焦げた後に湿った生活

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博徒

「大阪のギャルは全員心の中に萬田銀次郎坂田三吉を飼うてる」というのは私の持論であり20代半ばに突然思いついて以来揺らいだことがない。人間なんて刻一刻と変わっていき1年まえ考えていたことが今では全然肯定できないなんてゆーこともザラにあるのに、なにひとつエビデンスのないワンフレーズがデンと座っていのかん、というのはかなり珍しいことではないか。

今日はどうも鬱々としていてよろしくない。月経前症候群の時期はとうに過ぎたのでホルモンは関係ない。外向型性格なので(ENTP)、人と話して発散したいが生憎4連休は日曜を除き誰かと喋る機会がない。

やることがそれなりにあるので休日はそれらに割かなければいけないが、なぜか「ヒマ」だと認識してしまい予定を入れたくなることの原因を考えている。今度カウンセラーに聞いてみようと思う。

 

ENTPはユング式16タイプ性格診断のなかでも特に割合が少ない。幼い頃から「なんか、血縁関係のなかで私だけものの考え方がちゃうんちゃう?」と感じていた理由はENTPだったからかもしれない。ENTPは、わかりやすいキャラでいったらJokerやヒソカである。ウルトラマンをみて育ちウルトラマンになるために生きているので悪に染まらなくてよかった。適正はJokerであっても生き方は正義の味方でいたい。

もっとも、16才くらいまでは明らかにEではなくI(内向型)なのでINTPだったはずだが、どちらにせよマイノリティーだ。

試しに読者も診断してみたらいいと思う。就活とかに役立つかもしんない。私は友達とケンカした時の対処に使えるなぁと感じました。

無料性格診断テスト、性格タイプ詳細説明、人間関係およびキャリアのアドバイス | 16Personalities

 

カウンセラーに、「あなたは<なぜこういった思考/行動をするのか?>という他者の行動原理を気にするし、仕事上でも合理的理由のないタスクはいやだ、と強く思ってますが、なぜですか?」と質問されたがそんなの私が教えてほしいくらいだ。生まれた時からこうでしたよと答えるほかない。

…と思ったし実際上記のとおり答えたのだが、一応思い当たるフシはある。なんなら他のE(I)NTPの人に同様の体験をしたことがあるか聞いてみたい。

①私の家はガッチガチの家父長制で、家父長制では感情が強い。感情はときに言語化されない。これが不満だったため、反動で自身の内では思考のパワーが強くなった。

②親きょうだいが私を叱る時、「なぜダメなのか」を説明してくれなかった。例えば、エレクトーンの練習をしていると母親から「そんなんじゃ全然ダメ」と言われるが、具体的にどのパートをどう改善したらよいのかは教えてくれず、延々反復のみさせられる。

③いとこは阪神ファンで私は巨人ファンなのだが、ある日一緒に巨人阪神戦を観ていると、阪神の某選手がヒットを打ったので私は「この人、上手いなあ」とつぶやいた。すると、いとこは「なんで巨人ファンやのに阪神を褒めるん?」と驚いた。こっちも驚いた。選手の技術のよしあしはただの客観的事実であり私の好意とはなんら関係がないからだ…

 

こんな風な環境だったら、誰でもなんとなしに反発心を感じてTに寄るんじゃないだろうか。

いや、まっさらに感情派Fに染まる人もいるのか。

じゃあ後天的要因に関わらずTが強いのかも? 

ゆーじんのくろそーと、元配偶者が失踪した時にどうしようもない愚痴を聞いてくださった中森さんが対談していた。

いてもいなくてもよくなることについて:中森弘樹・福尾匠・黒嵜想鼎談|ひるにおきるさる|note

中森さんにはあとで「13年くらい失踪してた友達と連絡とれましたよ」の報告をしたい。

 

この記事のなかでくろそーが激オモの鬱になったこと、そこからどう恢復したかということを書いていたが、見事に私とメソッドが違うなぁと思った。

元配偶者「失踪」後、精神病が悪化して激オモの鬱になったことがあり、まず感じたのは「本で読んだことと実際の鬱、ヤバみが全く違うッ…!」ということだった。

布団から起きあがれないし風呂に浸かったが最後マジ卍浴槽から出ることができない。後から鬱経験者の人と話したとき、ヤハリ風呂から出られない体験を耳にしたので、鬱病あるあるらしい。

しょうがないので毎日友達に代わるがわる来てもらった。何もしてもらわなくても(皆家事を手伝ってくれたが)、人の目があることで脳になんらかの刺激が加わり身体が動くようになるのである。家に来てもらう以外にも、電話しながら風呂に入る、なども有効かもしれない。※試したことはない

 

そして、「失踪」した元配偶者へは「1ヶ月待つ。1ヶ月経って話合いが出来ない場合、私はここを出て東京へ行く」と通達した。プロジェクトマネジメント経験なんてなかったのに、私はケツを設定し本能的に"自分の置かれた状況をどうにかする"プロジェクトをキックオフしたのだった。

そこからはものすごく行動が速かった。共感性に欠けるものの具体的解決法の提示に優れる人間を友人の中から数人ピックアップし、彼らに直球で「助けて。このままでは死んでしまうから東京へ行って働いて自活する。就活はやったことがないからやり方を教えてほしい。」と伝えた。メンバーを適切なポジションにアサインしたわけですね。

愚痴は共感性と余裕のある人が聞いてくれる。

本当に多くの人の助けを得てプロジェクトは成功した。原動力としては、もちろん「私を助けてくれる人たちのためにも死ぬわけにはいかない」という気持ちがあったけれど、一番強かったのは「このままだとくたばる、西でくたばっても東でくたばっても同じじゃ、どうせやったら東京で正社員のポジションぶんどってから果てたるわい、博打うったる!」という感情だった。希死念慮という最もウェットな現象の反動か、ドライでハードコアの極致に行ってしまった。やけっぱちだが100%衝動というわけではなく、一応勝機を手繰り寄せながら、だ。

結果、まだ死なずに鬱もPTSDもほぼ寛解状態になりフルタイムで働いている。

 

"今日しか感じられないこと、今日しか起こらないことはある。私にだって今日はある。したがって、私にも今日しかできないことがある。…といったことをゆっくり捉え直してゆくうちに、いつのまにか鬱も抜けていたんですよね"

 

といった部分で語られているように、くろそーは刻一刻と変化する自分を見つめて、今まで軽んじていたという「ていねいな生活」(←これ「ていねいなくらし」じゃない?)的なものの価値をみとめた経験を経て恢復したみたいだ。一度も同じ毎日はなくヒトの一生は互換性のないものだという、ダニロ・キシュの思想に近い。ここ私も興味あって、いつかヒト一人の一生を全部書くというのをしたい。

私は変化する自分に耐えられなかった。鬱になった自分を肯定できず、今まであったものを失い過去の自分と大きく変わってしまったことに絶望し、泣きながら「今までの手札を失った、じゃあ違うカードを作ってそれを手札にしたい」と願って博打をうち運良く成功した。

 

…これってやっぱ個人の性格に左右されるんだろうか。

心の中に住んでいる萬田銀次郎/坂田三吉の影響、かもしれない。