すげえ意識的に動物性たんぱく質摂らないとだめなのめんどくさい。
簡単に調理できて、生ものではなくて、私の食べられるものといえばサラダチキンとかツナとかちりめんじゃことかになるんだけどどうもそういうのでは栄養が足りないみたいで、がっつり外食で焼き鳥食べる等しないと倒れる。
すぐ疲れるし。
カレーもさすがに飽きた。
そして眠気…本当にいくらでも眠れるこの家では。
寝ると疲れはとれるがここんとこ寝たら寝たで問題がある。
【他人の夢Ⅱ】
もうどれくらいになるだろうか、死者の夢に間借りしているのは。
働いているのに曜日感覚があいまいになってきていて日数がわからなくなってきた。少なくとも合計で3日は死者の領域にお邪魔しているはず。
他人の心の中に触れたのはよかったけど、生者が死者のところへあんまり長居するのはよくないね。
生きている間両者を結び付けたであろうトリガーが、無意識の中で増幅されていた。子どものうちに配慮されるべき安全が足りなかったふたり。
死者の領域に訪れてから3日目、目が覚めると<愛情飢餓で死にそうだ>というフレーズで胸がいっぱいになった。
それから「自分はマジで愛情飢餓で死ぬんじゃないか?」と感じてしまうようになった。
体調のよくない人が同じ家にいるので、それの対応をしているうちにやや冷静になってきて、これは死者の領域に長居して精神が同調しかけている、と判断した。
もちろん私に全くそういうモノがないではないが、脈絡もなくいきなり愛情が足りなくて死んでしまうなんて、もしも真にそうだったらもっと早くに壊れているだろうに今日目覚めてこうなったなんて唐突すぎるのだ。愛が足りね~~~となったら致死量の愛をカツアゲできる人はいるのだし実際カツアゲしてるし…
茶色一面の枯れた草花だけの世界、あれは愛情飢餓を絵であらわしたらああなるんだ、死者の心象風景がそうだったことは悲しいことだが芸術的だった。
死者の悲しみに触れ、懐かしさに浸り、好きなだけ横になった。
あの「絵」は、私が一緒に墓場まで持っていく。
長いこといたので警告が出て、警告は「〇〇! 〇〇! 〇〇…」とあまり知る人のいない韓国名を連呼していた。
黙っているわけではないし聞かれたら答えているものの、公的文書以外で使う機会が全然ないため出番がないともちぐされだ、と表現活動をする際の名前LwLに圧縮されているほど普段表に出ない名前。
私をその名前で呼ぶのは人生を振り返っても亡くなった祖母と姉の2人しかおらずしかも2人とも名前をもじった愛称で呼んでいたので、正確には誰にも使用されていない。(!)
なのに、夢の中で声は韓国名を連呼していてあぁ血縁に繋がる何かしらからのメッセージだな…と認識する。
警告されてよかった、あのままだといつまでも居られるからどんどん同調していたと思う。
声の警告のあと、現実世界で、私はようやく後ろ倒しにしていた手紙を書き始めた…
以前医者に、「アンタはまだ呼ばれてないのよ」と死なないことを示唆されたが、死者の領域にアクセスしたからにはちょっとは呼ばれてるんだろうか?
ちなみに体調の良くない人は、職場であほの相手を嫌々していたら想定以上にストレスだったのが理由で身体にダメージが来たらしい。
卑近だが精神的なものをないがしろにしてはいけないという一例である。
【死者の領域についてのメモ】
起きて再読。