焦げた後に湿った生活

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闘病記59

身体のあちこちが痒うなる。

腹を中心に全体的に痒いが裸体を見回しても蕁麻疹が出来ているわけではなく、精神のモヤのようなものが痒みとなってあらわれている気がする。

乳液を綿棒にたっぷりとって臍周りを掃除すると瞬間痒みがおさまるのだが、一日経つとぶりかえす。

笙野頼子の小説の解説に何もしてない私が社会と触れ合う時かぶれる、というくだりがあったが、そのたぐいのモノだと思う。

 

東京に居るのは仮住まいな気がするし、かといって地元に根差す家もなし。

昔「上方の者にとって東京はデカめのワンルームである」と評したが、デカめのワンルームの他にいるべきところも特になく、アンタは根無草なのですよという空虚が痒みとして表出している。

 

かといって、ずっと前から親元に居るのも合わなかった。

 

帰省する時は行きはよいよい中途で家出、三日もすりゃあ何処へと消ゆる、という具合である。

48時間以上同じ家に滞在しない。実家であっても。

高校の頃は生活の費用が親にかかっていたから家にいたけれどそれでも地図を眺めてはこれと思ったところへ衝動的に行って、行ったら満足し帰ってくる、を定期的にしていた。

 

18で限界に達し以降初婚まで根無草の生活を続け初婚は三年しかもたなかったので三年だけが私の固定された時間だった。

 

古い血縁関係とのしがらみものうなったので、いよいよ孤独と自由を持て余し、魔と契約したような豪奢な時間の浪費をしている。

 

【正月にやること】

古い血縁関係がのうなった、と書いたがなくならなかった場合この時期はたくさんやることがある。

主に食事の用意である。

 

31日になるまでに、干したタラ、一匹まるまる焼くための鯛、チョグ、ニシン、色々の天ぷらの用意、ム(どんぐり粉で作った灰色のゼリーのようなもの)、ほうれん草ともやしとゼンマイのナムル、干したナツメ、豆腐と大根とアサリをどっさり入れたスープ…などを用意しておく。

チヂミやキムチも買っておく。チヂミだけでもニラ、プッコチ(唐辛子)入り、牛肉チヂミ、甘鯛チヂミと色々ある。キムチも白菜だけではなくオイキムチなど数種揃える。

 

食べ物だけでもこんなにあるのに、法事のためのお札や銀のお盆、皿、器、酒、子ども用のお菓子、覚えてるのも不思議なくらい買うもの出しておくものが多い。

韓国式の正月を迎えるだけならまだしもここに日本風のおせちもプラスされる。さらに最後に鍋をするためのホルモンやうどんも…

 

お札は「一番偉い男」が書くことになっていたからついぞ文言を知ることはなかったがあれだって手書きなので中々手間である。

法事が始まる時に筆で書き、一通り終わったら燃やすのである。(こんなものマンションで出来ないので必然的にうちのイエは一軒家建てないと存続しないのだなあ、と今になってカラクリを知る)

 

私はお札が燃えるのを見るのが好きだった…実際に燃やし尽くしてしまったのは、イエというシステムの方だったけど。

 

そして、イエを燃やしてしまったら、多少の賞賛と空虚な自分が残ってしまったのだった。

 

【今年】

次々と壊れたおもちゃ箱みたいに出てくる買い物のリストアップがなくなっても、正月休みは飛ぶように過ぎていく。

 

蔵書を読んで時間を溶かし、一日10時間寝て、「死んだんやないか」と後期高齢者の親に起こされ「誰にも迷惑かけてへんのやから寝かしてくれよ…」と愚痴り、珈琲飲みに行きたいナ、と行きたい珈琲屋のホームページを見ると禁煙だった。

丸福珈琲が禁煙なの、一種の裏切りだと思う。

 

まあ、大阪には、英國屋とYCがあるさかい安泰ですよ。

英國屋にはキリキリするような辛い思い出もあるのだけれど、少しずつ恢復につとめなければ。

 

キリキリといえば何食っても腹が痛むので愈々身体がポンコツになってきた。

早う終わってくれ…と思う反面、誰の元で死ぬべきか、と考える。

一番くだらないのはイエの墓に埋められることで何も手をつくさなければ自動的にこのコースに入ってしまうから頑張って回避する方法を考えなければいけない。遺骨を好きな男や友達に持っといてくれ、というのも迷惑な話だし。

そもそも喪主は誰がやるんだ?

血の繋がってない仲良い人間なら誰なとやってくれと思っているが、血の繋がってない人間が喪主である例は少なく、例の少ないことにフロンティアスピリットを発揮してくれと頼んでおくのも気が引ける。

気が引けるがやっぱり私はクソワガママなので死に際す時の段取りくらい好きにさせてほしいと思う、読んでるかどうかはともかく万が一私が早々に逝った時用に記す師匠頼んだわ。

 

【魔】

しきたりに虐げられるのと守られているのと両方の時間が終わったあと、私は魔の方と仲良くなった。

いつの間にか近づき、今では空虚に根が広がってがっちりと分かれ難くなっている。

 

魔はせわしなさや世間のしがらみとは無関係で、ただただ贅沢三昧、何をするにも自由な時間、芳醇な出会い、可笑しい出来事、などをもたらす。

この魔と契約している限りは、万華鏡みたいなおもちゃ人生を送れるのだけれど、飽いてなおあまりにも魔と古馴染みになったせいで一向に方眼紙みたいな生活が訪れない。