焦げた後に湿った生活

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闘病記27/暴力とはベクトルである

【今日の病状】

眠りが少ないか質が悪いと1日で全身が凝る。

ビョーキ以前は単なる夜更かしでそうなっていたのだが、このところは後者の方が多い。

もともと肩や頭皮は凝りやすいのだが、睡眠がキーとなっている時は、疼くような凝り方になる。

例えば、顎の付け根や耳の裏をもむとキュウウウ…となるような。凝りが疼いて最早仮眠もままならぬ、というような。

 

食事は野菜中心にしているが、たんぱく質の摂り方をどうしよう、というのが目下の課題だ。肉も生の海鮮もさほど食べたくならないから。

 

商店街にあるオーガニック食品の店で野菜のおかず色々と、ほんのぽっちり鶏肉と玉子が入った弁当を買って夕飯を済ませた。

以前ならオーガニックの弁当はたいてい量が少ないと感じたものだけれども、今は事足りる。

 

【暴力】

今日は暴力について語る。

古今東西様々な者が論じており、ニュアンスもそのときどきによるが、ここでは一般的な…読者も一度は見聞きしたことがあるであろう、街で絡んでくる連中の暴力について記す。

 

暴力とはベクトルである。

 

通常、暴力を行うとか、暴力をするとかは言わない。

暴力をふるうという言葉には、ベクトルがたぶんに含まれている。ふるうという字面には矢印が透けて見える。ナタが上から下に思い切り振り下ろされるみたいに。

 

先ほど大きな路で、40代後半位の男性に「ジャマジャコラ」と怒鳴られた。

カタカナ表記にしているのには意味がある。

ひとつ、河内弁話者である筆者にはカタカナの言葉にしか聞こえないからだ。筆者が彼の立場で発声するとしたら「邪魔なんじゃボケェ」が正当な表現である。

また、当該台詞が、一種のマジック・フレーズだからだ。心の底からでてきたものではないのだ。

そのひとの人格を形成するコア部分から抽出され漏れたものではない、多分。

 

路は充分に広かったしすいていた。スペースはしっかりあった。

私は行くべき方向を間違って引き返したところすぐ男性とぶつかりかけたのだが、正直言って男性に過失があると思う。

引き返そうとした瞬間にぶつかりかけたのであれば、最初から彼は香車のように此方へ進んできていた。

 

ぶつかりおじさん、という概念/現象がある。

帰ってきた「ぶつかりおじさん」 やり返せない人が狙われる|NEWSポストセブン

だいたいこのテの手合いは駅に多いのだが、本日は駅でなく大きめの商店街で、であった。

 

私はどうしたか。

整体してもらったばかりの首を60度ほど傾けて振り返り、その人の眼を見て、

「お前がな。」

と、大きくもなく荒げもせず、彼の耳に届く分の声量でひとこと放った。

 

さて、男性がどうなったか。

鳩が豆鉄砲を食ったような表情をしていた。立ち止まっていた。

まるで、ポカンという擬音が聞こえてくるみたいに。

さっき凄んでいたのがウソみたいに。

 

同様の事象が過去数回ある。

 

ケース①

関西に住んでいた時分池袋に遊びに行ったら、若い男(といっても当時の私よりは年上)がわざとぶつかってきた。

わざと、はもしかしたら誤った表現かもしれない。ぶつかりおじさんと彼には多少の差異があるように感じられる。

彼の中で自分より年下の女(ややもすると弱そうな男も)が除かんというのはハナから文化にない、といったところだろう。

私はぶつかられたことに対して適切な量、怒鳴った。何を言ったかは想像に任せるが池袋に大阪湾はないとだけ言っておく。

彼は驚愕して声も出ていなかった。

 

ケース②

これは東京に住んでからの話である。

読者諸君もイメージ出来るであろうが、最近のコンビニはレジに並ぶためのラインを示すビニールテープなどが床に敷かれている。

一人の老人がレジ近くに立っていた。おそらくセルフレジの前にいるのに気が付かず、そもそもセルフレジ用のラインと店員のいるレジ用のラインがあることすら認識していなかっただろう。

私は煙草を買うため店員がいるレジへのラインにいたのだが、店員がいる方がすいていたため老人が「お前ー!!人様を抜かすなー!!並べ(以下略)」と急激にとびかからんばかりに怒り罵り始めた。

「こっちはちゃんと並ぶトコ並んでんねん、アンタこそ目ェついとんか!」と怒鳴り返すと、ジジイはスゥと縮こまり「ソウカ…」と呟いた。いや謝れよ。

 

これら3つの事象には共通点がある。

1. 暴力をふるう者は反撃を想定していない

2. 反撃されたら驚くし、急激に膨らませた怒りがしぼんでいる

 

これらが示していることは一体なんなのか。

 

まず、最初に述べたように暴力はベクトルだ。

彼らは一方通行の暴力をひとに向ける。それもひとを選んでいる。

まさか私が蝶野正洋のような外見であれば三人とも同じ行動はとらないであろう。

能動的かつ自動的、といったような珍妙な行動パターンが形成されている。

「誰でも良かった」という通り魔はその実子どもや女性といった弱者を選んでいる、というのはよく言われることだが、通り魔はもう少し意思がある。

 

ベクトルのある暴力を往来でふるう一般人は、何かがシステム化された半ばbotみたいなペルソナのようなものを内在させている。

(先ほど引用した記事でもぶつかってくるのはヤクザではなくサラリーマンだと書かれていたが、私の体験も同じだ。ヤクザ者、極道はんが絡んできたという経験はない)

一般人のふるう暴力はベクトルがある。

 

経験上ぶつかりおじさんはこちらがまっすぐひかなければぶつかってあっと驚くし、言葉でだって、ケンカを売ってきたのに買われたらおどおどする男性、という例は枚挙に暇がない。逆にいえば彼らはベクトルのある状況しか作らない。あるいはそういう世界に住んでいる。

この何かは社会構造とか男尊女卑とかからoccurしたと分析してもいいのだけれども、考察するほどのことでもなかろう。

もう、筆者も読者も安易に想像できるような事柄がバックグラウンドとなってbotが展開されていると見ていていい。

 

そして、一方通行のベクトルが破壊されたら。

彼らは非常に驚く。

それだけではなく、驚いた後に「空白」が出来る。間といってもいい。

憑き物が落ちたかのように…は言い過ぎか。ともかく、一気にかつ自然に「素」が現れる。

この空白と素のステータスは、ベクトルが反対になった時に出現するのだ。

 

筆者が行ったことを思い返してみよ。

彼らに反撃したか、反撃すらしておらず、ベクトルをそっと変更しただけだ。私はイメージとして扇のように言葉を使った。扇だけに奥義ってか? やかましいわ。

今日の出来事でいうと、私の放った言葉は「貴様の一方通行は一方通行ではない」という意味を持った。それはベクトルの性質を全く変化させた。

だから彼の安寧は -botは所有者に安寧をもたらしている- 破壊されてしまった。

破壊された後には文字通り突かれた虚がある。

 

虚が何処から来たのか私は知らない。知る必要があるとも感じない。

だが、読者諸君がこれから不必要で理不尽な暴力から身と心を守るために、ベクトルの性質は知っていたほうがいいと思う。ゆえにこれを記す。

暴力をふるう者は反撃を想定していないし暴力のベクトルが別を向いたら虚を突かれ素に戻る。

 

ふつうに考えたら、もしくは因果論としてだって、暴力を用いれば同じ量かそれ以上のダメージが自分にふりかかるのは想定の範囲内だと思うのだが。

システム化された亡霊のような何かを内在化させている人間には、考えが至らぬらしい。

 

彼らはナルキッソスの亡霊なのか?

私は彼らの物語上鏡の役割しか果たしていない。

 

PS

※質問箱によせられた質問について

✩ℂℋÅℛ✩ on Twitter: "真面目に回答します。
相手の戦闘力がわからぬ以上、三十六計逃げるにしかずが最も正しい選択。
しかしこれをするには「走ったら安全な場所に着くこと」が条件です。大通りにすぐ出られるとかね。
そうじゃない場…

続きは質問箱へ

#Peing #質問箱 https://t.co/hJRr8Vkgc2"

 

こちらの回答で逃げるより最善の選択はないがもしも逃げられなかったら、相手より先に戦闘態勢に入って攻撃するか、戦闘態勢に入られてしまった場合は呼吸と呼吸の間を読んで攻撃を叩き込むべき、と書いた。

変質者と遭遇するというシチュエーションは本記事で書いたことと関連する事象、と直観した。

何よりも間が大事だ。空白は必ずある。