焦げた後に湿った生活

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STAY HOMEよりBurning down the house

なーにがSTAY HOMEじゃせめてPlease stay homeくらい言えんのか、ってなるけど現在私は家に留まることを望んでいる。好きなヲトコが家にいるから。

この家には呪いがかかっていて魑魅魍魎の闊歩する幽霊屋敷、つまり実家なのだけど、息苦しく3日以上は滞在できないはずの実家に私は長いこといた。1ヶ月くらい。ラブは尊い。好きなヲトコであるR氏は、ポケモン対戦動画制作の仕事をしながら東日本にいたが何らかの理由でそちらに住めなくなってしまい一時的に私の実家へ居候している。彼は慇懃無礼なところがひとつもないので、うちの親になんやらかんやら言われることもなく、静かに暮らしている。

 

意地悪なおさななじみのところへ行く。おさななじみはアクセサリー作家で生家をねぐらにして制作活動をしている。

彼女の家は駄菓子屋で、小さい頃から通っていたがこのところクレープ販売の商売も始めた。私はクラッシックなバナナ生クリームチョコレートの組合せが好きでたいていこれを買うが、この店は珍しくプレーンのクレープを推していた。生地の出来に自信があるのだろう。焼いて販売接客するのはおさななじみのおばだ…このひとは、音楽の勉強をして外国人と付き合っているのだが、偽の記憶である可能性が高く、実在と詳細があやふやだった。だけど今日も出てきた。本当に生きていれば50代も後半のはずなので、それに準じてか肌にシワはできていたが、栗色に染められた髪と人と接する仕事のおかげか、若々しさはあった。

 

クレープをむさぼりながら今日の飯について考える。

いつも、R氏が私の分まで作っていた。両親は仕事で忙しくめったに一緒に食事しない。R氏が作ったものをR氏と食べるのは幸福なひとときであった。それ以上発展もしなかったけれど。だんだん一緒に過ごせる期限が迫ってきたため、私は彼の記憶に記録されたかった。

「今日は私が作るわ」

そう言って私が調理にとりかかったのは、ラーメンだ。スープをまず作り、めんを茹でて放り込みメンマなどの具材を添えた。

出来たラーメンを食べてみるとスープの味が薄く、大層薄好みのひとであればともかく正直いっておいしくなかった。どうして得意料理でなくラーメンにしたのか。だけれどもR氏は一言も文句をいわず礼儀正しく食べた。

 

食後のくつろぎのためお茶をいれようとして気が付いた。

ここは実家でなく、私が一人暮らししている家だ。

お茶をいれようと立ち上がって部屋を視界にいれたとき、親が私のために置いていったお菓子とティッシュがあるのを視認した。数ヶ月前から流行っている感染症のせいで一部の物資が手に入りにくくなり、ティッシュもそのうちのひとつであった。親は私の生活を案じて好物とティッシュマスクのたぐいを置いてから、実家に帰ったのだ。

親と同じように、R氏もそのうちこの家から去っていくだろう。このまま茫漠とした日々を過ごすのはやるせなくてはっきり好意を伝えた。今まで私たちは友達として、まるできょうだいのように過ごしてきたけれど、私はあなたが好きで、出ていってほしくないのだと。

「やることがあるから出ていかないといけない。戻ってきたら。」

と、複数の解釈が可能な回答を出された。流されたのかもしれない。でも、どのルートであれ結果というものは時間が経たねばみえてこない。

 

その後、決められた期限になると彼は出ていった。戻ってきたら確かなことを言われるか、もしくは戻ってこないだろう。

私は彼を見送ったついでに街を散歩した。ひとけはあまりない。感染症のためだが、感染症があってもなくても、この街はどんどん変わっていくなあ、と思った。

むかし自分の部屋を持っていなかった。

今なら36才で出産するのはふつうだが当時としては珍しく、親は私が生まれるとは思っていなかったそうだ。兄姉と10才以上離れている。4人家族を想定して父が家を建てたので、私の部屋はもとよりなかったというわけだ。

幼い頃は両親と一緒に寝るのもそのへんで着替えるのも気にならなかったけど育つとそうもいかず、私は親に「ひとめを気にせず着替えたい」と訴えた。

父は思いついて、ホームセンターでひもをひっぱると上からスルスルと布がおりてくる仕組みのものを買ってきて、実家1Fの一部分に取り付けた。このカーテンを引くと簡易ながら私の空間が出来るというわけ。

 

そんで今、私はかつての<私の空間>にいる。既に家自体消滅してしまったはずの場所に、きっちり記憶どおり机とエレクトーンとコートかけが存在している。

ここに来る前、気が付いたときには2Fにいた。2Fは家父長制から生まれた悪意が魑魅魍魎となって闊歩する幽霊屋敷になっており、私が最も恐れるものだ。

両親と私が寝ていた部屋にひとり立っていた。考える前に動き即刻この場より去るため寝室と隣の部屋を仕切るふすまをまず開けようとした。

開かなかった。

ま、当たり前だね、そうカンタンに逃してはくれないのだいつも、悪霊が出現する前にこれを開かなくてはと真剣になりながらも冷静さを保つ努力をしつつ格闘する。

なんとかして開けようとしていると次第に乳白色のはずのふすまが紫やオレンジのサイケな総柄模様になり、模様は自動的に動き始めた。従来であればこの時点で怪奇現象に遭遇したことにより恐怖心で身体もアタマも凍り付いてしまうのだが、じょじょに私は強くなっていっているみたい。模様が動いても、アタマも指も止まらなかった。

あーもうこのふすま蹴り飛ばして破壊しちゃおっかなと考えたところでふすまは開いた。コムスメの反抗・犯行・暴力には家父長制の悪意もたまらないらしい。

 

開いたので下におりた。そういや私は喫煙者だからライター持ち歩いているのだし燃やしてもよかったナと思った。1Fに来ると座標は自然に<私の空間>へ移った。ここに来ると私はついしゃがみこんでぼーっとしてしまう。いっつもそうしていたから。箱入り娘として育てられて、やりたいことしたいナーと考えても実現する力がないと思い込んでいたから、何時間でも小さな空間で脳を泳がせていた。

 

「〇〇(私の名前だ)、あの男の子はどうしたんや。Tくんていうたか、大学の子でよォうちに来てた子、おったやろ」

 

キッチンから父が問う。Tはたしかに長年の悪友でよく遊んでいたが、父親が知るはずはない。Tの家は奈良で通学も奈良からせっせと京都へ通っていて、大阪市南部の私の実家なんか来るわけないのだ。

だけど、父の声をきいた瞬間にTが私と私の両親とメシを食っているシーンが脳内再生された。何らかの理由でうちに招待することになったか大阪市内で遊んでるうちに終電を逃したか、人嫌いでない両親がいろいろのオカズを並べて、Tも適切な社交性があるのでみんなで楽しそうに食事している、いかにもありそうな情景が「記憶」として浮かび上がった。

 

「最近来おへんやんか。また遊びに来てもらったらどうや」

あくまでやさしい父のセリフが室内に届く。

 

それでも、事実は事実で記憶より先立つ。私は感情より論理を優先した。いつもこうだなつまんねえ奴、と自虐しながら甘い「記憶」に対し(ウソツキ。なかったのよこれは)と心の中で唱えた。情に訴えかけてほだす佞悪さも、家父長制の象徴は持ち合わせているのだった。思わずひっぱられそうな甘い「記憶」と対峙したら、負ける前に家ごと燃やしてしまいたくなった。私はキッチンの方へ振り向いた。

 

キッチンには、誰もいなかった。

と、いう夢をみていた。昨夜というか今日の3時までskypeでオンライン飲み会していた。

なにやら声がするので怠惰な昼に目覚めると、昨日のメンツである同期1同期2センパイがまたオンラインで話している。私はPCをつけっぱなしにしたまま寝たらしい。

自分も参加しよ~っとボタンを押してみんなに話しかけたが、同期のひとりが「〇〇ちゃん、自分の姿を鏡でみなさい」と珍しく少し怒ったような真面目なトーンで言った。

「え? ……キャーーーーーッ!!!」

私は全裸だった。画面の前から転がり落ちた。

もともと寝るときは裸だ。

ただ、昨日寝るときは、起きても通話が続いていた場合服を着てから画面をつけることをよくよく自分に言い聞かせていたのに、起きたらすっかり忘れてしまっていたのだ。

同期だけならともかくセンパイにまで全裸を見せてしまった混乱が頂点に達したとき、目が覚めた。

 

これも夢だった。入れ子の夢。

私は、せめてセンパイの前ではバカなことをしないようにしようと現実の世界でちかった。バカは死なんとなおらないかもしれないが。

 

#夢日記