクチ打ったろやないけという気持ちで就職と引っ越しを同時にした。

 

こういうときの推進力は、やっぱりハードコアなパンクが確保してくれる。

河内の父親が3年は辛抱するんや、仕事をモノにせいと言うのを聞きながら東下りの準備をする日々に、『Sooner or Later』を再生した。

上方の人間は、愁嘆場をきらって回避する。泣いてるヒマがあったら、ガセネタ聴いていっちょ丁稚奉公するわい。「雨上がりのバラード」だって全然バラードじゃないでしょ? でもそれでいいの。

 

もしもあなたが"焦点の定まらない"どんならんデ、という状況ならば、ガセネタを聴けばよい。

荒々しゅうて速いギターとベースとドラムと、恒点観測員として地球に飛来したような山崎春美のうたが、健全な逸脱に導いてくれるだろう。

 

2019年上半期、『Sooner or Later』という字面をふたたびみたとき、ああまったくそのとおり、と思った。

『Sooner or Later』すなわち遅かれ早かれこうなるのよん、の意、12年経って宇宙人からもらった予言書は達成された。こうなるのよん、となりゃあ後は走りぬけるしかなく、こと人間が疾走する必要のあるとき、「宇宙人の春」はぴったり、なのであった。

そうそう、あたくしアドバイスをいただきたいのです。できたら新たな宇宙人ではなく、ほかのどの地球人でもなく、山崎春美さんに。

"やりきれないから 笑っている"はいつでもできるんですけど、それに倦んだら、どないしたらいいですか?