焦げた後に湿った生活

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緊急募集 物が多すぎる部屋から探し物を見つける方法

実家帰ったら例のメールが入ってるであろう携帯探すって言ってたけどマジで物積み上がりすぎて山になっており絶句してる。

私が片付けを放棄して実家に所有物を放置し続けた結果がコレなんですね?

無数の段ボール…どこに何があるかわからない…

 

周りに蔵書で死ぬタイプが多いから自分はまだマシと思ってたけど下見て安心してたらダメですね!

(※蔵書で死ぬタイプとは、本が多すぎて部屋の床が抜けるため1Fにしか住めない、地震が起きたら本が落ちてきて死ぬ危険性がある、などといった人間を指す。古本好きに多い)

 

掃除マイスターきてくれ〜!

とりあえず何からしたらええんや?!?!

 

https://twitter.com/nagoyamisato/status/1542005820380295168?s=21&t=CaKC1cVE0T5vGquTT59grw

すごいわかる。

ハッシュタグ「ちんぽを見せろ安倍晋三」の歴史について 2

 

jahlwl.hatenablog.com

 

安倍晋三銃撃事件でまたこのハッシュタグが湧いているのだが、ひとつ興味深いツイートを見つけた。Z世代に親しまれていたというツイートだ。

Rem0n on Twitter: "安倍元首相、「#ちんぽを見せろ安倍晋三」 「可愛い」って良くも悪くもいじられて、Z世代にはかなり親しみのあった政治家だっただけに、政治に関心のない若者でも今回の事件はかなりショック https://t.co/8PYFrA00Ew" / Twitter

 

 

だとすれば安倍政権が長期にわたって続いたため、Z世代の中では幼い頃からシンゾーに対して「よく見る」人的な、ある種の親しみやすさがあったのかもしれない。
で、Z世代がTwitterで遊ぶ年齢になったくらいで当該ハッシュタグがバズ、という仮説を立てられるのではないか。

(体感、#ちんぽを見せろ安倍晋三が流行ったのは2013年より後のことである。2015年くらいだと思ってる。私自身が最も使っていたのは2017年くらい)

Z世代がティーンエイジの頃の政権はほぼ安倍内閣である。

 

Z世代

1990年代以降に生まれている

Z世代│初めてでもわかりやすい用語集│SMBC日興証券

 

安倍内閣

第一次: 2006年~

第二次: 2012年~

第三次: 2014年~

第四次: 2017年~

 

【お願い】

Z世代の皆様、いつ頃から#ちんぽを見せろ安倍晋三を使っていたか、覚えていたら教えてください。

もちろんZ世代でなくとも情報提供は歓迎です。

 

また、#ちんぽを見せろプーチンチンや#安倍晋三マイクロビキニ部は#ちんぽを見せろ安倍晋三の派生と認識しておりますが、

我こそはそのハッシュタグを最初期に使い始めた者だ/いつ生まれたか知っている という方、コメントでもツイッターのリプライでも構いませんので、ぜひ教えてください。

 

私はいつどのクラスタから当該ハッシュタグが流行ったかを知り、#ちんぽを見せろ安倍晋三 の正しい歴史を書き残したいのです。

いかなる情報提供でも感謝します、よろしくお願いいたします。

 

【幻想の共有】

私のリアル知人で#ちんぽを見せろ安倍晋三に興味がある人に、

「シンゾーはそこそこご立派なちんぽだがガースーはそこまで大きくなさそうというイメージ」と言うと「自分もそう思う」と同意を得られた。謎に幻想が共有できている。

他の方はどう思っているのだろうか。

 

 

 

闘病記39

【考察! カバルドン

戦闘! チャンピオン。

過去ドロポン外して負けた相手と再戦。

 

お互いのパートナーズ公開の時点から「このPTにはカバルドンを出す」と決めていたのに、カバルドンにダイフェアリーを撃たせる方法がマジで一つもなくて絶望した。

ダイフェさえあればあんなに自由枠考察に時間割かなくてよかったのに…

 

かなり危ない橋を渡ったが勝った。何回もこのPTで練習したうえで決め打ちで動いてたけど、相手は結構サイクル回すつもりだったらしい。メタがうまくハマってペースを乱せたっぽい。サイクル回されてたら多分負けてた

 

見せあい時間に送られてきた画像、BOX名が「おまえをころす」でめちゃ笑った。

これ送った。

soundcloud.com

 

【今日の病状】

膀胱炎は治った。レディースクリニックで細菌のことを質問したらちゃんと回答してくれた。

医者、患者が何も知識ない前提で会話すんのやめてほしい。

 

骨折は治ったようなものなので、かえって注意散漫になってぶつけないように気をつけている。

 

メシの量はまあ少な目で事足りる。キャベツとトマトと豚ひきにくをロールキャベツ風にしてご飯にかけて食べた。

自分にキャベツを切る力がほとんどないことに気づいた。

 

【夢の内容】

最悪の夢のひとつ。書きたくもない。

もし無意識が他の人と繋がっている説がほんとうだったとしたら、夢に出てきた人物は相当私を舐めてる。

自分が私に愛されているという絶対的な自信があって舐めた行動をとっている。

 

そういえば睡眠随伴症が始まってからいい夢ひとつも見てないけど睡眠随伴症にそういう症状あんの? 頻繁に悪夢を見るといい夢を全然見ないはイコールではない。

 

【苦手】

また洗濯物を畳まなくなった。将軍が来るまでこのままなんだろうか。

なんで気力体力がのうなると洗濯物から影響が出るのか。洗濯機に入れることは苦痛でないが…

一番苦手なことからやる気がなくなっていく仕組みなら確かに洗濯物を畳むことからなくなっていく。

 

ド阿呆のせいで夏の終わりには引っ越しせざるを得なくなったので今から段ボールに服を詰めないといけないことに嫌気がさしてる。

ド阿呆はこの世に春団治だけでいいし引っ越しの段ボールは最大五箱程度でいい。

衣服、椅子、楽器、ぬいぐるみ、蔵書の順で嵩張る。絶対五箱でおさまらないから引っ越したくない。

「夜逃げ」と称された段ボール三箱+キャリーケーススタイルの引っ越ししかしたくない。

 

破滅型人間はいつでもどこへでも行けるよう持ち物を減らす傾向にあるが私は当てはまらない。住居に関しては便利であればなるたけ移動したくない。

飽きがきたらどうせ衝動的に地図を眺めて適当に行きたくなったどこかへ旅に出るのだし。

次旅に出るところはもう決めていたのに医療費と引っ越し代と家事代行で金をすってしまった。

しかしそれらで金をすって身動きとれぬ、というのは年俸が少なすぎるのではないか。

年俸1.5倍にしてくれという感情しかない。

働きはじめたら、自分の適正価格は今の1.5倍だと感じたから安く買われたと思っている。面接時にもっとがめつくいってもよかったな。

 

金があれば苦手なことは外注できるし心身のメンテナンスもしやすい。

 

【課題】

ちゃんと眠れるようになること。

前記事を書く契機になった思い出しムカつきで寝れなかった夜から、ずっと頭覚醒してて睡眠時間足りてない。

ベーカリーショップ「アンデルセン」で起こった民族差別について告発します

通名」*を使用していると、相手がこっちを日本人だと思いこんで、おおっぴらに差別言動をすることがよくある。

聞かされる方としてはたまったもんじゃない。

勤務していた有名パン屋アンデルセンでもそのようなことがあった。

堂々と私の前で中国人のバイト希望は断れ! などと会社ぐるみで差別をやらかしており、さらには韓国人への差別もあった。

 

その時あった民族差別の記憶は、未だに定期的に思い出して眠れなくなる。

私の体験した差別の中で最も嫌なことのひとつだ。

 

私は京都伊勢丹にある、アンデルセン京都店で学生の頃バイトしていた。

アンデルセンでバイトを始めたのは学部時代の後半からだった。院生の半ばまで続けていたのでわりかし長く勤めていた方であろう。

そのアンデルセン京都店では、中国人差別が行われていた。

 

うちの店である日、新しいバイトを何人か採用することになった。

これは忙しいバイト先を経験したことがある人なら想像がつくと思うが、電話応対に関するスタンスは「とりあえず電話はとれるやつがとる。答えられない内容なら、折り返し連絡しますと先方に伝えて切り話をメモって店長か社員に回す」という感じだった。

社員も店長もベテランバイトも忙しすぎて毎度電話とれるわけじゃないからね!

夕方になるとレジ四つもあるのに長蛇の列が出来るんだぜ!

 

というわけで、レジ打ち兼ピックアップ商品の営業とバックヤードの業務メインだった私は電話に近かったため、必然的にバイト希望者の電話応対をすることが多くなった。

採用を始めてからすぐ、バイト希望者の女性から電話が来た。私は彼女の電話番号と名前、勤務希望曜日等をメモし、「社員から折り返し連絡いたします」と言って切った。

「さっそく希望者が来ましたよ」と言って社員にメモを渡した。

 

社員は、彼女に連絡し、面接希望日を聞いた。

 

また今度、別の女性から電話が来た。同様に対応し社員にメモを渡した。

 

だが、社員は彼女たちの面接を断っていた。その次に目にした光景は信じがたいものだった。

 

「中国人から電話が来たら、もう人がいっぱいになりましたと言って断って」と社員から言われ、バックヤードの電話のところに、中国人は断ることと「注意書き」が貼られていた。

 

想像力のなさに失望した。もし中国人の恋人や友達がいる従業員がいたとして、これを見たらどう思うのかとか一切考えてない。ほんとうにクズだ。

(というか中国人の知り合いがいるかいないかの問題ではないのだが、あえて愚民の想像力に合わせて論点を卑近にいたします)

 

アンデルセン京都店では、終業後店員が皆集まってミーティングをする時間がある。その場で私はこの件について質問した。

 

その前に、ミーティングに出てくる登場人物を軽く説明しておこう。

・社員1

・社員2

・社員3

・ベテランバイト

・大学生バイト

・その他バイト。会話に登場しないため割愛

店長は確か当日不在だった。

 

私「あのバックヤードに貼っている"中国人お断り"の紙はなんですか? 失礼すぎますよ。国籍を理由に採用を断るなんて差別でしょう。」

社員1 「中国人のバイト志望があっても断れ、という決まりですので…」

あなた面接希望日聞いてましたよね? あの時点ではokであったのに、後から断ってそれが決まりだのなんだの、言い訳がましいっての。

 

社員2「うちはデパートに入っているお店ですので、丁寧な言葉遣いが出来る、日本語能力が高い方でないと採用できなくて…」

私「それを見るのが面接ですよね? 電話をかけてきた方は、両方ともとても日本語お上手でしたよ。あなた方は、中国人は中国語しか喋れないと思ってるんですか? 日本には日本人しかいないと思ってるんですか? 日本で生まれた中国人で、日本語ネイティヴの人だっているんです。面接以前に国籍で切るのはおかしいです。」

 

私「留学生とか短期滞在の人がダメってことですか?」

社員1,2「うーん」

私「ずっと日本にいて日本語が上手で、永住権持ってたら何の問題もないでしょう。」

社員1「今まで中国人を雇ったことがなくて。」

アホらしい。じゃあなおさら面接で見極めればいいではないか。てかアンタの目の前に私という外国人がいるのにな。その外国人は面接を難なく突破し、商品の営業力は社員にアドバイスを求められるほど上手くて、何一つ接客上語学力で困ったことはないんだがな。

 

私「だいたいどうやって中国人って判断するんですか。」

社員1「何人ですかと聞くのは失礼だけど、日本語が変だったりしたら分かるでしょ」

失笑である。国籍を尋ねるのは失礼だと認識しているくせに、差別していることは分からないらしい。

 

ここで大学生バイトが、親切心から、ある一言を発するのだが、それは全く火に油を注ぐ一言であった。

 

大学生バイト「李さんとか、お名前で分かりますよね。」

彼女は困った笑いをしていた。なんとかこの場をおさめたいというか、私が怒っているのをおさめてあげたい、という善意である。

ただその一言は、こいつも差別に加担すんのかよ、そんで無自覚なんかい、という諦念混じりの怒りゲージを上げただけだった。

私「……李なんて名字、中国人だけじゃなく韓国人にもいるじゃん」

 

ベテランバイト「韓国人も、ダメでしょ!!

 

ここで私の「無理」ゲージが限界を迎えた。

迎えたが私は十分理性的だった。

ことわっておくが、こういう状況になったときあなたがたにキレるなと言いたいわけではない。

私は単に、「こいつら差別者どもにひとつも私の過失をあらさがしさせてやるもんか」という確固たる信念によって理性的なままでいることを選択しただけだ。

 

私「ああそうですか。じゃあわたくし韓国人ですのでこの職場から即刻離れます。どうぞ明日から私のシフトは皆さん頑張って埋めてください。なんせ韓国人もダメとのことですので、近づきたくありません。…社員1,2,3さん、あなたがた本当に、中国人差別を辞めるつもりはないんですか。差別を続けるのであれば、このことはしかるべき場所で報告いたします。」

社員1,2,3「…」

 

私は制服のエプロンを投げ捨てて帰った。

シャツとズボンも捨ててしまいたかったがそれをやると更衣室までハイパー露出狂の変態として歩くハメになるのでやめた。

 

しばらくして社員たちから電話がかかってきた。

私は無視した。

メールで「やりとりしたいのであればメールで。電話には出ません」と送った。

当然記録を残すためだ。今も実家のドレッサーに放り込んでいる前のデバイスに電源を入れたら、忌々しいメールを閲覧できるだろう。

 

社員3のメールが一番滑稽だった。

僕には中国人の友達がいるから、中国人差別はしていない。と書いていた。

私の返信「レイシストの常套句ですね。どうして中国人の知人がいたら差別しないことになるというロジックが成り立つんですか? 論理破綻しています。むしろ、お友達がいるのにこの件を問題だと思えない神経が怖いですよ。ふつうはお友達のことを考えて、これはちょっとおかしいとか思うんじゃあないんですかね」

 

社員1,2からは、戻ってきてほしいと言われた。まあ謝罪もされた。

彼らから聞いたことは以下の通りである。

アンデルセン京都店が、独断で決めたことではない

・上の方から、やれと言われて従うしかなかった

・あの注意書きの貼り紙は外す

・永住権あって日本語が出来る人もいるのだから、中国人だからとひとくくりにして面接もせずにウソ言って断るのは止める

 

私は私が出来ることをした。電話をくれた彼女たちには申し訳ないが私はあなたたちの名誉が棄損されたことに対しておそらく最大限のagainstをアンデルセンにぶつけて立ち向かった。

で、ここに重要なことを記しておく。

 

アンデルセンの中国人差別は、会社全体で、強制力をもって行われたものだった。

一店舗だけじゃなくて、会社全体の方針で中国人を面接もさせず足切りしていた。 能力に関係なく。

 

季節が巡った。店長は変わって社員も3しか残っていなかった。

バイトも減ったのであらためてバイトを採るようになった。

またバックヤードにあの「中国人は断ること」の紙が貼られていた。

 

アンデルセン京都店の社員は、会社から「指導」される差別に対して是正を求めなかった。

自分たち社員さえ安全ならいいのだ。

 

この事件より後に聞いたものだが、松山孝法 (@dazaist69) / Twitter が、「お前らみたいなんがな、アウシュビッツガス室のボタンを押すんや」というフレーズを時々使っていた。

自分でモノを考えない愚民に対しての言い回しである。

 

私も言いたい。

アンデルセングループは、アウシュビッツガス室のボタンを押すやつばっかりだ!

「上から言われた」それだけで、自分で正しいかどうか考えず、誰かの尊厳を著しく損なう差別行為を平気で行うやつらばっかりだ!

 

8/6広島の例のあの日に、この会社が反戦・平和アピールしてるのも鼻白む。

内部でこんなえぐい民族差別やってて何が平和だよ。

 

私は未来永劫アンデルセングループ*2およびタカキベーカリー*3の品物は買いません。

民族差別に反対する皆さまも、どうか賛同をお願いいたします。

(誤字指摘あったのでタカギ→タカキになおした 7/5)

 

10年経っても眠れない時があるほど、アンデルセンで行われた差別は忌まわしいものだ。ガス室のボタンを押すような輩のパンを、買ってはいけない

 

【この場を借りて】

友人のDJ Vvotaroに感謝。あの日差別まみれになって帰ってきた私に「何か俺にできることある?」と言ってくれてとても救われた。

 

【追記】

客観的な証拠写真とかあったらもっと全力でシェアしやすいんだけど、というコメントがあった。その通りである。だが文中にあるように当時のメールは実家で放置しているデバイスに保存しているのである。そのため現在公開することは出来ない。

実家に帰るタイミングが来て、デバイスが見つかったらメール漁ってみます。(2011年頃ってもうみんなiphone使ってたっけ?)

それから、職務経歴書確認したらアンデルセン京都店で働いてたのは2010年3月~2013年10月だった。

 

なんで今書いたかって冒頭に書いたように10年経ってもムカついてて昨日も眠りを阻害されてるからだ。私がムカついてるから書いてる、それ以上の理由は要らない。

 

【To クソコメ】

>>"写真や録音などの証拠が一切ない謎のブログ"

だから文中に"実家のドレッサーに放り込んでいる前のデバイスに電源を入れたら、忌々しいメールを閲覧できるだろう"と書いているじゃろうが! 今実家じゃねんだわ

 

*私はこの表現が嫌いである。「日本名」でいいではないか。韓国人であるなら韓国名を名乗るべき、という輩が一定数いてうざったい。どっちも私の家族が心を込めてつけた名前なのに優劣あるわけないだろう

 

*2

https://www.andersen-group.jp/

 

*3

株式会社タカキベーカリー - アンデルセングループ

闘病記38

【戦闘! 膀胱炎】

なんかポケモンのBGMみたいな項目名つけたけど戦闘!ってほどではない。

抗生物質を飲むと尖りが薄くなってきた。

 

抗生物質は食後に飲むのだが忘れそうになる。

何時に食事をすると決まっていれば、いいのだが、リモートワークになってからは腹が減ったら食べるとしているのでいつ食べるかはそのときどきによる。

 

学校や職場でメシの時間が決まっているのもおかしな話だと思う。

私のようなすぐ腹の減る人間もいるし、夜にならないと食欲がわかない人間もいる。

人前で食事をするのは恥みたいな文化コードが学校と職場とみちばたでだけ発生しているのは謎だ。

腹が減っては戦はできぬと昔の人は言うた。その通りで腹が減ったら勉強も仕事も作業も手につかないのだから食べたい時に食べられるという風になってほしい。

 

【地味に困ること】

骨折したのがもうすぐ治るのだが、その間マッサージ屋に行けなくて困る。

私はもともと全身凝りやすく、二週間にいっぺんは通っているのでサロン通いをかれこれ二週間我慢していることになる。

まあ、賃金を払った将軍が身の回りの世話をしてくれる時にマッサージもしてくれるのだが…行きたい時に行けないっていうか今すぐ身体をほぐさないと凝りすぎて仮眠もできない! って時に行けないのがなあ…

 

【河内や泉州で女として生きること2】

闘病記37 - 焦げた後に湿った生活

昨日も同じテーマで書いたが。

 

河内や泉州の女が「強い」と言われるのは、我慢せざるを得ない環境を分厚い糖で粉飾しまくったフレーズだ、ということを書いた。

 

家訓として「美男子と結婚するな」というのがあった。

泉州の母方の家の家訓である。

おばあさんがそれで相当苦労したからだ。

 

その言葉通りおじいさんは大変な美男子だったらしい。若死にで、私が生まれた時には既に故人だったので見たことがないのだが、皆口を揃えて「かっこよかった」と言うのだからまことに美男子だったのだろう。

だって人の好みは様々で、私がかっこいいと思っている男や美人だと思っている女が他の人にとっては全くタイプじゃないなんてざらにあるし、親族間でも嗜好は違うのに、おじいさんを知っている人は皆そう言うのだ。

しかも貧弱な食生活を強いられていた貧困の在日コリアン家庭であったにも関わらず、祖父の身長は180cmを超えていたという。今だって180cmは高身長であるが、当時の基準でいうと高身長of the 高身長で、死んだ時用意可能な棺桶のサイズがなく葬儀屋と家族が困ったという逸話さえあった。

そのせいか私の家では男も女も低身長はおらず、私は163cmくらいあるが家族の中で一番背が低い。男で180cm未満の血縁もいない。

 

だが、泉大津アラン・ドロンと称された男は典型的なDVで、外ヅラは良く家族には当たりがキツイという男だった。ちなみに家に金もあまり入れていない。

故におばあさんとママからは口すっぱく「美男子を相手に選ぶな」と小さい頃から聞かされ続けていたのだが何の因果か私の周りには美男子が多い。結果はお察し、呪われている。

 

で、その記憶はおじいさんの娘、つまりママやおば達には強烈に残っており決して彼女らはおじいさんの写真を祖母の遺影の横に飾らないという気配りを20年以上続けているのだが、おじいさんの息子であるおじは何故か自分の父親について「親父も大変やったんやな~と思うわ~」と口にした。

当然姉たちから即座に「絶対にそんなことない」「殴られたの覚えてへんのか」「一番苦労したんはお母はんや、何を言う」と袋叩きにあってたのだが、もうこの一連の流れがいかに泉州の男の一種の気楽さを体現しているか、地に巣食うシステムを無意識的に継承しているか、読者諸君にも感じていただけることと思う。

なお泉州アラン・ドロンの娘たちは梶芽衣子そっくりだ。アラン・ドロンから梶芽衣子が生まれる。マジカルですねえ

 

そして今日の本題に入るが…

泉州や河内の女は実は家でととのえる食事にうるさくない。

 

これには仕事の質が関係している。

祖母は泉州の名産であるニット・毛布の仕事をして家族を食わせていた。

母も中学卒業後は祖母と一緒に働いた。祖母の家には印象的なミシンがあったのを未だに覚えている。他の地域の家にはちょっとない、とても大きく立派なミシンだ。

家に風呂はなくてもミシンはあった。

 

東京の子に訊かれたことがある。

「それだけ男尊女卑な文化で育ったら、仕事をしていても家事をきちんとしろ、食事をちゃんと作れと母親から小言をくらわないか?」と。

私は一度もそのたぐいの事を言われたことがない。

両親共働きで、あと何故か高2-3の時家に殆ど両親がいなかったから、料理を含め家のことは自分でしていたけれども、あったら有難いという感じで、文句をつけられたことは本当にない。

料理を始めたのが中学の終わりごろだったので高校の半ばくらいまであまり料理は上手くなかったけれど、味にも品数にもケチがついたことはなかった。

たまごやきときゅうりの酢の物だけ、みたいな簡素すぎる食事でも、単に失敗して思ったとおりの味にならなかった食事でも。

 

一般的なサラリーマン家庭と違って、家業をしている家の女は食事にうるさくないのだ。

代表的な話として京都のパン消費量が日本一多いのは和食の街のくせに意外だ、という話題が定期的にあるけれども、あれは家業をしている家が他のエリアより圧倒的に多く、そんな家で朝からちまちまと米を炊き味噌汁をつぎなんてやってられないのでパンを買っておいたら事足りるということである。

(蛇足だがそのおかげで京都市内のパン屋は総菜パンのクオリティが高い)

 

もう、仕事を終えて食事があつらえられていたら万々歳、という感じ。

歴史的に見れば専業主婦とかいうポジションが生まれる前は皆々農民や商人をやっていたわけで、こちらの意識の方が期間でいえばスタンダードである。

今更料理研究家の土井センセが一汁一菜で十分だと唱えているがこちとら半世紀以上の歴史あり。

 

これが何故か男目線だと違うんだよなあ。

ボクも家事は<手伝い>ます、という目線になる。共働きでも御立派な食卓があること前提のセリフである。

食えるモンがあるだけありがたいと思えぇ!と心の中の千鳥ノブが叫んでおる。

 

【祭り】

そういえば泉州出身の男性とこのあいだしゃべったが、「しょうみ、東京の祭り全然おもろくないんです。地元のだんじりに比べたら、リズムも何もかもちまちまとしてて…」と切り出すと、向こうも「ボクもそう思います。オモチャみたいな神輿を大の大人がよってたかって何人も…何がおもろいんやろか」と言っていた。

他の泉州人からも同様の感想を聞いた。

 

東京の祭りは人が死なない。

 

 

 

闘病記37

【今日の病状】

尿道に尖りを感じた。

膀胱炎経験はあるのでそれを疑ったが、断定するには微妙なライン…

 

むかし膀胱炎になった際、どうみても30代半ばにしか見えない50才の美女が「どんどんバイキンを流さないといけないからうんとこさビールを飲みなさい」と言って寿司屋に連行&寿司とビールを奢ってくれた。幻影旅団の考え方である。

 

現在周りにそのような美女はいないので、さっさと婦人科に行った。膀胱炎かどうかわからなかったのと、デリケートゾーンの検査もついでにしてもらうためだ。

この婦人科は先生がやたらに褒めてくれるので、行ったら自己肯定感が上がるという謎の効果がある。

 

骨折して、映画でトリップして、膀胱炎にもなって、私の身体は私が知らないうちにボロボロになっているのかなあ。

 

食事は健康的にほうれん草と薄揚げの味噌汁、崎陽軒のシュウマイ、トマトの中華風サラダ、白菜の漬物。

今日はふらふらと買い出しに行ったがぼーっとしてて明日食べるパンを買い逃した。

やっぱり買い出しは将軍に頼もう。

 

あとなんかやたらハイロウズの「青春」聴きたくなるんだけどサブスクにない

 

【河内や泉州で女として生きること】

泉州や河内の女は強いとこないだ言われた。

私は内心失笑した。

 

どこが<強い>ものか。我慢を強いられている、をぶあつい糖で粉飾した言葉だ。

 

私の叔母は初婚でDVに遭って殺されかけたし、ママは21才で強制的に結婚させられたし、なんなら進学もさせてもらえず中卒となった。

 

私がティーンエイジであった頃でさえ学校の先生が「男は女を守れ」と言い女子生徒がそういった文化を受け入れるしかなかったんだぞ。

生徒会長に女子が立候補することは基本的になくあっても冷たい目で見られ、それが大人になれば町内会長に女性はいないという現象にスライドされていることに誰も何も言わない。

実際は男に守られもしない。役割分担を強化させられただけだった。

男の同級生はレイプのことを日常的な会話で出していた。

 

人情や粋が尊ばれる地域だけどそれは暴力的なモノ、誰かの尊厳を阻害するモノがあった時に指摘せず「まあええやん(やから黙っとけよ)」で済ますこととコインの裏表だ。

この話はエッセイで書いたので興味がある方は購入してほしい。(現地販売は終わったが郵送で本を送れるし、文章のみならLINEギフトとかのワンコインで売るのでDMかなんかください)

https://twitter.com/jahlwl/status/1385412470261518343?s=21&t=8KDjdDvR59UlhKqReRdNhQ

 

血気盛んな地域であるけれども反対の力がはたらき河内・泉州の女は基本的にシビアである。特に人の芸やセンスに対して。

彼女らが何かをdisる時は話半分に聞いておいた方がよい。

そういうちべたさが一種の魅力(ミリキ)である。

 

どれだけだんじりに乗りたくても初経が来たら乗せてもらえない文化内で芸に対する見つめ方がシビアになる。一見関係ないけど必然だと思う。

 

今年ももうすぐだんじり祭りがやってきて子どもの頃一等好きだったそれを横目で見る季節が始まる。

闘病記36

【ここしばらくの病状】

感覚過敏がマシになった。といってもふつうの人よりは過敏なのだろうが。

鉄と鉄がカァンとなる音なんかとても嫌いだ。

うっかりキッチン用品を片している時にその音を聴いてしまって料理をする気がのうなることがある。

 

躁っぽいのは依然続いていて鬱気味になることはない。

 

骨折は未だ治っていないが医者によるとあと一週間ほどで元通りになるらしい。

「骨にヒビいったから二週間外出を控えている」と人に言うと、「早すぎる」「治癒力が高い」と驚かれる。

私はねんざや打ち身すら経験したことないし骨折のスタンダードというのがわからないのだけれども複数人に言われたから多分ほんとうに治癒力が高いのだろう。

 

やたらに甘いものが食べたくなるのだがコンビニ行くのもダルいのがちょっとネック。甘いものを欲しているのは何かに頭を使っているのか?

 

【睡眠随伴症】

じわじわと良うなってきている気もするしそうでない気もする。

今日は性的被害に遭う夢を見た。

叫んでのたうちまわるほどの夢ではなかったけれど、ただ睡眠時間が短くて途中で夢が切れただけなのかもしれない。

もっと長く眠っていたらまた精神的にダメージを喰らったのかもしれない。

 

【愚民】

舞妓さんの実態という記事がネットで話題になっていたが、「ツイフェミはこれには騒がないのか」というコメントがたくさんついていた。

 

「ツイフェミ」が動くかどうかは別として何故自分で手を動かさないのだろう。声をあげないのだろう。

根本的に「ツイフェミ」アンチの彼らは、自分で社会をよくする、ということをしない。

しないからひとにやってもらって当然という思考回路のもと前述のようなコメントが出てくる。

舞妓さんが置かれている境遇が闇で解決しなければならないものなら、ひとに頼らず自分で署名なり調査なりしたらいいのだ。

舞妓の話題に限らず「ツイフェミ」アンチというのは、アンチ以前に、他力本願 が本質である。

フェミニストへの嫌悪や嘲笑は当然彼らのなかにあるだろうが、自ら社会を動かすこと、変えることに対しての嫌悪が一番のコアなのである。

エーリッヒ・フロムも真っ青である。

 

あと、京都の花街のことは実際京都で水商売をした人間でないとそうそう的を得たこと気の利いたことは言えぬ。

 

【芸術家の恋】

以前の日記に書いたとおり馬鹿みたいに忙しくなってそれは私が馬鹿だったからだけれども、馬鹿みたいに忙しいと何故か急に言い寄られることが多くなった。

 

私は先日母親に「ママが私を産んだ36才で子どもを持てなければ子どもは諦め一生芸術家として生きる」と宣言した。

正直、もう物を書いたり曲を作ったりするのを辞めたいという気持ちが(その気持ちが何かの代替にせよ)あり、これからどうしようとホワイティ梅田のど真ん中で立ち尽くしていたところ身につけていたイヤリングがいきなり四散爆破した。

 

イヤリングは華奢なものではなく太めの金属で作られており間違っても破裂するようなシロモノではない。ていうか金属が破裂って何?

人ならざるものが迷いに対して怒りを示したと感じたので即刻方針を決めその足で実家に戻り例の宣言をした。

 

母親は一瞬だけびっくりした表情をしたがすぐに何か納得したらしく、「あなたは音楽をやっていた時が一番いきいきしていた」とコメントした。

 

芸術家と革命家の恋は並大抵ではないので苦労したくなく、言いたいことを言って納得してもらえる人とだけ付き合おうと思った。

で、言い寄られている最初の三ヶ月位なんかサービス期間で…そのあとの態度が相手の男の本性である。

私は最初神のごとく持ち上げられて後からああだこうだ問題が発生するパターンをイヤというほど経験したので、しれっと数ヶ月過ごそうと思う。

幸い今ポケモンの大会に出ていてそれで脳の大半が占められているため男にフルコミットするリソースはない。

 

あるえらいミュージシャンが言った。

「あなたはまだ若いから相手探しに急がなくていいよ、でも芸術家を相手に選ぶのはよしなさい。皆自己中心的だから」

 

それはそうかもしれないが、男の芸術家はそれでもモテるのに女の芸術家が同じ状況じゃないのは不公平だナァ。

なお同様の忠告を別のミュージシャンからも聞かされた。俳優、カメラマン、バンドマン、詩人、そういうの全部ダメらしい。