焦げた後に湿った生活

このブログは投げ銭制です。投げ銭先⇒「このブログについて」

初恋・海中編 Ⅱ

「俺結婚するんだよね」

といったのは友人鳥目でほう、と思った。こいつは衝動的に結婚するかずっとしないかのどちらかなんだろうな、という感じだったから唐突に言われてもおどろかなかった。

「相手はあの子?」

幾度もの一時休止をはさみながら長く続いている相手を挙げると、そうだよと言った。で、どうしよう…と考えた。私は長らく彼を東京に留めてしまっていたので。東京に飽いて北に行ってみたいと考案しているところに結婚に失敗した私が関西から逃亡して彼に色々頼ったため、あなたが幸せになるまでどこにもいかないとまで言わせてしまった。

私はまだ幸せじゃなかった。主観でだけど。客観的にみりゃ友達はいるし仕事もあるし文章が評価されることが増えている、高望みしてはいけないのかもしれない。

 

私たちは晴海埠頭を抜けて空港方面に向かう道を歩いていた。ここは散歩の穴場なのだという。鳥目は住居をころころ替えるタチで、長らく中野周辺を点々としていたが西を試しつくしたので、このところは東東京を攻めている。彼の仕事場は港区だからアクセスも悪くないのだが、最近の数ヶ月はテレワークね。人少なの海であればあなたも人の目を気にせず散歩できるだろうというので案内してもらった。

今にもくずれそうな、モノレールの路線がある。羽田か成田へむかうものだろうが、全く手入れされていないかのようにぼろぼろだ。

「たまにこの路線使うんだよね。仕事が遅く終わって気分転換したいとき。これ乗るときれいでいいよ」

いつもおすすめのものを教えてくれるときのように、彼は言った。ぼろぼろの灰色で夜空を進むモノレール。この辺は住宅地もないし、ひとけのない東京をオワオワリな電車で眺めるのは悦楽だろう。想像が愉しかったので、きっと乗ろうと思った。

 

海辺に立つ。

じゃ、仕事に戻るからと言う鳥目とバイバイしたあと、モノレールはなかなかこなかったので思い立って海に来たのだ。いつまでも頼っていられない。友達が舵をきるというのならば船出を祝う。

ボジャン、と音を立てて海に潜る。都会だからしてシケたものしか獲れないだろうが、私は自分で獲ったものを鳥目にあげたかった。人間の祖先だか縄文人だか知らないが、とにかく大昔狩猟物を贈与するのは原始的な愛の証だったのだ。カキは殻しかない…美しい貝やウニの骨もない…人魚みたいに泳いでいると、夕方のメロウな日差しが海水に溶けていって綺麗だった。

やっと活きたハマグリを手にした。トロ箱をもらってハマグリを入れる。

 

東京は本当につまらない。でも3年は辛抱して仕事をモノにする。鳥目がいなくなってもなんとかやらなくては…気負うというほどでもない程度の決意が、溶けた夕陽と一緒に漂った。

数年後、私は転職して母方のイエがあるI市に戻った。私は編集の仕事やこれに伴う事務、取引先との営業、来客対応などこまこまとやっていた。東京では仕事は業務、という感じだったがこっちでやっているのは商い、のニュアンスが濃い。

職場の人数は少なくひとりが複数のことを同時並行するのが当たり前だったが、ある日私が電話に出ていて急な来客に応対できず他の人間も手が離せなかったとき、偶々先輩(このひとは同業なのだ。 同郷で、彼もタイミングが重なって東京から此方へ帰ってきていた)が近くからやってきていて、代わりに話を聞いてくれた。電話が終わって先輩の方に行くと、さっきのお客さんは〇〇と言っていたよ、と簡潔に客の話した内容をまとめて伝えてくれる。

「××サン、えらい手間かけてわるいね。それにしても、ちゃう会社やのにお客サンの言うことよぉわかったな」

と上司が先輩を褒める。 小さな町だからして同じテナントや近所の会社同士は皆顔見知りなのだ。

「ボク何回かこっちに寄らしてもらってるときに、皆さんの会話を聞いているうちなんとなしに業務に関する単語とか覚えたもんで偶然うまいこといったんです」

「ハハァえらいもんやなァ。してみたら*****さん(私の名前だ)が仕事バリバリこなすのも、君が教えたんちゃうか」

「そんなことないですよ、彼女は彼女で努力したはるからデキる子なんですよ」

という会話がなされていたが、私はえぇ、先輩に随分教えてもらいましたよ、と持ち上げた。適当に口から出たのだが意外と本心だった。

最近、プライべートで先輩と同じライブイベントに出演した際インディーバンドを狙ってタカるキュレーターのようなのがいて、ライブ後に音源を作ってあげるからとか諸々の費用をマケてあげるからとか言ってバンドから数万円ずつぼったくろうと謀っていたのだが、私は無視が一番だと思いそうしていたもののぼったくり魔の勢いは止まず、先輩が静かに怒ってヤツを問い詰めていっていたのを見て感心していたのであった。

普段は凪でシンから怒ればキツいという、海の街をさらに洗練させたやりかたなのかもしれない。

 

夕方、仕事を切り上げて路面電車を待っていた。先輩に、路面電車に乗ってみませんかと誘いをかけようと思ったがやめにした。路面電車は数分待つと来た。乗り込んで、市街ではなく海の方面へ出る。

私がここへ戻ってきた理由。東京で先輩と会ったとき、かつての想いびとも東京に来ていると彼の口から偶然知ることになってしまった。形にゃならんかったが随分心は乱れた、相手を振り切るために離れたのに結婚がうまくいかず逃げた先であっさり再会してしまうとは。この動揺は鬱の身を数ヶ月ほどはだましてくれた、恋がすべてに殴り勝ち他は全てどうでもよくなるという狂化は、メンタルイルネスをかなりの部分緩和していた。しばらくして、それも風の前の塵の如く消えていってしまうのだけど…

そして、再び天の采配によって私も、メッセンジャーもともに故郷へ戻ることになった。だとしたら、今、初心な執着を天に召して供養するときなのだ。

 

埠頭に立つ。海風がびゅんびゅん吹いている。夕陽がさす海に身を投げようとしたそのとき、下から声が聞こえる。

「*****ちゃん、そんなことせんでええねん。*****ちゃんがしんどかったの、わかってるから。あんなやつほっといて幸せになったらええんやで。あいつはどうせ今だって改心なんかしない…」

あの人の元恋人が私に語りかけた。海の精。私はにっこり微笑んで海の精にテレパシーでこう言った、

「海にいるのが好きなの」

 

腕から海面に突入しボチャンと潜った。私はなかなか海中からあがってこなかった。横恋慕を供養するのにもしかしたら一生かかるかもしれないな、でも私は海にいるのが好きでずっと潜っていても苦痛ではない。

 

誰もいない埠頭で夕陽だけがおとなしくかがやいていた。海からは、何の音もしなかった。

 

#夢日記